<2008夏の思い出>
(1)夏のおたのしみ
(2)清里・野外バレエ
(3)清里・森の生活
(4)清里・絵本美術館
(5)西の魔女
(6)翼のある竜
(7)発掘された日本列島2008
(8)青い鳥オフ会
========
2008/09/19
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(1)夏のおたのしみ
保育園小学校時代の娘と息子のために、毎年、夏休み前になると企業が募集する「親子で牧場見学会」とか電力会社主催の「親子です威力発電所見学バス旅行」など、無料のイベントをさがしました。
「区の公園課主宰の蛍見学会」「団地祭り」「ボリショイサーカス」「花火大会」「豊島園プール」が、7月から8月上旬までの「夏休みお楽しみセット」でした。
ボリショイサーカス、娘と息子が小さいときは、毎年のように見に行きました。新聞販売店が読者サービスに配布する招待券をもらえたからです。
8月のお盆には実家に帰省して、父や妹の世話になってすごしました。
毎年、妹一家に連れられて川遊びやキャンプにでかけました。
極貧生活を続けていて、夏休みの思い出を作ってやることも難しい暮らしだったけれど、子どもが二学期はじめに「夏休みのできごと」という作文を書かされたときになんとか「思い出」を書くことができたのも、実家をついだ妹夫婦のおかげ。
貧しい我が家も、やりくりと工夫次第で、子どもの思い出に残る夏をみつけて過ごしてきたのです。
今年も、8月お盆には、妹が守る故郷の実家に帰り、お墓参り。
両親と姉がひとつの墓に眠っています。
まず、去年亡くなった義理の叔父(父の妹の夫)の新盆に、お線香を立てに行きました。
妹一家と、「ソースカツ丼」の一軒で夕食。ソースカツ丼は、地元の名物になってきて、何軒も類似の店が増えた。
夜は温泉。車でちょっと登っていけば、市内に伊香保温泉もあるけれど、近場の市民温泉へ。市内にいくつも市民温泉があります。
今回は、「敷島の湯・ユートピア赤城」というところへ行きました。
翌日は、山車祭り。
子どもの頃、町内そろいの衣装で山車を引くのが夏の楽しみでした。
町内の山車を差配するのは、鳶頭の祖父でしたから、祖父の掛け声ひとつで、山車が方向を変えたり泊まったりするのを見ることが誇らしくもあった。
私の子どもたちも、町内の子じゃないけれど、幼い頃はそろいの衣装を着せて貰いました。今では、「祭りよりゲーム」になっていて、お墓参りなど「パス」のひとこと。
お盆墓参り、温泉、山車祭り、の故郷の夏。
妹一家は、1994年に、私が単身赴任を条件に中国へ出稼ぎに行ったとき、10歳の娘5歳の息子を半年間預かってくれ、夏休みには、妹が子どもたちを連れて中国へ来てくれました。
1994年に私が稼いだお金は、銀行振り込みされた給料を、夫が全部会社の運転資金につぎ込んでしまって、妹に十分なお礼もできませんでした。
2006年春休みに、妹をタイ旅行に誘ったのは、12年前のお礼をようやくできる状態になったから。
妹は、最初の見学地のお寺でころんで捻挫し、ろくろく観光出来なかったのだけれど。
このときのタイ旅行報告は、下のリンクページに。(2006/03/13~ 03/17)
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200603A
2007年夏は、いっしょに中国西安大連旅行をした。こちらも、タイ旅行に劣らず珍道中だったけれど、楽しかった。
西安珍道中の報告は、下のリンクページに。(2007/08/17~ 09/06)
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200708A
<つづく>
2008/09/20
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(2)清里野外バレエ
妹といっしょの、年に一度の姉妹旅行。今年は、八ヶ岳高原清里へでかけることにしました。
清里で毎年開催されている「野外バレエ」を見るため。
野外バレエは、20年くらい続いているイベントですが、私は評判をきいたことはあったものの、見たことはなかった。
野外バレエは、川口ゆり子今村博明夫妻が主宰する「バレエシャンブルウエスト(Ballet Chambre Ouest )」が、公演を行ってきました。
昨年2007年には、文化庁の平成19年度芸術創造活動重点支援事業採択先に選ばれて、野外バレエのために商工中金が融資を行うなど、恵まれた条件で公演活動を行っています。
http://www.moeginomura.co.jp/FB/index.html
私は30年来、クラシックバレエやモダンダンス、ジャズダンスのレッスンを続けているし、妹も踊りが好き。妹の娘ふたりは、幼稚園から小学校卒業までバレエを続けていて、毎年発表会の衣装は「保護者手作り」というバレエ教室だったので、妹は、大騒ぎで衣装を作っていました。
妹の長女「エリエリ・レマ」が、スーパーでバイトをしながら、バンド活動を続けているのも、親の芸能好きを受け継いだのだろうと思います。
私の母方は、二手に趣味が分かれていた。亡くなった母方の祖父が芸能好きで、義太夫と農民歌舞伎の役者が趣味でした。それで、伯母とクニヒロ叔父は芸能好き。クニヒロ叔父は、国鉄駅長を定年退職後、しばらくは社交ダンスにはまっていた。
母方の祖母の系統は読書文芸好きなので、私の母とヒサオ叔父は、読書と俳句が趣味。ヒサオ叔父は、東芝を定年退職後は、俳句の会などで一句ひねってすごしている。
私の父は、歴史と散歩が好きでした。
それで私は、欲張りにも、読書も文芸も芸能も歴史も散歩も好き。唯一受け継がなかったのは、父の壮年時代の趣味であった釣りだけ。
7月末の「清里プチ避暑」
妹の車に乗せてもらい、バレエの予約や宿泊も妹まかせの、「大名旅行」ならぬ「大奥お局様旅行」。見るのはカブキではなく、バレエです。野外バレエ、楽しみに清里高原へやってきました。
野外バレエはABCの3プログラムがあり、A=プーシキンの原作『オネーギン』を、川口ゆり子今村博明がバレエ振り付けをした『タチヤーナ』、B=アンデルセン原作『おやゆび姫』、C=グリム童話『シンデレラ』の3種。
妹は3夜すべてのチケットを購入していました。ワォ、予算オーバーだけど、、、
