馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

『阿波徳島』その19 寺町~徳島城

2019-05-12 21:45:26 | 阿波国の史跡
"2019年3月31日(日)
二日目、

16時00分。
寺町地区をあとにして急いで徳島駅に向かいました。

実はこの近くに,
泊まったホテルがありました。
阿波おどり会館に立ち寄れなかったのが残念。

「新町橋」

徳島城と眉山を結ぶ道の橋

一旦、徳島駅に立ち寄り
バスセンターで帰りの高速バスチケットを買った。
18時発のバスです。

そして、

16時26分。
『徳島城博物館』

入場は16時半までなので滑り込みセーフ。
なんとか、百名城スタンプ押せました。

続百名城はいくつか押してるが、百名城スタンプは今年初めてです。
これが、今年最初で最後になったりして…

館内の見学はあきらめました。

隣の
『旧徳島城表御殿庭園』国名勝
に入った。
茶人上田宗箇(うえそうこ)の築庭の回遊式。
有名な岡山後楽園や高松の栗林公園に比べるとかなり小さいですが、桃山様式を残す名園。
観覧料金は、50円也。

思わず、窓口のおばちゃんに
『安すぎじゃないの?』と言ってしまった。
我が近江県では絶対にあり得ない金額ですわ。


まずは、隣の博物館の横に置いてある品々。

「徳島城の鯱瓦」

明治元年に解体された時に民間に払い下げられて、博物館に寄贈された。

「井筒」

4枚の青石で組まれてる。
八百屋町の豪商松浦家に伝来し、寄贈された。

「石製天水桶」

石製は珍しいそうです。

では、庭園へ。

「枯池の自然石の橋」

初代藩主蜂須賀至鎮公が地団駄し、踏んで割れたという伝説の石。
緑泥片岩という青石。

確かに割れてます

「切石橋」

同じく枯池に長さ6mの花崗岩の橋。
桃山様式の庭園は橋を多用するそうですわ。


次に名前の無い橋を渡ると

「陰陽石」

築山の上にある。
子孫の繁栄を祈る。
髑髏にも見えるので、地獄を連想させるとか?
陰石の左側には、矢穴が残されてますな。

さらに奥へ

築山の頂上にあるのが
「観音堂跡」

藩主が暮らした御殿の鬼門(北東)の位置にあるため、観音堂を建てたそうです。



御殿方向を見おろす

また橋を渡る

ちょっと恐い橋


心字池


枯池

見学時間、約10分でした。


次はいよいよ今回最後の探訪の徳島城です


その20へ続く

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

朝ドラ、なつぞら。
前回のまんぷくが面白かっただけに

なんか、見劣りする。

草刈さんの演技は素晴らしい、
北海道の自然もいい、

それだけ…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

"
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『阿波徳島』その18 寺町地区

2019-05-11 06:18:39 | 阿波国の史跡
"2019年3月31日(日)
二日目、

徳島城下町、眉山の麓の寺町地区を歩いてます。

凄い数の寺が固まってますわ

敬台寺からさらに南下

15時28分
『安住寺』

左折する

四国のみち

細い路地をゆく

『滝薬師』

桜満開

滝薬師と言えば、
徳島名物
和田の屋「滝のやき餅」

徳島藩主御愛用の錦竜水の使用を許されて、藩主の御用菓子となった。
白、抹茶、ごま、
三種類それぞれを一個づつ注文した。
3つで275円也。

生物で、余計な添加物が入ってないので一日しかもたない。
なので、土産じゃなくて自分で食べるために買った。

ただし、手焼きのため、焼くのが追いつかなくてみなさん、出来上がるのを待ってます。
待つのが嫌な我が輩は、その間に滝薬師堂へ参拝することにした。

「白糸の滝」

店の中から撮影

「十士招魂之墓」

明治維新の時に徳島藩の洲本城代家老稲田家が独立しょうとした事件。
以前行った洲本城の資料館に詳しい展示がありました。
この騒動が無ければ、淡路島は兵庫県じゃなくて徳島県の管轄になってたはずです。
ちなみに、稲田家の家臣は北海道新ひだか町の静内に移住しました。
いつか訪ねてみたいですな。

