2008/09/09
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>グルメぐりエスニック2(1)ペルー料理
甲子園の応援もちょっぴりはしたけれど、やはりこの夏は「北京奥林匹克」テレビ観戦で、ひと夏終わってしまいました。
開会式で娘息子が興味を示したのが、国名の漢字表記。
ハハは、ここぞと「日本語と中国語の国名漢字表記の相違」なんぞについてウンチクを語り、うるさがられれました。
中国語国名表記を、春庭bbsにコピーしたので、ごらんあれ。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/member/userbbs.cgi#form
「この204ヶ国と地域のうち半分、100の国の留学生に出会ってきたんだよ」と自慢しても、子供ら、もはや「耳タコ」で聞いてくれない。
100ヶ国の留学生に教えてきたという以外に自慢話がないんだから、聞いておくれよぅ。
留学生たちの食生活。
中国の人も、韓国の人も、自分の家から馴染みの調味料を持ってきて自炊する人が多いです。他の国の人にとっても、「食事」の問題は留学生活の成否にかかわる重大事。
留学生にとって、東京、及び東京近郊に留学して便利なこと。
世界中のあらゆる料理が食べられる。
自分で料理作りたくないけれど、どうしても故郷の料理が味わいたい、というとき、ネット検索すれば、たいてい自国料理の店がみつかる。
こんなマイナーな国、地方の料理まで、と、びっくりするくらい、さまざまな料理の店があります。
中華料理、コリアン焼肉店、インドカレーは、もはや「エスニック」の範疇に入らないほど、あたりまえの「日本の食事」になっていますが、中華、印度を含め、今年食べに出かけた都内のエスニック料理のいくつかを紹介します。
日本語教師は、日頃留学生と接しているので、留学生の国の料理について実に豊富な情報を持っています。
出講している大学の講師仲間、A大学でもB大学でも、学期のおわりになると、そわそわしだし、「次の打ちあげは、どこの料理がいいか」という話題で盛り上がります。
2007年の春と夏の「打ちあげエスニックめぐり」から、何店かご紹介します。
勤続14年になるC大の講師仲間と、五反田のペルー料理店「アルコ・イリス・ベンボス」へ。(2008/02/12)
本厚木、川崎、大和にも、同系列店がありますが、五反田にはペルー総領事館があって、いつでも、ペルーや南米の人がいっぱい、という店。
アルコ・イリス・ベンボスを紹介しているブログ
http://e-food.jp/blog/archives/2006/09/arco_iris_bembo.html
私たちが食べたときも、隣のテーブルは陽気なラテン系一家でした。
オーナーは、沖縄出身でペルーへ移民し、日本に帰国して店をひらいた、というので、沖縄風麺類などもありました。
ここに常連として通っていた同僚講師の話によると、オーナーはひとりだけれど、来るたびに毎回コックは顔がちがうので、同じメニューを頼んでも、毎回見た目も味も違う。
ペルー料理っていっても、インカ風だったり、スペイン風だったり、沖縄風だったり、そのたびに違う、ということでした。
セビッチェ1100円、カウカウ850円、ロモサルタード1300円 など、エスニックレストランとしては、「手頃な値段設定の家庭料理」をコンセプトにしているのだそうです。
沖縄だかインカだかペルーだか、出身地がよくわからないカタコトのオバハンが給仕。
肉中心のメニューでしたが、おなか一杯になりました。
<つづく>
2008/09/10
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>グルメぐりエスニック2(2)中国東北家郷料理
中華料理はもはや「エスニック」には入らず、特にラーメン・ギョウザは「日本の国民食」。
また、本格中華も、四川料理、上海料理、北京料理、台湾料理、主立った地方の料理が食べられます。
でも、私が2007年に赴任した土地である中国東北料理の店というと、まだそれほど多くありません。なつかしい中国東北の味をご紹介します。
中国東北料理専門店。池袋の「永利」http://r.gnavi.co.jp/a956000/
2008年2月、春節祝いをかねて、ここで、講師仲間の「就職祝い」をしました。
2007年に中国東北地方へいっしょに赴任した同僚のひとりが、A大学の専任に決まったお祝いの会です。
なつかしい、中国東北料理を食べよう、ということで、幹事の先生のお気に入りの「永利」に決まりました。
集まったのは、去年中国で仕事をした同僚たち。
ダンチョー・チュンツォン先生、アグアフレスコ先生、ナンベン先生。
ナンベン先生は、私にとっては、去年の同僚ではなく、14年前1994年に中国に赴任したときごいっしょした先生です。アグアフレスコ先生にとっては、大学院指導教官です。