1夜目の『タチヤーナ』は曇り空でしたが、2夜目の『おやゆび姫』は、満点の星空、暗転の間、夜空の星も楽しめて、最高の野外バレエでした。
3夜目のシンデレラは、雨降りやまぬ中での公演となり、1幕目で上演中止。
私と妹は、3日目は何となくリハーサルを全幕見ていたのです。明るい中、照明なしのバレエでしたが、見ておいてラッキーでした。
上演中止は残念でしたが、閉幕後に清里名物の「ロックカレー」を食べ、ビールを飲みました。
<つづく>
2008/09/21
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(3)清里・森の生活
清里の最初の夜に宿泊したホテル・ハットウォールデンは、ソローの『ウォールデン・森の生活』をコンセプトにした小さなホテル。とても居心地がよかった。
http://www.hut-walden.com/
よくあるホテルの部屋には聖書がおいてあったりするのですが、ハット・ウォールデンのベッド枕元には、『ウォールデン・森の生活』がおいてありました。
私、20代のころ読んだきりなので、読み返したいと思ってはいるのですが、何しろベッドに入れば、5秒で寝付く。妹が話しかける間もないソッコー睡眠でした。
ハットウォールデンに3泊したいところですが、予算の関係で、2泊目はペンション。3泊目はログハウスの貸別荘・「コテージ炉辺荘」に泊まりました。
http://www.eps4.comlink.ne.jp/~roben-so/
野外バレエの公演は夜なので、昼間はいろんなところに行きました。 清里に三泊の間、昼間は、絵本ミュージアムや展望台など、妹が行きたがったところを中心に車でまわりました。
8月29日、妹がバレエ鑑賞のほか、第一に清里で行きたかったところ、清里開発の父ポールラッシュ記念センターや清泉寮を訪れました。
妹は、清里旅行の予習として、ポール・ラッシュの伝記を読み終わったところなので、車を運転しながら講釈をつづけ、私もいっぱし「ポール・ラッシュ」の事績について詳しくなりました。
国際交流のお手本みたいなポールラッシュについて、私も知ることができ、妹に感謝です。
http://www.keep.or.jp/shisetu/paul/
ラッシュは、日本にアメリカンフットボールを紹介した人で「フットボールの父」と呼ばれている人。
また、聖路加病院の再建に力を注いだ人であり、清里高原を「作物の実らない不毛な寒冷地」から「高原農業や酪農を定着させ、清里を再建した」人でもあります。
現在、清里高原は、観光地として大発展をしていますが、俗化を免れているのは、ポールラッシュの「祈りと奉仕」の精神を受け継ぐ人が、清里に根付いているからでしょう。
ラッシュが作った畳敷きの聖アンデレ教会も見学できました。
http://www.keep.or.jp/shisetu/andere/index.html
次に妹が行きたがったところは、絵本美術館。
八ヶ岳高原に点在している絵本ミュージアムのうち、3館を見学。
妹は、NPOの理事として子育て支援活動に携わっていて、絵本の読み聞かせ運動をしているので、絵本美術館をたくさん見たいというのです。
私は、東京にも絵本関連の施設がたくさんあるから、そんなには行きたくなかったけれど、妹は、私がよく行く青山のクレヨンハウスなどにも簡単には行けないのだから、絵本を見たいという希望におつきあいしました。
<つづく>
2008/09/22
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(4)清里・絵本館めぐり
点在する絵本美術館、3カ所、小淵沢絵本美術館、清里えほんミュージアム、黒井健絵本ハウス。
妹は、どの美術館でも、絵本をあれこれ買い込んでいました。
小淵沢絵本美術館では、ターシャ・テューダー(Tasha Tudor)の絵本、清里えほんミュージアムでは常設展のエロール・ル・カインの原画がよかった。
ターシャ・テューダーは、絵本作家として高い評価を得たほか、庭作りとスローライフの達人。
今年、2008年6月に92歳で永眠するまで、花壇を好きな花で飾り、庭の果物や野菜を使って料理をして暮らしました。薪割りなどの力仕事は、徒歩5分のところに住む息子さんが手伝います。
わたしにとっての、理想の暮らしかた。
日本にもファンが多いターシャの紹介サイト、たくさんあります。
http://ainahaina.exblog.jp/i2/
http://www.akmkny.net/gardeninghappy/tasya.htm
ル・カインは、シンガポール出身の絵本&アニ家
http://www.ehonmuseum-kiyosato.co.jp/exhibition_errol.html
絵本作品は、以下のサイトで紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/author.asp?n=3532
黒井健、私は「ごんぎつね」「手袋を買いに」などのきつねの絵のファンでしたが、きつね以外の作品もいろいろ展示されています。
http://www.kenoffice.jp/
今回行けなくて残念だったところが3カ所。
私にとって、近代史教科書のひとつともいえる『明治精神史』の著者、色川大吉が住んでいる大泉町の近くを通ったのだけれど、どのへんに住んでいるのかはわからなかった。
『八ヶ岳南麗猫の手クラブ物語』を読むつもり。
今回、北杜市に来るまで知らなかったのだけれど、清里周辺の地図をみたら、「金田一春彦記念図書館」がありました。
金田一家の別荘が大泉町にあった縁で春彦の蔵書が寄贈され、金田一一家による講演などが行われている。
私が、修士論文で他動詞ボイスアスペクトについて執筆したとき、アスペクト研究の先達、金田一春彦のアスペクト論を参照論文として巻末に書いた。
また、社会言語論の授業を行うに際し、アクセント、方言の参考書のひとつにしているのも金田一春彦の著書やアクセント辞典。
記念図書館に寄ったのだけれど、木曜日定休で中に入れなかった。玄関前のポールラッシュの銅像前で妹と写真をとりっこしました。
もうひとつ行きたかったのに行けなかったところ。
