なぜ、人はあんなにも自分に甘いのだろう。
このことは、長い間の疑問だった。どんな人にでも
その甘さを感じたものだ。
甘くて、いいことがたくさんあればいいのだが、
野球なら、たった一級の甘い球で逆転サヨナラを
くうときもあるし、サッカーなど何度ロスタイムに
守りに入って追いつかれたことか。これらは皆
自分達への甘さからきているのだ。芸術なら
最後の一歩で妥協して完成度が低くなってしまう。
いわゆる凡庸に堕して、いいことは一つもなさそう
なのに、多くの人が自分に甘くなっているのである。
わたしは、自分だけはそうなるまいと思って、
厳しくしたつもりが、何のことはない、約束は忘れる、
待ち合わせには遅れる、描いた絵が、けっこうな
出来栄えではないかと思っていたのに、1年後に
見ると、エ~と思うのも珍しくはないのである。
では、なぜこうも自分に甘いのか…最近少し
わかるような気がしてきたのだ。
例えば、人を好きになると、その人を認めようとし、
肯定しようとする。いいところを見ようとし、少々の
欠点には目をつむってしまう、というより見えなく
なってしまうというのが、正解かもしれない。
大抵の人は、何だかんだ言っても自分が一番好き
なのである。だから無意識のうちに、自分自身で
自分を認めようとし、当然強く肯定する。その結果、
自分自身に対して客観的評価ができなくなり、
甘く査定してしまうことになるのでありましょう。
しかし、考えてみれば、人間は皆究極は一人ぽっち
なのだ。その一人ぽっちでこの世知辛い世の中を
生き抜いていかなければならない宿命を背負っている。
そんな自分を、自分で認め、肯定し、嫌な処に
目をつぶり、叱咤激励しつつ生きていかなければ
ならないのだ。だから自分自身が自分の強い味方と
なって、支えていこうとしているに違いない。
などと、最近思うようになったのでアリマスデス…ハイ。
このことは、長い間の疑問だった。どんな人にでも
その甘さを感じたものだ。
甘くて、いいことがたくさんあればいいのだが、
野球なら、たった一級の甘い球で逆転サヨナラを
くうときもあるし、サッカーなど何度ロスタイムに
守りに入って追いつかれたことか。これらは皆
自分達への甘さからきているのだ。芸術なら
最後の一歩で妥協して完成度が低くなってしまう。
いわゆる凡庸に堕して、いいことは一つもなさそう
なのに、多くの人が自分に甘くなっているのである。
わたしは、自分だけはそうなるまいと思って、
厳しくしたつもりが、何のことはない、約束は忘れる、
待ち合わせには遅れる、描いた絵が、けっこうな
出来栄えではないかと思っていたのに、1年後に
見ると、エ~と思うのも珍しくはないのである。
では、なぜこうも自分に甘いのか…最近少し
わかるような気がしてきたのだ。
例えば、人を好きになると、その人を認めようとし、
肯定しようとする。いいところを見ようとし、少々の
欠点には目をつむってしまう、というより見えなく
なってしまうというのが、正解かもしれない。
大抵の人は、何だかんだ言っても自分が一番好き
なのである。だから無意識のうちに、自分自身で
自分を認めようとし、当然強く肯定する。その結果、
自分自身に対して客観的評価ができなくなり、
甘く査定してしまうことになるのでありましょう。
しかし、考えてみれば、人間は皆究極は一人ぽっち
なのだ。その一人ぽっちでこの世知辛い世の中を
生き抜いていかなければならない宿命を背負っている。
そんな自分を、自分で認め、肯定し、嫌な処に
目をつぶり、叱咤激励しつつ生きていかなければ
ならないのだ。だから自分自身が自分の強い味方と
なって、支えていこうとしているに違いない。
などと、最近思うようになったのでアリマスデス…ハイ。