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ぽかぽか春庭「フルーツバスケット」

2013-11-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/11/09
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>授業参観の一日(1)フルーツバスケット

 10月31日に、授業参観がありました。他大学の日本語教師養成課程で学ぶ学生たちに対して自校の教師の授業を公開する、という「教育拠点校」の事業があり、仕事の一環として私の授業を公開せよと命じられました。

 私としては実に不満で、私の3倍以上の給与を得ている常勤の教授が授業参観に応じればいいでしょう、時給いくらでパートの授業を請け負っているしがない非常勤教師にそういう負担をさせるのは、いかがなものかと。
 しかし、「先方の希望日時は、木曜日です。初級クラスを見せて欲しいということなので、該当は先生のクラスですから、よろしくお願いします」と命じられれば、「はい、承知しました」と答えるしかない、弱い立場。

 常勤の先生の覚えめでたくなかったために、「来年カリキュラム変更になるので、来年度の先生の受け持ち授業はありません」とか、「当大学の留学生入学の定員を減らすので、先生のコマ数は1コマだけになります」と、これまでにも簡単に切られてきたのでね。
 1年契約のしがない非常勤講師。来年も同じコマ数を受け持てるとは限らず、いつ仕事がなくなるかもしれない弱い立場。「授業参観なんて、いやです」とか、文句言えない立場なんです。

 引き受けたものの、ずっと重い気分でした。「授業参観なんぞ、常勤の先生たち、教授や准教授が引き受ければいいじゃないの」という本音が言えない、その程度の人間なんだ私は。
 そこまで飛躍しなくてもと思うかもしれませんが、そういう人は、いじめられたことがない人。「いじめがいやなら、いやだと言えばいいじゃないか」と、大人たちがいじめられっ子を責めるのは間違っている。「いやだ」と言い出せるくらいなら、何も問題なんかおきない。

 万が一、再び大政翼賛の時代になって町内会長なんぞに「町内の意向に合わせてちゃんという事きいてくれないと、あんたんとこの配給を止める」と脅されたとする。「家族を飢えさせないために」と、たちまち「原発輸出バンザイ」とでも「特定秘密保護法さんせ~い」とでも言い出すような人間なんだ、私は、、、、。今、私が「原発反対」「戦争ぜったいに嫌だ」と言っていられるのは、生活を脅かされていないからに過ぎない、という現実をつきつけられて、落ち込むおちこむ。
 反論できなかった自分が情けないと嘆きつつ、参観者のために最近はとんと書いていない授業案など書き上げました。

 10月31日、他大学の学生の前でガタガタの下手な授業を披露しました。いつもの教室ではなく、見学者が入れるような大教室の授業だったので、AV機器やパソコンが普段とは異なる環境で、パソコン入力がうまくいかずにあせりまくり、留学生も見学者の前で緊張して声が小さいし、さっぱりうまく運ばない授業になりました。

 「動詞マス形から辞書形を導入する」というメインの教授項目もドリルの変換練習が中途半端だったし、読解授業もパソコン入力がうまくいかず、なんだかしまりのない授業になって、反省点ばかりが残りました。まあ、25年やっていても、この程度にしかならぬのだ、という反面教師としては役立ったかも。
 唯一楽しげにできたのは、フルーツバスケットゲーム。毎期1回は実施する「フルーツバスケット」を見学者も含めていっしょにやりました。 

 フルーツバスケットは、学習者が既習の文をいい、それに該当する参加者は「Be honest正直に」席をたち、椅子を交換するというゲームです。例として、はじめに「私は学生ではありません」と言う。学生ではない教師は席を立つ。引率者の教授と、お目付け役で授業を見ていた教授は椅子を交換。次は、「きのう、お寿司を食べました」と言うと、クラス留学生が席をたちました。クラス全員で回転寿司屋へ食べにいった、という話をきいていたので、お題を出したのです。空いた席に私がすわり、あとは、椅子がなかった学生や教師が発言していきます。「日本の食べ物が好きです」など。

 見学者からまだ習っていない単語が出てくることもありましたが、そのときは英語で解説して、10~15分くらい、フルーツバスケットを続けました。
 ま、これだけでも「留学生に既習の文を言わせたり聞き取らせたりする練習」を見てもらえたので、何らかの参考にはなったでしょう。

 見学者たちは初級のクラスをはじめて見たそうで、10月初旬に来日してたった1ヶ月で日本語での自己紹介や対話、文のききとりができていることに驚いた、という感想だったそうです。確かに、1ヶ月の学習で、日本の中学生が中1の4月から英語を習い始めて2学期終了時点で覚えたくらいの分量は、日本語の文法や単語を詰め込んでいるのです。集中コースという名称以上の詰め込みをやっているのに、よくついてきて学習している留学生たち。

 優秀な学生たちのおかげで、なんとか授業参観も無事おわり、11月の連休に入れたのでした。

 終わってみれば、嫌だ嫌だと思っていた授業参観も、自分の不出来さを確認する自省のためにはよい機会でした。学生からは「先生のクラスはいつも楽しい」なんぞと言われて、ついつい自分のダメな部分の反省が少なくなっていたところなので。

 それに、「いやだと言えない自分」についても、当初とは違う感想も出てきました。授業参観はいやだと言ってみた場合、不利益をこうむるのは私だけです。せいぜい来年の仕事が減るかもという程度の不利益。
 でも、原発反対、戦争反対、秘密保護法反対、というのは、私の生存に関わるだけの問題ではありません。仕事のあるなしは、私が食っていけるかどうかの問題で経済問題ですが、大政翼賛に賛同するかどうかは、私の存在理由アイデンティティの問題です。自分が決めた自分の方針を曲げるくらいなら、私の存在理由がなくなってしまう。

 「授業参観いやです」は言えなかったけれど、原発反対、秘密保護法反対は、私がどうなろうとも、言います。もう娘息子も成人し、私が食べさせなくてもなんとか生きていくでしょうし、本人が生き方を選ぶでしょう。私はわたしの生き方を選ぶ。「秘密保護法に反対」「原発に反対」これは、私の生き方です。

<つづく>
コメント (2)
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