2008/09/25
ぽかぽか春庭やちまた日記>ハートでアート(1)NHKハート展
今春の3月4日、上村淳之(うえむらあつし)展を見に、日本橋三越へ行ったら、隣のフロアでNHKハート展を開催していました。
ハート展は、心身に障害を持つ人から詩を募集し、入選した50編に、アーティスト、俳優など著名人がそれぞれに絵をつけたコラボレーション作品展です。
私は三越で開催されていることなど少しも知らなかったので、こうして出会うのも、ご縁というものだろうと思い、ゆっくり会場をまわりました。もう買い物タイムはデパ地下の食料品あたりに集まる頃合いで、会場はそれほど人も多くなく、ゆったりと詩を読むことができました。
カフェ友のchiruchiru77さん、すてきな詩をカフェ日記に掲載しています。去年ハート展に応募したのだけれど、結果は残念!でも、またの応募を励みにして、詩を書き続けています。
chiruchiru77さん、車椅子生活です。今年は手術を受け、苦しくともリハビリを続け、自分自身の可能性にチャレンジしています。身体的には不自由な面が多いけれど、精神的な面では、一人息子の子育てを終えた今も、まだまだチャレンジをつづけています。
ちるちるさんの詩を思い出しながら、会場に展示された50編の詩を読み、絵を見ていきました。
どれも、こころの中のことばがすっと口にでてきたような、きらきらした言葉たちです。
8歳の田上周弥さんは発達障害がありますが、外遊びが大好き。ビーズの作品をつくるのも好き。
アーティストの山本昌美さんのコラボレート作品は、キルティング布の上に、布を切ったティアドロップスの形がたくさん貼ってありました。
「おさかなになろうねの話」(手書き文字の切れ目のとおりに改行してあります)
ママとぼくのなみだがたくさ
んたまって海になったら
いっしょにおさかなに
なって、おしりフリフリして
およごうね。
俳優の緒方拳さんが描いた、ちょっとふとっちょの顔は三角のうなぎの絵。8歳の前田蓮さんの詩とのコラボレーションです。蓮さんは肢体障害がありますが、みんなと遊ぶのが大好きだそうです。
「うなぎちゃん」
うなぎはかわいいです。
口がにっこりしてかわいいです。
うなぎの顔は
とんがりです。
うなぎはめっちゃ
とんがりです。
56歳の山本清年さんは、知的障害者。お母さんが大好きですって。
絵描きさんの門秀彦さんの絵とのコラボレート作品です。
「くる・まいす」
おかあさん
ごはんをたべんけん
ちさくなった
いえのしたまでかいだん
ふー、おむたい
つきにいっかいのやくそく
おかあさんうえをみて
ねむる
くるまいすおす
車椅子を、「くる・まいす」と、区切り方を変えてみると、くるくる車輪がまわっていく感じも出て、「来るmy isu」みたいにも思えて、とてもおもしろく感じました。
詩はどれも素朴な味わいで、ひとりひとりの心のつぶやきがそのまま詩になっているように思います。
chiruchiru77さんにプレゼントしたいと思って、普段は買わないカタログをかいました。
<つづく>
2008/09/26
ぽかぽか春庭やちまた日記>ハートでアート(2)ハートフル社員
障害とアート表現について。
障害をもつ人のアート作品の発表。たとえば、「アート村」の活動があります。
パソナグループのHPより
『 アート村プロジェクト”はパソナグループの「社会貢献」事業として、働く意欲がありながら就労が困難な障害を持った方々の“アート”(芸術活動)による就労支援を目的に、1992年に設立されました。
以来、公募展・企画展・アート講座・及び作品展での作品販売を通して社会参加・就労支援をバックアップしています。』
知的障害身体障害精神障害がある人など、さまざまな障害をもちつつアート制作に取り組んでいる人を援助する企業もあることを知りました。
「ハート展」で見たコラボレーション作品のうち、内部障害をもつ中曽根千夏さん(群馬県10歳)の「うさぎとぞう」に絵を描いたのは、アート村所属アーティストの佐竹未有希さん。知的障害をもつ、「パソナハートフル」の社員で、アート制作を仕事にしています。
すてきなことだなと思ったし、パソナという会社を見直しました。
派遣会社というのは、どうしても「阿漕な女衒」に見えてしまうところでしたが、ハートフル社員を雇用する会社でもある、ということを知り、パソナのメセナとしては成功事例だと思います。
アートを制作する側の障害者についての偏見は減ってきているのだと思いますが、では、モデルとしてはどうでしょうか。
