2014/01/19
ぽかぽか春庭@アート散歩>明治の館、大正のお屋敷、昭和の邸宅(4)新潟&山形の近代和風建築
建築用語として「近代和風住宅」という語が一般にも浸透したのは、そう古い時代ではありません。建築専門家でも、専門の論文などに使用するようになったのは、20年ほど前からだそうです。明治期から昭和戦前までのあいだに建てられた、近代工法も含む和式の建物を指すことばです。
建築に関心を持つようになったのが遅い私など、最初はあこがれの洋館にばかり目が行き、和館にはあまり魅力を感じなかったのです。和館ならもっと古い江戸時代の武家屋敷などのほうが見所があるのではないか、という気がしていて、近代和風住宅をそれほど熱心には見てきませんでした。
昭和時代には、まだまだ「古びた木造住宅」よりも、「有名建築家の設計によるピカピカのビル」のほうが地域のランドマークでした。戦前の建物など、単に「古びたお屋敷」としか見なかった人々にも保存の意義が理解され、保存運動が盛んになったのは、ここ四半世紀のことにすぎません。従来は、明治村などテーマパークに移築復元、一部再建という保存方法がほとんどでしたが、ようやく地元にそのまま保存しようというさまざまな動きが結集してきました。
地域の人々に「地元の文化財」として見直され、さらに地域おこしのひとつとして古建築の保存公開が図られるようになって、それほど日はたっていないのです。
建築史家による研究も、日本全国の建築物すべてを研究し尽くしたということでもないらしい。
最近「トリック新春スペシャル4」というテレビドラマの中に登場した旧家に見覚えがあったので、最後のクレジット撮影協力のところを注意して見ていたら「旧堀田家」と出ていました。さっそくネット検索。
佐倉市にある旧堀田家は、最後の佐倉藩主堀田正倫が明治時代に建てたお屋敷でした。
あれ、私は佐倉市の旧堀田邸を見に行ったことはないのに。同じような造りのお屋敷を見た気がしたのです。もしかして、同じ大工の棟梁が手がけた?あるいは弟子筋で同じような意匠になったか。
しかし、大工さんの名前などはなかなか記録されていないものらしく、堀田家を建てたのが大工棟梁西村市右衛門ということは紹介されていましたが、私がこの夏に見て歩いた和風建築の棟梁名などは見学先でもらったパンフレットなどを見ても書いてないのです。擬洋風建築の場合、公的な建物が多いので大工棟梁名は残っていることがほとんどでしたが。
江戸末期から明治期に一大発展を遂げた左官の漆喰鏝絵の系譜なども、創始者とされる伊豆の入江長八の名は残っていても、その弟子筋にあたるのか、地方の屋敷で鏝絵を残した左官の名はわからないことが多いのです。
職人にとって、作り上げたものが後世に残ればそれで満足であって、「名前なんざ残っても残らなくても同じこと」なのかもしれませんが。
一匹狼の大工が、腕ひとつを頼りに全国を飛び回り、各地に家を建ててゆき、名は残さない。そんなドラマがあったらおもしろいだろうなあ、なんて想像してしまいました。
この夏、新潟と山形、日本海側を旅しました。鶴岡市、酒田市、新潟市をめぐって、洋館、和館を見学しました。
(1) 山形県鶴岡市 旧風間家住宅「丙申堂」は。1896(明治29)年に竣工。風間銀行を設立した豪商の家です。風間家は、鶴岡城下で庄内藩の御用商人として呉服、太物を扱い、明治時代には銀行業に手を広げました。
風間家七代当主(幸右衛門)が、住居及び営業の拠点として建築し、1896年が丙申の年だったので、丙申堂と名付けられました。
屋根が独特で、杉皮葺の屋根一面に石を置いています。20万個もの石がのせられているそうで、石と石のあいだには苔が生えるなどするため、四半世紀に一度くらいの割合で屋根の葺き替えをするなど、建物の維持管理が続けられています。近年では、1981年、2005年に葺替えが実施されたので、次は2030年前後でしょう。
2013年8月に見学しました。
玄関
縁側
階段箪笥を上がった上には、大工部屋がありました。大工が常住して普請を続けていたとみえます。
天井のトラス構造
石屋根
庭園
(2) 2013年9月に訪問した新潟の豪商の齋藤家。
港町新潟は、中世から「新潟津」として物資輸送の拠点でした。明治になって外国へも開港されると商都としてますます発展し、大正時代にかけて、洋館の官庁や豪商たちの豪勢な住宅が立ち並びました。齋藤家は、そんな豪商のお屋敷のひとつです。齋藤家四代目の齋藤喜十郎(庫吉1864~1941)が1918(大正7)年に別邸として建て、2009年に新潟市が市有の文化財として整備しました。
木造二階建て、茶室と庭園が公開されています。
庭から見た齋藤家
座敷
庭
二階から見た庭
(3) 新潟市新津記念館和館は、新潟の石油事業で財をなした新津恒吉が、1928(昭和3)年に建てた住まいです。来客用には洋館を建て、現在は新津記念館として公開されています。和館は庭園のみの公開ですが、外観はみることができました。
