2008/04/03
ぽかぽか春庭やちまた日記>作家でごはんおさんドン(1)出版社倒産
素人に共同出版をすすめる広告に「夢の印税生活をあなたも」というキャッチコピーをつけた自費出版の会社があった。
ひどいコピーだと思ったが、それを信じ込む人がいるとは思わなかった。でも、信じた人もいたのだ。
こんなコピーに騙されてしまう人は、「ニセ有栖川宮」の結婚式に祝儀を出してしまう人や、フィリピンの海老養殖事業に投資して「1年で元金二倍、夢の金利生活」といっしょで、騙されても自業自得としか思えなかった。ひっかかる人は、あまりに無防備だ。
本は売れない。そうそう売れる物ではない。このことをはっきり言って自費出版をすすめるのならともかく、素人が書いた本で印税が入ってくるがごとき幻想をふりまくコピーは、出版業の内情を知らない人にとっては、皿に盛られたごちそう(毒)を目の前に並べられたことになる。
「毒を食らわば皿まで」の毒を、毒と知って喰らうのならともかく、本当に印税で生活できるような営業トークで自費出版をすすめたのなら、「この壷を床の間にならべておけば、必ず病が治癒する」という霊感商法をした警察官と同じ。
出版不況の昨今、印税を得て生活が成り立つのは、ごく一部の筆者作者であって、素人が書いた本がバンバン売れて、筆者に印税が入ってくるわけがない。
素人は100部刷って50部は知人親戚一同に配り、あとはネットで四半世紀かけて売るがよろし。
素人の本がネットで1年に2冊売れたらすごいことだ。
上記コピーを広告に使っていたのは、自費出版大手「碧天舎(へきてんしゃ)」(東京都千代田区)だったように覚えているが、同じようなコピーはいろいろ出回っていたから、確かなことじゃありません。
碧天舎が、経営の行き詰まりから倒産し、出版を申し込んでいた執筆者約250人の本が出版できなくなった。執筆者が同社に支払った百数十万~数十万円の出版費用も戻ってこない恐れがある、という報道から、その後はどんな処置がとられたのだろうか。
次には、自費出版最大手の新風社が倒産した。
新風社はまともに営業しているのかと思っていたら、「全国の書店に本を並べると言われたのに、並んでいない」「増刷もあり得ると言われたのに、初刷りも売れ残っている。本を売る営業努力をしていない」という素人筆者たちから裁判を起こされて、裁判費用やらダーティイメージによって自費出版者が減るなどの影響をうけて、経営悪化、倒産。
新風社の裁判ニュースの時、素人筆者はほんとうに「全国の書店に本が並ぶ」とか「増刷あり」という営業トークを信じてしまったのか、そういうサービストークを信じてしまえる程度の人は、ネットでUPするだけにしておけよ」と、むしろ裁判起こされた新風社のほうに同情してしまった。
<つづく>
2008/04/04
ぽかぽか春庭やちまた日記>作家でごはんおさんドン(2)自費出版
夫は出版社の下請け校正会社を25年間続けている。毎年赤字で、たまに余裕があったとき家計費にまわしてくれる程度。
それでもゴマンとある零細出版プロダクションの中で、倒産しないで25年間営業が続いている会社は少数派だ。
私が夫に生活費を要求しなかったから、倒産しないですんだのだ。
1992年~1994年の日記をヤフーブログにUPしている。
読んでいると、あまりの貧乏生活、あまりの自分の忙しさ、娘のけなげさに涙が出てくるくらい。
自分の生涯のたいへんだったことを思い出すにつけ、この苦労話を娘息子に残しておきたいと思ってしまう。
娘と息子も読みはしないかもしれない。自分では「ああ、こんな苦労をしてふたりの子供を育ててきたのだ」と、思うけれど、ヒトサマから見たら、ただのビンボーぐらしだもの、たいしたことのない、平凡な日常だ。
それでも、自費出版しておきたいと思うことがある。
こんな苦労をしてきた自分へのごほうびに、苦労を語っておいてもいいじゃないの。