感じ方はそれぞれあってよいけれど、次のような「障害者モデル」についての考え方を見て、私とは異なる受け取り方だなあ、と思います。
私にとっては受け入れがたい、悲しい見方だなあと思います。
以下のコラムを書いた方は、自称「日本画家」です。プロフィールによると、ご自身が病気をされたことがきっかけで、絵を描きはじめたそうです。
===========
ある日本画家のブログより引用
「2007年の日展で」
私は、少し驚いたことがある。
彫刻の展示場で、特選に選ばれた作品についてである。
ある青年の独特のポーズなのであるが、、そのポーズは、ある意味脳性麻痺の人間が立って歩く時に自然に出てくる仕草を木彫にしたものである。
一昔であれば、このような木彫は敬遠されたであろうが、今の時代は特選として評価されている。
私にとっては、実は大変不愉快な思いなのである。
人間の病気を木彫にしたものに見えてくるのである。
ソレを芸術まで昇華した?はたして、そうなのであろうか?う~ん・・・・ 考えすぎか?(^^;)
しかし、見て不愉快なものには変わりは無い。(2007-09-09 10:19:51 )
<つづく>
2008/0927
ぽかぽか春庭>ハートでアート(3)泥田のにおい
上記ブログへの読者コメント
はじめまして
その作品、審査の際、うちの隣に立ってましたけど、一度見たら忘れられない表情をしてましたね。
何を意図して・・・と思いましたけれど。
このお話から、障害を持っても力強く生き抜く・・・ という事を表現したかったのかな?とも・・・。
それにしては、あのサブタイトルの「泥のにおい」というのは、どういう意味なんだろう?と今だに判りません。(2007-09-10 09:48:30)
================
私は当の作品を見ていないので詳細はわかりませんが、「泥のにおい」と題された彫刻作品、モデルになっている人が脳性マヒの方であるらしい。
歩いている脳性マヒの人の姿を彫刻作品にしたものが、このコラムを書いた日本画家さんには、「人間の病気を木彫にしたもの」に見えて、「不愉快だ」と、言っています。
何がこの日本画家さんを不愉快にさせているのでしょう。
この方は「人間の病気を木彫にした」と、怒っておいでだ。
ご自身が病気をなさってから絵を始めたということなので「病気」に対して感じ方が、私とちがうのだろう。
私は脳性麻痺生活者を「病気」とは思わない。不自由があるのはわかる。その不自由さはできる限り解消されるべきだが、不自由さとともに「脳性麻痺という個性」を生きている人と思っています。
「美しい肢体を持つ若い女性や青年がモデルになるのとおなじくらい、脳性マヒの青年はモデルになるべきだ」と、私は思う。
彼らの姿を「不愉快」と受け取るのも、それぞれの感じ方だと思うし、私が「ひとつの人間存在のあり方であり、人間の姿の表現のひとつ」と感じるのも、ひとつの感じ方だと思います。
脳性マヒの青年は、じっとモデルになっていたのではないかも知れない。
立ち上がろうとするだけでも大変だったろう。
私がガイドヘルプをしたことのある脳性マヒのご夫妻、「立ったりすわったりするだけでも、えらいこっちゃ」とおっしゃっていた。ご夫妻、奥様は車椅子生活、ご主人は杖をたよりに歩行が可能でした。
「半人前同士だから、ふたりでいっしょになれば一人前かと思って結婚したんだけど、ふたり合わせても一人前にはならない」と笑って、ヘルパーさんの助けを借りて、ふたり仲良くお暮らしでした。
脳性マヒは、たしかに身体的に不自由があるけれど、彫刻作品のモデルとなって悪いわけじゃない。また、発達障害を伴う場合もあるが、すぐれた感受性や能力を発揮する人もいます。
不自由はあっても、人間の生きているかたちのひとつにすぎない。
<つづく>
2008/09/28
ぽかぽか春庭やちまた日記>ハートでアート(4)ユニークフェイス
私は、いわゆる「ド近眼&乱視」で分厚いレンズの眼鏡をかけています。
2,0の視力を持つ人からみたら、「病気」の範疇かも知れない。でも、眼鏡の助けがあれば、ある程度は見えて不自由は解消される。
もし、眼鏡をかけている「健常な目を持たない人」をモデルにしたら、この日本画家さんは「人間の不自由さを木彫にした」と、怒るでしょうか。
脳性マヒの方の姿を「人間の病気を木彫にした」と感じるのは、脳性マヒ者の姿を「本来の人間の姿でない、美しくない」と感じるから、不愉快にお思いになるのではないか。