石段を登る

『聖観音堂』

芭蕉句碑があります。

「しばらくは滝にこもるや夏のはじめ」
松尾芭蕉、四国はもとより九州など西国に行ってない。
なので、この句はここじゃなくて
栃木県の日光の滝で詠んだそうです。

15時42分、
和田の屋に戻り、桜を見てたら、

ようやく餅ができました。

先に徳島ラーメン食べたばかりだし、なによりも時間が無いので、
餅は帰りのバスで食べることにした。

「善福寺」★

「春日神社」

「願成寺」★

曲がり角に
『錦竜水』

眉山の湧き水。

滝の焼き餅にも使用されてます。
水を汲みに来てる人がいました。

ただし、滅菌してないので煮沸して飲め!と書いてある。

うーん…

「本行寺」★

明治2年から6年にかけて、明治政府によって配流された浦上キリシタンが最初に収容された寺院。
長崎からこんな遠い所に移されたのですね。
墓地に
「夕霧塚」

京都島原の遊女夕霧がここに埋葬されたようです。

徳島城が造られた時に、本行寺をはじめとして勝瑞城下町にあった20以上の寺がこちらに移されて寺町を構成された。

★印の寺が勝瑞城から移された。
前回紹介した敬台寺も★です


「東宗院」★

「東光寺」★

気がついたら
時刻は16時00分。

まだまだ行きたい寺社や史跡がたくさんあるが、ついに時間切れ。

急いで徳島駅に向かいました。


その19へ続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

昨日、毎月恒例のひこにゃん城博物館に行った帰りに、
本屋で本を買った。

支払いして店を出たら、
店員が追っかけてきた。

本を受け取るのを忘れたから、
です。

またしてもやってしまった


最近、忘れっぽくなってきた、

認知症、

いよいよ、危ないぞ…



馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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今年も五月病六月病、の巻

2019-05-10 11:32:44 | 日記
"
長い連休が終わると毎年必ず性懲りもなくやってくる、
いや、送りつけられるものが、
税金の納付書!

まずは、『固定資産税』
また値上がりしてる↑。
市の財政が苦しいので、その負担がこっちにも回ってきたのかな?
ひこにゃん、頑張って稼いでるのにうまく活用できてないせいや!

今回からスマホでも決済できるようになったが、領収書発行しない、という。
もし、領収書が必要になったら手続きに行かねばならない。
二度手間やんか!

次に
『自動車税』
こちらも値上がり!
13年過ぎた車は15%増し。
五千円もアップしたぞ!

古い車は乗るな、という国の政策らしい。
我がマイカー、一年で1000キロ走ってない。
なので、排気ガス大量に撒き散らしてないぞ。
走行距離少ない車は、減税すべきだと思うのですが…

自動車税もスマホ決済できるようになった。
payで払えるが、やはりこちらも領収書発行されない。
車検の時に、領収書必須なのですが…

クレジットもOK!
ただし、手数料が350円ほど取られる。
ドコモ払いにしてポイント稼げると思ったのに、手数料払ったら40ポイントほどしかつかない。

お役所のやることは、
やっぱり殿様商売ですな。

両方合わせて、昨年まで10万円以内に収まってたが、
今年はついに10万円の大台を越えた。

さらに、
自動車の任意保険、
こちらも値上げされた。
ずぅっと無事故無違反なので、もっと優遇してほしいな。

以上、3つの支払い
月末までに納めねばならない。

年金より多い税金!

この後、健康保険料、住民税も待ち構えてる


この間、デジカメ買い換えた支払いも残ってる。


家計、火の車。

年金生活の我が輩、
五月病、六月病が恐ろしい!

