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マラーノ

2008-08-27 18:53:00 | 日記
マラーノ

春庭・ことばのYa!ちまた>帰化(1)はやしさんとイムさん

 日本国民として戦争に行き、日本人兵士として戦ったのに、戦後は「日本人じゃないから軍人恩給は出せない」と言われた人々のなかに、傷痍軍人の姿で街頭に立っていた人もいたのではないか、ということ話題にしました。
 民族と国籍について、まだまだ、さまざまな問題が残されています。 

 40年以上も前のこと。
 高校時代、私は、先生の勧めで夏休みに、「日本の高校生と在日朝鮮子弟・朝鮮学校高校生、交流キャンプ」に参加しました。北部地区県立高校生として参加した私は、東部地区県立高校生のヨシエさんと同じ班になりました。

 林良枝さんは、みなから「ヨシエさん・よっちゃん」と呼ばれていました。よしえさんの家族がそう呼んでいたから、周囲の人も、家族と同じように「よしえさん」と言ったのです。
 元気で明るい人でした。

 「県立高校生」として参加していたヨシエさんは、朝鮮高校の若い人々の姿を見て、自己紹介として「はやしよしえです」と、繰り返すたびに違和感を強く持つようになりました。それまで、自分自身を「はやしよしえ」と思って暮らしてきたのに、このキャンプから帰ってから「通称名を使っている在日家庭の娘」であることを意識し始めました。

 高校を卒業し大学に入ってから、ヨシエさんは、名前を「イム・ヤンジ」と呼んでほしい、と友達に言いました。本名は「イムヤンジ林良枝」だから、と。
 イムさんは、大学に入って学生運動に関わり、恋人ができました。進歩的で民主的な考え方を持つと人だと思える人でした。信頼する恋人に、国籍のこともうち明けました。

 結婚を約束した恋人は、家族に「国籍が違う人と結婚をするなら、家を出て自活しろ。財産も分けてやらないから」と言われて、イムさんに帰化を求めました。

 「僕は、君の国籍を愛しているんじゃない、中身の君を愛している。だから、国籍変更は、法律上の国籍を変えるだけで、中身の君は何も変わらないし、僕の愛も変わらない」と、恋人は言ったそうです。
 恋人は、家族の中で、空気を読める人だったのでしょう

 イムさんは、悩んだ末、「帰化しようと思えばできるけれど、ありのままの私を受け入れてくれない彼の家族とは、将来うまくやっていけないかもしれない」と考えて、恋人との結婚をあきらめました。

 彼の家族とうまくやっていけない、というのは、口実だったろうと思います。「国籍を変えるだけだし、中身の君は変わらない」と考える恋人に対し、がっかりした、というのが本当ではなかったか。
 もし私なら、「国籍がちがう人とは結婚を認めないという家族より、今のままの君を選ぶ」と、言ってほしいと思うから。

<つづく>


2008/08/30 
春庭・ことばのYa!ちまた>帰化(2)国籍

 ヨシエさんのようなエピソードは、私の周囲にたくさんありました。
 アメリカ人との「国際結婚」なら認めるけれど、在日家庭の人との結婚は許さない、という考え方の人もいました。

 当時は、「閉鎖社会」の住民が多数派でした。
 ヨシエさんが自分の国籍のことを周囲に話したころ、「テレビの人気者の中に、出身地を隠している人が多い」と、たくさんのうわさがありました。

 今でも、ネットの中に「隠れチョーセンタレントをあばく」「実は日本人じゃないタレント一覧」なんていうサイトがあるのです。あばいてどースルってのでしょうか。
 今は、韓国スターが人気を博している時代。「日本人じゃないからどうのこうの」と言ったりする人は、その人自身の品性を疑われる状況になっていますが、それでもそういうサイトに投稿したい心理ってのは、いったい何なのか。

 「本物の傷痍軍人ではない」と、言われた人々のことを描きました。
 皇軍兵士または軍属として徴用されながら、軍人恩給などからはこぼれ落ちた人々。

 1952年の日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)の発効によって、日本が朝鮮の独立を正式に認めたことに伴い、半島出身者は、正式に日本国籍を喪失しました。
 同条約の発効日に、外国人登録法(昭和27年法律第125号)が公布・施行されました。

