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ぽかぽか春庭「アフターコンサートの喫茶店」

2013-11-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/11/21
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記11月(7)アフターコンサートの喫茶店

 ミュージアムコンサートが終わってから、渋沢栄一が来客接待用として使った洋風茶室という晩香盧に入り、室内の椅子でしばしT子さんとおしゃべり。今回のミュージアムコンサート、音楽を楽しむこともひとつの目的でしたが、T子さんとゆっくりお話する機会が欲しかったのです。

  T子さんは、校長先生の仕事を退職してからも、教育相談の仕事、ふたつの合唱のグループそれぞれの練習、オペラアリアの会の練習、図書館での読み聞かセボランティアと毎日忙しそうにしているので、「おしゃべり」なんてヒマそうなことにおつきあい願うのは悪いかしらと、こちらから遠慮してしまっていたのです。15日金曜日のジャズダンス練習でごいっしょしたときも、「今日は、午前中は高齢者のための体操教室、午後は、お父さんが続けている日本語ボランティア教室の臨時のお手伝い、夜はダンス練習」という一日中びっしりのスケジュールだったことを聞いていました。

 17日は、夜から合唱の「第九」の練習。でも、それまでは時間がある、と聞いたので、チャンス。コンサートが終わってから合唱の練習まで、時間があるだろうと、お茶にさそいました。飛鳥山博物館内の喫茶店で「ケーキ&コーヒー」を注文。「10日の朗読会でおはなしをきかせてもらったお礼に」と思っていた私のおもわくをかわして、T子さんは逆に「コンサートでよいひとときをすごさせてもらったお礼」と言って、お茶をご馳走してくれたのです。
 コンサートは無料だったのに。でも、遠慮なくごちそうになりました。

 合唱練習の始まる時間まで、お茶を飲みながらいろいろおはなしできました。
 T子さんのご主人は、研究ひとすじに生きたかったのだけれど、「結婚したからには妻子を養わなければ」と考え、大学院修士を終えたとき、博士課程には行かず、電機メーカーに就職、会社の研究所で研究をしたそうです。T子さんが教職をやめずに共働きをしたのは、「主人が、いつでも会社をやめて研究一本になっても支えられるように」との思いであったそうで、子育ては、T子さんのご両親が手伝ってくれたのだそうです。

 共働きとしては理想的な環境。実家の母親を頼れて、ご主人は、子供にも優しい父親。絵本の読み聞かせもしてくれたそうです。40年の教師生活にいろいろ苦労もあったけれど、乗り越えてきた、というT子さんのおはなしを聞いていると、もう私などぺちゃんこです。転職をくりかえして何一つモノにならず、家庭生活とは無縁を決め込む夫と結婚してしまい、「実質母子家庭」。人様がうらやましいばかりで、いつもねたみそねみひがみで生きている。

 「私は劣等感の塊で、いつも人をうらやむばかりなの」と、T子さんに言うと、T子さんは「人を見てうらやましい、と思えるのは、その人がそういういいところを持っていることを認めてあげられるからうらやましいのよ。うらやましいのは、とてもいいことよ。でも、その人には、そういういいところがあることを認めた上で、自分は自分のいいところがあると思えばそれでいい」と諭してくれました。

 「私は、美人を見ればうらやましくて、自分が美人に生まれなかったひがみばかり感じるし、才能ある人みればねたましくて、自分の才能のなさが悔しいばかり、いつもネガティブで生きてきた。夫に対しても不平不満ばかり」と訴えると、「じゃ、明日から、ご主人のいいところを探して、ご主人に、あなたがいてくれるから私たち一家は幸福だと伝えれば、きっと幸福になる」とおっしゃる。

 「だれかといっしょにすごすときは、どうしたらその人が一日きもちよく、楽しく時をすごせるかを考えて、そのようにする」のが、T子さんの対人方法。「お父さんといっしょのときは、お父さんが心地よく家にいられるようにするのが妻の喜び」だと。

 T子さんのこれからの目標は、「図書館での読み聞かせで、赤ちゃんを相手にすることがあるの。そうすると、赤ちゃんがまっすぐな瞳でこちらを見つめてくる。そういう純粋な目で見つめられたとき、恥ずかしくない人間になること」
 いえいえ、もうT子さんは、どこに出しても恥ずかしくない人格者で、こんな清廉潔白で寛容な人はめったいにいない、というタイプの人だなあと感じ入りました。

 たまに、T子さんのようにすぐれた人とお話できたら、こちらも心洗われ、おしゃべりしたあとの5時間くらいは、私も「よい人」になろうと心がけていられるなあ。
 で、5,6時間くらいたつと、またぞろ「どうして、私にはこんな不運な人生しか与えられなかったのか」とか、「この先、仕事もなくなっていくのに、どうやって生活して行けというのか」とか思うばかりとなる。
 「ご主人をたてて、まわりの人が気持ちよくすごせるように考える」なんてことは到底できそうにない自分に戻ってしまうのですが、、、。

 互いに不運な結婚を嘆きあい、貧乏生活の愚痴をこぼしあえるミサイルママも必要だし、高邁な人格者めざすT子さんのようなよい人柄の人と話すことも必要。
 「私に友達が少なくて、新しい友達もできないのはね。私と話した相手に、私が嫌な奴だということがバレてしまうのが怖いからなの。普段、できる限りいい人のふりをしているんだけれど、ほんとは、私、とっても嫌な人間なんだもの」と、嘆くと、T子さんは「私はe-Naちゃん、とてもいい人と思います」と、言ってくださったのでした。ありがとうT子さん。

 T子さんが第九合唱に出かけるので、別れて家に帰り、5時間くらいは「いい人」になっていられました。

<つづく>
コメント (4)
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