2013/01/05
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>謹賀新年2014十四事(4)一本槍と自由な槍
「一本槍」とは、ただ一本の槍を突き刺すことで勝負に決着をつけること、また、ただひとつのやり方やワザでことがらに当たり押し通すこと。
私には「ことば」が槍であり、たった一本の槍を振り回すことでかつかつ人生を支えてきました。
「振り回す槍」について、以前に書いたことがあります。シェークスピア(Shakespeare,)についてです。シェイクShakeは振り回すこと、スピアspeareは、槍。英国の文豪シェークスピアとは「振り回す槍」という意味だ、ということを書きました。私が学生にシェークスピアをネタに教えたかったのは、語源ではなく、日本語音節のリズムについてです。英語では、シェーク・スピアと二つに分かれることばが、日本に輸入されると、日本のリズムによって、「シェー・クス・ピア」というふうに生まれ変わる、日本語には日本語独特のリズムがある、ということを教えるためのネタです。
シェークスピアの生まれは、少なくともジェントルマン階級の出身ではなかった。ですから、当然紳士階級や貴族階級の家の印である「家紋」など持っていませんでした。しかし、エリザベス一世のお気にも召して売れっ子作家となり財産もそれなりに出来たあとは、名誉が欲しくなり家紋を持つことを熱望しました。念願かなってウィリアム・シェークスピアが家紋を許されたのは、30歳すぎ。新しい家紋として、家族の名前がデザインに取り入れられました。槍一本が誇らしげに家紋に掲げられています。
シェークスピア家の家紋
私には、この槍はシェークスピアが誇りを持って掲げたペンに見えます。
さて、私は、フリーランサー(freelancer)として働き、賃金を得てきました。
フリーランス(freelance)の語源は「特定の主人を持たない、流れの槍騎兵」です。フリー=自由、ランス=槍。馬と何本かの槍を持ち、いくさごとに契約をして戦いを請け負う。
現代では、特定の企業や団体、組織に所属せず、短期間の契約によって、自らの才覚や技能を提供する労働者を言います。独立した個人事業主もしくは個人企業法人として収入をえる人。私の場合、毎年1年契約で、次の1年の担当授業を契約します。1時間時給いくらで授業をするか契約を交わし、1年で何時間授業をするかによって、年間賃金が決められます。
食うや食わずであっても、かろうじての食い扶持稼ぎ、娘息子を育ててきたのは、私にとって誇りでもあり、「愚痴の元」でもあります。
夫の稼ぎだけでゆうゆう生活できる主婦や、夫の給与で十分に生活できるのに、「生きがい」やら「自己実現」やらを求めて働く女性に比べて、とにかく食っていかなければならず、子を飢えさせないために働くという働き方は、ときに労働をつらいものに感じさせることもありました。
「お金は十分にあるけれど、自己実現のために働いていますの」ってな奥様に出会うと、「ケッ」て思ってしまう、私はイヤな女です。
ただ、働き詰めに働く毎日ではあっても、みじめな思いをすること、人としての尊厳をふみにじられるような思いをすることは少なかったのは、私が自由な働き手であったからだと感じます。私は組織につながれてはいなかったから。つまり、「正社員」「常勤職員」という身分を得たことがなかった。
現代の日本で、「何らかの組織に所属して働く」という方法以外で暮らしていくのは、なかなかにしんどいことです。私は自ら「無所属」を選んだのではなく、どこも私を雇ってくれなかったから、仕方なく日雇いを続けたのです。
フリーランス=自由契約勤務者は、現代日本ではときに「落ちこぼれ」として扱われます。「あそこんち、長男はそこそこの企業に就職できたけど、次男は未だにフリーターなんですって」という具合に、ご近所の噂話にされ、悪口のネタにされる存在です。
日本の多くの大学は、助教(専任講師)、准教授、教授というヒエラルキーで大学の教育を組織していますが、実際の授業担当の多くは1年契約の非常勤講師が請け負っています。請負授業担当者の職名が「非常勤講師」です。
私は、長いところでは25年も続けて非常勤講師として毎年契約を更新してきました。しかし、これからの若い人には、これすらできなくなります。「5年雇い止め」という方針が出されたので、大学は5年以上続けて非常勤講師を雇う場合、常勤講師として採用が求められることになったのです。結果、多くの非常勤講師は、5年続けて働くと、次の年には契約を更新してもらえない、ということになってしまいました。大学は、常勤講師を雇わずに安い給与でこき使えることで人件費削減を測ってきたのに、5年目に常勤講師に雇うなら、人件費がかかって損するから、契約更新しない。別の人を雇えばいいだけです。博士号を得たものの、働き口がない博士課程修了者はごろごろいますから、大学側にとって、特に不自由はない。
