2014/01/14
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記1月(4)89歳の三婆
人間、一生ごきげんで元気でいられたらこんないいことないけれど、どうしたって、浮き沈みはあるし体調の好不調、波があるのは仕方がありません。ましてや我が家のような貧困家庭では、好調でいられる日のほうが数少ない。
体調よかったり気分上々の日が少なくて当然なのですが、1年のうちせめて正月小正月のうちくらいはにこにこしていたいと思って毎年過ごしてきました。それが、今年は正月そうそう気温と同じように気分が落ち込み、まあ、こんな年もあるさと思ったり、ここまで年をとってくれば、機嫌よく正月をすごせなくても当たり前とも思います。
例年、冬休みが終わって、仕事が始まる。朝寝坊ができなくなり、ああ、つらいつらい、冬の朝も早よから仕事に行かにゃならず、安い日雇い賃でこき使われる、と嘆き、暖かくなるまでぼやいてはきたのですが、今年は例年以上に我が身の卑小さケチ臭さ、しみったれたいじましさ、なんてものがしみじみと情けなく、嘆きつつひとりぬる夜の明くるまは、、、、あれれ、毎晩夜はバタンキューと3分で落ちる。そうか、朝寝坊できなくなるのでこんなにぐずっていたのね。
成人の日までの3連休、真ん中の12日は山種美術館に行って目の保養。招待券があったので。11日と13日は冬ごもり。一日家にいて、何をするでもなくボウ~とテレビを見てすごしました。
我が家、テレビを放映時間に直接ライブで見ることはほとんどなくなりました。ドラマとバラエティは録画してみます。ライブで見るのはスポーツ中継くらい。13日は、大相撲のラスト6番を観戦。
録画して見たドキュメンタリーのうち、1月12日放映の再放送『京の“いろ”ごよみ~染織家・志村ふくみの日々~』は、元日放映を録画できずに残念に思っていたので、再放送があってよかった。もうひとつの作品『天のしずく 辰巳芳子 “いのちのスープ』は、2012年11月12月に写真美術館に行ったとき上映していて、そのときは時間がなくて見ることができなかったので、1月13日の放映を録画しました。
志村さんは1924(大正13)年9月生まれの染織家。89歳。人間国宝(1990年)文化功労者(1993年)。2013年から染と織りを学ぶ「アルスシムラ」を設立し、後進の指導にあたっています。番組の中で「木苺の葉で染めてみよう。初めてよ」と、新しい草木染めに挑戦する姿がみずみずしく映されていました。89歳で、新しいことへの挑戦。草木染めの学校を設立したことも大きな挑戦でしょう。
辰巳芳子さんは1924(大正13)年12月生まれ。89歳。料理研究家としてテレビの料理番組でおなじみですが、お父さん病床に届け続けた「いのちのスープ」を全国の病院などに広め、自然たっぷりの滋養あるスープの普及を行っています。また、「大豆100粒運動」の活動によって、自分の食べるものを自分で育てることの大切さを子供たちに教えています。
治癒した今も長島愛生園で暮らしている元ハンセン氏病患者の方と話し合っているなか、「80歳すぎてから眺めると、世界はとてもちがう」と辰巳さんが語っていたのが印象深かったです。
そうよね、80歳すぎで見える景色は80歳過ぎなければわからない。
うちの姑、1925年2月の早生まれなので、志村さん辰巳さんと同学年です。お二人の偉大な女性とは異なり、銀行員の妻としてささやかな家庭で娘息子を育ててきた平凡な主婦でした。舅の死後、「お父さんといっしょに建てた家を守りたい」と、建て直しをひとりで手配しました。私は中国赴任中。夫は改築反対でまったくタッチせずというなか、改築を仕上げました。水回りが古くなったことや耐震の問題が解決できて、姑が安心して暮らせるようになりました。
新しくなった家で、2月に89歳を迎える今も一人で暮らしています。夫と娘が交代で「見守り」は続けていますが、週1回、ヘルパーさんに階段とおふろの掃除をしてもらう以外は、身の回りのことは自分でやっています。たいしたもんだと思います。
姑には姑の「80歳をすぎて見える」景色があるのでしょう。
衣の志村ふくみ、食の辰巳芳子、住の姑、3人の89歳を見ていて、まだまだひよっこの私、修行が足りぬと反省しました。
さて、明日からまた仕事です。とりあえず89歳まで生きてみよう。