この「泥のにおい」の木彫作品を作り上げた人、モデルへの愛情がなければ決して作ったりしないだろう。健常者をモデルにする以上に、たいへんな制作となるのはわかっているから。
それをあえて作品にしたのは、脳性マヒの人がもつ身体的なダイナミズムに共感したからに違いない。
私はダンスが好きなので、障害を持つ人のダンスパフォーマンスに注目してきました。
身体障害がある人でも、ダンスによる身体表現で、実に生き生きとした表現力をしめす。 だから、障害があってもなくても、ダンス表現の場では同じ「表現者」であると思っています。
2008/08/31の日本テレビ「24時間テレビ」の中で、身体や聴力に障害があるアメリカの若者4人のブレイクダンスユニットと、嵐がコラボレートしたダンスがあり、とてもよかった。
「障害を乗り越えて」「障害にめげずに」ではなく、「障害も表現のひとつにしてダンスする」という表現力がとても心地よいダンス空間を作っていたのです。
脳性マヒの人が木彫モデルになることで、この画家さんが「不愉快」と感じるのは、「病気の人をさらしものにしている」という意識があるからではないだろうか。そして「病気を人目にさらして不愉快」と感じるのは、脳性マヒの人を「人目にさらしてはならない、かわいそうな人」と思っているのではないか。
障害があることによって不自由が生じるのなら、その不自由さはできる限り解消されなければならないと思います。
ド近眼&乱視&老眼の私がなんとか不自由なく仕事をこなせるのは、眼鏡の助けがあるから。
眼鏡をかけるのは不自由ではあるけれど、私にとって、それで「人目にさらされるのをさけたい」と思ったことはありません。
だから、脳性麻痺の人にとっては、その不自由をできるだけ解消するお手伝いをしたいし、彼らの姿を世の中にさらすことを躊躇することもない。
と、信じて生きてきた。ところが、、、、
「ユニークフェイス」というNPOがある。遺伝、疾患、外傷等による見た目の問題を持つ人々を、サポートする活動を行っています。
見た目が他の人とことなることで、外出をためらったり、人前にでることに苦痛に感じ生きづらさを感じている人たちにアドバイスし、さまざまなサポートをしています。
顔の傷やアザを手術やメイクで目立たなくする方法を教えたり、自分自身のユニークフェイスを子供たちに見せて、子供たちに、外見が人と異なる人への接し方教えたり、ユニークフェイスの持ち主の心情を話したり、という啓蒙活動を行ったり。
<つづく>
2008/09/29
ぽかぽか春庭やちまた日記>ハートでアート(5)カバーマーク
6年前に亡くなった私の姉は、腕のいい美容師でした。ヘアカットや着付けが上手なだけでなく、「オリリー・カバーマーク」という特殊メイクの技術を習得していました。
手術しても完全には直らないやけどやアザを、メイクでうまくカバーする方法を身につけて、施術し、感謝されていました。
姉は「顔のあざを目立たなくすることで、性格がすっかり変わったようになる人もいる。顔をじろじろ見られたり、子供から指さされてオバケの顔とまで言われたりして、人前に出たがらなかった人が、うれしそうに外出するようになる」と、仕事に誇りをもって話していました。
そういう話をきいたとき、私は、「外見がどうだろうと、堂々と歩けるほうがほんとうなんだけど」と、姉に言ったこともありました。
「人と同じことをしたがり、いつも群れて行動する」のが好きな人々を、批判してきた私。
脳性麻痺の肢体をぶしつけに見られるのをいやがったり、顔の怪我などを人から見られるのがつらいという人へ、「悪いことしているんじゃないんだから、堂々と外に出ようよ」と言っていたにもかかわらず、、、、、。
7月に、「世界が足もとから崩壊する気分」を書きました。
私の自己イメージが崩れて、「自己イメージ私的世界崩壊」でした。
「靴をはいていない」というだけの「一般常識とはちがう姿」をして都会の道路を歩いてみて、人から見られとき、「ジロジロ見るんじゃネーヨ!」と感じてしまった。
何も悪いことをしていないのに、スティグマを負うて歩くような気分。
「悪いコトして居るんじゃないのだから、堂々と歩きましょう」なんて、建前にすぎなかった。人にうさんくさい目で見られること、ほんと、いい気分ではありませんでした。
自分自身は、たかが「靴をはいていない」程度のことでも、「人から変な目で見られる」のがいやだという事実。衝撃!