平山郁夫シルクロード美術館。平山作品はあちこちで見てきたけれど、平山夫妻が収集したシルクロード美術品も展示されているというので、見てみたかった。
http://www.silkroad-museum.jp/
シルクロード美術館の前を、何度もバスや車で通りすぎたのだけれど、妹が絵本美術館のほうに興味を示したので、行く時間がなくなった。
妹が運転する車なので、妹の趣味優先。
そのほか、リフトに乗って山の頂上へ行ったり、手打ち蕎麦を堪能したり、八ヶ岳高原ドライブ、涼しくて楽しい夏休みをすごすことができました。
妹とわたしの旅は、たいていハプニングがおこり珍道中となるのですが、今回の清里旅行は、雨で野外バレエ公演が中止になったほかに「なんてこったい」の出来事はなくて、珍しく「始めも終わりもすべてよし」でした。
<おわり>
2008/09/23
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(5)西の魔女
8月7日、新宿武蔵野館で映画を見ました。『西の魔女が死んだ』
http://blogs.yahoo.co.jp/nishimajo_movie/7321577.html
7月末に、妹とでかけた清里高原のキープ協会敷地内のなか、映画『西の魔女が死んだ』の「おばあちゃんの家」ロケ地が、一般公開されていました。
妹といっしょに、おばあちゃんの家を見てきました。
案内板があって、「おばあちゃんの散歩道」をたどることもできたのですが、お散歩は次のお楽しみにして、おばあちゃんの家をゆっくり見ました。ハーブティもいただいて(無料)ゆっくりすごしました。
http://www.keep.or.jp/nishimajo/
『西の魔女が死んだ』原作は、梨木香歩の短編小説。
「他人に無理して合わせるのは疲れた」と考える中学生の女の子マイ。女の子のグループ同士のつきあいから距離をおいたマイは、そのためクラスメートからは無視され孤立してしまいます。
不登校になったまいが、夏の一ヶ月をすごしたおばあちゃんの家。
ロケ用に建設されたのですが、ロケ終了後は、入場料300円で公開中。
とてもすてきな、心なごむおばあちゃんの家でした。
主人公マイのおばあちゃんは、イギリスから英語教師として来日し、高校の理科教師だったおじいちゃんと結婚します。おじいちゃんが亡くなった後も、ひとりで自分のスタイルを守って静かに生活しています。
おばあちゃんを演じているサチ・パーカーは、1956年生まれ。シャーリー・マクレーンの娘。父親のプロデューサー、スティーブ・パーカーとともに、6~12歳を日本で過ごし、日本語も上手です。
マイのおばあちゃんの暮らし方、雰囲気がターシャ・テューダーに似ている気がします。
自然の中で、自給自足に近い暮らしを続け、縫い物もジャム作りも、自然を生かし周囲の人々ともよい距離を保って暮らしている。
私も、ターシャやマイのおばあちゃんのように晩年を過ごせたらいいのになあ。
映画のなかで主人公マイが一夏をすごすおばあちゃんの家の中、ひとつひとつのようすが、心に響きました。
マイが使っていたマグカップがテーブルの上にそのまま残されていたので、マイがマグカップでハーブティを飲む場面も、いっしょにお料理するおばあちゃんの台所用具なども、故郷の家をみるようになつかしい気がしました。
ことしの夏は、エアコン工事のための部屋片づけやら何年も冷気漏れがしていた冷蔵庫買い換えやらで、たいへんな思いもしたけれど、妹や友人、娘息子とのお出かけの楽しみもありました。
<つづく>
2008/09/24
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(6)翼のある竜
娘息子と三人連れでのお出かけ、7月末にボリショイバレエを見に出かけたほかは、エアコン、冷蔵庫、ガスレンジを買いに、何度も池袋の家電量販店へ出かけて、お買い得品の品定めで8月もすぎてしまいました。借金だらけなのに、高価な家電品を買うのですから、1円でも安いものを探し回りました。さらに増える借金は最少額におさえなければ。
8月末にようやく、お楽しみのお出かけができました。
娘は、小学高低学年のときに「恐竜発掘」の漫画本を読んで恐竜ファンになりました。中学校に入学してからは、「日曜地学ハイキング」という化石掘りの会に入って、毎月のように親子で化石を掘ったり地層見学をしたりの会に参加。貝化石などをたくさん集めました。残念ながら、恐竜の化石を掘り当てる幸運はありませんでしたが、恐竜展は毎年のように見に出かけています。
ことしは、春に千葉の幕張メッセで「よみがえる恐竜大陸展」を見たのですが、夏になったら、また「世界最大の翼竜展」を見たいと、娘が言うので、お台場の日本科学未来館に出かけました。
8月の終わりなので、覚悟していましたが、「自由研究」の仕上げをする親子でにぎわっていました。解説ガイドのイヤホンをつけて走り回る子、デジカメで写真を撮りまくって、子の自由研究ノートを埋めようとがんばるお父さんお母さんの間で、娘と息子は「う~ん、小さいお友達に負けないで楽しむぞ!」と、気合いをいれていました。
もう「夏休み自由研究」の提出には縁遠くなった25歳娘と19歳息子が母親といっしょに「翼竜展」にお出かけするというのも、あまりない組み合わせでしょうが、3人とも恐竜が好きなので。
科学未来館1階に、世界最大の翼竜、ケツァルコアトルスの復元化石や、復元個体を展示し、空飛ぶ竜についてまとめて展示してあります。
「翼竜は頭はでかいが、体は小さくて体重はそれほど重くなく、大型翼竜は長く滑空していられた。体重を減らすために、骨はハニカム構造という蜂の巣のような構造をしている。これは、軽くて強度を保てる構造で、飛行機にも取り入れられている。
小型翼竜は皮膜を羽ばたかせて飛ぶことができたこと、鳥のように2本足歩行ではなくて、翼を折り畳んで、4足歩行した」
など、新しく知ったことがたくさんありました。
娘と息子は何度か来たことのある科学未来館ですが、私は、はじめて。
常設展のほうも回ってみたけれど、上野の科学博物館は、常設展もいろいろ楽しめるのに、「未来」の科学は私には難しすぎて、スーパーカミオカンデも宇宙開発もさっぱりわかりませんでした。どうにも徹底的に理系の頭ではありません。
お台場にいる間に何度か激しい雨が降りましたが、外に出ての移動の間は止んでいて、ラッキー。