大阪からもふたりの先生が駆けつけてくれました。私とほぼ同世代の女性ふたりです。
この、「ほぼ」同世代ってとこがビミョーで、知り合ったころは誰が一番若いか、さぐい合い。結局私が一番年上でした。クッ-。
アグアフレスコ先生には、中国で私もとてもお世話になりました。人柄がよく、仕事にも熱心、パソコン使いも上手。ほんとうに有能な日本語教師です。
アグアフレスコ先生は、スペイン語堪能で、メキシコとベトナムで日本語を教えた経験があります。
2007年春に大学院修士課程を修了すると同時に、中国に赴任。
日本に帰国するとすぐに、アグアフレスコ先生に女の子が誕生しました。奥様はカウンセラーで、共働きですが、お子さんのためにもと、専任の仕事を探していました。
A大学では、中国からの留学生が一番多いそうで、メキシコ、ベトナムと日本語教育の場で経験を積んできたアグアフレスコ先生ですが、主として中国での教育経験をかわれての専任決定となりました。
本人も「数年は非常勤講師として経験を積んでから専任に応募したい」と話していたので、これほど早く専任のポストが決まって、同僚たちも、大喜びのなかにもびっくりでした。
日本語教育業界、ポストが少なくて、私を含め、非常勤講師のまま勤続するほうが多いのです。
最近は、非常勤の口さえも「博士課程以上の学歴」を求められるようになったので、大学院修士課程を修了しただけでは、なかなか非常勤の口も厳しくなってきました。
店内のほとんどのテーブルから中国語が聞こえてきます。私たちのテーブルのほか、日本人のグループは1組だけでした。
中国東北家郷料理の評判は、中国の人たちにも伝わっているものとみえます。
華やかなお祝いの食事、楽しくおいしくいただきました。
ウェイトレスの、ぶっきらぼう、つっけんどんな物言いさえも、「ああ、なつかしい中国風」と思いましたよ。
<つづく>
2008/09/11
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>グルメぐりエスニック(3)スウェーデン料理スモーガスボード
8月4日、友人A子さんのご招待を受けて、はじめてスエーデン料理スモーガスボードというのを食べました。
スモーガスボードというスエーデン語は、英語にすると「バターブレッドのテーブル」という意味。
スウェーデン語の「パンとバター」(smorgas)と「テーブル」(bord)の合成語。
テーブルに並べられたサンドイッチはじめ、さまざまな料理を各人が好きなだけ、食べたいだけ食べるというパーティ料理。
そう、日本語の「和製カタカナ語」でいうところの「バイキング」のことです。
「食べ放題(all you can eat)」は、フランス語ではビュッフェスタイル、ブッフェ、などと呼ぶ。
スモーガスボードというなじみのない語でなく、食べ放題料理を「バイキング」と名付けたのは、帝国ホテルのシェフ。
1957年、当時の帝国ホテル支配人の犬丸徹三が、旅行中にデンマークで「北欧の食べ放題」に出会った。パリのリッツホテルで修行していたシェフ村上信夫に、日本人にあったスタイルの料理研究を命じ、いいにくい「スモーガスボード」に代わる名称を社内公募した。
村上と犬丸が採用したのは、1958年公開の映画『バイキング』のタイトル。
海賊たちの豪快な食べっぷりと北欧料理のイメージがぴったり合った。
以来、春庭の大好きな「食べ放題」は、「バイキング料理」として日本中に広まりました。和製カタカナ語のなかで、「ナイター」と並ぶヒットネーミングです。
今回の食べ放題は、本格的なスエーデン料理スモーガスボードとしては東京唯一の「レストラン・ストックホルム」赤坂見附にあります。
http://www.stockholm.co.jp/
友人A子さんは、私の二つ目の出身大学の同窓生。私のコラムを読んで、「同窓ですね」と、メールをくださって以来、何度かオフ会おしゃべりする機会がありました。
今年は、4月20日に泉屋博古館で「近代日本画と洋画にみる対照の美」を見て、六本木の居酒屋さんでおしゃべりしました。その前は、白金の松岡美術館を見て、白金近辺のベトナム料理店で話し、「美術展」を見たあと食べながらおしゃべりというパターンが定着しました。
8月04日は、レストラン・ストックホルムで思いっきり食べてから、青山のユニマット美術館で『シャガールとエコールドパリの画家たち』という展覧会を見ました。そのあと、ビールを軽く飲んでおしゃべり。
スモーガスボード。
「にしん」や「サーモン」などの魚介類がおいしかったです。
お店のテーブルには、「お皿に少しずつ取り分けて、何度もお皿を換えてください。お皿の数が多いほどよい食べ方です」という「スモーガスボード食べ方指南」があったのですが、私はいつものように、「とにかく全種類を少しずつ2枚のお皿に並べる」という方式で、1時間くらいかけて2枚のお皿を平らげ、そのあとは、デザートに挑戦。