「顔にあざがあっても、堂々と外を歩ける社会にしなければ」という私は、ただの「建前」を述べていたのにすぎなかった。
私が「外見で人を判断したり差別することは、まちがっている」と、思っていたことは、事実だけれど、自分自身が「差別される側」には立たないまま言っているだけなら、「アフリカの飢えた子供を救おう」と活動する一方で、飢えた子供を100人救える金額の高級グルメを食べ残したりしている人の行動と変わらないではないか。
「どのような顔や肢体でも、堂々と外を歩こう」と言っていながら、自分はじろじろ見られることがいやだ、なんて、「地球にやさしいエコ生活をしよう」と、割り箸やスーパービニール袋の使用禁止を訴えながら、エアコンかけている人と変わらないではないか。
<つづく>
2008/09/30
ぽかぽか春庭やちまた日記>ハートでアート(6)裸足で泥田を
自分自身が、いかに「他の人と異なる様相を見せて、うさんくさい目で見られる」ことを嫌っている人間であったか、と思い知って、自分が頭で思っていた「自分自身のイメージ」が、崩壊した。
「みんなと同じでありたい」「他人と自分とが違う部分について、あれこれ言われたくないから、多勢に同化しようとする」という日本社会の中に、自分自身がどっぷりつかっていることを思い知った、裸足の400メートル道中でした。
外見が他の人とちがっていても、肌の色がちがっていても、靴を履いていなくても、自分は自分、と、堂々と歩ける人でありたいと思っており、そういう社会をめざす人になりたいと、もう一度確認した「裸足の400メートル」
おのれの思想信条、肌の色、姿かたち、自己のいかなるありかたをしめしても、決してそのことによって人を差別することのない社会であってほしいと、私は、思っている。
脳性麻痺によって、不自由があるなら、それを完全にとはいえなくても、できる限り不自由のない状態にまで援助することは、私たちのつとめだし、行きたいところに出かけていけるよう、手助けしたい。私はそうやって、視覚障害の方とも身体障害の方ともおつきあいしてきた。
かれらを「かわいそうな人」とは思わない。私にない可能性をたくさんもち、私にない感受性を持っている。
視覚障害の方は、ド近眼で乱視の私以上に不自由はあるだろうけれど、その不自由さ以外の部分では、それぞれの個性をもって生きていく人間同士。
脳性麻痺の方は、足を怪我した私以上に不自由であるだろうけれど、その人の個性感性をもっている。
ある人の存在のしかた、ある生き方を、「美しい」とみるか、「不愉快」とみるか、人さまざまであるのだろう。
「泥のにおい」という木彫作品をみて、「不愉快」と感じる人がいたら、それはそういう人であるのだから、反論しても意味はないのかもしれない。
私の、大切な友人たち。
ひとりは視覚障害のあこさん。私に「見えない世界」「音と匂いの世界」の感じ方の豊かな感覚をおしえてくれる。
ひとりは、脳性麻痺のちるちるさん。詩とアートのすてきなハーモニーを見せてくれる。
私自身が「人からジロジロみられるのはイヤだ」と感じてしまう弱い人間であることを自覚しつつ、それでも「いっしょに外を歩こう、裸足で散歩しよう」と、あこさんもちるちるさんも誘いたい。
映画『裸足で散歩』の原作『裸足で公園を』は、ニール・サイモンの戯曲作品。
私は、『裸足で泥田を』歩いていこうと思う。
もうずいぶん昔になる。子供同士であぜ道を歩いていた。
田植えの泥田を見下ろし、「あんな汚い仕事をする人になりたくない」と、言った子がいた。
私の母の実家、元は農家で、母も田植えの手伝いをしてきたから、町かたの子が田植えを見て「泥んこのきたない仕事」と言ったことにびっくりした。
それを聞いて、「泥の中に植えなければ稲は育たないよ」と反発したのだったか、「私は泥の中で生きるよ」と言い返したのだったか、もう反論の中身は忘れてしまった。
どちらにせよ、反論しても意味はなかったろう。泥の中で生きることが嫌いな人もいれば、泥の中でなにかをつかみ取ろうとする人もいる。それだけだ。
私は、これまで泥んこ人生だった。不如意な人生の泥の中をはいずり回って生きてきた。
泥のなかの私の姿をみて、汚れている、きたない、と思った人もいるだろう。
私は泥のにおいが好きだ。
雨上がりのどろんこ道の匂いも、田植えの前の泥田の匂いも。私がはい回っている泥んこ人生のにおいも。
実は、自分自身だって、人からジロジロうさんくさい目で見られるのは嫌いなのだ、という弱点を自覚しつつ、私は裸足で泥田を歩いていく。