テレコムセンターの展望台でコーヒー飲んで一休み。展望台の望遠鏡で「あ、ディズニーシーの火山が見えた」などと言って、夏の終わりの東京湾景を楽しみました。
途中また雨が強くなり、さっきまで見えていた東京タワーがぼうっと霞んで見えなくなり、葛西臨海公園の観覧車も消えて、あたり一帯、白い景色に変わりました。
ひとしきり雨が通り過ぎると、少しずつ東京タワーも見えてきて、再びの東京湾景。
夜は、お台場メディアージュの入場者1万人突破記念花火を見ました。
自由の女神のレプリカが立っているあたりで花火の打ち上げが行われ、お台場周辺でしばし花火を楽しみました。
若者向けの、猫、ハート、ニコニコマークなどのキャラクター花火が中心でしたが、おもしろく観覧しました。
<つづく>
2008/09/24
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(7)発掘された日本列島2008
娘息子とのお出かけ。翼竜展の翌日は、「発掘された日本」展に行きました。
入ってすぐに目にはいるのが、群馬県高崎市の太子塚古墳(5世紀後半)から出土した鹿の埴輪。
埴輪は高さ約60センチ。体長も約60センチ。腰に粘土を張って矢羽根を表現し、その下に朱で流れ出る血を描き込んである。
矢がささった体にある斑点は、「かのこ模様」の夏毛を表したらしい。狩りの獲物を神に祈るための埴輪であったのだろう。
琴をひいている楽人の埴輪もいっしょに展示されていた。神への祈りの曲を演奏したのか、はたまた収穫の祭りを祝う宴席を音楽で囃したのか。
縄文時代、弥生時代、と時代ごとの発掘品が順路に展示され、近年の発掘として話題になった本能寺の半分焼けた瓦があった。
発掘成果が上がると、業火に焼け落ちたと言われている本能寺のさまざまな真実が浮かび上がってくるかもしれない。秀吉が他の場所に本能寺を再建し、長い間本能寺の元の地が不明であったのはなぜか、とか。
高松塚古墳の石室レプリカもあった。
発見当時の美しい女人像や白虎、天井の星辰が写真撮影され、新聞社の「おまけ」としてポスターが配布された記憶があるけれど、今は、かびに覆われて美女の顔もよく見えなくなっている様子が、復元されていた。
通常展示の大名籠。「女籠」の前に、「靴をぬいで、籠に座ってください」と、書かれていたので、親子で順番に籠に座ってみた。私が中に座ったら、息子と娘が「桜田門外の変ごっこ」と言って、刺すまねをしたので、息子が座ったときは、「坂下門外の変」と言って、私が刺すまねをして遊んだ。おバカな親子。
そして、「えっと、桜田門外は井伊直弼だったけれど、坂下門って、安藤だれだっけ」と、殺されかけたのに、名前が知られていない安藤を不憫に思いつつ、常設展示を見て回りました。
歴史大好きな息子、学生証を示せば、常設展は江戸東京博物館も国立東京博物館も無料で見ることができる「メンバーズシップ」に登録してある大学なのに、このありがたい制度をつかうのは初めて。「こういう費用もバカ高い授業料に入ってるんだから、せっせと利用してモト取りなさいよ」と、けしかけるハハの「費用対効果」計算でした
科学未来館では、ランチに「恐竜の卵コロッケランチ」というのを食べて、「こういう子供だましに乗って食べるのがおいしい」とか言っていた息子と娘、江戸東京博物館では、2階のレストランで「深川丼」と「穴子天とまぐろ山かけセット」を頼み、「うん、江戸っぽい」と、食べていました。
何を見て歩いても、「食べるのが一番たいせつ」の親子です。
<つづく>
2008/09/25
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(8)青い鳥オフ会
7月21日、カフェ仲間とのオフ会をして、楽しかった。
以下、オフ会の思い出
九州の青い鳥チルチルさんは、6月1日カフェ日記に、翌日から始まる入院生活について、「あ~す~は、東京へ出てゆくからにゃ~ な~にが なんでも 挫けちゃならぬ~ う~まれながらの 脳性麻痺に~ 戦い挑んで また~生きる~ 」と、書いていました。
その東京での入院生活も、あと数日でひとまず退院という日、オフ会をしました。
病院お見舞いというと、元気な人が入院中の方をお見舞いすることになりますが、チルチルさんのお見舞いは、逆です。入院中のチルチルさんは、まだ痛みがとれない部分があるというにもかかわらず、いつも笑顔がいっぱい。
私のほうが暑さにうだっていてくたびれていて、いっしょにお話しするなかで、たくさんの元気をいただきました。
青い鳥オフ会。
チルチルさんが入院している病院から車なら20~30分ほどというところにお住まいのchiyoさんと、チルチルさんの妹さんグリーンさんと、「女4人のアフタヌーンティ・パーティ」を楽しみました。
冷たいコーヒーや緑茶を飲みながら、chiyoさんお手製のバナナクリームクレープ、私が、ありあわせのカボチャをチンしてテキトーに混ぜ合わせただけの「簡単パンプキンケーキ」などを作ってお茶うけにして、笑いとおしゃべりのティーパーティ。
チルチルさんは、ケータイにいっぱい保存してある、病院同室仲間や主治医の先生とのツーショット写真を披露してくれました。
チルチルさんは、chiyoさんの愛犬チョコちゃんをなでながら、私が書いた「足下が崩れる話」を「大笑いして読んだよ~」と、もう一度おもしろがり、chiyoさんは、うれしそうにシッポを振っているチョコちゃんとの出会いについて話しました。
ちるちるさんの外出許可時間いっぱいまで、おしゃべりがつきませんでした。
グリーンさんは、ご自身も体調が不調となる日もあるなか、病院併設の「介護者用の寮」に寝泊まりし、大手術に臨んだチルチルさんの介護を続けました。
chiyoさんと私は、「ほんとうに感動的な姉妹愛ね」と、話し合いましたが、食事の介助や車椅子への乗り降りにつけても、てきぱきとこなしておられました。
chiyoさんとチルチルさんと私の共通点は、「三人姉妹」であること。それぞれの姉妹との絆もありながら、こうしてインターネットを媒介として、本来なら知り合うことがない九州と東京の距離をこえて友だちになれたことを、不思議にもうれしく思います。
オフ会はそんなにしょっちゅうはできないけれど、これからもbbsや日記コメントを通じて、おしゃべりに花咲かせていこうと思います。