もともと自費出版の本というのは非売品として自分で印刷分をすべて引き取り、知人友人親戚一同に配布すればそれでよい。
ある食堂に入ったら、そこの店に、本が並べてあった。女主人が、自分がいかに苦労してこの店をだすまでに至ったか、という自分史を書いたものだった。子育ての思い出を書いた本と、店の思い出を書いた本の2冊があった。
そういう本は、親戚一同のほかは、配っちゃダメなんです。
ひとことふたこと言葉をかわし、私が本好きだとわかると、女主人は、私にも2冊くれた。「いらない」と、言えなかった。
私は帰りの電車で2冊とも読み、翌週、またその店へ行き感想を伝えた。本をもらってしまった義務として。
義務でなければ、本屋で手にとることもないし、さいしょの数ページをパラパラと拾い読みして、「読みたい」という気分になる本でもなかった。要するに自分史ってそんなもんです。
子育てしてきた中年主婦が、一念発起で中野のビル地下に店を出した。台風の下水があふれた騒動のとき、地下の店に下水が入り込み、内装もすっかりダメになって、郊外に移転した、という苦労話は、お酒を飲みながら語るにはよいが、「自分史」としてヒトサマに読んでもらうには、至らない。
読んで意味が伝わる文章であるけれど、それだけでは人を惹きつけない。
平凡な内容を書いて人を惹きつけるには、相当な文章力が必要だ。
<つづく>
2008/04/04
ぽかぽか春庭やちまた日記>作家でごはんおさんドン(3)自分史
自分史自費出版本をもらった食堂の3軒先が古本屋だった。
たぶん食堂で本をもらった客は、帰り道、読みもしないうちにこの古本屋に本をおいてきたのだろう、何冊も3冊200円とか1冊50円の店前ワゴンに放り込まれていた。
駅への通り道だから、女主人もこのワゴンを目にするだろうと思った。
なんだか悲しかった。女主人は、精魂こめて本を書いたのだろうと思う。
本を店の客に配っちゃだめですよ。読んでくれる人にだけに配ることです。
自費出版本を読んでくれる人って、家族と親友です。
それ以外の人に読んでもらうには、「この本の感想を書いてくれた人には1000円分の図書カードを進呈します」と書いた読者はがきを本に挟んでおくことだ。
素人や駆け出しライターの本が売れるには「書いた本人が死ぬか、よほどの重度障害でも持っているか、自分の犯した殺人&殺した女の肉を食う顛末を書くか」だと言った編集者がいた。
正しいと思う。
佐川一政が書いた本を、私は読む気にならんけれど。(唐十郎作品は読んだがな)
一政さんは、じっちゃんの名にかけて、がんばって書いてください。あなた以外にフランス留学してオランダ人女性の肉食った人いないんだから。(じっちゃんはアサヒ論説委員だったのだって、しらんけど)
自分史を書いて「印税もらおう」と、思っている人、佐川一政くらいの経験をして書きなさいと、いうこと。
「他に、だれもマネできないような体験」をしたのでなければ、自分史を他の人に読んでもらおうという気はおこさないほうがいい。
自分史はアマチュアとして書けばいいのだ。
アマとプロについて。
サッカー野球ゴルフなどのプロスポーツ選手、あるいは囲碁将棋など、勝ち負けがはっきりわかる分野ではプロとして生き残れる才能と、「あんたは趣味として続けていけよ」という層がはっきりしているので、わかりやすい。
将棋には、「26歳までに四段に昇格できないと退会する」という年齢制限の壁がある。 この年齢制限を破れず、奨励会を退会し、アマチュアから復帰した唯一の人が 瀬川晶司(せがわしょうじ)さん。
14歳でプロ棋士養成機関「奨励会」に入会したが、26歳で4段に昇進できなかった。
瀬川さんは26歳で大学進学し、アマチュア将棋で活躍。アマ王将などを獲得後、2005年2月に将棋連盟に異例のプロ入り嘆願書を提出。同年7月の6番勝負で3勝をあげ、プロ四段の資格を得た。37歳になっていた。
<つづく>
