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ぽかぽか春庭「東京国立博物館リニューアル東洋館」

2013-02-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/02/13
ぽかぽか春庭@アート散歩>2012-2013冬のアート散歩(11)東博東洋館リニューアル

 東京国立博物館の東洋館は、2009年の6月から耐震工事などのため休館していましたが、今年1月2日にリニューアルオープンしました。「博物館でお正月」というオープン記念のポスターに起用された井浦新(崇徳上皇演ずる以前はArata)が好きなので、お正月に見に行きたかったけれど、ぐるっとパスでは入れなかったので、行かなかった。井浦新、美術好きということで、4月からのNHK「日曜美術館」のキャスターにも起用されて、番組見る楽しみがふえました。

 ようやく新装の東洋館を2月9日に見て来ました。ユネスコ記憶遺産に登録された山本作兵衛の炭坑記録絵のシンポジウムに応募して当たったので、当選ハガキで入館でき、本館と東洋館が見学できたのです。13:30からの山本作兵衛シンポジウムについては、のちほどご報告。シンポジウム聴講前に駆け足で本館の国宝展示室と、新装なった東洋館を見ました。

本館、国宝展示室 雪舟「秋冬山水図」

 

 東洋館、1階に新たにミュージアムショップが出来ていて、エレベーターがシースルーになっていました。照明はLEDを使っているなど「新時代の美術館」への装いが感じられます。


 1階は、中国仏像が中心。宝慶寺石仏群は、則天武后が長安城内に建てた光宅寺に安置されていました。日本の歴史書では「則天武后」と、皇后の名称で扱われてていますが、中国史では、「きちんと即位の礼を受けて皇帝となった」というのが史実。しかし、武后自身は、遺言で「夫の墓に皇后として埋葬するように」と言ったそうです。生きているうちは夫以上の権力を行使し、病を得た夫が針治療するのさえ許可しなかった武后。武則天として専横ほしいままにした女帝であっても、最後は夫と合葬されることを望んだのは、どのような心境だったのでしょう。

 女帝「武則天」は、道教を仏教より上位においた唐朝とちがい、仏教を道教の上位として扱いました。自らを、弥勒菩薩の生まれ変わりと称し、長安(現在の西安)ほか、中国全土に仏教寺院を建立。長安城内の光宅寺には、多数の仏像を安置しました。のちに中国陝西省西安宝慶寺に移されましたが、清朝滅亡時の混乱で、ほとんどの仏像が海外流出してしまいました。東京国立博物館所蔵のこれらの石仏群がどのようにして由来したのかは、説明がありませんでしたが、東博には30余点が現存し、そのうち15点が東洋館1階にずらりと展示されている様は、圧巻です。



東博「宝慶寺石仏群の説明
 「宝慶寺石仏群は、インド・グプタ朝美術の影響を受けた写実的で豊かな肉体表現や、変化に富んだ装飾意匠などから盛唐期の仏教彫刻の代表的作例として名高い。
 この石仏群は、唐にかわって周王朝を興した武則天(則天武后)が、長安3年(703)長安城光宅坊の光宅寺に建てた七宝台を荘厳していたものであった。その後、西安(長安)安仁坊の宝慶寺(花塔寺)へ移され、同寺の磚塔・仏殿に収められたが、20世紀初頭大部分が国外へ流出した。現在では三尊型式の釈迦降魔像・弥勒倚像・阿弥陀坐像や十一面観音立像など中国に残るものも含めて32石が確認されている。このうち数石には、長安3年・4年(703・704)、開元12年(724)の紀年銘があるが、開元年間の刻銘は追刻で、造像は長安年間頃に行われたとする説もある。
 光宅寺の造営事情とその造像は、仏教界と結びつき武周革命を行った武則天の政策を反映しており、当時の仏教受容のあり方を考えるうえで非常に貴重な資料である


 1階を見てから5階へ上がり、中国工芸、朝鮮工芸の展示から順に下へ降りて行きました。中国の絵画工芸も、朝鮮の工芸も、ほんとうにすばらしいもので、日本がこれらの芸術にどれほど多くのものを与えられてきたかを思い、感嘆するばかりです。

朝鮮工芸室のシンボル展示


 最後は、エジプトやオリエントの美術展示。1階にもどって、アジアの仏像を眺める。仏頭の展示、どのお顔もとても美しくて、手を合わせたくなります。


 中国の芸術品、詩文や絵画だと作者の名が残っていることも多いですが、仏像を彫った仏師や陶工は名が伝わっていないことの方が多い。仏像を修理修復する際に解体してみたら、光背の普通は見えない場所に仏師の名前が彫り込んであった、なんてこともあるけれど、普通はわからないままです。

 無名の職人達の無名の技術が、こうして残る一方、エジプトの王様が壮大な墓を作って、何百年もたつうちには、副葬品なんぞはほとんど盗掘されてしまったり、中国の大金持ちがたいそうな墓誌を石に刻んで自分の人生を誇ってみても、数千年もたてばだれの人生もそここそだなあと思えたり。

 OCNカフェブログからgooブログへと移行し、春庭サイトもリニューアルしてからそろそろ1年経ちます。書いている中味は10年前から相も変わらぬつまらんよしない事ばかりですが、リニューアル後の変化と言えば、写真を掲載する方法がわかり、デジカメで撮ってきた下手な写真でもUPすれば文章のへたくそな中味をカバーできる見栄えにできるようになったこと。

 東京近代美術館、東京国立博物館は、撮影禁止とあるもの以外は、フラッシュをたかなければ、撮影OK。私立美術館でも、松岡美術館はフラッシュ禁止、ケータイ撮影禁止ですが、デジカメOK。所蔵作品以外の借り受け委託作品は所有者の意向により禁止措置もしかたがないですが、公共の宝物として美術館一般公開を決めたからには、撮影くらい自由にさせる度量を見せて欲しい。と、見てるだけ~、撮ってるだけ~の観覧者は思います。ガラスケースの中を移すのはうまくできず、今回の東博の写真も上手には撮れませんでしたが、まあ、ないよりあったほうが、文で「武則天の石仏」と書くより伝わるかなと思います。

 美しいうつわや金襴の冠や、きれいなものをたくさん見て目の保養をしたあとは、無名の、どこのだれともわからない職人達に、「いいもの作って残してくれてありがとう」と、お礼を言って東博の門を出ました。

 上野公園の夕暮れ、春もいいけれど、冷たい風が白く吹き上がる噴水に吹き付ける冬もまた、凛とした気分になれて好きです。
 拾い集めた衣服を全部着込んでいるような着ぶくれた人が、ベンチに丸まっています。足下には、パンパンにものを詰め込んだ大きなバッグが3つ。これがこの人の守るべき全財産なんだなあと思いながら脇を通り過ぎていく。

 わたしもね、と心の中で語りかける。私も一生のあいだ、何を残すということもなく、噴水の水がわき上がっては崩れて北風に吹き散らされているような人生でしたけれど、お互いに残された日々をせいいっぱい生きて行きましょうね。そんなかけ声を自分にも着ぶくれた人にもかけて、頭上の木星を見上げながら帰りました。

<おわり>
コメント (2)
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