<おわり>
(1)夏のおたのしみ
(2)清里・野外バレエ
(3)清里・森の生活
(4)清里・絵本美術館
(5)西の魔女
(6)翼のある竜
(7)発掘された日本列島2008
(8)青い鳥オフ会
========
2008/09/19
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(1)夏のおたのしみ
保育園小学校時代の娘と息子のために、毎年、夏休み前になると企業が募集する「親子で牧場見学会」とか電力会社主催の「親子です威力発電所見学バス旅行」など、無料のイベントをさがしました。
「区の公園課主宰の蛍見学会」「団地祭り」「ボリショイサーカス」「花火大会」「豊島園プール」が、7月から8月上旬までの「夏休みお楽しみセット」でした。
ボリショイサーカス、娘と息子が小さいときは、毎年のように見に行きました。新聞販売店が読者サービスに配布する招待券をもらえたからです。
8月のお盆には実家に帰省して、父や妹の世話になってすごしました。
毎年、妹一家に連れられて川遊びやキャンプにでかけました。
極貧生活を続けていて、夏休みの思い出を作ってやることも難しい暮らしだったけれど、子どもが二学期はじめに「夏休みのできごと」という作文を書かされたときになんとか「思い出」を書くことができたのも、実家をついだ妹夫婦のおかげ。
貧しい我が家も、やりくりと工夫次第で、子どもの思い出に残る夏をみつけて過ごしてきたのです。
今年も、8月お盆には、妹が守る故郷の実家に帰り、お墓参り。
両親と姉がひとつの墓に眠っています。
まず、去年亡くなった義理の叔父(父の妹の夫)の新盆に、お線香を立てに行きました。
妹一家と、「ソースカツ丼」の一軒で夕食。ソースカツ丼は、地元の名物になってきて、何軒も類似の店が増えた。
夜は温泉。車でちょっと登っていけば、市内に伊香保温泉もあるけれど、近場の市民温泉へ。市内にいくつも市民温泉があります。
今回は、「敷島の湯・ユートピア赤城」というところへ行きました。
翌日は、山車祭り。
子どもの頃、町内そろいの衣装で山車を引くのが夏の楽しみでした。
町内の山車を差配するのは、鳶頭の祖父でしたから、祖父の掛け声ひとつで、山車が方向を変えたり泊まったりするのを見ることが誇らしくもあった。
私の子どもたちも、町内の子じゃないけれど、幼い頃はそろいの衣装を着せて貰いました。今では、「祭りよりゲーム」になっていて、お墓参りなど「パス」のひとこと。
お盆墓参り、温泉、山車祭り、の故郷の夏。
妹一家は、1994年に、私が単身赴任を条件に中国へ出稼ぎに行ったとき、10歳の娘5歳の息子を半年間預かってくれ、夏休みには、妹が子どもたちを連れて中国へ来てくれました。
1994年に私が稼いだお金は、銀行振り込みされた給料を、夫が全部会社の運転資金につぎ込んでしまって、妹に十分なお礼もできませんでした。
2006年春休みに、妹をタイ旅行に誘ったのは、12年前のお礼をようやくできる状態になったから。
妹は、最初の見学地のお寺でころんで捻挫し、ろくろく観光出来なかったのだけれど。
このときのタイ旅行報告は、下のリンクページに。(2006/03/13~ 03/17)
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200603A
2007年夏は、いっしょに中国西安大連旅行をした。こちらも、タイ旅行に劣らず珍道中だったけれど、楽しかった。
西安珍道中の報告は、下のリンクページに。(2007/08/17~ 09/06)
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200708A
<つづく>
2008/09/20
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(2)清里野外バレエ
妹といっしょの、年に一度の姉妹旅行。今年は、八ヶ岳高原清里へでかけることにしました。
清里で毎年開催されている「野外バレエ」を見るため。
野外バレエは、20年くらい続いているイベントですが、私は評判をきいたことはあったものの、見たことはなかった。
野外バレエは、川口ゆり子今村博明夫妻が主宰する「バレエシャンブルウエスト(Ballet Chambre Ouest )」が、公演を行ってきました。
昨年2007年には、文化庁の平成19年度芸術創造活動重点支援事業採択先に選ばれて、野外バレエのために商工中金が融資を行うなど、恵まれた条件で公演活動を行っています。
http://www.moeginomura.co.jp/FB/index.html
私は30年来、クラシックバレエやモダンダンス、ジャズダンスのレッスンを続けているし、妹も踊りが好き。妹の娘ふたりは、幼稚園から小学校卒業までバレエを続けていて、毎年発表会の衣装は「保護者手作り」というバレエ教室だったので、妹は、大騒ぎで衣装を作っていました。
妹の長女「エリエリ・レマ」が、スーパーでバイトをしながら、バンド活動を続けているのも、親の芸能好きを受け継いだのだろうと思います。
私の母方は、二手に趣味が分かれていた。亡くなった母方の祖父が芸能好きで、義太夫と農民歌舞伎の役者が趣味でした。それで、伯母とクニヒロ叔父は芸能好き。クニヒロ叔父は、国鉄駅長を定年退職後、しばらくは社交ダンスにはまっていた。
母方の祖母の系統は読書文芸好きなので、私の母とヒサオ叔父は、読書と俳句が趣味。ヒサオ叔父は、東芝を定年退職後は、俳句の会などで一句ひねってすごしている。
私の父は、歴史と散歩が好きでした。
それで私は、欲張りにも、読書も文芸も芸能も歴史も散歩も好き。唯一受け継がなかったのは、父の壮年時代の趣味であった釣りだけ。
7月末の「清里プチ避暑」
妹の車に乗せてもらい、バレエの予約や宿泊も妹まかせの、「大名旅行」ならぬ「大奥お局様旅行」。見るのはカブキではなく、バレエです。野外バレエ、楽しみに清里高原へやってきました。
野外バレエはABCの3プログラムがあり、A=プーシキンの原作『オネーギン』を、川口ゆり子今村博明がバレエ振り付けをした『タチヤーナ』、B=アンデルセン原作『おやゆび姫』、C=グリム童話『シンデレラ』の3種。
妹は3夜すべてのチケットを購入していました。ワォ、予算オーバーだけど、、、