<おわり>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記1月(4)89歳の三婆
人間、一生ごきげんで元気でいられたらこんないいことないけれど、どうしたって、浮き沈みはあるし体調の好不調、波があるのは仕方がありません。ましてや我が家のような貧困家庭では、好調でいられる日のほうが数少ない。
体調よかったり気分上々の日が少なくて当然なのですが、1年のうちせめて正月小正月のうちくらいはにこにこしていたいと思って毎年過ごしてきました。それが、今年は正月そうそう気温と同じように気分が落ち込み、まあ、こんな年もあるさと思ったり、ここまで年をとってくれば、機嫌よく正月をすごせなくても当たり前とも思います。
例年、冬休みが終わって、仕事が始まる。朝寝坊ができなくなり、ああ、つらいつらい、冬の朝も早よから仕事に行かにゃならず、安い日雇い賃でこき使われる、と嘆き、暖かくなるまでぼやいてはきたのですが、今年は例年以上に我が身の卑小さケチ臭さ、しみったれたいじましさ、なんてものがしみじみと情けなく、嘆きつつひとりぬる夜の明くるまは、、、、あれれ、毎晩夜はバタンキューと3分で落ちる。そうか、朝寝坊できなくなるのでこんなにぐずっていたのね。
成人の日までの3連休、真ん中の12日は山種美術館に行って目の保養。招待券があったので。11日と13日は冬ごもり。一日家にいて、何をするでもなくボウ~とテレビを見てすごしました。
我が家、テレビを放映時間に直接ライブで見ることはほとんどなくなりました。ドラマとバラエティは録画してみます。ライブで見るのはスポーツ中継くらい。13日は、大相撲のラスト6番を観戦。
録画して見たドキュメンタリーのうち、1月12日放映の再放送『京の“いろ”ごよみ~染織家・志村ふくみの日々~』は、元日放映を録画できずに残念に思っていたので、再放送があってよかった。もうひとつの作品『天のしずく 辰巳芳子 “いのちのスープ』は、2012年11月12月に写真美術館に行ったとき上映していて、そのときは時間がなくて見ることができなかったので、1月13日の放映を録画しました。
志村さんは1924(大正13)年9月生まれの染織家。89歳。人間国宝(1990年)文化功労者(1993年)。2013年から染と織りを学ぶ「アルスシムラ」を設立し、後進の指導にあたっています。番組の中で「木苺の葉で染めてみよう。初めてよ」と、新しい草木染めに挑戦する姿がみずみずしく映されていました。89歳で、新しいことへの挑戦。草木染めの学校を設立したことも大きな挑戦でしょう。
辰巳芳子さんは1924(大正13)年12月生まれ。89歳。料理研究家としてテレビの料理番組でおなじみですが、お父さん病床に届け続けた「いのちのスープ」を全国の病院などに広め、自然たっぷりの滋養あるスープの普及を行っています。また、「大豆100粒運動」の活動によって、自分の食べるものを自分で育てることの大切さを子供たちに教えています。
治癒した今も長島愛生園で暮らしている元ハンセン氏病患者の方と話し合っているなか、「80歳すぎてから眺めると、世界はとてもちがう」と辰巳さんが語っていたのが印象深かったです。
そうよね、80歳すぎで見える景色は80歳過ぎなければわからない。
うちの姑、1925年2月の早生まれなので、志村さん辰巳さんと同学年です。お二人の偉大な女性とは異なり、銀行員の妻としてささやかな家庭で娘息子を育ててきた平凡な主婦でした。舅の死後、「お父さんといっしょに建てた家を守りたい」と、建て直しをひとりで手配しました。私は中国赴任中。夫は改築反対でまったくタッチせずというなか、改築を仕上げました。水回りが古くなったことや耐震の問題が解決できて、姑が安心して暮らせるようになりました。
新しくなった家で、2月に89歳を迎える今も一人で暮らしています。夫と娘が交代で「見守り」は続けていますが、週1回、ヘルパーさんに階段とおふろの掃除をしてもらう以外は、身の回りのことは自分でやっています。たいしたもんだと思います。
姑には姑の「80歳をすぎて見える」景色があるのでしょう。
衣の志村ふくみ、食の辰巳芳子、住の姑、3人の89歳を見ていて、まだまだひよっこの私、修行が足りぬと反省しました。
さて、明日からまた仕事です。とりあえず89歳まで生きてみよう。
<おわり>