デザートもおいしかったです。
A子さんは、細身で私の半分も食べなかったけれど、「おいしかった。今回のお店はヒットでしたね」と、満足満腹でした。
翻訳者A子さんとのおしゃべりで、2006年度のピューリッツア賞受賞作、ジェラルディン・ ブルックスの小説、『March』と、2005年度全米批評家協会賞受賞のE.・L・.ドクトロウの『The March』について知りました。
どちらも南北戦争を題材とした作品で、A子さんは、翻訳をしてみたいということでした。
もりもり食べて、仕事に趣味によい時間を作っていこうと、A子さんと語り合った一日になりました。
なんと言っても食べ放題、大好きです。
<つづく>
2008/09/12
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>グルメぐりエスニック2(4)インドカレー
この夏、最初の大学のクラスメートK子さんと、六本木にあるインドカレーの店ラロージャに行きました。六本木ヒルズの脇、テレビ朝日通りに面しています。
池袋にあったカレー店から移転してきたので、池袋のマンションひとり住まいのK子さんは、シェフと顔なじみです。
http://www.persia-trd.co.jp/laloggia.html
カレーは、ランチセットCを注文。サラダ、スープ、ナン、タンドリチキン、デザートとチャイ。カレーは、豆カレー、ラムカレーを選びました。
http://www.persia-trd.co.jp/img/carry/m-05.gif
K子さんは3月末で退職し、悠々自適の年金生活者。
「国家公務員上級職の年金なら、一人暮らしを十分まかなえるでしょう」と、うらやましく思っていました。ワーキングプアの非常勤講師とは、同じ年月働いてきても、天地の差です。
いつのも方向音痴で、私が遅れて店に到着すると、オープンテラスのテーブルには、『ローマの歴史』が広げられていました。
春休みに、オーケストラコンサートとK子さんごひいきのデュオ「こころね」ライブを聴いて以来ですから、半年ぶりのおしゃべり。(前回のおしゃべりは、2008/04/10 と2008/04/11カフェ日記に記載)
リタイア後の生活について、「人生の先輩」に聞きたいことがたくさんあります。
週に2回英語スクールに出かけるのと、演劇鑑賞に行くほかは、家で読書三昧。
「今まで仕事しごとで暮らしてきた反動で、今はのんびり本を読んで、家にひきこもっているの」と、K子さん。
演劇はK子さんの「一生の趣味」
「あなたが、チケットをドイツ語の教室に持ってきて、都合で行けなくなったから、代わりにこのチケット買ってくれない?っていうから買って見たのが、私が演劇にはまった最初なの」と、K子さんの思い出。
「あげる」って言わないで「買って」というところが、若い頃から貧乏生活してきた私だとは思うけれど、私はぜんぜんそんなことがあったのだと覚えていない。
それから何度かいっしょにお芝居を見て、仲良くなった。
それまで「民芸」や「文学座」などの「新劇」になじんできた二人にとって、演劇で「ぶっとんだ」思いをしたのが、『劇的なるものをめぐって』
当時はまだ早稲田の路地裏にあった早稲田小劇場。白石加代子の演技、本当にすごかった。
私が、「この夏見たのは、劇団昴のジュリアスシーザーだけ」というと、K子さんも「あ、私も見たよ」と言う。
K子さんは、公演のはじめのほうで、私は千秋楽の日に見たのでした。
お互いに全然知らずに、同じ舞台を見ていたというのも、気の合う友達の証拠。
気は合うけれど、「なんでもいっしょ」の、べったり型友情ではなく、たまに会っておしゃべりすれば、若い頃の友情がさっとよみがえるっていうのが、1970年からのおつきあいが長続きしている秘訣かな。
読書三昧というK子さんをうらやましいなあと思いつつ、おいしいカレーを食べました。
<つづく>
2008/09/13
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>グルメぐりエスニック2(5)ウィグル料理
埼京線南与野が最寄り駅の「シルクロード料理ムラト」
「関東地方で唯一のウイグル料理」がキャッチコピーです。
http://r.tabelog.com/saitama/rstdtl/11002026/
この店には、いつもひとりで行きました。
仕事が終わって、とぼとぼと大学前からひとつ隣のバス停まで歩きます。バス停付近にムラトがありました。
「シルクロード料理」という看板ですが、店のご主人エリさんは「新疆ウィグル」の出身。
エリさんは、シルクロードの町カシュガルから、1997年に来日。苦学をつらぬき、白鳳大学大学院を修了しました。日本語がよくこなれていて、上手です。
日本でビジネスを成功させたいと奮闘し、2006年に故郷ウィグル料理の店を南与野に開店しました。店の名の「ムラト」は、息子さんの名前でもあります。