1夜目の『タチヤーナ』は曇り空でしたが、2夜目の『おやゆび姫』は、満点の星空、暗転の間、夜空の星も楽しめて、最高の野外バレエでした。
3夜目のシンデレラは、雨降りやまぬ中での公演となり、1幕目で上演中止。
私と妹は、3日目は何となくリハーサルを全幕見ていたのです。明るい中、照明なしのバレエでしたが、見ておいてラッキーでした。
上演中止は残念でしたが、閉幕後に清里名物の「ロックカレー」を食べ、ビールを飲みました。
<つづく>
2008/09/21
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(3)清里・森の生活
清里の最初の夜に宿泊したホテル・ハットウォールデンは、ソローの『ウォールデン・森の生活』をコンセプトにした小さなホテル。とても居心地がよかった。
http://www.hut-walden.com/
よくあるホテルの部屋には聖書がおいてあったりするのですが、ハット・ウォールデンのベッド枕元には、『ウォールデン・森の生活』がおいてありました。
私、20代のころ読んだきりなので、読み返したいと思ってはいるのですが、何しろベッドに入れば、5秒で寝付く。妹が話しかける間もないソッコー睡眠でした。
ハットウォールデンに3泊したいところですが、予算の関係で、2泊目はペンション。3泊目はログハウスの貸別荘・「コテージ炉辺荘」に泊まりました。
http://www.eps4.comlink.ne.jp/~roben-so/
野外バレエの公演は夜なので、昼間はいろんなところに行きました。 清里に三泊の間、昼間は、絵本ミュージアムや展望台など、妹が行きたがったところを中心に車でまわりました。
8月29日、妹がバレエ鑑賞のほか、第一に清里で行きたかったところ、清里開発の父ポールラッシュ記念センターや清泉寮を訪れました。
妹は、清里旅行の予習として、ポール・ラッシュの伝記を読み終わったところなので、車を運転しながら講釈をつづけ、私もいっぱし「ポール・ラッシュ」の事績について詳しくなりました。
国際交流のお手本みたいなポールラッシュについて、私も知ることができ、妹に感謝です。
http://www.keep.or.jp/shisetu/paul/
ラッシュは、日本にアメリカンフットボールを紹介した人で「フットボールの父」と呼ばれている人。
また、聖路加病院の再建に力を注いだ人であり、清里高原を「作物の実らない不毛な寒冷地」から「高原農業や酪農を定着させ、清里を再建した」人でもあります。
現在、清里高原は、観光地として大発展をしていますが、俗化を免れているのは、ポールラッシュの「祈りと奉仕」の精神を受け継ぐ人が、清里に根付いているからでしょう。
ラッシュが作った畳敷きの聖アンデレ教会も見学できました。
http://www.keep.or.jp/shisetu/andere/index.html
次に妹が行きたがったところは、絵本美術館。
八ヶ岳高原に点在している絵本ミュージアムのうち、3館を見学。
妹は、NPOの理事として子育て支援活動に携わっていて、絵本の読み聞かせ運動をしているので、絵本美術館をたくさん見たいというのです。
私は、東京にも絵本関連の施設がたくさんあるから、そんなには行きたくなかったけれど、妹は、私がよく行く青山のクレヨンハウスなどにも簡単には行けないのだから、絵本を見たいという希望におつきあいしました。
<つづく>
2008/09/22
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(4)清里・絵本館めぐり
点在する絵本美術館、3カ所、小淵沢絵本美術館、清里えほんミュージアム、黒井健絵本ハウス。
妹は、どの美術館でも、絵本をあれこれ買い込んでいました。
小淵沢絵本美術館では、ターシャ・テューダー(Tasha Tudor)の絵本、清里えほんミュージアムでは常設展のエロール・ル・カインの原画がよかった。
ターシャ・テューダーは、絵本作家として高い評価を得たほか、庭作りとスローライフの達人。
今年、2008年6月に92歳で永眠するまで、花壇を好きな花で飾り、庭の果物や野菜を使って料理をして暮らしました。薪割りなどの力仕事は、徒歩5分のところに住む息子さんが手伝います。
わたしにとっての、理想の暮らしかた。
日本にもファンが多いターシャの紹介サイト、たくさんあります。
http://ainahaina.exblog.jp/i2/
http://www.akmkny.net/gardeninghappy/tasya.htm
ル・カインは、シンガポール出身の絵本&アニ家
http://www.ehonmuseum-kiyosato.co.jp/exhibition_errol.html
絵本作品は、以下のサイトで紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/author.asp?n=3532
黒井健、私は「ごんぎつね」「手袋を買いに」などのきつねの絵のファンでしたが、きつね以外の作品もいろいろ展示されています。
http://www.kenoffice.jp/
今回行けなくて残念だったところが3カ所。
私にとって、近代史教科書のひとつともいえる『明治精神史』の著者、色川大吉が住んでいる大泉町の近くを通ったのだけれど、どのへんに住んでいるのかはわからなかった。
『八ヶ岳南麗猫の手クラブ物語』を読むつもり。
今回、北杜市に来るまで知らなかったのだけれど、清里周辺の地図をみたら、「金田一春彦記念図書館」がありました。
金田一家の別荘が大泉町にあった縁で春彦の蔵書が寄贈され、金田一一家による講演などが行われている。
私が、修士論文で他動詞ボイスアスペクトについて執筆したとき、アスペクト研究の先達、金田一春彦のアスペクト論を参照論文として巻末に書いた。
また、社会言語論の授業を行うに際し、アクセント、方言の参考書のひとつにしているのも金田一春彦の著書やアクセント辞典。
記念図書館に寄ったのだけれど、木曜日定休で中に入れなかった。玄関前のポールラッシュの銅像前で妹と写真をとりっこしました。
もうひとつ行きたかったのに行けなかったところ。
平山郁夫シルクロード美術館。平山作品はあちこちで見てきたけれど、平山夫妻が収集したシルクロード美術品も展示されているというので、見てみたかった。