<おわり>
ぽかぽか春庭やちまた日記>ハートでアート(1)NHKハート展
今春の3月4日、上村淳之(うえむらあつし)展を見に、日本橋三越へ行ったら、隣のフロアでNHKハート展を開催していました。
ハート展は、心身に障害を持つ人から詩を募集し、入選した50編に、アーティスト、俳優など著名人がそれぞれに絵をつけたコラボレーション作品展です。
私は三越で開催されていることなど少しも知らなかったので、こうして出会うのも、ご縁というものだろうと思い、ゆっくり会場をまわりました。もう買い物タイムはデパ地下の食料品あたりに集まる頃合いで、会場はそれほど人も多くなく、ゆったりと詩を読むことができました。
カフェ友のchiruchiru77さん、すてきな詩をカフェ日記に掲載しています。去年ハート展に応募したのだけれど、結果は残念!でも、またの応募を励みにして、詩を書き続けています。
chiruchiru77さん、車椅子生活です。今年は手術を受け、苦しくともリハビリを続け、自分自身の可能性にチャレンジしています。身体的には不自由な面が多いけれど、精神的な面では、一人息子の子育てを終えた今も、まだまだチャレンジをつづけています。
ちるちるさんの詩を思い出しながら、会場に展示された50編の詩を読み、絵を見ていきました。
どれも、こころの中のことばがすっと口にでてきたような、きらきらした言葉たちです。
8歳の田上周弥さんは発達障害がありますが、外遊びが大好き。ビーズの作品をつくるのも好き。
アーティストの山本昌美さんのコラボレート作品は、キルティング布の上に、布を切ったティアドロップスの形がたくさん貼ってありました。
「おさかなになろうねの話」(手書き文字の切れ目のとおりに改行してあります)
ママとぼくのなみだがたくさ
んたまって海になったら
いっしょにおさかなに
なって、おしりフリフリして
およごうね。
俳優の緒方拳さんが描いた、ちょっとふとっちょの顔は三角のうなぎの絵。8歳の前田蓮さんの詩とのコラボレーションです。蓮さんは肢体障害がありますが、みんなと遊ぶのが大好きだそうです。
「うなぎちゃん」
うなぎはかわいいです。
口がにっこりしてかわいいです。
うなぎの顔は
とんがりです。
うなぎはめっちゃ
とんがりです。
56歳の山本清年さんは、知的障害者。お母さんが大好きですって。
絵描きさんの門秀彦さんの絵とのコラボレート作品です。
「くる・まいす」
おかあさん
ごはんをたべんけん
ちさくなった
いえのしたまでかいだん
ふー、おむたい
つきにいっかいのやくそく
おかあさんうえをみて
ねむる
くるまいすおす
車椅子を、「くる・まいす」と、区切り方を変えてみると、くるくる車輪がまわっていく感じも出て、「来るmy isu」みたいにも思えて、とてもおもしろく感じました。
詩はどれも素朴な味わいで、ひとりひとりの心のつぶやきがそのまま詩になっているように思います。
chiruchiru77さんにプレゼントしたいと思って、普段は買わないカタログをかいました。
<つづく>
2008/09/26
ぽかぽか春庭やちまた日記>ハートでアート(2)ハートフル社員
障害とアート表現について。
障害をもつ人のアート作品の発表。たとえば、「アート村」の活動があります。
パソナグループのHPより
『 アート村プロジェクト”はパソナグループの「社会貢献」事業として、働く意欲がありながら就労が困難な障害を持った方々の“アート”(芸術活動)による就労支援を目的に、1992年に設立されました。
以来、公募展・企画展・アート講座・及び作品展での作品販売を通して社会参加・就労支援をバックアップしています。』
知的障害身体障害精神障害がある人など、さまざまな障害をもちつつアート制作に取り組んでいる人を援助する企業もあることを知りました。
「ハート展」で見たコラボレーション作品のうち、内部障害をもつ中曽根千夏さん(群馬県10歳)の「うさぎとぞう」に絵を描いたのは、アート村所属アーティストの佐竹未有希さん。知的障害をもつ、「パソナハートフル」の社員で、アート制作を仕事にしています。
すてきなことだなと思ったし、パソナという会社を見直しました。
派遣会社というのは、どうしても「阿漕な女衒」に見えてしまうところでしたが、ハートフル社員を雇用する会社でもある、ということを知り、パソナのメセナとしては成功事例だと思います。
