2013/02/03
ぽかぽか春庭@アート散歩>お金持ちのコレクション(4)戸栗美術館、鍋島で鍋しまshow
1月27日、渋谷へ行きました。
渋谷区松濤の元鍋島藩邸あとに建つ戸栗美術館は、建築業で財を成した戸栗亨が土地建物、コレクションをまとめて渋谷区に寄贈したものです。ロッキード事件に関わった小佐野賢治らのグループであったと聞くとなにやらきな臭く、土建業で財産ためこむには、どれだけの政治と財界の腹黒いだまし合いやら討ち死にやらあったことだろうかと思いますが、ともあれ、残されたコレクションは、陶磁器専門美術館として松濤のお屋敷街に建っています。

鍋島焼(なべしまやき)は、江戸時代17世紀から19世紀にかけて、九州の佐賀藩(鍋島藩)で藩直営の窯で製造された高級磁器をさします。肥前国の有田焼、伊万里焼は一般の販売も行われましたが、藩主の所用品や将軍家・諸大名への贈答品などの高級品を焼く特別な窯が大川内山(おおかわちやま、佐賀県伊万里市南部)に作られました。藩直営の窯で作られた特別な有田焼伊万里焼が、明治以後は「鍋島焼」と呼ばれるようになったのです。
大皿大鉢のデザインもよく、色も美しい国宝級の鍋島焼を眺めて、私は「この皿にはふかし芋を山盛りに」とか「この鉢には鰤あらと大根の煮物」なんて盛りつけをしながら歩くのです。現実には割れても惜しくないように、裏側に店の屋号などが入っているサービスでもらった皿だの、百円ショップで買った鉢だのを使っているのですが。
親から相続した財産を湯水のように使い、大金をラスベガスとかマカオでのギャンブルに入れあげて使い果たすどこぞの坊ちゃんもいるなかで、お金持ちたちの道楽、どうせ有り余るお金を使うなら、こういうコレクションに蕩尽して、生きている間はおのがコレクションに埋もれて「イッヒッヒ、これぜ~んぶ、ぼくのもの」と至福にヨダレ垂らすもよし、死んだら博物館美術館に寄付して、貧乏人もゲージツを楽しめるように遺言しておいてほしい。戸栗亨みたいに。
私は、「ふん、お金持ちがなにさ。私は、生活保護費より低いレベルの暮らししかできない低所得者だけれど、生活保護費を削るなんて、許し難い暴政である。ぶつぶつ」なんてつぶやきながら、一皿ウン百万円ウン千万円の皿の間を歩くのです。
ウン百万円の皿を見たあとは、松濤お屋敷街歩き。
私の大好きな佐野洋子『覚えていない』から引用します。私のお屋敷街歩きの気分がそっくり書かれていますので。
「私は高級住宅地を散歩するのが趣味で、こんもりと気が茂っただだっ広い屋敷の中にそびえ立つ金持ちの家を見ると全く中の生活を想像することが出来ない。そういういえはいやにひっそろとしているのである。ひっそりしていると冷たい家族生活があるにきまっている。主人は外に女をかこっているにきまっている。女房はフラストレーションで、買い物狂いにちがいないと思うのである。そして何でもむき出しになっている小さい家に住んでいる自分のをしみじみと幸せと思ったり勝手なものである。」
他の部分も合わせて読まないと、佐野洋子のおもしろさが伝わりにくいかもしれないけれど、私のうじうじした「お屋敷街あるき」も、ちょっとは肯定されるような気分がしてくる。
そーだ、ソーダ、こういうお屋敷に住む家族ってのは、ダンナはバンバン稼いでくるのだろう。親の資産なんぞも受け継いでいるのだろう。だけど「浮気は男の甲斐性」なんぞとうそぶくにちがいない。その女房はいうと、ホスト遊びにも飽きて、イケメンイタリア人留学生なんぞを囲って、オペラだハワイだと連れ回したりしているにちがいない。でっかいお屋敷で使用人に囲まれて育ったりしてしまうと、息子はマカオやラスベガスでギャンブルtに狂うか、ドラッグに溺れるかするに違いない、まともに育ったように見えても、人間というものは、「自分の家族でなければ、自分の使用人である」と人を見るようになるに決まっている、なんぞとぶつぶつ言いながら、渋谷駅へと下っていく。