<つづく>
ぽかぽか春庭@アート散歩>明治の館、大正のお屋敷、昭和の邸宅(4)新潟&山形の近代和風建築
建築用語として「近代和風住宅」という語が一般にも浸透したのは、そう古い時代ではありません。建築専門家でも、専門の論文などに使用するようになったのは、20年ほど前からだそうです。明治期から昭和戦前までのあいだに建てられた、近代工法も含む和式の建物を指すことばです。
建築に関心を持つようになったのが遅い私など、最初はあこがれの洋館にばかり目が行き、和館にはあまり魅力を感じなかったのです。和館ならもっと古い江戸時代の武家屋敷などのほうが見所があるのではないか、という気がしていて、近代和風住宅をそれほど熱心には見てきませんでした。
昭和時代には、まだまだ「古びた木造住宅」よりも、「有名建築家の設計によるピカピカのビル」のほうが地域のランドマークでした。戦前の建物など、単に「古びたお屋敷」としか見なかった人々にも保存の意義が理解され、保存運動が盛んになったのは、ここ四半世紀のことにすぎません。従来は、明治村などテーマパークに移築復元、一部再建という保存方法がほとんどでしたが、ようやく地元にそのまま保存しようというさまざまな動きが結集してきました。
地域の人々に「地元の文化財」として見直され、さらに地域おこしのひとつとして古建築の保存公開が図られるようになって、それほど日はたっていないのです。
建築史家による研究も、日本全国の建築物すべてを研究し尽くしたということでもないらしい。
最近「トリック新春スペシャル4」というテレビドラマの中に登場した旧家に見覚えがあったので、最後のクレジット撮影協力のところを注意して見ていたら「旧堀田家」と出ていました。さっそくネット検索。
佐倉市にある旧堀田家は、最後の佐倉藩主堀田正倫が明治時代に建てたお屋敷でした。
あれ、私は佐倉市の旧堀田邸を見に行ったことはないのに。同じような造りのお屋敷を見た気がしたのです。もしかして、同じ大工の棟梁が手がけた?あるいは弟子筋で同じような意匠になったか。
しかし、大工さんの名前などはなかなか記録されていないものらしく、堀田家を建てたのが大工棟梁西村市右衛門ということは紹介されていましたが、私がこの夏に見て歩いた和風建築の棟梁名などは見学先でもらったパンフレットなどを見ても書いてないのです。擬洋風建築の場合、公的な建物が多いので大工棟梁名は残っていることがほとんどでしたが。
江戸末期から明治期に一大発展を遂げた左官の漆喰鏝絵の系譜なども、創始者とされる伊豆の入江長八の名は残っていても、その弟子筋にあたるのか、地方の屋敷で鏝絵を残した左官の名はわからないことが多いのです。
職人にとって、作り上げたものが後世に残ればそれで満足であって、「名前なんざ残っても残らなくても同じこと」なのかもしれませんが。
一匹狼の大工が、腕ひとつを頼りに全国を飛び回り、各地に家を建ててゆき、名は残さない。そんなドラマがあったらおもしろいだろうなあ、なんて想像してしまいました。
この夏、新潟と山形、日本海側を旅しました。鶴岡市、酒田市、新潟市をめぐって、洋館、和館を見学しました。
(1) 山形県鶴岡市 旧風間家住宅「丙申堂」は。1896(明治29)年に竣工。風間銀行を設立した豪商の家です。風間家は、鶴岡城下で庄内藩の御用商人として呉服、太物を扱い、明治時代には銀行業に手を広げました。
風間家七代当主(幸右衛門)が、住居及び営業の拠点として建築し、1896年が丙申の年だったので、丙申堂と名付けられました。
屋根が独特で、杉皮葺の屋根一面に石を置いています。20万個もの石がのせられているそうで、石と石のあいだには苔が生えるなどするため、四半世紀に一度くらいの割合で屋根の葺き替えをするなど、建物の維持管理が続けられています。近年では、1981年、2005年に葺替えが実施されたので、次は2030年前後でしょう。
2013年8月に見学しました。
玄関
縁側
階段箪笥を上がった上には、大工部屋がありました。大工が常住して普請を続けていたとみえます。
天井のトラス構造
石屋根
庭園
(2) 2013年9月に訪問した新潟の豪商の齋藤家。
港町新潟は、中世から「新潟津」として物資輸送の拠点でした。明治になって外国へも開港されると商都としてますます発展し、大正時代にかけて、洋館の官庁や豪商たちの豪勢な住宅が立ち並びました。齋藤家は、そんな豪商のお屋敷のひとつです。齋藤家四代目の齋藤喜十郎(庫吉1864~1941)が1918(大正7)年に別邸として建て、2009年に新潟市が市有の文化財として整備しました。
木造二階建て、茶室と庭園が公開されています。
庭から見た齋藤家
座敷
庭
二階から見た庭
(3) 新潟市新津記念館和館は、新潟の石油事業で財をなした新津恒吉が、1928(昭和3)年に建てた住まいです。来客用には洋館を建て、現在は新津記念館として公開されています。和館は庭園のみの公開ですが、外観はみることができました。
<つづく>