連休の疲れがとれない



馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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『阿波徳島』その17 佐古駅~敬台寺

2019-05-09 14:17:43 | 阿波国の史跡
"2019年3月31日(日)
二日目、

勝瑞駅、13時40分発に乗り

13時50分、
『佐古駅』到着。

徳島城へ行く予定なので、徳島駅で降りるべきなのですが、
1つ手前の佐古駅で降りました。
少し城下町を散策したいと、思ったからです。
駅前に阿波おどりのモニュメントがあります。

南へ向かう。
『佐古川』の石橋を渡る
14時06分、
『諏訪神社』

桜満開です。

高い石段。

横に
「まよひご石」

迷い子石。
昔、佐古の祭りで迷子が多く出たので、その対策としてつくられたそうです

石段登りました。

午前中、かなり歩いてるのでこの石段キツかった

本殿。

桜を見ながら下る

いい花見ですわ。


14時19分、
天正寺の前。

この付近、お遍路道で、お遍路さん見かけました


眉山の麓を南へ向かう


佐古川

「臨江寺」

「佐古新橋」

阿波おどりが描かれてます
おどりの由来はブラタモリで初めて知った。

佐古川と棕梠

14時47分、
「三島神社」

こちらも桜満開、
ですが、
左手に、「中華そばいのたに」がある。

いのたに、と言えば徳島ラーメンとして有名な店。
店の構えはいたってシンプルだが、
中に入ると人がいっぱい。
さすがに人気のラーメン屋さんです。
まずは食券を買わねばならない。
が、機械オンチの我が輩、見てもよくわからない。
見るに見かねて店員さんが、
これは肉多め、これは玉子、
と説明してくれたが、
それでも理解できなくて、
結局、「中盛(550円)」というボタンを押した。
待たされるかな?と思ったが
ほどなくして、ラーメンが運ばれてきた。
噂に違わず、美味しい!



これなら肉増量や生玉子入りを注文すべきだった、と後悔する。

大いに気に入ったぞ!

もしまた来る機会があればまた食べてみたいです。

お腹膨れて元気が戻ったので、
町歩きラストスパート、
頑張る

15時10分
三島神社の狛犬

解説を読んでみると、河野通久が冨田庄(徳島)の地頭に任じられた時に、
伊予の大三島神社から神霊を迎えて三島神社を建立した。
その時の狛犬で、砂岩製。

なんか歴史の重みを感じます。

三島神社本殿。

来福寺

これより寺町地区です。

『敬台寺』

墓地を参拝する

「寺の名前となった敬台院殿の墓」

初代徳島藩主蜂須賀至鎮公夫人です。

墓を上がった所に
「灯篭」1662年。

毎月4日の命日に灯をともされる。
徳島城からこの灯りが見えるので、合掌したそうです。

「題目塔」

敬台院殿が建立。
徳島城下町を見守るためにつくられたようです




その18へ続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

昨日、大津市でむごい交通事故があり、
園児が亡くなった。

どうやら右折車が無理して曲がり、直進車に当たったようです。
目測を誤ったのかもしれない。

そのとばっちりをくらった園児が可哀想ですね。

我が輩、毎週末街道歩きしてる。
歩道の無い場所がたくさんあり、危険な思いしてる。
歩道があると安心するが、
この事故をはじめとして最近の事故を見てると
決して安全では無いとわかった。

歩道も安全ではないなんて、困ったもんですな。

熊や虫に怯えながら歩く山城のほうが安全だったりして…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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合点がいかない『ガッテン!』

2019-05-09 07:28:15 | 日記
"昨夜のNHK『ためしてガッテン!』、
虫歯対策として、
スウェーデンの歯磨きが紹介されてました。

いつもならたいがい寝落ちして見逃すのだが、今回は珍しく最後まで見てしまった。

その理由は、あまりにも衝撃的なやり方だったからです。

普通に歯磨きするのは日本人と一緒なのだが、
スウェーデンでは

【歯みがき粉をたっぷり付ける】

【歯磨きした後、口をすすがない】


いやぁ、びっくりポンですわ!

歯磨きするのに歯みがき粉は不要、と、聞いたことあるぞ。
研磨剤が入ってるから歯に悪い、
とも聞いた。
だから、歯みがき粉は少々でいい。

なのに、歯みがき粉をたっぷりと付けろ?

歯みがき粉にフッ素が入ってる。
これが、歯のコーティングに役立つので、口をすすがずにそのまま口のなかに残すべき、だと言う。
多少飲み込んでも大丈夫だとか?

いや、
フッ素は毒と聞いたぞ!

