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ぽかぽか春庭「作文発表会・10年前の日本語教室4」

2013-11-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/11/07
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年11月の日記(4)作文発表会ニッポニアニッポン語教師日誌4

 10年前の日本語教室の記録です。

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2003/11/27木 晴れ 1063
ニッポニア教師日誌>作文発表会

 作文、日本事情2コマ。今日は作文の後半で「いままで書いた作文の発表会」を行った。
 今年、システム変更で作文クラスの学生数が半分になった。おかげで、添削する時間もとれたので、今までになくたくさんの作文を書かせた。

 学生は「A4版原稿用紙50枚つづりを買ったときには、こんなにたくさん紙があっても余ってしまうだろうと思った。まさか50枚全部紙が終わるとは思わなかった」という。下書きと清書で全部で50枚が終わり、足りなくなった人もいる。

 丸谷才一の持論「子どもに作文を書かせて、添削してやろうとか、感想を一言かいてやろうと思うから、教師は子どもに作文を書かせたがらなくなる。添削も感想もいらないから、ただひたすらどんどん書かせれば、自然に上達する。」

 私は自分の方針として、書かせたら必ず添削をして、つまらないコメントでもひとこと書き添える。時間がかかるが、どんどん書かせる。
 それで、「読めば読んだ分だけ読解力がつく」「書けば書くほど作文力があがる」と、いうことは実感できる。量が質をたかめることといういうことは、2チャンネルロゴだけでなく、いくらでもあある。

 ひとつずつ気に入った作文を選んで、朗読発表を行った。本当はひとこと感想を言うことができたらよかったが、来週文集作りの時間があまったら、感想コーナーを作ろう。

本日のかみ:原稿用紙50枚書くうちに上達する作文。教師の指導ではなく紙のおかげ

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2003/11/28 金 曇り 1062
ニッポニア教師日誌>デパート買い物シーン

 ビデオ会話3コマ。
 今日から中国からの学生がひとり増えた。ちょうど12課のビデオに「ひさしぶりに会った友人に、新しい友だちを紹介する」というシーンがあったので、ビデオを見てから「ともだちを紹介する」という練習。

 新入生は食品安全学専攻。中国にとって、必須の学問だろうと思う。農薬や添加物の混ざった食品を輸入したら、自分のクビを絞める結果になりかねないから、中国の農産業にとって必要不可欠。

 大学院院生として留学している他の学生と異なり、彼女は研究留学生だから、日本語学習は必須ではない。しかし、研究のためには日本語学習が必要と自分で判断し、指導教官を通じて申し込んできたのだという。「みんなのにほんご」を7課までしか終わっていないが、熱心な人なのでこれまでの遅れに追いつくだろう。文法事項の理解はしているが、会話経験がないので、まだ発話に慣れていない。

 今日は、SFJ10課のビデオのデパートシーンを見てから、買い物ごっこを再現。新入生に客の役を、ジジとニューにデパート店員の役をやらせる。私がエレベーターガールの役。
 行き先の階をエレベーターガールに告げるところから、スタート。「東京デパートご利用ただきましてありがとうございます。はい、3階でございますね。かしこまりました。3階紳士服売り場、とまります。おあとございませんか。」と、エレベ-ターガールの口調で。新入生ショウおずおずと「5カイ」「はい、5階、婦人服売り場へまいります」

 婦人服コーナー担当のニューは「いらっしゃいませえ」とはりきる。ショウさんもまわらない口でいっしょうけんめい「もう少し大きいサイズのセーターがありますか」「色はいいけど、デザインがちょっと」など、10課の文型を言う。

 ジジはレジ係りの役。「○○円お預かりします」「○○円のおかえしです」などの、買い物ごっこセリフはすっかり忘れていたが、なんとか無事買い物がすんだので、「ジジさんはとてもよいデパート店員でした。ジジさんは、国にかえったら、デパートの店員になります」と、今日のもうひとつの新文型「~になります」を使ってほめると、みな笑う。
 将来ジジがなるとしたら、デパートのオーナーか、商業大臣くらいであろうと、学生達は承知している。

本日のひがみ:教える教師は、しがない非常勤講師でも、教わる学生たちは、各国家よりぬきのエリートたち
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2013/11/06 
 25年間に教えた留学生たち、それぞれの母国に帰って活躍している学生もいるし、日本に残って就職した学生もいる。日本語を学び続ける学生もいるし、就職の手段に使ったあとはすっかり日本語を忘れてしまう学生もいる。
 学生との出会いはさまざまで、その後の音沙汰も、クリスマスカードを送ってくる人、メールで近況を知らせてくる人、さっぱり音沙汰なしの人。いろいろです。

 でも、「日本語と格闘した日々」が人生の一コマとして心の中に残っていればいいなあ、と思います。
 「日本にいたとき、そういや、やけに元気いっぱいで、大声で話す先生もいたっけなあ」なんていうおぼろな思い出の中に私の姿があれば、それで私はうれしいのです。

<おわり>
コメント
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