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ぽかぽか春庭「旧福本貞喜邸 in 江戸東京博物館」

2014-02-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/02/08
ぽかぽか春庭@アート散歩>明治の館、大正のお屋敷、昭和の邸宅(14)旧福本邸、江戸東京博物館

 東京に保存された個人住宅の紹介、つづきです。
 ひとつは、博物館の建物の中にすっぽりと収まって復元された旧福本邸。
 もとの所有者は、福本貞喜。福本は、山下新日本汽船の役員だった人です。(1917年の山下合名会社設立のときは、副支配人、のち専務)

 東京五反田に建っていた旧福本邸は、江戸東京博物館の東京ゾーン「モダン都市東京」の展示の一つとして博物館の館内に一部復元され、解体をまぬがれその姿をとどめました。
 復元された木造の近代住宅、外見はハーフティンバー(半木骨造り)風ですが、それほど目を引く外観でもなく、「モダン東京」の代表的住宅だと解説を読んでも「ああ、こういうのが、モダンだったのね」と、思うくらい。多くの見学者はさっと、家のなかを覗いて、写真を一枚パチリ、それでおしまし。

 武蔵小金井公園にある分園の江戸東京たてもの園は、たてものがメインの展示ですから、建築好きの見学者も多いですが、江戸東京博物館は、歴史好きの人と「東京観光のついで」の人が多いので、建物には特に興味を示さない人もいます。

 一般の個人住宅とはいっても、福本貞喜は、山下新日本汽船の専務でしたから、東京の中でもお金持ちの家、と言えるでしょう。でも、外観はほんとにそんな「お屋敷風」でもなく、「一部のみ復元」のせいもあるけれど、こじんまりした印象を受けました。



 旧福本邸は、建築家大熊喜英(おおくまよしひで1905-1984)のデビュー作(1937)です。大熊は、大熊喜邦の息子。父の喜邦1877-1925)は、国会議事堂建設の統括者でしたから、良英も父と同じ建築家の道を歩んだものとみえます。喜英は、今和次郎の弟子として、全国各地の民家を研究し、モダン都市東京にふさわしい住宅を数多く手がけました。

 よく「デビュー作は、一生の作品の原点」と言われますが、福本邸も大熊らしさがよく表現されているのだそうです。むろん、これは受け売りで、私は大熊の他の作品を見ていないので、「大熊らしさ」は、この福本邸を見て想像するしかありません。
 解体されて消滅してしまうよりはずっとよかったと思うものの、博物館の空間の中に押し込められた邸宅は、もともと個人住宅だったとはいっても、外観はなんだか縮こまっているようで、私には「大熊らしさ」のいいところがどこなのか、外観からはあまりわかりませんでした。

 当時のモダンな家の多くがそうであったように、和洋折衷で、和室と洋間が並んでいます。

和室

 洋間の内部は、モダン!と思えるすてきな空間を作っています。昭和後期にはこんなふうな「名曲喫茶」みたいな店があったなあ、みんなこういう空間に憧れていた時期だったのだなあと思います。
 山小屋風のロフト付きの居間です。



 家の所有者福本貞喜が山下汽船専務であったと知ると、なにがなし、ご縁があったのかも、という気がします。私は、1972年ごろ、半年間だけ山下新日本汽船の「英文タイピスト」として働いたことがあるからです。

 毎日「Dear Captain」で始まる英文レターをタイプし、船長あてに「シンガポールでの荷あげは、延期になった」とか、「香港で○○を積込め」などの指示書を書いていました。書くといっても、新米の仕事は、雛形に従って、もとのレターの数字や荷物の名を書き換えるぐらい。でも、このころにタッチタイピングを身につけたおかげで、いまワープロ打つのが、人の会話のスピードでできる。

 そのころ、会社は皇居お濠端のパレスサイドビルの最上階にあり、皇居の景色を毎日見てすごしました。私がいま、近代美術館の4階休憩室で休むのが好きなのは、このお濠端のビルからの眺めを思い出すっていう理由もあります。

 英文タイピストとして働いていたころ、専務なんて雲の上の人であり、むろん顔も知らない人でした。と、いっても、私が働いていた頃は、福本専務は何らかの事業不審の責任をとって、とっくの昔に辞任していたらしいですが。
 福本貞喜さん、こんなモダンな居間で家族とすごしたなんて、きっと「モダン紳士」として暮らしていたんでしょうね。1937年の新築から福本一家が50年をすごした家、今は博物館のなかで人々に見つめられて、「モダン都市トーキョー」の姿を示しています。

 1952年、我が家の父は、借金をしてようやく「ささやかなマイホーム」を建てました。畳の和室、縁側、納戸という家。娘3人は「こういう和風の家じゃなくて、暖炉のある洋間の居間で暮らしたかった」なんて文句ブーブーたれながらこたつに集まっていました。
 あこがれのロフトも暖炉もない家で、暖房といえばこたつと石油ストーブだけ、という居間でしたが、両親、三姉妹、犬のコロと猫のクリ、寄り集まってあったかく過ごせた子供時代を思い出すにつれ、今は亡い父母姉の顔が思い浮かびます。

 福本さんのご家族も、ときには博物館に顔を出して、過ぎ去った日々を思い返すことがあるのでしょうね。

<つづく>
コメント (2)
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