毒を毎日飲み込んでもいいのか?
少量だから問題ないというが、毎日となると塵も積もれば山になるのでは?

で、スタジオに登場した偉い先生、

『口をすすがないのは潔癖な日本人には受け入れられないだろう。』

だから、あまりおおっぴらに紹介してない、と言う。

いや、それおかしいやろ!

スウェーデンではこの方法が成功していて虫歯の人がほとんどいない。

凄い方法じゃないですか!

たとえ、日本人の習慣にに合わなくとも、優れた方法なら大々的に告知して広めるべきだ。
それが研究者の本筋だ!

もっと早くにこの方法を知ってたら、
我が輩の歯ももっと残ってたかも?

歯が無くなってしまった今となっては、今更や!

そういう意味で、この先生の罪は深いぞ!

て、責任を転嫁するな?


ともかく、一本だけ残ってる歯を維持させるために
この方法を昨夜から試した。

口のなかが気持ち悪い!

でも、歯を残すために我慢した。

今後も毎日続けるつもりだが、
慣れるまで時間かかるだろうな。

う~ん…


というか、
この方法だと
歯みがき粉が早く無くなるだろうな。

歯みがき粉業界にとっては願ってもない、


もしかして、
NHKは歯みがき粉業界の回し者か?


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
"
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【阿波一宮城】その3

2019-05-08 17:20:24 | YouTube動画

 

2019年3月30日

小倉丸から椎丸へ向かいました。

草を刈ってくれてたので見やすかった。

地元の方の感謝です。

刈り取られた草の山が土塁のように見えるのは仕方ないですな

 

β《#^ひ^♯》でヒヒーン

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『美濃路歩き』スタート、の巻

2019-05-07 18:02:07 | 街道歩き
"2019年5月6日(月、祝日)

10連休最終日は、またまた街道歩き。
今回は『美濃路』
初レビューです。

知名度は低いが重要な街道で、江戸時代に朝鮮通信使や我が彦根藩井伊家の参勤交代道でした。

井伊家は、中山道を垂井宿(関ヶ原宿と大垣宿の間)まで来ると、美濃路へそれて名古屋宿に向かい熱田神宮のある熱田の宿から東海道に合流し江戸へ向かった。
これが最短ルートでした。

美濃路のイメージがわかない人は、
新幹線の名古屋駅から関ヶ原へのルートを思い浮かべてください。
岐阜駅に向かわずに岐阜羽島を経て斜めに走る対角線ルートです。

中山道と東海道を結ぶ支線と言ってもいい。

詳細は別の機会にアップします。

垂井駅をスタート。

駅前に竹中半兵衛像があります。

垂井と言えば、竹中家です。



相川には鯉のぼりが!

300匹以上だとか?
全然知らなかっただけに、思いがけないプレゼント。
来て良かったです。

川を越えるとまもなく

中山道と美濃路の分岐となる追分。
道標には、右東海道大垣道と書いてある

しばらく行くと

松並木。
街道の景色がほとんど消滅してる美濃路ではここにしか残ってない。

旧道が消滅したりして、
午後はほとんど県道を歩いた。

そして、久瀬川まで来ると

いよいよ芭蕉ゆかりの大垣宿

15時10分、大垣宿本陣跡。

予定では次の墨俣宿まで行くつもりだったが、
天気予報では、
15時以降、天気が荒れるということだったので、
まだ時間が早いが、今回はここで打ち止めにした。

15時30分、大垣駅到着。

帰りの電車に乗ったら、
雷雨!

あのまま歩いてたら大変な目になったと思う。

今回の撤退の判断は正解でしたわ。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
実を言うと、デジカメを買い替えた。
デジカメが壊れたので、ずっとスマホで撮影してたが、やはりデジカメが欲しくなったので買いました。

新デジカメ初デビュー。
身体よりもカメラが雨に濡れるのが怖かったのです…。

とはいえ、
今回よくわかりました!
スマホのカメラは優れてる、と。
デジカメよりも機能的で画像も負けてない。
素人の撮影は、スマホで充分だと思いました。

ならば、一眼レフを買え?