http://www.silkroad-museum.jp/
シルクロード美術館の前を、何度もバスや車で通りすぎたのだけれど、妹が絵本美術館のほうに興味を示したので、行く時間がなくなった。
妹が運転する車なので、妹の趣味優先。
そのほか、リフトに乗って山の頂上へ行ったり、手打ち蕎麦を堪能したり、八ヶ岳高原ドライブ、涼しくて楽しい夏休みをすごすことができました。
妹とわたしの旅は、たいていハプニングがおこり珍道中となるのですが、今回の清里旅行は、雨で野外バレエ公演が中止になったほかに「なんてこったい」の出来事はなくて、珍しく「始めも終わりもすべてよし」でした。
<おわり>
2008/09/23
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(5)西の魔女
8月7日、新宿武蔵野館で映画を見ました。『西の魔女が死んだ』
http://blogs.yahoo.co.jp/nishimajo_movie/7321577.html
7月末に、妹とでかけた清里高原のキープ協会敷地内のなか、映画『西の魔女が死んだ』の「おばあちゃんの家」ロケ地が、一般公開されていました。
妹といっしょに、おばあちゃんの家を見てきました。
案内板があって、「おばあちゃんの散歩道」をたどることもできたのですが、お散歩は次のお楽しみにして、おばあちゃんの家をゆっくり見ました。ハーブティもいただいて(無料)ゆっくりすごしました。
http://www.keep.or.jp/nishimajo/
『西の魔女が死んだ』原作は、梨木香歩の短編小説。
「他人に無理して合わせるのは疲れた」と考える中学生の女の子マイ。女の子のグループ同士のつきあいから距離をおいたマイは、そのためクラスメートからは無視され孤立してしまいます。
不登校になったまいが、夏の一ヶ月をすごしたおばあちゃんの家。
ロケ用に建設されたのですが、ロケ終了後は、入場料300円で公開中。
とてもすてきな、心なごむおばあちゃんの家でした。
主人公マイのおばあちゃんは、イギリスから英語教師として来日し、高校の理科教師だったおじいちゃんと結婚します。おじいちゃんが亡くなった後も、ひとりで自分のスタイルを守って静かに生活しています。
おばあちゃんを演じているサチ・パーカーは、1956年生まれ。シャーリー・マクレーンの娘。父親のプロデューサー、スティーブ・パーカーとともに、6~12歳を日本で過ごし、日本語も上手です。
マイのおばあちゃんの暮らし方、雰囲気がターシャ・テューダーに似ている気がします。
自然の中で、自給自足に近い暮らしを続け、縫い物もジャム作りも、自然を生かし周囲の人々ともよい距離を保って暮らしている。
私も、ターシャやマイのおばあちゃんのように晩年を過ごせたらいいのになあ。
映画のなかで主人公マイが一夏をすごすおばあちゃんの家の中、ひとつひとつのようすが、心に響きました。
マイが使っていたマグカップがテーブルの上にそのまま残されていたので、マイがマグカップでハーブティを飲む場面も、いっしょにお料理するおばあちゃんの台所用具なども、故郷の家をみるようになつかしい気がしました。
ことしの夏は、エアコン工事のための部屋片づけやら何年も冷気漏れがしていた冷蔵庫買い換えやらで、たいへんな思いもしたけれど、妹や友人、娘息子とのお出かけの楽しみもありました。
<つづく>
2008/09/24
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(6)翼のある竜
娘息子と三人連れでのお出かけ、7月末にボリショイバレエを見に出かけたほかは、エアコン、冷蔵庫、ガスレンジを買いに、何度も池袋の家電量販店へ出かけて、お買い得品の品定めで8月もすぎてしまいました。借金だらけなのに、高価な家電品を買うのですから、1円でも安いものを探し回りました。さらに増える借金は最少額におさえなければ。
8月末にようやく、お楽しみのお出かけができました。
娘は、小学高低学年のときに「恐竜発掘」の漫画本を読んで恐竜ファンになりました。中学校に入学してからは、「日曜地学ハイキング」という化石掘りの会に入って、毎月のように親子で化石を掘ったり地層見学をしたりの会に参加。貝化石などをたくさん集めました。残念ながら、恐竜の化石を掘り当てる幸運はありませんでしたが、恐竜展は毎年のように見に出かけています。
ことしは、春に千葉の幕張メッセで「よみがえる恐竜大陸展」を見たのですが、夏になったら、また「世界最大の翼竜展」を見たいと、娘が言うので、お台場の日本科学未来館に出かけました。
8月の終わりなので、覚悟していましたが、「自由研究」の仕上げをする親子でにぎわっていました。解説ガイドのイヤホンをつけて走り回る子、デジカメで写真を撮りまくって、子の自由研究ノートを埋めようとがんばるお父さんお母さんの間で、娘と息子は「う~ん、小さいお友達に負けないで楽しむぞ!」と、気合いをいれていました。
もう「夏休み自由研究」の提出には縁遠くなった25歳娘と19歳息子が母親といっしょに「翼竜展」にお出かけするというのも、あまりない組み合わせでしょうが、3人とも恐竜が好きなので。
科学未来館1階に、世界最大の翼竜、ケツァルコアトルスの復元化石や、復元個体を展示し、空飛ぶ竜についてまとめて展示してあります。
「翼竜は頭はでかいが、体は小さくて体重はそれほど重くなく、大型翼竜は長く滑空していられた。体重を減らすために、骨はハニカム構造という蜂の巣のような構造をしている。これは、軽くて強度を保てる構造で、飛行機にも取り入れられている。
小型翼竜は皮膜を羽ばたかせて飛ぶことができたこと、鳥のように2本足歩行ではなくて、翼を折り畳んで、4足歩行した」
など、新しく知ったことがたくさんありました。
娘と息子は何度か来たことのある科学未来館ですが、私は、はじめて。
常設展のほうも回ってみたけれど、上野の科学博物館は、常設展もいろいろ楽しめるのに、「未来」の科学は私には難しすぎて、スーパーカミオカンデも宇宙開発もさっぱりわかりませんでした。どうにも徹底的に理系の頭ではありません。
お台場にいる間に何度か激しい雨が降りましたが、外に出ての移動の間は止んでいて、ラッキー。