アートを制作する側の障害者についての偏見は減ってきているのだと思いますが、では、モデルとしてはどうでしょうか。
感じ方はそれぞれあってよいけれど、次のような「障害者モデル」についての考え方を見て、私とは異なる受け取り方だなあ、と思います。
私にとっては受け入れがたい、悲しい見方だなあと思います。
以下のコラムを書いた方は、自称「日本画家」です。プロフィールによると、ご自身が病気をされたことがきっかけで、絵を描きはじめたそうです。
===========
ある日本画家のブログより引用
「2007年の日展で」
私は、少し驚いたことがある。
彫刻の展示場で、特選に選ばれた作品についてである。
ある青年の独特のポーズなのであるが、、そのポーズは、ある意味脳性麻痺の人間が立って歩く時に自然に出てくる仕草を木彫にしたものである。
一昔であれば、このような木彫は敬遠されたであろうが、今の時代は特選として評価されている。
私にとっては、実は大変不愉快な思いなのである。
人間の病気を木彫にしたものに見えてくるのである。
ソレを芸術まで昇華した?はたして、そうなのであろうか?う~ん・・・・ 考えすぎか?(^^;)
しかし、見て不愉快なものには変わりは無い。(2007-09-09 10:19:51 )
<つづく>
2008/0927
ぽかぽか春庭>ハートでアート(3)泥田のにおい
上記ブログへの読者コメント
はじめまして
その作品、審査の際、うちの隣に立ってましたけど、一度見たら忘れられない表情をしてましたね。
何を意図して・・・と思いましたけれど。
このお話から、障害を持っても力強く生き抜く・・・ という事を表現したかったのかな?とも・・・。
それにしては、あのサブタイトルの「泥のにおい」というのは、どういう意味なんだろう?と今だに判りません。(2007-09-10 09:48:30)
================
私は当の作品を見ていないので詳細はわかりませんが、「泥のにおい」と題された彫刻作品、モデルになっている人が脳性マヒの方であるらしい。
歩いている脳性マヒの人の姿を彫刻作品にしたものが、このコラムを書いた日本画家さんには、「人間の病気を木彫にしたもの」に見えて、「不愉快だ」と、言っています。
何がこの日本画家さんを不愉快にさせているのでしょう。
この方は「人間の病気を木彫にした」と、怒っておいでだ。
ご自身が病気をなさってから絵を始めたということなので「病気」に対して感じ方が、私とちがうのだろう。
私は脳性麻痺生活者を「病気」とは思わない。不自由があるのはわかる。その不自由さはできる限り解消されるべきだが、不自由さとともに「脳性麻痺という個性」を生きている人と思っています。
「美しい肢体を持つ若い女性や青年がモデルになるのとおなじくらい、脳性マヒの青年はモデルになるべきだ」と、私は思う。
彼らの姿を「不愉快」と受け取るのも、それぞれの感じ方だと思うし、私が「ひとつの人間存在のあり方であり、人間の姿の表現のひとつ」と感じるのも、ひとつの感じ方だと思います。
脳性マヒの青年は、じっとモデルになっていたのではないかも知れない。
立ち上がろうとするだけでも大変だったろう。
私がガイドヘルプをしたことのある脳性マヒのご夫妻、「立ったりすわったりするだけでも、えらいこっちゃ」とおっしゃっていた。ご夫妻、奥様は車椅子生活、ご主人は杖をたよりに歩行が可能でした。
「半人前同士だから、ふたりでいっしょになれば一人前かと思って結婚したんだけど、ふたり合わせても一人前にはならない」と笑って、ヘルパーさんの助けを借りて、ふたり仲良くお暮らしでした。
脳性マヒは、たしかに身体的に不自由があるけれど、彫刻作品のモデルとなって悪いわけじゃない。また、発達障害を伴う場合もあるが、すぐれた感受性や能力を発揮する人もいます。
不自由はあっても、人間の生きているかたちのひとつにすぎない。
<つづく>
2008/09/28
ぽかぽか春庭やちまた日記>ハートでアート(4)ユニークフェイス
私は、いわゆる「ド近眼&乱視」で分厚いレンズの眼鏡をかけています。
2,0の視力を持つ人からみたら、「病気」の範疇かも知れない。でも、眼鏡の助けがあれば、ある程度は見えて不自由は解消される。
もし、眼鏡をかけている「健常な目を持たない人」をモデルにしたら、この日本画家さんは「人間の不自由さを木彫にした」と、怒るでしょうか。
脳性マヒの方の姿を「人間の病気を木彫にした」と感じるのは、脳性マヒ者の姿を「本来の人間の姿でない、美しくない」と感じるから、不愉快にお思いになるのではないか。