困るのは、これまで非常勤講師の働き口を、掛け持ちで仕事をしてきた講師たち。私は、月曜から金曜日まで、5つの国立大学私立大学を駆け巡って、7種類の異なる内容の授業を受け持って、「人間業じゃない」というようなアクロバット労働をしてきましたが、25年も続けていればなんとかやりくりする方法もわかってきました。学生には好評を得た授業もありますが、どんなに授業に熱意を傾けても、それが評価されたことはありません。大学の評価は、紀要掲載の論文本数や学会発表の回数で決まるのですから。
「新任に誰を採用するか」は、「どの教授の推薦があるか」とか、「どの理事の後ろ盾があるか」という学内政治やら力関係やらで決定されるのです。このへんの裏事情は、人文系教授会の裏側なら、筒井康隆の『文学部唯野教授』、医学部なら山崎豊子の『白い巨塔』を読んでもらったほうが、話が早い。小説だから、嘘っぱちだろうと思うなら大間違い。実によく取材できたと感心する内容です。事実は小説以上のすごいことになっていて、ポストを得るために長年艱難辛苦をたえたあげくに昇進させてもらえなかった恨みから、国立大学でも私立大学でも大学内で殺人事件が起きて、上司の教授が殺されています。殺人に及ばないまでも同種の恨みは全国の大学に多々あろうことがわかります。
シェークスピアの家紋のように、高々と槍を掲げたいけれど、「自由な槍、フリーランス」として働いてきた私の労働形態も、ついに槍をへし折られる日も近い。
次の働き口を探さなければいけないのだけれど、さてさて、一本槍振り回しながらの野垂れ死にも、それはそれで我が運命、、、、
企業に所属して自由にものも言えない勤労者として30年働けば、少ないながらも食べていくほどは厚生年金がもらえます。
フリーランス、自由な槍は、請負個人企業なので、年金はありません。ここに来て、自由な槍はぽっきりとへし折られます。
我が生涯、ことばの教育ひとすじ、言語教育一本槍。と、言うのはかっこいいけれど、折れやすい一本槍でした。刀折れ矢尽きて、槍はへし折られる、老残兵は足引きずりながら立ち去るのみ、、、、といきたいところですが、老残兵の物語はまだまだ終わりなく、だらだらと、、、、。
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>謹賀新年2014十四事(4)一本槍と自由な槍
「一本槍」とは、ただ一本の槍を突き刺すことで勝負に決着をつけること、また、ただひとつのやり方やワザでことがらに当たり押し通すこと。
私には「ことば」が槍であり、たった一本の槍を振り回すことでかつかつ人生を支えてきました。
「振り回す槍」について、以前に書いたことがあります。シェークスピア(Shakespeare,)についてです。シェイクShakeは振り回すこと、スピアspeareは、槍。英国の文豪シェークスピアとは「振り回す槍」という意味だ、ということを書きました。私が学生にシェークスピアをネタに教えたかったのは、語源ではなく、日本語音節のリズムについてです。英語では、シェーク・スピアと二つに分かれることばが、日本に輸入されると、日本のリズムによって、「シェー・クス・ピア」というふうに生まれ変わる、日本語には日本語独特のリズムがある、ということを教えるためのネタです。
シェークスピアの生まれは、少なくともジェントルマン階級の出身ではなかった。ですから、当然紳士階級や貴族階級の家の印である「家紋」など持っていませんでした。しかし、エリザベス一世のお気にも召して売れっ子作家となり財産もそれなりに出来たあとは、名誉が欲しくなり家紋を持つことを熱望しました。念願かなってウィリアム・シェークスピアが家紋を許されたのは、30歳すぎ。新しい家紋として、家族の名前がデザインに取り入れられました。槍一本が誇らしげに家紋に掲げられています。
シェークスピア家の家紋
私には、この槍はシェークスピアが誇りを持って掲げたペンに見えます。
さて、私は、フリーランサー(freelancer)として働き、賃金を得てきました。
フリーランス(freelance)の語源は「特定の主人を持たない、流れの槍騎兵」です。フリー=自由、ランス=槍。馬と何本かの槍を持ち、いくさごとに契約をして戦いを請け負う。
現代では、特定の企業や団体、組織に所属せず、短期間の契約によって、自らの才覚や技能を提供する労働者を言います。独立した個人事業主もしくは個人企業法人として収入をえる人。私の場合、毎年1年契約で、次の1年の担当授業を契約します。1時間時給いくらで授業をするか契約を交わし、1年で何時間授業をするかによって、年間賃金が決められます。