テレコムセンターの展望台でコーヒー飲んで一休み。展望台の望遠鏡で「あ、ディズニーシーの火山が見えた」などと言って、夏の終わりの東京湾景を楽しみました。
途中また雨が強くなり、さっきまで見えていた東京タワーがぼうっと霞んで見えなくなり、葛西臨海公園の観覧車も消えて、あたり一帯、白い景色に変わりました。
ひとしきり雨が通り過ぎると、少しずつ東京タワーも見えてきて、再びの東京湾景。
夜は、お台場メディアージュの入場者1万人突破記念花火を見ました。
自由の女神のレプリカが立っているあたりで花火の打ち上げが行われ、お台場周辺でしばし花火を楽しみました。
若者向けの、猫、ハート、ニコニコマークなどのキャラクター花火が中心でしたが、おもしろく観覧しました。
<つづく>
2008/09/24
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(7)発掘された日本列島2008
娘息子とのお出かけ。翼竜展の翌日は、「発掘された日本」展に行きました。
入ってすぐに目にはいるのが、群馬県高崎市の太子塚古墳(5世紀後半)から出土した鹿の埴輪。
埴輪は高さ約60センチ。体長も約60センチ。腰に粘土を張って矢羽根を表現し、その下に朱で流れ出る血を描き込んである。
矢がささった体にある斑点は、「かのこ模様」の夏毛を表したらしい。狩りの獲物を神に祈るための埴輪であったのだろう。
琴をひいている楽人の埴輪もいっしょに展示されていた。神への祈りの曲を演奏したのか、はたまた収穫の祭りを祝う宴席を音楽で囃したのか。
縄文時代、弥生時代、と時代ごとの発掘品が順路に展示され、近年の発掘として話題になった本能寺の半分焼けた瓦があった。
発掘成果が上がると、業火に焼け落ちたと言われている本能寺のさまざまな真実が浮かび上がってくるかもしれない。秀吉が他の場所に本能寺を再建し、長い間本能寺の元の地が不明であったのはなぜか、とか。
高松塚古墳の石室レプリカもあった。
発見当時の美しい女人像や白虎、天井の星辰が写真撮影され、新聞社の「おまけ」としてポスターが配布された記憶があるけれど、今は、かびに覆われて美女の顔もよく見えなくなっている様子が、復元されていた。
通常展示の大名籠。「女籠」の前に、「靴をぬいで、籠に座ってください」と、書かれていたので、親子で順番に籠に座ってみた。私が中に座ったら、息子と娘が「桜田門外の変ごっこ」と言って、刺すまねをしたので、息子が座ったときは、「坂下門外の変」と言って、私が刺すまねをして遊んだ。おバカな親子。
そして、「えっと、桜田門外は井伊直弼だったけれど、坂下門って、安藤だれだっけ」と、殺されかけたのに、名前が知られていない安藤を不憫に思いつつ、常設展示を見て回りました。
歴史大好きな息子、学生証を示せば、常設展は江戸東京博物館も国立東京博物館も無料で見ることができる「メンバーズシップ」に登録してある大学なのに、このありがたい制度をつかうのは初めて。「こういう費用もバカ高い授業料に入ってるんだから、せっせと利用してモト取りなさいよ」と、けしかけるハハの「費用対効果」計算でした
科学未来館では、ランチに「恐竜の卵コロッケランチ」というのを食べて、「こういう子供だましに乗って食べるのがおいしい」とか言っていた息子と娘、江戸東京博物館では、2階のレストランで「深川丼」と「穴子天とまぐろ山かけセット」を頼み、「うん、江戸っぽい」と、食べていました。
何を見て歩いても、「食べるのが一番たいせつ」の親子です。
<つづく>
2008/09/25
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(8)青い鳥オフ会
7月21日、カフェ仲間とのオフ会をして、楽しかった。
以下、オフ会の思い出
九州の青い鳥チルチルさんは、6月1日カフェ日記に、翌日から始まる入院生活について、「あ~す~は、東京へ出てゆくからにゃ~ な~にが なんでも 挫けちゃならぬ~ う~まれながらの 脳性麻痺に~ 戦い挑んで また~生きる~ 」と、書いていました。
その東京での入院生活も、あと数日でひとまず退院という日、オフ会をしました。
病院お見舞いというと、元気な人が入院中の方をお見舞いすることになりますが、チルチルさんのお見舞いは、逆です。入院中のチルチルさんは、まだ痛みがとれない部分があるというにもかかわらず、いつも笑顔がいっぱい。
私のほうが暑さにうだっていてくたびれていて、いっしょにお話しするなかで、たくさんの元気をいただきました。
青い鳥オフ会。
チルチルさんが入院している病院から車なら20~30分ほどというところにお住まいのchiyoさんと、チルチルさんの妹さんグリーンさんと、「女4人のアフタヌーンティ・パーティ」を楽しみました。
冷たいコーヒーや緑茶を飲みながら、chiyoさんお手製のバナナクリームクレープ、私が、ありあわせのカボチャをチンしてテキトーに混ぜ合わせただけの「簡単パンプキンケーキ」などを作ってお茶うけにして、笑いとおしゃべりのティーパーティ。
チルチルさんは、ケータイにいっぱい保存してある、病院同室仲間や主治医の先生とのツーショット写真を披露してくれました。
チルチルさんは、chiyoさんの愛犬チョコちゃんをなでながら、私が書いた「足下が崩れる話」を「大笑いして読んだよ~」と、もう一度おもしろがり、chiyoさんは、うれしそうにシッポを振っているチョコちゃんとの出会いについて話しました。
ちるちるさんの外出許可時間いっぱいまで、おしゃべりがつきませんでした。
グリーンさんは、ご自身も体調が不調となる日もあるなか、病院併設の「介護者用の寮」に寝泊まりし、大手術に臨んだチルチルさんの介護を続けました。
chiyoさんと私は、「ほんとうに感動的な姉妹愛ね」と、話し合いましたが、食事の介助や車椅子への乗り降りにつけても、てきぱきとこなしておられました。
chiyoさんとチルチルさんと私の共通点は、「三人姉妹」であること。それぞれの姉妹との絆もありながら、こうしてインターネットを媒介として、本来なら知り合うことがない九州と東京の距離をこえて友だちになれたことを、不思議にもうれしく思います。
オフ会はそんなにしょっちゅうはできないけれど、これからもbbsや日記コメントを通じて、おしゃべりに花咲かせていこうと思います。
<おわり>