同郷ウィグルのスタッフと作るウィグル料理。
カシュガルは、イスラム圏なので、肉は羊、鶏、牛。豚肉料理はありません。ミートパイ、シシカバブ、ラグメン(ウィグル風麺類)など、ウィグルから取り寄せたスパイスのきいた味です。
私は仕事先から歩いて店まで行ったのだけれど、もうこの大学へは出講しなくなったので、今行こうとすると、ちょっと遠い。南与野からバスかタクシー。
足繁く通うには辺鄙な場所にあるけれど、ビジネス意欲に燃えているエリさんなので、きっといつか駅に近い場所に支店をだすだろうと思います。
新疆ウィグルの中心地カシュガルは、今年、激しい反政府デモが行われ、北京オリンピックの間、厳しい監視体制が敷かれました。
55の民族が暮らす中国。チベット、ウィグルなどにはさまざまな問題があります。
オリンピック後の中国がどのような国となるのか、新疆ウィグル出身の人々にとっても一番大きな問題です。
オリンピック開会式で、55の民族衣装を着た子どもたちが登場しました。私はテレビを見て娘と息子に「あれ?この子どもたち、服装は各地の民族衣装だけど、顔はみんな漢族の子どもだけどなあ」と、感想を言うと、娘は「こんなハレの場所なんだから、各民族からオーディションして集めたんじゃないの?」と言ってました。
開会式の裏話が花火CGとか、女の子の歌声口パクとか伝わるなか、私が思った通りに、民族衣装の子どもたち、各民族から集められたのではありませんでした。
民族が融和し助け合っていくという建前と、漢族支配の本音が、この「民族衣装の子どもたち」にも表れていたと思います。
これから先、中国が都会と地方との格差解消、民族間の融和をどのようにすすめていくのか、私にできることは何か考えながら、中国の発展そして、新疆ウィグルの平和を願っていきたいと思います。
「ムラト」の料理も、エリさんの息子のムラト君も、明るい未来へむかっていけますように。
<つづく>
2008/09/14
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>グルメぐりエスニック2(6)グルジア料理
2008年2月。出講している大学の講師仲間と、グルジア料理店へ。
私にとって、二つ目の母校なので、同窓の人も多く、話がはずみました。
吉祥寺のグルジア料理店「カフェロシアCafe RUSSIA」
http://caferussia.web.fc2.com/
料理の写真はこちらに
http://e-food.jp/blog/archives/2007/05/_cafe_russia.html
店の名前は「ロシア」を名乗っているけれど、グルジア料理がウリ。ロシア料理とどんなふうに違うのかなあ、という興味をもって食べましたが、基本的にはそんなに違ってはいないと思いました。
もっとも、ロシア料理といっても、そんなにたくさん知っているわけではなく、新宿のスンガリーなどに行ったことがあるだけ。
グルジア、ロシア、ウクライナは、ソビエト連邦成立以前にも相互に影響し合っていたので、スンガリーにもグルジア料理がメニューにありました。
前菜が豊富で、前菜をつまみながらウォッカで話がはずみ、ボルシチやビーフストロガノフをメインにして最後をしめるっていうコースが多いんだって。
「グルジア料理はヘルシーだ」というのは、ボリュームのある肉を中心としないで野菜たっぷりの前菜中心だからなのか、と、納得。前菜は見た目もきれいで、おいしい。
そして、ウェイトレスの美人たち。日本語が上手な人もそうでない人もいましたが、料理を引き立てる美人さん揃いでした。ただし、ロシア人なのかグルジア人なのかは、わかりません。
グルジアとロシアは、北京オリンピック開会式に、ねらったように軍事衝突。
南オセチア地方の所属をめぐって、紛争が続いている地域です。
グルジア共和国に所属する南オセチア自治州には、オセット人が約70000人が住み、自治州ではなく、共和国として独立したいと望んでいます。オセット人のほか、ロシア人グルジア人ウクライナ人アルメニア人も住み、自治州人口は10万人弱。
自治州の人々のうち、大多数を占めるオセット人は、独立した南オセチア共和国となった上で、ロシア連邦に加入したいというのですが、それを認めるわけにはいかないのがグルジア。
ことばの違い、食文化のちがい、いろいろ問題はあるでしょうが、どこの料理もおいしい。
ロシアのことば、ロシアの食べ物、イクラだけでなく、おいしい料理が日本にも定着しています。ビーフストロガノフとかピロシキとか。
グルジア料理も、ロシア料理もおいしい。
9月14日初日の大相撲。
大相撲の露鵬、白露山は、北オセチア共和国(ロシア連邦に加盟)の首都ウラジカフカスの出身。黒海や栃ノ心はグルジア出身。
9月場所中も、故郷の紛争が気にかかっているのではないでしょうか。
露鵬と白露山、黒海や栃ノ心の活躍を祈り、故郷の平和を願っています。