 1965年の日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)の締結により、日本と韓国との国交が結ばれました。したがって、韓国籍の人は、大韓民国の国籍を持っています。

 しかし、現行の外国人登録において、「朝鮮籍」とは、「旧朝鮮戸籍登載者及びその子孫(日本国籍を有する者を除く)のうち、外国人登録上の国籍表示を未だ『大韓民国』に変更していない者」を呼びます。
 「朝鮮籍」の人は、法的には北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と、国籍上の関わりはないのです。

 これには、わたしもびっくり。
 韓国籍の人は大韓民国の国籍所有者。それと同じように、「朝鮮籍」の人は「朝鮮民主主義人民共和国」の国籍を持っているのだと思いこんでいました。朝鮮籍の人は、「国籍を大韓民国籍に変更していない者」という扱いだったのですね。知らなかった。

 自分のパスポートに「朝鮮民主主義人民共和国への渡航はできない」と書かれていることには気づいていたけれど、日本と国交がない国の国籍を持つことはできない、ということに思い及ばずにいました。

 朝鮮籍、韓国籍の人のなかには、日本での社会生活上、日本人名を通称名として持ち、日本語を話して生活する人も多い。

<つづく>



2008/08/31 
春庭・ことばのYa!ちまた>帰化(3)力道山

 若い世代のなかで、ことさらに「KY=空気読めない」が、非難めいた言い方でクラス・グループのなかで言い立てられています。これも、「周囲に合わせよう」という社会の風潮、裏返せば「自分たちのやり方に合わない人は排除しよう」という社会意識に添ったものだと感じます。

 そんな「同化を求める社会」のなかで、自分が「少数派」だったら、どうするか。
 ひたすら周囲に同化して、自分が異端視されないようふるまうか、「カミングアウト」して周囲とは違うことを告白するか。

 2008年4~7月に見ていたドラマ『ラスト・フレンド』でも、性同一障害をかかえて悩むルカ(上野樹里)が、「女の肉体を持って生まれたことに違和感をもち、心は男性として生きることを望んでいる」ということを、家族にさえうち明けられずに悩んでいました。

 自分が「フツーと呼ばれている人とはちがうこと」をうち明けるのは、たいへん大きな心の負担となるのです。

 通称名をもつ在日朝鮮籍、在日韓国籍の人のなかに、出身を公表せずに生きた人、また、日本に帰化したあと、元は朝鮮籍・韓国籍であったことを秘密にする人もいました。
 そうせざるを得ない、日本社会の制約があったからです。
 以下、力道山と松田優作についての紹介です。

 出生地と最初の国籍を公表しなかった人。
 たとえば、力道山。
 力道山は、日本併合下の朝鮮半島洪原郡新豐里(現在の北朝鮮統治範囲)に生まれました。出生地での名は、金信洛(キム・シルラク)。

 戦後プロレスラーとして人気者になったあと、プロレス興業の場で、力道山の出身地は「長崎」とされ、朝鮮半島生まれであったことは「タブー」としてふれられなくなりました。
 長崎県大村市の農家・百田家の養子となって日本国籍をとっており、「日本人」であるということに嘘偽りはありません。
 テレビの前の人々は、力道山の活躍に熱狂し、悪役ヒールをやっつける「日本国民のヒーロー」と、思っており、生まれ故郷の出身地を言うことはできなかった。

 力道山主演の自伝映画『力道山物語』でも、長崎の貧農出身、というシナリオになりました。
 出身地がおおやけに言われるようになったのは、力道山の死後のことです。

 実の息子ふたり、百田義浩・百田光雄(ふたりともプロレス関係者)さえ、「力道山は朝鮮半島出身者」ということを、父親の死後知ったそうです。
 実の息子にさえ出身地を秘密にした、という事実に、この問題の根深さが見えます。

<つづく>



2008/09/01 
春庭・言海漂流葦の小舟ことばの海を漂うて>マラーノ文学(1)松田優作

 死後、国籍問題をおおやけにした人、松田優作もそのひとり。
 妻の松田美由紀が、死後7年目に公表しました。
 また、前妻の松田美智子は、著書『越境者 松田優作』(新潮社2008年)において、「優作が日本国籍にどのような想いを持っていたか」を書いています。