「ああ、それは子どもの奨学金だから、会社の借金返済につぎこまないで!」と叫びながら夫にとりすがる妻なんぞ「みっともない」のひとことで片付けられるであろう。
「ぐるっとパス」の2000円払ったからには、「モト取らなくちゃ」と、それほど興味も無かった陶磁器コレクションを見に渋谷までやってくるイジマシイ女房が、娘のおさがりのセーター着て姑のお下がりのズボンはいている姿みて、ブランド服なんぞとは縁もなく生きてきた女をショウトーの奥様は「みじめったらしいわねぇ」と笑うのであろう。
と、いじけながら歩く。20億円ほどもあったら松濤でちっこいお屋敷くらいなら買えるかなあと、渋谷駅へ向かう。年末ジャンボの6億円に期待をかけたが、今回も当たったのは末等300円でした。
♪金が無くても楽しい人生。あったらあったでもっとタノシー♪
これは、クドカン大好きのわが家が、2011年に見ていたドラマ『11人もいる』の中で、シンガーソングライター星野源(今のところaikoの恋人)が歌っていた歌です。わが家のテーマソングになっています。金があったらあったでタノシーだろうと想像するが、あったことはない。
僻みねたみを全開させながら松濤をすぎて、渋谷駅へ。センター街には奇妙奇天烈なファッションのワカゾーがいっぱいいて、ブランドもの着てないのに松濤を歩いてきたオバハンの心をちょっとは和ませてくれる。
目の前を歩いている女の子ふたり連れ。一人はナース服きて、診療かばんをもち、首には聴診器を提げている。腕を組んでいる女の子は、ピンクのかつらに猫耳のカチューシャをして、背中には赤いランドセルをしょっている。ランドセルには黄色いペンキで「さわるな危険」と大書してある。ふたりは渋谷の坂を大股で下っていく。
あはは、ショートー、好きだワァ。こういう女の子が闊歩する街のとなりにあるんだもの。
鍋島焼き、買えないけれど、今夜は白菜「鍋しま」しよっ。百均の皿で食うぞ。
<つづく>
ぽかぽか春庭@アート散歩>お金持ちのコレクション(4)戸栗美術館、鍋島で鍋しまshow
1月27日、渋谷へ行きました。
渋谷区松濤の元鍋島藩邸あとに建つ戸栗美術館は、建築業で財を成した戸栗亨が土地建物、コレクションをまとめて渋谷区に寄贈したものです。ロッキード事件に関わった小佐野賢治らのグループであったと聞くとなにやらきな臭く、土建業で財産ためこむには、どれだけの政治と財界の腹黒いだまし合いやら討ち死にやらあったことだろうかと思いますが、ともあれ、残されたコレクションは、陶磁器専門美術館として松濤のお屋敷街に建っています。

鍋島焼(なべしまやき)は、江戸時代17世紀から19世紀にかけて、九州の佐賀藩(鍋島藩)で藩直営の窯で製造された高級磁器をさします。肥前国の有田焼、伊万里焼は一般の販売も行われましたが、藩主の所用品や将軍家・諸大名への贈答品などの高級品を焼く特別な窯が大川内山(おおかわちやま、佐賀県伊万里市南部)に作られました。藩直営の窯で作られた特別な有田焼伊万里焼が、明治以後は「鍋島焼」と呼ばれるようになったのです。
大皿大鉢のデザインもよく、色も美しい国宝級の鍋島焼を眺めて、私は「この皿にはふかし芋を山盛りに」とか「この鉢には鰤あらと大根の煮物」なんて盛りつけをしながら歩くのです。現実には割れても惜しくないように、裏側に店の屋号などが入っているサービスでもらった皿だの、百円ショップで買った鉢だのを使っているのですが。
親から相続した財産を湯水のように使い、大金をラスベガスとかマカオでのギャンブルに入れあげて使い果たすどこぞの坊ちゃんもいるなかで、お金持ちたちの道楽、どうせ有り余るお金を使うなら、こういうコレクションに蕩尽して、生きている間はおのがコレクションに埋もれて「イッヒッヒ、これぜ~んぶ、ぼくのもの」と至福にヨダレ垂らすもよし、死んだら博物館美術館に寄付して、貧乏人もゲージツを楽しめるように遺言しておいてほしい。戸栗亨みたいに。