<おわり>
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>グルメぐりエスニック2(1)ペルー料理
甲子園の応援もちょっぴりはしたけれど、やはりこの夏は「北京奥林匹克」テレビ観戦で、ひと夏終わってしまいました。
開会式で娘息子が興味を示したのが、国名の漢字表記。
ハハは、ここぞと「日本語と中国語の国名漢字表記の相違」なんぞについてウンチクを語り、うるさがられれました。
中国語国名表記を、春庭bbsにコピーしたので、ごらんあれ。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/member/userbbs.cgi#form
「この204ヶ国と地域のうち半分、100の国の留学生に出会ってきたんだよ」と自慢しても、子供ら、もはや「耳タコ」で聞いてくれない。
100ヶ国の留学生に教えてきたという以外に自慢話がないんだから、聞いておくれよぅ。
留学生たちの食生活。
中国の人も、韓国の人も、自分の家から馴染みの調味料を持ってきて自炊する人が多いです。他の国の人にとっても、「食事」の問題は留学生活の成否にかかわる重大事。
留学生にとって、東京、及び東京近郊に留学して便利なこと。
世界中のあらゆる料理が食べられる。
自分で料理作りたくないけれど、どうしても故郷の料理が味わいたい、というとき、ネット検索すれば、たいてい自国料理の店がみつかる。
こんなマイナーな国、地方の料理まで、と、びっくりするくらい、さまざまな料理の店があります。
中華料理、コリアン焼肉店、インドカレーは、もはや「エスニック」の範疇に入らないほど、あたりまえの「日本の食事」になっていますが、中華、印度を含め、今年食べに出かけた都内のエスニック料理のいくつかを紹介します。
日本語教師は、日頃留学生と接しているので、留学生の国の料理について実に豊富な情報を持っています。
出講している大学の講師仲間、A大学でもB大学でも、学期のおわりになると、そわそわしだし、「次の打ちあげは、どこの料理がいいか」という話題で盛り上がります。
2007年の春と夏の「打ちあげエスニックめぐり」から、何店かご紹介します。
勤続14年になるC大の講師仲間と、五反田のペルー料理店「アルコ・イリス・ベンボス」へ。(2008/02/12)
本厚木、川崎、大和にも、同系列店がありますが、五反田にはペルー総領事館があって、いつでも、ペルーや南米の人がいっぱい、という店。
アルコ・イリス・ベンボスを紹介しているブログ
http://e-food.jp/blog/archives/2006/09/arco_iris_bembo.html
私たちが食べたときも、隣のテーブルは陽気なラテン系一家でした。
オーナーは、沖縄出身でペルーへ移民し、日本に帰国して店をひらいた、というので、沖縄風麺類などもありました。
ここに常連として通っていた同僚講師の話によると、オーナーはひとりだけれど、来るたびに毎回コックは顔がちがうので、同じメニューを頼んでも、毎回見た目も味も違う。
ペルー料理っていっても、インカ風だったり、スペイン風だったり、沖縄風だったり、そのたびに違う、ということでした。
セビッチェ1100円、カウカウ850円、ロモサルタード1300円 など、エスニックレストランとしては、「手頃な値段設定の家庭料理」をコンセプトにしているのだそうです。
沖縄だかインカだかペルーだか、出身地がよくわからないカタコトのオバハンが給仕。
肉中心のメニューでしたが、おなか一杯になりました。
<つづく>
2008/09/10
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>グルメぐりエスニック2(2)中国東北家郷料理
中華料理はもはや「エスニック」には入らず、特にラーメン・ギョウザは「日本の国民食」。
また、本格中華も、四川料理、上海料理、北京料理、台湾料理、主立った地方の料理が食べられます。
でも、私が2007年に赴任した土地である中国東北料理の店というと、まだそれほど多くありません。なつかしい中国東北の味をご紹介します。
中国東北料理専門店。池袋の「永利」http://r.gnavi.co.jp/a956000/
2008年2月、春節祝いをかねて、ここで、講師仲間の「就職祝い」をしました。
2007年に中国東北地方へいっしょに赴任した同僚のひとりが、A大学の専任に決まったお祝いの会です。
なつかしい、中国東北料理を食べよう、ということで、幹事の先生のお気に入りの「永利」に決まりました。
集まったのは、去年中国で仕事をした同僚たち。
ダンチョー・チュンツォン先生、アグアフレスコ先生、ナンベン先生。
ナンベン先生は、私にとっては、去年の同僚ではなく、14年前1994年に中国に赴任したときごいっしょした先生です。アグアフレスコ先生にとっては、大学院指導教官です。