 優作の父親は日本人。しかし、父には、法律上の妻がいたために、韓国人の母親の私生児として、韓国籍で出生届が出されました。すったもんだがあったらしく、実際は1949年に生まれたのに、届けは1年遅れで1950年。韓国名は金優作(キム・ウジャッ)。

 松田美智子は、帰化申請するにあたって、優作がどのような逡巡をへて、どのような心境にあったかを記しています。

==========
 優作は、文学座研究生のころ美智子と出会ったが、国籍については、けっして明かさなかった。美智子が優作の国籍について何も聞かされていないうちに、美智子の両親は興信所を使って優作の国籍を調べ、結婚に反対した。
 結婚問題で国籍と直面した優作は、「日本人として生きる」ことを決意し、帰化申請をする。

 『太陽にほえろ!』の出演が決まった時に、松田優作は法務大臣宛の帰化動機書を提出した。
 「番組出演が決まりました。番組は全国で放映される人気番組です。もし、僕が在日韓国人であることがわかったら、みなさんが、失望すると思います。特に子供たちは夢を裏切られた気持ちになるでしょう」と、優作は大臣に向けて書いた。
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 「太陽にほえろ」は、当時の人気番組。テレビの前の人々は、「刑事」たちについて「日本の正義を守る日本人ヒーロー」と思っていました。
 「警察のヒーロー役が韓国人であることを知ったら、日本人、とくに子供たちは失望するだろう」と、優作が本気で信じていたのかどうかはわかりません。

 法務大臣にこの切実な心情が伝わったのか、どうか、優作は1974年に日本国籍取得しました。

<つづく>


2008/09/02 
ぽかぽか春庭・言海漂流葦の小舟ことばの海を漂うて>マラーノ文学(2)マラーノ

 人気刑事ドラマのヒーロー松田優作を、「マラーノ文学の作家」としてとらえなおしたのが、四方田犬彦です。

 四方田犬彦『日本のマラーノ文学 ―ドゥルシネーア赤』が2007年12月に発行され、私はさっそく「冬休み読書」の一冊にして読了しました。
 姉妹編の『翻訳と雑神 ―ドゥルシネーア白』は、まだ読んでいません。

 2007/11/08に、国立東京博物館のなかの一角座で『俗物図鑑』を見てきたところで、映画のなかに四方田が「俗悪評論家」として出演していたのがおもしろかったし、四方田の『月島物語』なども愛読してきました。

 「マラーノ」ということばを私は知らなかったので、まず真っ赤な装丁のなかの「マラーノ」とかかれた文字に引きつけられました。
 「マラーノ」とは、 スペイン語(カスティーリャ地方の古語)で「豚」の意味だという。

 「豚」とは、「豚肉を食べることを禁じられているユダヤ教徒が、ユダヤ教徒であることを隠すために、ことさら人前で豚肉を食べてみる」という意味を持ち、「かくれユダヤ教徒」のことを指す隠語でした。

 マラーノ=Marranos スペイン語、ポルトガル語。「マラノ」とも
 もともとの意味が「豚」であるマラーノとは、イベリア半島において強制改宗させられたユダヤ人。また、ユダヤ教を偽装棄教し、表面上キリスト教徒となったユダヤ人を表す言葉。

 スペイン半島のユダヤ人の多くが、14世紀から15世紀に異端審問や魔女裁判などの影響でスペインからポルトガル、オランダ、イギリスなどへ集団で亡命した。

 なぜユダヤ教徒であることを隠さなければならなかったか。
 15世紀まで、イベリア半島はイスラム教徒であるオスマントルコに支配されていました。イスラム教徒はユダヤ教徒と共生をはかっていました。

 しかし、キリスト教徒がイスラム教徒を追い払って、カソリック王国をうち立ててから、ユダヤ人への迫害がはじまった。
 キリスト教は、ユダヤ教に不寛容であり、その結果、多くのユダヤ教徒がスペインを捨てたという。
 スペイン国内に残ったユダヤ教徒は、信仰を押し隠し、豚肉を食べているふりを装って生きることになってしまった。