無職の我が輩は、あんな高いカメラとても買えませんわ…


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

今朝のNHK朝イチ、

カップ麺、熱湯じゃなくて普通の水を注ぐだけでも食べられる、
と、教えてくれた。

いやぁ、これは眼から鱗。

被災した時に、お湯が無くても水さえ入手できればカップ麺を食べられるのです。
これは知らなかった。

ただし、熱湯なら3分だが、
水だと麺がほぐれるまで30分かかります。

3分でも待てない我が輩、
30分も待てるかな?

ま、被災したらそんなこと言ってられないよね。

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

"
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近江の奇祭、『伊庭の坂下し』

2019-05-06 18:27:11 | 旅行
"2019年5月4日(祝日)

毎年5月4日に東近江市伊庭町の繖山にある繖峰三神社( さんぽうさんじんじゃ)でおこなわれる
「伊庭(いば)の坂下し祭」を見に行った。

能登川駅から徒歩20分の所にある。








普通に登山するだけでも大変な山で、岩が多く登りにくい危険は場所。


巨岩が行く手を遮る急な坂を
重さ400キロを超えるみこしを山頂近くの神社から豪快に引きずり下ろすのです。

地元の若者が400キロを超える3基のみこしを下ろしてました。

実は、我が町内も祭りだったのですが、用事があると嘘ついて逃げ出し、やって来ました。


いやぁ、これは凄い!
迫力が半端ない
怪我しないのが不思議なくらい極めて危険な祭り。


祭りの主役はもとより我々見学者も御輿に巻き込まれないように注意しなければならない。

ようやく念願かなって見ることができた。


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
『鍋冠祭り』Instagram
『伊庭の坂下し祭り』Instagram



馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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地名夜話19.05.05

2019-05-05 21:57:01 | 歴史地理
"地名ちょこっと紹介

【岩出山城】宮城県
いわでやまじょう。
大崎市にある。
奥州探題の大崎氏が築いた城跡で、
岩出沢城と呼ばれた。
大崎氏は斯波氏の一族で、本拠は下総国(千葉県)香取郡大崎にあったため、大崎氏に改名した。
この大崎を地図で確認したら、
なんと、地図の神様と言われる伊能忠敬公の居宅があった佐原の南に位置する。
いやぁ、びっくりポンですわ。

で、その大崎氏が東北に来て治めた地域の総称が大崎地方となり、平成合併で誕生した現在の大崎市の由来となった。

ただし、大崎氏は秀吉の小田原北条氏征伐に参陣しなかったため、秀吉によって廃絶されてしまった。

その後、奥州検地をおこなった徳川家康は、岩出沢城に40日滞在し城の改修をおこなった。
この時に家康が岩出沢を岩出山と、改名したそうです。
そして、後に伊達政宗に岩出山城を引き渡しました。
政宗は仙台城築城するまでの約10年、ここを本拠とした。

現在、岩出山城の遺構が少し残ってるが、大崎氏・家康・政宗の足跡が残る城として貴重なのです。

今年の夏に行く予定をしてるが、
さてどうなりますやら?

平成の合併で大崎市になる前の岩出山は、玉造郡岩出山町でした。
玉造郡(たまつくりぐん)は、本来「陸奥国丹取郡(にとりぐん)」でした。
8世紀前半に設置されたが、当時としては最北端の郡だった。

この北端を首尾するために配置されたのが玉造軍団で、軍団の名称をとって丹取郡が玉造郡に改名された、
と考えられてます。

大崎市地域は古代より東北地方での重要な拠点だったわけですね。

大崎市と言えば、有名なのが「鳴子温泉」
鳴子の由来は、
826年に起きた鳥屋ヶ森山の噴火で、現在の温泉神社より温泉が湧出し始めたのが鳴子温泉の始まり、
と言われてるので
火山の震動の音が、鳴る声→鳴子になったようです。
この他に
源義経の赤子が初めて鳴いたので鳴子になった。
さらに、
川音の鳴る所、
あるいは、
なる(傾斜地)+こ(接尾語)、
などという説もある。

古代の官僚の人達、
軍団の兵士達、
みんな、鳴子温泉に浸かったのだろうね。

我が輩も岩出山城に行ったついでに鳴子温泉に浸かりたいな。

ついでかい?