大阪からもふたりの先生が駆けつけてくれました。私とほぼ同世代の女性ふたりです。
この、「ほぼ」同世代ってとこがビミョーで、知り合ったころは誰が一番若いか、さぐい合い。結局私が一番年上でした。クッ-。
アグアフレスコ先生には、中国で私もとてもお世話になりました。人柄がよく、仕事にも熱心、パソコン使いも上手。ほんとうに有能な日本語教師です。
アグアフレスコ先生は、スペイン語堪能で、メキシコとベトナムで日本語を教えた経験があります。
2007年春に大学院修士課程を修了すると同時に、中国に赴任。
日本に帰国するとすぐに、アグアフレスコ先生に女の子が誕生しました。奥様はカウンセラーで、共働きですが、お子さんのためにもと、専任の仕事を探していました。
A大学では、中国からの留学生が一番多いそうで、メキシコ、ベトナムと日本語教育の場で経験を積んできたアグアフレスコ先生ですが、主として中国での教育経験をかわれての専任決定となりました。
本人も「数年は非常勤講師として経験を積んでから専任に応募したい」と話していたので、これほど早く専任のポストが決まって、同僚たちも、大喜びのなかにもびっくりでした。
日本語教育業界、ポストが少なくて、私を含め、非常勤講師のまま勤続するほうが多いのです。
最近は、非常勤の口さえも「博士課程以上の学歴」を求められるようになったので、大学院修士課程を修了しただけでは、なかなか非常勤の口も厳しくなってきました。
店内のほとんどのテーブルから中国語が聞こえてきます。私たちのテーブルのほか、日本人のグループは1組だけでした。
中国東北家郷料理の評判は、中国の人たちにも伝わっているものとみえます。
華やかなお祝いの食事、楽しくおいしくいただきました。
ウェイトレスの、ぶっきらぼう、つっけんどんな物言いさえも、「ああ、なつかしい中国風」と思いましたよ。
<つづく>
2008/09/11
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>グルメぐりエスニック(3)スウェーデン料理スモーガスボード
8月4日、友人A子さんのご招待を受けて、はじめてスエーデン料理スモーガスボードというのを食べました。
スモーガスボードというスエーデン語は、英語にすると「バターブレッドのテーブル」という意味。
スウェーデン語の「パンとバター」(smorgas)と「テーブル」(bord)の合成語。
テーブルに並べられたサンドイッチはじめ、さまざまな料理を各人が好きなだけ、食べたいだけ食べるというパーティ料理。
そう、日本語の「和製カタカナ語」でいうところの「バイキング」のことです。
「食べ放題(all you can eat)」は、フランス語ではビュッフェスタイル、ブッフェ、などと呼ぶ。
スモーガスボードというなじみのない語でなく、食べ放題料理を「バイキング」と名付けたのは、帝国ホテルのシェフ。
1957年、当時の帝国ホテル支配人の犬丸徹三が、旅行中にデンマークで「北欧の食べ放題」に出会った。パリのリッツホテルで修行していたシェフ村上信夫に、日本人にあったスタイルの料理研究を命じ、いいにくい「スモーガスボード」に代わる名称を社内公募した。
村上と犬丸が採用したのは、1958年公開の映画『バイキング』のタイトル。
海賊たちの豪快な食べっぷりと北欧料理のイメージがぴったり合った。
以来、春庭の大好きな「食べ放題」は、「バイキング料理」として日本中に広まりました。和製カタカナ語のなかで、「ナイター」と並ぶヒットネーミングです。
今回の食べ放題は、本格的なスエーデン料理スモーガスボードとしては東京唯一の「レストラン・ストックホルム」赤坂見附にあります。
http://www.stockholm.co.jp/
友人A子さんは、私の二つ目の出身大学の同窓生。私のコラムを読んで、「同窓ですね」と、メールをくださって以来、何度かオフ会おしゃべりする機会がありました。
今年は、4月20日に泉屋博古館で「近代日本画と洋画にみる対照の美」を見て、六本木の居酒屋さんでおしゃべりしました。その前は、白金の松岡美術館を見て、白金近辺のベトナム料理店で話し、「美術展」を見たあと食べながらおしゃべりというパターンが定着しました。
8月04日は、レストラン・ストックホルムで思いっきり食べてから、青山のユニマット美術館で『シャガールとエコールドパリの画家たち』という展覧会を見ました。そのあと、ビールを軽く飲んでおしゃべり。
スモーガスボード。
「にしん」や「サーモン」などの魚介類がおいしかったです。
お店のテーブルには、「お皿に少しずつ取り分けて、何度もお皿を換えてください。お皿の数が多いほどよい食べ方です」という「スモーガスボード食べ方指南」があったのですが、私はいつものように、「とにかく全種類を少しずつ2枚のお皿に並べる」という方式で、1時間くらいかけて2枚のお皿を平らげ、そのあとは、デザートに挑戦。