私は、「ふん、お金持ちがなにさ。私は、生活保護費より低いレベルの暮らししかできない低所得者だけれど、生活保護費を削るなんて、許し難い暴政である。ぶつぶつ」なんてつぶやきながら、一皿ウン百万円ウン千万円の皿の間を歩くのです。
ウン百万円の皿を見たあとは、松濤お屋敷街歩き。
私の大好きな佐野洋子『覚えていない』から引用します。私のお屋敷街歩きの気分がそっくり書かれていますので。
「私は高級住宅地を散歩するのが趣味で、こんもりと気が茂っただだっ広い屋敷の中にそびえ立つ金持ちの家を見ると全く中の生活を想像することが出来ない。そういういえはいやにひっそろとしているのである。ひっそりしていると冷たい家族生活があるにきまっている。主人は外に女をかこっているにきまっている。女房はフラストレーションで、買い物狂いにちがいないと思うのである。そして何でもむき出しになっている小さい家に住んでいる自分のをしみじみと幸せと思ったり勝手なものである。」
他の部分も合わせて読まないと、佐野洋子のおもしろさが伝わりにくいかもしれないけれど、私のうじうじした「お屋敷街あるき」も、ちょっとは肯定されるような気分がしてくる。
そーだ、ソーダ、こういうお屋敷に住む家族ってのは、ダンナはバンバン稼いでくるのだろう。親の資産なんぞも受け継いでいるのだろう。だけど「浮気は男の甲斐性」なんぞとうそぶくにちがいない。その女房はいうと、ホスト遊びにも飽きて、イケメンイタリア人留学生なんぞを囲って、オペラだハワイだと連れ回したりしているにちがいない。でっかいお屋敷で使用人に囲まれて育ったりしてしまうと、息子はマカオやラスベガスでギャンブルtに狂うか、ドラッグに溺れるかするに違いない、まともに育ったように見えても、人間というものは、「自分の家族でなければ、自分の使用人である」と人を見るようになるに決まっている、なんぞとぶつぶつ言いながら、渋谷駅へと下っていく。
「ああ、それは子どもの奨学金だから、会社の借金返済につぎこまないで!」と叫びながら夫にとりすがる妻なんぞ「みっともない」のひとことで片付けられるであろう。
「ぐるっとパス」の2000円払ったからには、「モト取らなくちゃ」と、それほど興味も無かった陶磁器コレクションを見に渋谷までやってくるイジマシイ女房が、娘のおさがりのセーター着て姑のお下がりのズボンはいている姿みて、ブランド服なんぞとは縁もなく生きてきた女をショウトーの奥様は「みじめったらしいわねぇ」と笑うのであろう。
と、いじけながら歩く。20億円ほどもあったら松濤でちっこいお屋敷くらいなら買えるかなあと、渋谷駅へ向かう。年末ジャンボの6億円に期待をかけたが、今回も当たったのは末等300円でした。
♪金が無くても楽しい人生。あったらあったでもっとタノシー♪
これは、クドカン大好きのわが家が、2011年に見ていたドラマ『11人もいる』の中で、シンガーソングライター星野源(今のところaikoの恋人)が歌っていた歌です。わが家のテーマソングになっています。金があったらあったでタノシーだろうと想像するが、あったことはない。
僻みねたみを全開させながら松濤をすぎて、渋谷駅へ。センター街には奇妙奇天烈なファッションのワカゾーがいっぱいいて、ブランドもの着てないのに松濤を歩いてきたオバハンの心をちょっとは和ませてくれる。
目の前を歩いている女の子ふたり連れ。一人はナース服きて、診療かばんをもち、首には聴診器を提げている。腕を組んでいる女の子は、ピンクのかつらに猫耳のカチューシャをして、背中には赤いランドセルをしょっている。ランドセルには黄色いペンキで「さわるな危険」と大書してある。ふたりは渋谷の坂を大股で下っていく。
あはは、ショートー、好きだワァ。こういう女の子が闊歩する街のとなりにあるんだもの。
鍋島焼き、買えないけれど、今夜は白菜「鍋しま」しよっ。百均の皿で食うぞ。
<つづく>