2008/04/04
ぽかぽか春庭やちまた日記>作家でごはんおさんドン(4)M1ルール
島田紳助が「M1」を始めた動機を語っていた。
「才能ない奴らに漫才を続けていくことをあきらめさせ、まっとうな仕事に戻してやるため」と、言っていた。
ひとつの分野で渾身振り絞って10年続けて、それでもダメなら、プロとして続ける才能はないのだ。それをはっきりさせて、肩たたいてやるための「M1」なのだと。
M1は、結成10年以上のコンビは挑戦できない。(コンビを変えればいいのやけど)
漫才はじめてコンビ組んで10年続けて、それでも芽がでないなら、もうヤメロ。
いつまでも「オレには才能があるのに、アイカタに恵まれなかったから」とか言い訳したいやつはコンビ変えて出直すのだろうけれど、変えても次の10年もだめならあきらめなはれ。はい、20年がかりであきらめた結果、すてきな老後が待っている。
数年の悲惨な老後ののち、のたれ死んでもよいと思う人は、あと10年続けよう。
困るのが、歌手俳優と物書きだ。
カラオケではうまいと言われるし、たまに素人のど自慢では入賞したりする「30すぎても歌手になる夢をあきらめない」プロ希望者はぞろぞろいるし、アルバイトかけもちで小劇団の役者続けている「食えない役者、苦節20年」組なら、私のまわりに佃煮にしたいくらいいる。
物書きもまた。ごろごろところがっている。
かっての私のような、「書いてお金をもらうことはできたけれど、物書きだけで食ってはいけない」という範疇の「半プロ」は、掃いて捨てるほど。
小説家志望、脚本家志望、ノンフィクション志望、エッセイスト志望、、、、、
はっきり言おう。エッセイスト志望という人は、その時点で、もうやめたほうがいい。あんたのエッセイなど、たまに地方新聞の季節記事穴埋めに採用されたり、フリーペーパーに載ったりしたところで、それで「エッセイスト」として仕事ができると思ったら大間違い。職業作家ではなく、趣味として書いていくのなら、それでいいんじゃない?
シナリオライター志望者。ノンフィクション志望者、公募は毎年やっているから、まずはひとつでも当選してくれ。
小説も同様。
ただし、自分で自分に「M1」ルールを適用しなさい。
毎年渾身振り絞って書き続けて、応募して、10年落ち続けたら、「運」がないと思わずに、黙ってあきらめろ。運がないんじゃなくて、才能がないのだから。
うわっ、すごいこと言ってるね、私。
でもね、この暴言に耐えても、まだ書きたい書きたい、あきらめられない、どこでのたれ死のうと覚悟の上で書いていきたい、と思える人が、書き続ければいいのである。
これは、プロとしてやっていくための指針。
アマチュアは何年でも楽しんで続けていいのである。
<つづく>
2008/04/05
ぽかぽか春庭やちまた日記>作家でごはんおさんドン(5)アマチュア
私は、7歳のとき「ものかきになろう」と、思ってから紆余曲折50年。
結婚1回、出産2回。卒業7回、転職11回の人生のあいだ、とにかく50年間とぎれることなく書き続けた。
マグロは泳ぎ続けていないとエラ呼吸できなくなって窒息して死ぬ。
私も同じく、書いていないと窒息して死んでしまうから書いてきた。
50年書き続けたうち、プロとして書いた文章をお金にしたのは、たった1年なので、プロとして自立できたとはいえない。
25年前、私は、ライターとして仕事をはじめて、連載ページをもった。
400字詰原稿用紙1枚5000円の原稿料もらえたけれど、プロとして仕事を続けることはあきらめた。
1ヶ月に原稿用紙4枚の連載ページをもらっても、収入は2万。2万では食費にも足りない。
仕事を増やすための営業が、私にはできなかった。
定職のない人は、保育園が子供を預かってくれず、子連れの営業などできないし。
物書き業は甘くなかった。
ライターで食っていけるまでになるための時間の余裕が、私にはなかった。