お前は城跡見学にどっぷり浸かって温泉に行く時間無くなってしまうんじゃないの?
毎度のパターンや!

そんなこと、言わでやま!

鳴子温泉駅の隣に足湯があるらしいので、それで我慢するでやま…



□■□■□■□■□■□■□■□■

地名パズル

   北
 南 広
◯◯◯◯←くまモン県
川津浦市
村駅島
↑↑↑↑
奈滋鹿北
良賀児海
県県島道
  県




答えは次回!

Φ(*^ひ^*)Φ
次回の配信は、夏休み頃に予定してます。
あくまでも予定ですが…

というか、長い10連休もいよいよ明日でおしまい。
休みは長いようで短いものですな。

毎日が日曜日の我が輩なんか、
もっと早く感じる。

1ヶ月、あっという間ですわ…

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

地元の鳩のマークのスーパーの店頭に貼ってあった表示

ありがとう平成、
こんにちは令和、
これからも平和堂、

これ、左上から斜め下に読むと
平和堂になる。

うまく考えたもんですな。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪"
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近江の奇祭、『鍋冠祭り』

2019-05-04 22:08:34 | 日記
"2019年5月3日(祝日)

JRハイキングに参加した。
本日は春祭りの見学です。

米原駅到着。

参加者は11名。
駅西口前には花壇がある。

この花壇にバラが植えられた。
*この画像の花はバラではない、念のため。

発起人は、米原市出身の尾木ママ氏。
「マイバラ」にちなんでバラを植えたそうです。
おやじギャグかい!
来月に来ると綺麗にバラが咲いてるだろうな。

最初に立ち寄ったのが、
『大谷刑部の首塚』

関ヶ原の合戦では、不本意ながらも石田三成との友情にかられて味方し、自刃した。

大谷刑部の居城の敦賀城に首を持ち帰る途中で、甥がこの地に埋めた。
その後、地元の人が供養するための塚をつくったそうです。
大谷刑部に関しては毎度のことながら感じいります。
合掌!

そして、湖岸にある磯崎神社に移動。

背後の磯山は、彦根城築城の候補になった。
もし、ここに築城していたら、彦根城じゃなくて磯山城と呼ばれたかも?
周囲を湖に囲まれた岬になっていて天然の要害。
お城としてはうってつけだが、城下町をつくる広い土地が無かったので、家康が彦根山に築城することを命じたのである。

ここで、昼食した。

午後は、『筑摩神社』、


筑摩港へ。

朝妻筑摩は古代から栄えた港で、朝廷の御厨であった。
近江の食べ物が船で積み出されて朝廷に献上された。
人が集まる港なので、遊郭もあった。
その関係で、鍋冠祭りが始まった。

かなりきわどい内容なので、とても説明はできない。
ともかく、女性の貞操を見極めるために始まった、と言われる。

だから、日本三大奇祭りの1つとも呼ばれる。

が、そんなこと言えないので、
一般的には、この地が鍋の産地で、鍋を頭の上に乗せて神社に食べ物を捧げたのが始まり、と説明されてます。

で、昔は嫁入り前の若い女性がナベやカマを頭に被せて練り歩いたそうです。
祭りの由来を知ってるだけに、若い女の子は嫌なのでしょうね。

現在は、7歳の女の子がその役を担わされてます。

ちなみに、鍋冠祭りは、ナベカマ祭でもある。
ナベとカマの違いは、
底が平たいのがナベ、
底に突起の足があるのがカマ。
なんか意味深ですね。





男の子は井伊家の赤備えの鎧を着てます。
顔を恐い形相のようにしてる。

なかなか微笑ましない。

行列は湖岸を練り歩く。

車が邪魔して近くで見られないのが残念。
通行止めにしてほしいものですわ。


ともかく、
長年の念願がかなってこの奇祭を見ることができました。

ようやくですわ。


帰りに駅前の鳩のマークのスーパーの店頭に


ありがとう平成、
こんにちは令和、
これからも平和堂

↘️にも平和堂と繋がる

うまいこと考えましたな。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪"
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