食うや食わずであっても、かろうじての食い扶持稼ぎ、娘息子を育ててきたのは、私にとって誇りでもあり、「愚痴の元」でもあります。
夫の稼ぎだけでゆうゆう生活できる主婦や、夫の給与で十分に生活できるのに、「生きがい」やら「自己実現」やらを求めて働く女性に比べて、とにかく食っていかなければならず、子を飢えさせないために働くという働き方は、ときに労働をつらいものに感じさせることもありました。
「お金は十分にあるけれど、自己実現のために働いていますの」ってな奥様に出会うと、「ケッ」て思ってしまう、私はイヤな女です。
ただ、働き詰めに働く毎日ではあっても、みじめな思いをすること、人としての尊厳をふみにじられるような思いをすることは少なかったのは、私が自由な働き手であったからだと感じます。私は組織につながれてはいなかったから。つまり、「正社員」「常勤職員」という身分を得たことがなかった。
現代の日本で、「何らかの組織に所属して働く」という方法以外で暮らしていくのは、なかなかにしんどいことです。私は自ら「無所属」を選んだのではなく、どこも私を雇ってくれなかったから、仕方なく日雇いを続けたのです。
フリーランス=自由契約勤務者は、現代日本ではときに「落ちこぼれ」として扱われます。「あそこんち、長男はそこそこの企業に就職できたけど、次男は未だにフリーターなんですって」という具合に、ご近所の噂話にされ、悪口のネタにされる存在です。
日本の多くの大学は、助教(専任講師)、准教授、教授というヒエラルキーで大学の教育を組織していますが、実際の授業担当の多くは1年契約の非常勤講師が請け負っています。請負授業担当者の職名が「非常勤講師」です。
私は、長いところでは25年も続けて非常勤講師として毎年契約を更新してきました。しかし、これからの若い人には、これすらできなくなります。「5年雇い止め」という方針が出されたので、大学は5年以上続けて非常勤講師を雇う場合、常勤講師として採用が求められることになったのです。結果、多くの非常勤講師は、5年続けて働くと、次の年には契約を更新してもらえない、ということになってしまいました。大学は、常勤講師を雇わずに安い給与でこき使えることで人件費削減を測ってきたのに、5年目に常勤講師に雇うなら、人件費がかかって損するから、契約更新しない。別の人を雇えばいいだけです。博士号を得たものの、働き口がない博士課程修了者はごろごろいますから、大学側にとって、特に不自由はない。
困るのは、これまで非常勤講師の働き口を、掛け持ちで仕事をしてきた講師たち。私は、月曜から金曜日まで、5つの国立大学私立大学を駆け巡って、7種類の異なる内容の授業を受け持って、「人間業じゃない」というようなアクロバット労働をしてきましたが、25年も続けていればなんとかやりくりする方法もわかってきました。学生には好評を得た授業もありますが、どんなに授業に熱意を傾けても、それが評価されたことはありません。大学の評価は、紀要掲載の論文本数や学会発表の回数で決まるのですから。
「新任に誰を採用するか」は、「どの教授の推薦があるか」とか、「どの理事の後ろ盾があるか」という学内政治やら力関係やらで決定されるのです。このへんの裏事情は、人文系教授会の裏側なら、筒井康隆の『文学部唯野教授』、医学部なら山崎豊子の『白い巨塔』を読んでもらったほうが、話が早い。小説だから、嘘っぱちだろうと思うなら大間違い。実によく取材できたと感心する内容です。事実は小説以上のすごいことになっていて、ポストを得るために長年艱難辛苦をたえたあげくに昇進させてもらえなかった恨みから、国立大学でも私立大学でも大学内で殺人事件が起きて、上司の教授が殺されています。殺人に及ばないまでも同種の恨みは全国の大学に多々あろうことがわかります。
シェークスピアの家紋のように、高々と槍を掲げたいけれど、「自由な槍、フリーランス」として働いてきた私の労働形態も、ついに槍をへし折られる日も近い。
次の働き口を探さなければいけないのだけれど、さてさて、一本槍振り回しながらの野垂れ死にも、それはそれで我が運命、、、、
企業に所属して自由にものも言えない勤労者として30年働けば、少ないながらも食べていくほどは厚生年金がもらえます。
フリーランス、自由な槍は、請負個人企業なので、年金はありません。ここに来て、自由な槍はぽっきりとへし折られます。
我が生涯、ことばの教育ひとすじ、言語教育一本槍。と、言うのはかっこいいけれど、折れやすい一本槍でした。刀折れ矢尽きて、槍はへし折られる、老残兵は足引きずりながら立ち去るのみ、、、、といきたいところですが、老残兵の物語はまだまだ終わりなく、だらだらと、、、、。
<つづく>