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ぽかぽか春庭2013年11月目次

2013-11-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


2013/11/30
ぽかぽか春庭2013年11月目次

11/02 ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年11月の日記(1)10年前の日常茶飯事典

11/03 ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年11月のニッポニアニッポン語教師日誌(1)イメージキャラクター
11/05 2003年11月のニッポニアニッポン語教師日誌(2)動物園授業
11/06 2003年11月のニッポニアニッポン語教師日誌(3)模擬授業
11/07 2003年11月のニッポニアニッポン語教師日誌(4)作文発表会

11/09 ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>授業参観の一日(1)フルーツバスケット
11/10 授業参観の一日(2)留学生の帰国

11/12 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記11月(1)文化の日連休初日
11/13 十三里半日記11月(2)幕末の大奥展
11/14 十三里半日記11月(3)ダンスフェスティバル
11/16 十三里半日記11月(4)映画『きっとうまくいく』
11/17 十三里半日記11月(5)ドシュマンとドゥーストと釜石小学校校歌
11/19 十三里半日記11月(6)スヌーピー展&六本木ヒルズランチ
11/20 十三里半日記11月(7)青淵文庫ミュージアムコンサート
11/21 十三里半日記11月(8)アフターコンサートの喫茶店
11/23 十三里半日記11月(9)岩波ホールでアミーゴと

11/24 ぽかぽか春庭アート散歩>建築散歩2008~2013(4)両国界隈、伊東忠太ほか
11/26 建築散歩2008~2013(5)メタボリズム菊竹清訓
11/27 建築散歩2008~2013(6)メタボリズム黒川紀章
11/28 建築散歩2008~2013(7)たてもの散歩と建築本
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ぽかぽか春庭「向井潤吉記念館」

2013-11-30 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/23
ぽかぽか春庭@アート散歩>20012-2013冬のアート散歩(1)向井潤吉記念館


 世田谷美術館は、いくつかの分館を有します。いずれも、世田谷区に住んで画業を続けてきた画家が、アトリエ・住居と作品を区に寄付し、区はそれを記念館などに整備し公開しています。画家にとっては、没後も作品を散逸させずに展示することができ、区は文化的なイメージアップもでき、両者にとって利があります。

 向井潤吉(1901-1995)は、日本全国の古民家を写生し、油絵に残してきた洋画家です。フランス留学から帰国したのちの1930年代から二科展などで活躍し、戦後は日本各地を訪れて茅葺き屋根わらぶき屋根の民家を描き続けました。
 世田谷区に長くアトリエを構え、画家生前にアトリエは区に寄付されました。現在は「向井潤吉記念館」として公開されています。
 私は、2012年12月に初めて訪れました。

向井潤吉記念館


世田谷美術館分館向井潤吉アトリエ館『向井潤吉とふるさと京都』
会期/2012年12月11日(火)~2013年3月20日(水・祝)
住所/〒154-0016東京都世田谷区弦巻2-5-1
電話番号/03・5450・9581

http://www.mukaijunkichi-annex.jp/main_j/index.htm
 私が鑑賞したときの展示テーマは、潤吉の故郷、京都の民家でした。潤吉が生涯にもっとも多く描いたのは、埼玉県の民家ですが、これは住まいの世田谷から日帰りで写生に出かけられる地が埼玉の田舎だったからではないかと思います。つぎに多いのが京都。長野や東北の民家も数多く描かれています。

 今となっては、各地に残された藁ぶき屋根のほとんどは失われてしまい、わずかに観光施設として活用されている家屋が残っているだけです。福島の大内宿や世界遺産の白川郷などのように。農家の生活の場としての藁屋根かやぶき屋根の家は、潤吉のキャンバスに残されているのみ。潤吉は、写生の他、カメラでも映像作品として多数の古民家を記録しています。写真と潤吉の油絵を比べると、潤吉の美意識が風景の中の何を写し取り何を省略し、あるいは付け加えたのかがよくわかります。

 わらぶき屋根かやぶき屋根の家は、とても美しく、何とも言えない風情があります。でも、村に一軒だけ茅葺きが残されたとしても、維持出来ないのです。屋根の吹き替えを行うには、相当な人数と費用が必要です。材料集めと屋根葺き職人の手間賃で数百万円かかるそうです。村一同が「結」の組織力で、共同で吹き替え作業を行うことができたうちはよかったですが、観光化していない地域では、それもできません。
 私たちは、向井潤吉の絵の中に往時をしのび、失われた今になって、「わらぶき屋根の家はよかったなあ」と、言うのみ。

 むろん、向井の描いた古民家は、記録として以上に芸術としての価値があると思います。ひとつの「人間の産みだした美」を画面に定着して、私たちはそれを味わうことができる。
 わらぶき屋根の四季、美しいです。
 向井潤吉の故郷、京都の藁葺き屋根の家々も、ほとんどは消滅し、現在残されているのは、重要伝統的建造物群保存地区として選定された南丹市美山町の一画くらいです。いつか、この250軒が並ぶ村を訪れてみたいです。

 「大原新雪」〔京都府京都市左京区大原〕(1981年)


 12月、東京の暮れの空は冷たい風にさらされていました。
 世田谷の住宅街を歩いて駅に向かう道道、「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」というおなじみのフレーズが脳裏に浮かびます。
 私の故郷、私が子どもの頃でさえすでに藁葺き茅葺きの家など見かけることなかったけれど、藁屋根の民家の景色、私の世代のものにとっては、故郷の象徴なのだなあと思いつつ、「ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや、、、、」

 世田谷区から帰るには、地下鉄一回乗り換えです。時間的にはたいして遠くもないけれど、茅葺き民家の絵からビルの谷間に帰るのは、心理的には遠き時間の隔たりを感じます。
 故郷は、遠きにありて思ふもの、、、、、、。

<つづく>
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