デザートもおいしかったです。
A子さんは、細身で私の半分も食べなかったけれど、「おいしかった。今回のお店はヒットでしたね」と、満足満腹でした。
翻訳者A子さんとのおしゃべりで、2006年度のピューリッツア賞受賞作、ジェラルディン・ ブルックスの小説、『March』と、2005年度全米批評家協会賞受賞のE.・L・.ドクトロウの『The March』について知りました。
どちらも南北戦争を題材とした作品で、A子さんは、翻訳をしてみたいということでした。
もりもり食べて、仕事に趣味によい時間を作っていこうと、A子さんと語り合った一日になりました。
なんと言っても食べ放題、大好きです。
<つづく>
2008/09/12
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>グルメぐりエスニック2(4)インドカレー
この夏、最初の大学のクラスメートK子さんと、六本木にあるインドカレーの店ラロージャに行きました。六本木ヒルズの脇、テレビ朝日通りに面しています。
池袋にあったカレー店から移転してきたので、池袋のマンションひとり住まいのK子さんは、シェフと顔なじみです。
http://www.persia-trd.co.jp/laloggia.html
カレーは、ランチセットCを注文。サラダ、スープ、ナン、タンドリチキン、デザートとチャイ。カレーは、豆カレー、ラムカレーを選びました。
http://www.persia-trd.co.jp/img/carry/m-05.gif
K子さんは3月末で退職し、悠々自適の年金生活者。
「国家公務員上級職の年金なら、一人暮らしを十分まかなえるでしょう」と、うらやましく思っていました。ワーキングプアの非常勤講師とは、同じ年月働いてきても、天地の差です。
いつのも方向音痴で、私が遅れて店に到着すると、オープンテラスのテーブルには、『ローマの歴史』が広げられていました。
春休みに、オーケストラコンサートとK子さんごひいきのデュオ「こころね」ライブを聴いて以来ですから、半年ぶりのおしゃべり。(前回のおしゃべりは、2008/04/10 と2008/04/11カフェ日記に記載)
リタイア後の生活について、「人生の先輩」に聞きたいことがたくさんあります。
週に2回英語スクールに出かけるのと、演劇鑑賞に行くほかは、家で読書三昧。
「今まで仕事しごとで暮らしてきた反動で、今はのんびり本を読んで、家にひきこもっているの」と、K子さん。
演劇はK子さんの「一生の趣味」
「あなたが、チケットをドイツ語の教室に持ってきて、都合で行けなくなったから、代わりにこのチケット買ってくれない?っていうから買って見たのが、私が演劇にはまった最初なの」と、K子さんの思い出。
「あげる」って言わないで「買って」というところが、若い頃から貧乏生活してきた私だとは思うけれど、私はぜんぜんそんなことがあったのだと覚えていない。
それから何度かいっしょにお芝居を見て、仲良くなった。
それまで「民芸」や「文学座」などの「新劇」になじんできた二人にとって、演劇で「ぶっとんだ」思いをしたのが、『劇的なるものをめぐって』
当時はまだ早稲田の路地裏にあった早稲田小劇場。白石加代子の演技、本当にすごかった。
私が、「この夏見たのは、劇団昴のジュリアスシーザーだけ」というと、K子さんも「あ、私も見たよ」と言う。
K子さんは、公演のはじめのほうで、私は千秋楽の日に見たのでした。
お互いに全然知らずに、同じ舞台を見ていたというのも、気の合う友達の証拠。
気は合うけれど、「なんでもいっしょ」の、べったり型友情ではなく、たまに会っておしゃべりすれば、若い頃の友情がさっとよみがえるっていうのが、1970年からのおつきあいが長続きしている秘訣かな。
読書三昧というK子さんをうらやましいなあと思いつつ、おいしいカレーを食べました。
<つづく>
2008/09/13
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>グルメぐりエスニック2(5)ウィグル料理
埼京線南与野が最寄り駅の「シルクロード料理ムラト」
「関東地方で唯一のウイグル料理」がキャッチコピーです。
http://r.tabelog.com/saitama/rstdtl/11002026/
この店には、いつもひとりで行きました。
仕事が終わって、とぼとぼと大学前からひとつ隣のバス停まで歩きます。バス停付近にムラトがありました。
「シルクロード料理」という看板ですが、店のご主人エリさんは「新疆ウィグル」の出身。
エリさんは、シルクロードの町カシュガルから、1997年に来日。苦学をつらぬき、白鳳大学大学院を修了しました。日本語がよくこなれていて、上手です。
日本でビジネスを成功させたいと奮闘し、2006年に故郷ウィグル料理の店を南与野に開店しました。店の名の「ムラト」は、息子さんの名前でもあります。
