会社から帰ってくると、植木の「墨田の花火」がガックリと
うなだれていた。このところのピーカン天気で干上がっていたのだ。
もちろん帰宅するたび毎日水をやっているのだが、これからの夏日、
一日一回の水やりでは足りないのかもしれない。
さっそく葉っぱの先々からシャワーのようにかけてやる。
この「墨田の花火」は、水をやって一時間ほどしてから見に来ると、見事に
シャキッとしているので、水のかけがいがあるのだ。
よく見ると蕾のかたまりのようなものが、何と20個ぐらい出来ている。
これが全部咲くと、壮観な花火大会になるではないか。心わくわくしてきたが、
待てよ…そうはうまくいかないかもしれない。
以前TVで見たのだが、確か他の花芽を取ったほうが大きくきれいな
花になるというようなことを観た気がするのだ。しかし、いいではないか
大輪の花火でなくても、たとえ線香花火のようでも20個も上がればそれは
それで壮観じゃないか。「ドーン」といくのもいいがパチパチと、
そこはかとない可憐な花火も大好きである。
その近くに、G・WにKさんから貰ってきた睡蓮の鉢が置いてある。
始め泥の塊りのように濁っていたが、翌日のぞくときれいに澄んでいた。
数日経つと緑の藻のようなものが湧き上がってきた。また次の日にはあの
睡蓮の葉っぱがプカリと1枚浮いていた。それまで折れ曲がった茎が何本か
見えていたのだが、葉っぱは初めてだったのだ。日々刻々と変化して
今3枚ほどの葉っぱを浮かべている。花芽が見えるのも、もう間近な気配である。
さーてこの睡蓮を「墨田の花火」の隣に置けば、時季を同じくして、
鮮やかな花火の競演が見られるに違いない。今その気配をひしひしと
感じて楽しみに待っているところなのだ。
花火よ上がれ!
うなだれていた。このところのピーカン天気で干上がっていたのだ。
もちろん帰宅するたび毎日水をやっているのだが、これからの夏日、
一日一回の水やりでは足りないのかもしれない。
さっそく葉っぱの先々からシャワーのようにかけてやる。
この「墨田の花火」は、水をやって一時間ほどしてから見に来ると、見事に
シャキッとしているので、水のかけがいがあるのだ。
よく見ると蕾のかたまりのようなものが、何と20個ぐらい出来ている。
これが全部咲くと、壮観な花火大会になるではないか。心わくわくしてきたが、
待てよ…そうはうまくいかないかもしれない。
以前TVで見たのだが、確か他の花芽を取ったほうが大きくきれいな
花になるというようなことを観た気がするのだ。しかし、いいではないか
大輪の花火でなくても、たとえ線香花火のようでも20個も上がればそれは
それで壮観じゃないか。「ドーン」といくのもいいがパチパチと、
そこはかとない可憐な花火も大好きである。
その近くに、G・WにKさんから貰ってきた睡蓮の鉢が置いてある。
始め泥の塊りのように濁っていたが、翌日のぞくときれいに澄んでいた。
数日経つと緑の藻のようなものが湧き上がってきた。また次の日にはあの
睡蓮の葉っぱがプカリと1枚浮いていた。それまで折れ曲がった茎が何本か
見えていたのだが、葉っぱは初めてだったのだ。日々刻々と変化して
今3枚ほどの葉っぱを浮かべている。花芽が見えるのも、もう間近な気配である。
さーてこの睡蓮を「墨田の花火」の隣に置けば、時季を同じくして、
鮮やかな花火の競演が見られるに違いない。今その気配をひしひしと
感じて楽しみに待っているところなのだ。
花火よ上がれ!