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ぽかぽか春庭「お金持ちのコレクション3五島美術館」

2013-02-02 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/02/02
ぽかぽか春庭@アート散歩>お金持ちのコレクション(3)五島美術館

 私の絵の見方は、ひとりよがりだし、ただ「見て楽しむ」という物見遊山の域をでないものですが、なに、どのように楽しんでどのように見て回ろうと気の向くままに。

 招待券が手に入ったので、1月23日に、世田谷の五島美術館へ。上野毛駅から歩いて行くと、五島昇と書かれた大きな表札のお屋敷がどで~んと見えます。あれ、五島昇ってもう死んだんじゃなかったっけな。表札があるってことは、まだ生きていたんかい、と思いながら、隣の美術館へ。

 美術館を創設した東急の創始者五島慶太の長男が五島昇です。やっぱり1989年に72歳で亡くなっていました。本宅を継いだのは、最初の妻久原財閥から嫁いできた久美子の産んだ長男の五島哲と思いますが、先妻の死後、芸者だった愛人を正妻になおした後妻の子は、どうなったのだろうなあ、こういうお金持ちの家は、相続とかたいへんだったんだろうなあなどと、人の家の家庭の事情などを勝手に詮索しながら、美術館へ。相続がどうなったかは知りませんが、五島慶太が集めたコレクションは、こうして私が招待券でタダで見ることができるのですから、慶太慶賀慶賀。
 
 五島美術館で見たいものと言えば、何と言っても「源氏物語絵巻」なのですが、今回のは「時代の美 桃山・江戸編」という展示です。源氏絵巻は、芸大が模写を完成させたときの本物と模写を並べて見せた展示のときに、見たのですが、またいつか見る機会があればいいなあ。

 今回の展示では、俵屋宗達(?―1640頃)が下絵を描いたと伝えられ、本阿弥光悦(1558―1637)が筆をとったという「色紙帖」や「鹿下絵和歌巻断簡」、また、尾形光琳が描いた、『伊勢物語』第九段「東下り」などが目玉です。色紙帖36枚をまとめて見ることができました。

 本阿弥光悦『薄(すすき)に月図』




 
 「鹿下絵和歌巻断簡」

 
 俵屋宗達が下絵を描いたと伝えられる鹿の絵。宗達が様々な鹿の姿態を金銀泥のみを使用して描いた下絵に、本阿弥光悦(1558―1637)が『新古今和歌集』より二十八首を選び、散らし書きした巻物の断簡。五島美術館の絵は雄鹿とそれを振り返る雌鹿を描き、巻第四「秋歌上」第365番の和歌を散らし書きした部分。
 雄鹿とそれを振り返る雌鹿。秋に妻を求めて鳴く牡鹿の声は和歌に数多く描かれています。
 本阿弥光悦の書体が優美であることはわかりますが、むろん、私にはさっぱり読めません。

 新古今集巻第四「秋歌上」第365番とい歌番号をたよりに検索してみると、
 「思ふことさしてそれとはなきものを秋の夕べを心にぞとふ」(新古今365 )
 後鳥羽院に仕えた宮内卿という女房の歌です。
 思い悩むことはこれと言ってないのに、なぜ秋の夕べは何とはなしに物思いがされるのか、我が心に問うております、という意味でした。

 この断簡は、本来は28首がつづく巻物でしたが、分売され、五島美術館、山種美術館などに所蔵されています。分売散逸したため、行方不明のものもあります。一括して買うには高すぎたので、仕方ないのでしょう。源氏物語絵巻も、蜂須賀家に伝来したものが分売され、そのうちの数巻は五島美術館に納められましたが、行方不明のものもあります。

 展示してある信長の書状、秀吉が正妻側室にあてた手紙、やはり読めるのは、ところどころの文字だけですが、テレビの大河ドラマや歴史の教科書の中の人と思っている秀吉や信長がこうして目の前に文字だけではありますが、実在している。歴史上の人物と親しく向き合った気がしました。

 豊臣秀吉が北の政所お祢に宛た自筆の手紙、側室のちゃちゃに宛た手紙。国立博物館でもときどき秀吉の手紙を見ましたが、これだけ消息を残していると言うことは、ほんとうに周囲の人々(とくに女達へ)に対する細かい心配りを忘れず、まめに手紙を書いていたのだろうと思います。信長の書状は右筆が書き、書名だけが信長であると説明が書いてありました。

 私、今、ウェブ友青い鳥さんに、一ヶ月10枚の「絵はがきを勝手に送りつけるプロジェクト」を続けていて、今月は221枚目から230枚目までを送信する予定。生来の悪筆で、字を書くのが大嫌いだった私。手書きでこんなに手紙を書くのは、久しぶりのこと。二十歳で東京に出てきたころ、母を心配させまいと毎週のように「今週の東京暮らし」というたよりを届けたことがありました。次は、ケニアで暮らしていた1年弱の間、父を心配させまいと、毎週「アフリカ通信」を書きました。「アフリカ通信」は、ときどきブログに転載してきました。

 青い鳥通信は、日々の出来事や感想など、たわいもないことをハガキの短文で知らせるだけのものですが、これもひとつの人生の一コマと思って、心をこめて書いています。歴史を動かした信長や秀吉の書状とは月とすっぽんかもしれませんが、手描きの手紙は、書くもののほうも心ゆたかにしてくれます。
 2月さいしょの話題は、「ろうばい」の花について。蝋梅・臘梅は、旧暦12月の朧月に咲く、また蜜蝋色の花だから、などの説をお知らせしました。

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
という歌(俵万智「サラダ記念日」)のように「ろうばいを見に行って来ました」という一言を伝える友がいると思うだけで、私の心が温かくなるのです。青い鳥さん、「ハガキを送り付けられる人」になってくださって、ありがとう。

臘梅の金の花びら輝かせ光の春は遠空に満つ(春庭)

<つづく>
コメント (4)
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