同郷ウィグルのスタッフと作るウィグル料理。
カシュガルは、イスラム圏なので、肉は羊、鶏、牛。豚肉料理はありません。ミートパイ、シシカバブ、ラグメン(ウィグル風麺類)など、ウィグルから取り寄せたスパイスのきいた味です。
私は仕事先から歩いて店まで行ったのだけれど、もうこの大学へは出講しなくなったので、今行こうとすると、ちょっと遠い。南与野からバスかタクシー。
足繁く通うには辺鄙な場所にあるけれど、ビジネス意欲に燃えているエリさんなので、きっといつか駅に近い場所に支店をだすだろうと思います。
新疆ウィグルの中心地カシュガルは、今年、激しい反政府デモが行われ、北京オリンピックの間、厳しい監視体制が敷かれました。
55の民族が暮らす中国。チベット、ウィグルなどにはさまざまな問題があります。
オリンピック後の中国がどのような国となるのか、新疆ウィグル出身の人々にとっても一番大きな問題です。
オリンピック開会式で、55の民族衣装を着た子どもたちが登場しました。私はテレビを見て娘と息子に「あれ?この子どもたち、服装は各地の民族衣装だけど、顔はみんな漢族の子どもだけどなあ」と、感想を言うと、娘は「こんなハレの場所なんだから、各民族からオーディションして集めたんじゃないの?」と言ってました。
開会式の裏話が花火CGとか、女の子の歌声口パクとか伝わるなか、私が思った通りに、民族衣装の子どもたち、各民族から集められたのではありませんでした。
民族が融和し助け合っていくという建前と、漢族支配の本音が、この「民族衣装の子どもたち」にも表れていたと思います。
これから先、中国が都会と地方との格差解消、民族間の融和をどのようにすすめていくのか、私にできることは何か考えながら、中国の発展そして、新疆ウィグルの平和を願っていきたいと思います。
「ムラト」の料理も、エリさんの息子のムラト君も、明るい未来へむかっていけますように。
<つづく>
2008/09/14
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>グルメぐりエスニック2(6)グルジア料理
2008年2月。出講している大学の講師仲間と、グルジア料理店へ。
私にとって、二つ目の母校なので、同窓の人も多く、話がはずみました。
吉祥寺のグルジア料理店「カフェロシアCafe RUSSIA」
http://caferussia.web.fc2.com/
料理の写真はこちらに
http://e-food.jp/blog/archives/2007/05/_cafe_russia.html
店の名前は「ロシア」を名乗っているけれど、グルジア料理がウリ。ロシア料理とどんなふうに違うのかなあ、という興味をもって食べましたが、基本的にはそんなに違ってはいないと思いました。
もっとも、ロシア料理といっても、そんなにたくさん知っているわけではなく、新宿のスンガリーなどに行ったことがあるだけ。
グルジア、ロシア、ウクライナは、ソビエト連邦成立以前にも相互に影響し合っていたので、スンガリーにもグルジア料理がメニューにありました。
前菜が豊富で、前菜をつまみながらウォッカで話がはずみ、ボルシチやビーフストロガノフをメインにして最後をしめるっていうコースが多いんだって。
「グルジア料理はヘルシーだ」というのは、ボリュームのある肉を中心としないで野菜たっぷりの前菜中心だからなのか、と、納得。前菜は見た目もきれいで、おいしい。
そして、ウェイトレスの美人たち。日本語が上手な人もそうでない人もいましたが、料理を引き立てる美人さん揃いでした。ただし、ロシア人なのかグルジア人なのかは、わかりません。
グルジアとロシアは、北京オリンピック開会式に、ねらったように軍事衝突。
南オセチア地方の所属をめぐって、紛争が続いている地域です。
グルジア共和国に所属する南オセチア自治州には、オセット人が約70000人が住み、自治州ではなく、共和国として独立したいと望んでいます。オセット人のほか、ロシア人グルジア人ウクライナ人アルメニア人も住み、自治州人口は10万人弱。
自治州の人々のうち、大多数を占めるオセット人は、独立した南オセチア共和国となった上で、ロシア連邦に加入したいというのですが、それを認めるわけにはいかないのがグルジア。
ことばの違い、食文化のちがい、いろいろ問題はあるでしょうが、どこの料理もおいしい。
ロシアのことば、ロシアの食べ物、イクラだけでなく、おいしい料理が日本にも定着しています。ビーフストロガノフとかピロシキとか。
グルジア料理も、ロシア料理もおいしい。
9月14日初日の大相撲。
大相撲の露鵬、白露山は、北オセチア共和国(ロシア連邦に加盟)の首都ウラジカフカスの出身。黒海や栃ノ心はグルジア出身。
9月場所中も、故郷の紛争が気にかかっているのではないでしょうか。
露鵬と白露山、黒海や栃ノ心の活躍を祈り、故郷の平和を願っています。
<おわり>