この「泥のにおい」の木彫作品を作り上げた人、モデルへの愛情がなければ決して作ったりしないだろう。健常者をモデルにする以上に、たいへんな制作となるのはわかっているから。
それをあえて作品にしたのは、脳性マヒの人がもつ身体的なダイナミズムに共感したからに違いない。
私はダンスが好きなので、障害を持つ人のダンスパフォーマンスに注目してきました。
身体障害がある人でも、ダンスによる身体表現で、実に生き生きとした表現力をしめす。 だから、障害があってもなくても、ダンス表現の場では同じ「表現者」であると思っています。
2008/08/31の日本テレビ「24時間テレビ」の中で、身体や聴力に障害があるアメリカの若者4人のブレイクダンスユニットと、嵐がコラボレートしたダンスがあり、とてもよかった。
「障害を乗り越えて」「障害にめげずに」ではなく、「障害も表現のひとつにしてダンスする」という表現力がとても心地よいダンス空間を作っていたのです。
脳性マヒの人が木彫モデルになることで、この画家さんが「不愉快」と感じるのは、「病気の人をさらしものにしている」という意識があるからではないだろうか。そして「病気を人目にさらして不愉快」と感じるのは、脳性マヒの人を「人目にさらしてはならない、かわいそうな人」と思っているのではないか。
障害があることによって不自由が生じるのなら、その不自由さはできる限り解消されなければならないと思います。
ド近眼&乱視&老眼の私がなんとか不自由なく仕事をこなせるのは、眼鏡の助けがあるから。
眼鏡をかけるのは不自由ではあるけれど、私にとって、それで「人目にさらされるのをさけたい」と思ったことはありません。
だから、脳性麻痺の人にとっては、その不自由をできるだけ解消するお手伝いをしたいし、彼らの姿を世の中にさらすことを躊躇することもない。
と、信じて生きてきた。ところが、、、、
「ユニークフェイス」というNPOがある。遺伝、疾患、外傷等による見た目の問題を持つ人々を、サポートする活動を行っています。
見た目が他の人とことなることで、外出をためらったり、人前にでることに苦痛に感じ生きづらさを感じている人たちにアドバイスし、さまざまなサポートをしています。
顔の傷やアザを手術やメイクで目立たなくする方法を教えたり、自分自身のユニークフェイスを子供たちに見せて、子供たちに、外見が人と異なる人への接し方教えたり、ユニークフェイスの持ち主の心情を話したり、という啓蒙活動を行ったり。
<つづく>
2008/09/29
ぽかぽか春庭やちまた日記>ハートでアート(5)カバーマーク
6年前に亡くなった私の姉は、腕のいい美容師でした。ヘアカットや着付けが上手なだけでなく、「オリリー・カバーマーク」という特殊メイクの技術を習得していました。
手術しても完全には直らないやけどやアザを、メイクでうまくカバーする方法を身につけて、施術し、感謝されていました。
姉は「顔のあざを目立たなくすることで、性格がすっかり変わったようになる人もいる。顔をじろじろ見られたり、子供から指さされてオバケの顔とまで言われたりして、人前に出たがらなかった人が、うれしそうに外出するようになる」と、仕事に誇りをもって話していました。
そういう話をきいたとき、私は、「外見がどうだろうと、堂々と歩けるほうがほんとうなんだけど」と、姉に言ったこともありました。
「人と同じことをしたがり、いつも群れて行動する」のが好きな人々を、批判してきた私。
脳性麻痺の肢体をぶしつけに見られるのをいやがったり、顔の怪我などを人から見られるのがつらいという人へ、「悪いことしているんじゃないんだから、堂々と外に出ようよ」と言っていたにもかかわらず、、、、、。
7月に、「世界が足もとから崩壊する気分」を書きました。
私の自己イメージが崩れて、「自己イメージ私的世界崩壊」でした。
「靴をはいていない」というだけの「一般常識とはちがう姿」をして都会の道路を歩いてみて、人から見られとき、「ジロジロ見るんじゃネーヨ!」と感じてしまった。
何も悪いことをしていないのに、スティグマを負うて歩くような気分。
「悪いコトして居るんじゃないのだから、堂々と歩きましょう」なんて、建前にすぎなかった。人にうさんくさい目で見られること、ほんと、いい気分ではありませんでした。
自分自身は、たかが「靴をはいていない」程度のことでも、「人から変な目で見られる」のがいやだという事実。衝撃!