 マラーノ=故郷を追われたユダヤ人、出自を偽り、他者の身を窶すユダヤ人。出自を偽って生きている人のこと。

 四方田の著作は、在日朝鮮・韓国人、被差別出身者、さらにはホモセクシュアリティといったマイノリティ等々をあえてマラーノと呼ぶ。

 きっすいの日本人なのに、中国人女優として満州映画に出演していた李香蘭。
 死ぬまで本名は金胤奎であることを隠し続けた立原正秋。
 そして、松田優作らが論評されています。

<つづく>


2008/09/03 
ぽかぽか春庭・言海漂流葦の小舟ことばの海を漂うて>マラーノ文学(3)融合文化

 四方田は、松田優作に「劇作家」としての作品やシナリオが残されていることをとりあげ、論じています。
 私は、松田優作に戯曲やシナリオ作品があることさえ知りませんでした。
 四方田は、松田の戯曲を読み解き、松田を劇作家としても大変優れた資質をもっていた、と言っています。

 癌による40歳での早世がなければ、後半生は、優れたシナリオ作家戯曲作家となっていたかもしれません。
 俳優としては、早世したために伝説神話化した松田ですが、作家としては、まだまだこれからだったのに。

 私は、最近「比較文学」「比較文化」「融合文化」などの分野を勉強しているので、このような、越境、他者性、マイノリティなどに関わっていくことが多くなっています。
 日本文化の中にある多様性は、各地から日本列島へと流れ込んだ文化を排除することなく、それまでの文化歴史と融合させることによって成り立ってきました。

 キリスト教が、イスラム教やユダヤ教を排除する文化であったことに行きづまりを覚えている西欧文化にとって、日本の融合文化は、今、もっとも注目すべき「先駆的文化」と思えるようです。

 日本文化を学ぶ人々の熱い関心を、私は日本語教育を通じても感じてきました。
 日本の古神道仏教の融合をはじめ、この列島が大陸や大海から運ばれるものをどんどんとおなかにため込む「羊水文化」のように思えます。

 体内の揺籃を経て、これから先、どのような文化を生み出していけるのか、私にとっては、これから先の列島文化は、新たな可能性を秘めているように思えるのです。

 何者をも排除することなく、すべてを取り込み認めていく揺籃文化を、育てていきたい。
 マラーノもその一部ですし、今年、ようやく先住民族、文化であることを認められたアイヌ文化もその一部でしょう。

 ペルシャ伝来の雅楽。雅楽で使う仮面は、胡人(ペルシャ人)の姿を写したものとして中国で作られ、飛鳥奈良時代に伝来しました。
 雅楽伎楽が盛んになっても、古神道の神楽は滅びることはありませんでした。

 大陸では滅びてしまった、この伎楽が、日本の土地に融合して、その後田楽猿楽能狂言歌舞伎と、さまざまな芸能が生まれても、神楽も伎楽も能も歌舞伎も、日本社会のどこかで演じられ、滅びることなく伝えられてきました。

 バレエやモダンダンスが伝来しても同じ事。それらの洋舞の技法に、日本の土着の動きが加わり、舞踏(Buto)が生まれました。ブトーは、海外でも高い評価を受け、海外公演が続いています。

 ヒップホップやストリートダンスもきっと何かを刺激し、何かを生み出しているにちがいない。 

 何者をも排除することなく、自分たちと同等のものとして取り入れ、在来のものはそのまま残しつつ、新たな融合した文化を生み出す力。
 この融合文化の力こそが、日本文化の底力なのだろうと、私は思っています。

 加藤周一は、この日本文化を「雑種文化」と名付けました。mix=雑種または混合、というとらえ方も出来ると思います。もとの形を残したまま取り入れることも多いから。
 しかし、漢字のように「外来のもの」であることを意識しつつも、完全に自家薬籠中のものとして使いこなすようになっているものは、すでに混合ですらなく、「日本の漢字」として独自のものであると言ってよいと思う。

 表記として漢字が日本語に融合した存在となっているように、他のさまざまな文化が、日本文化として融合しつつこれからも新たに生命力を得ていくのだろうと、私は思っているのです。

<おわり> 
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