未だに年賀ハガキの返事が返ってきている。ありがたいことである。
いつも思うのは、この一枚のハガキがわたしの手を離れ、千里万里の旅をして
直接相手の手に届くことだ。年賀ハガキにいたっては、年越しという時空を越えて
届くのだ。
考えてみると、この時空を取り除けば直接わたしの手から相手の手へと手渡し
しているのと同じことになる。そういう意味合いもあって、時候のハガキや
年賀ハガキは大切に考えている。
毎年、漫画バージョンか「はいまん彩」バージョンかを考えて年賀ハガキを
出すのだが、昨年漫画バージョンだったので、今年は一句を添えた「はいまん彩」
バージョンで仕上げて出した。
そして返事をいただいた一枚のハガキに、「句が書いてあるのがわかるのですが
判じ物のようにどうしても解読できず、ずるいなと思いつつ…」と書かれた
Hさんのものがあって、その鋭い感覚に思わず「スミマセンでした、仰せの通り
です。」と、苦笑しつつおそれいってしまった。
判じ物とは…文字や絵画にある意味を隠しておき、それを当てさせようと
したもの、またその遊びなどのことである。
今回の年賀ハガキに描いた雉鳩やスズメのバックの青空に、白抜きで書いた
「 初鴉去って 初鳩 初雀 」の一句を微妙に所どころ青空に溶け込むように
して、意図的に判読しにくくしたのである。しかし我が小ざかしいたくらみなど
たちまち看破されてしまったのだ。
「ずるい…」ですか…いい響きだ…。