「顔にあざがあっても、堂々と外を歩ける社会にしなければ」という私は、ただの「建前」を述べていたのにすぎなかった。
私が「外見で人を判断したり差別することは、まちがっている」と、思っていたことは、事実だけれど、自分自身が「差別される側」には立たないまま言っているだけなら、「アフリカの飢えた子供を救おう」と活動する一方で、飢えた子供を100人救える金額の高級グルメを食べ残したりしている人の行動と変わらないではないか。
「どのような顔や肢体でも、堂々と外を歩こう」と言っていながら、自分はじろじろ見られることがいやだ、なんて、「地球にやさしいエコ生活をしよう」と、割り箸やスーパービニール袋の使用禁止を訴えながら、エアコンかけている人と変わらないではないか。
<つづく>
2008/09/30
ぽかぽか春庭やちまた日記>ハートでアート(6)裸足で泥田を
自分自身が、いかに「他の人と異なる様相を見せて、うさんくさい目で見られる」ことを嫌っている人間であったか、と思い知って、自分が頭で思っていた「自分自身のイメージ」が、崩壊した。
「みんなと同じでありたい」「他人と自分とが違う部分について、あれこれ言われたくないから、多勢に同化しようとする」という日本社会の中に、自分自身がどっぷりつかっていることを思い知った、裸足の400メートル道中でした。
外見が他の人とちがっていても、肌の色がちがっていても、靴を履いていなくても、自分は自分、と、堂々と歩ける人でありたいと思っており、そういう社会をめざす人になりたいと、もう一度確認した「裸足の400メートル」
おのれの思想信条、肌の色、姿かたち、自己のいかなるありかたをしめしても、決してそのことによって人を差別することのない社会であってほしいと、私は、思っている。
脳性麻痺によって、不自由があるなら、それを完全にとはいえなくても、できる限り不自由のない状態にまで援助することは、私たちのつとめだし、行きたいところに出かけていけるよう、手助けしたい。私はそうやって、視覚障害の方とも身体障害の方ともおつきあいしてきた。
かれらを「かわいそうな人」とは思わない。私にない可能性をたくさんもち、私にない感受性を持っている。
視覚障害の方は、ド近眼で乱視の私以上に不自由はあるだろうけれど、その不自由さ以外の部分では、それぞれの個性をもって生きていく人間同士。
脳性麻痺の方は、足を怪我した私以上に不自由であるだろうけれど、その人の個性感性をもっている。
ある人の存在のしかた、ある生き方を、「美しい」とみるか、「不愉快」とみるか、人さまざまであるのだろう。
「泥のにおい」という木彫作品をみて、「不愉快」と感じる人がいたら、それはそういう人であるのだから、反論しても意味はないのかもしれない。
私の、大切な友人たち。
ひとりは視覚障害のあこさん。私に「見えない世界」「音と匂いの世界」の感じ方の豊かな感覚をおしえてくれる。
ひとりは、脳性麻痺のちるちるさん。詩とアートのすてきなハーモニーを見せてくれる。
私自身が「人からジロジロみられるのはイヤだ」と感じてしまう弱い人間であることを自覚しつつ、それでも「いっしょに外を歩こう、裸足で散歩しよう」と、あこさんもちるちるさんも誘いたい。
映画『裸足で散歩』の原作『裸足で公園を』は、ニール・サイモンの戯曲作品。
私は、『裸足で泥田を』歩いていこうと思う。
もうずいぶん昔になる。子供同士であぜ道を歩いていた。
田植えの泥田を見下ろし、「あんな汚い仕事をする人になりたくない」と、言った子がいた。
私の母の実家、元は農家で、母も田植えの手伝いをしてきたから、町かたの子が田植えを見て「泥んこのきたない仕事」と言ったことにびっくりした。
それを聞いて、「泥の中に植えなければ稲は育たないよ」と反発したのだったか、「私は泥の中で生きるよ」と言い返したのだったか、もう反論の中身は忘れてしまった。
どちらにせよ、反論しても意味はなかったろう。泥の中で生きることが嫌いな人もいれば、泥の中でなにかをつかみ取ろうとする人もいる。それだけだ。
私は、これまで泥んこ人生だった。不如意な人生の泥の中をはいずり回って生きてきた。
泥のなかの私の姿をみて、汚れている、きたない、と思った人もいるだろう。
私は泥のにおいが好きだ。
雨上がりのどろんこ道の匂いも、田植えの前の泥田の匂いも。私がはい回っている泥んこ人生のにおいも。
実は、自分自身だって、人からジロジロうさんくさい目で見られるのは嫌いなのだ、という弱点を自覚しつつ、私は裸足で泥田を歩いていく。
<おわり>