赤ん坊の腹を満たさなくちゃならないから、家計費を支えるほうを優先した。とは言っても、教師を続けても食えるほどには稼げなかったが。
人には「どの道をめざすのであれ、10年書き続けて芽が出ないならプロとしてやっていこうとは思わずに趣味として続けなさい」とすすめてきて、自分でもネットで趣味で書いていればいいや、と思ってきた。
趣味として書き続けて、息子が20歳すぎ、自分が還暦越えたら、家族が読むための本を自費出版してもいいかな、と思ってきた。
還暦はまだだけれど、息子は今年20歳になる。
私がウェブページに書いている文章に関し、息子と娘は「フン」と笑って「子供のことを絶対に書くな、それ以外注文はなし」と言って無視している。
どうせ娘も息子も読みゃあしないから、ときどき娘のこと、息子のことも書いてきた。愚息子、豚児、与太郎クンと。
ふたりとも読みはしないから、ばれておらん。
夫も「読むに値しないものを読む気はしない」と言って、私のサイトなど読んでいないから、季節ごとに、夫の悪口を書いてきた。秋の亭主こきおろし、冬の夫悪口三昧。春の連れ合い愚痴大会ってな割合で。
ばれておらん。
<つづく>
2008/04/06
ぽかぽか春庭やちまた日記>作家でごはんおさんドン(6)涙のリクエスト
自費出版しておくのは、どうせ、母親の葬式なんぞまともに出そうとも思っていない娘と息子なので、「葬儀のときは、お坊さんのお経代わりに、集まった者だけで、代わりばんこに1ページづつ、読め」と、「読経がわり本」を残すためである。
坊さんを頼むにもタダでは来てくれないので、「母がこう書いているから、読経のかわりに読んでやってください」と、参会者に言えよし、坊主頼むお金がなんぼか節約になる。
参会者といっても、娘息子のほかは、姪が4人。私は100歳を超す長命での葬儀となるので、友達はみな死んでいるし、もちろん夫はとっくに先に行っている(予定)。
100歳超して死ぬのなら、90くらいで出版しても間に合うのだけれど、90歳になる前に惚けているかもしれないから、まだボケていないうちに、本を作っておくのである。
還暦までにはなんとかお金を貯めようと思っております。
自主出版などしても、もとより売れる本ではないので、そう多くは望まない。謙虚である。
しかるに、このサイトを読んで、一度でも「読んで損はしなかった」と、思ったことのある、アナタへお願い申し上げまする。
自費出版上梓のあかつきには、近所の図書館へ行って、「新規購入リクエストカード」に本のタイトルと著者名を記入してくださいませ。
図書購入財源が減少している多くの公共図書館では、利用者からのリクエストカードを図書購入のめやすにしている。
リクエストカードが数枚集まれば、図書館が本の新規購入を検討するとき、私の本も買ってもらえるかも知れないではないか。
書名たしかめて図書館へ。
家族が読むための葬式本といいながら、図書館が買ってくれれば、大勢の人によんでもらえる、とか、いろいろ考えるのは、そりゃ、新しい服をあつらえた女王は、「バカには見えない特別製の新しい服」を着て、みんなに見せびらかしたいもんだからに決まっておろうが。
さあ、新しい服をまとってパレードじゃ。女王様の新しい衣裳が見えない人は○○である。
あ、しまった、私は女王ではなく、おさんドンだった。
「おさんドン」という「台所仕事の下働き・飯炊き女」を意味する語を知っている世代もいなくなってきたが、まだ辞書には載っている。
さて、あなたがリクエストした春庭著作が、ご近所の図書館で購入されているのがわかったら、ご連絡を。
そんな心やさしいアナタに春庭からとっておきの「サイン入り」美麗装丁本をプレゼントいたします。あら、いらないの?
もらってもソッコー古本屋にもっていくだけですって?
あー、ブックオフで売れば5円くらいにはなるかも。
あなたとの「ごえん」がよろしいようで。
<おわり>