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ぽかぽか春庭「光の春と霾ふる日」

2014-02-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/02/04
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>早春賦-春の言葉集め(3)光の春と霾ふる日

 立春です。如月、早春、春めく、春寒などを並べると、春の初めの二月を感じさせてくれます。今日の課題は「歳時記に載っていない季節のことばを集める」です。

 古くからあった季節のことばを集めたもののなかで、江戸時代なかばには、俳句のための歳時記がまとめられて普及しました。
 その後、時代に合わせ社会に合わせて歳時記搭載のことばの変化しました。江戸時代には「卒業式」も「入学式」もなかったけれど、明治期以後は春の季語として定着しました。9月入学が論議されている昨今ですが、さて、「入学式」が秋の季語に変わるのかしら。

 最近出た新しい編集の季語集には春の季語としてバレンタインデーなども載っているそうです。クリスマスは冬の季語として定着したのですが、さて、ハロウイーンなどは日本の季節に定着するでしょうか。

 季節を感じる人の感性は、十人十色。「このことばは、私にとって春を感じさせる」というオリジナル季語を編むのも楽しい遊びです。
 まず、季節の分け方ですが、気象庁が「3,4,5月」が春、「6,7,8月」が夏、「9,10,11月」が秋、「12,1,2月」が冬、とおおまかに分けたことに従っておきましょう。地方によっては、冬は「11,12,1,2,月」で夏は「7,8月」というところもあるでしょうけれど。
 また、2013年のように、10月11日には、日中の気温30度の夏日を記録したのに、11月11日には木枯らし1号が吹くという年もありましたが、便宜的に3ヶ月ごとに季節が移るとして。

 新しい「季節を感じることば」集め。
 江戸時代の歳時記では「西瓜」は秋の季語ですが、現代感覚では夏の季語として感じます。
 食べ物だと「桜餅」「蕗味噌」など、いかにも春というのがありますね。お酒でも「白酒」は春の季語だし、生ビールなら夏。「ボージョレヌーボー」なんていう新しいことば、秋を感じる言葉として定着したでしょうか。

 衣服だと、ミュールを夏の季語にしているという若い女性のネット句会の記事を見たことがあります。ほかにもタンクトップとかホットパンツなんていうのも夏でしょうね。ファッション用語はすぐに変化するので季語としては定着しにくいですが。

 冬の衣類で新しいことばだと「ダウンコート」「ヒートテック」なんていうユニクロにはめられたようなことばしか思い浮かびません。
・ダウンコート脱いで洋館見物に(春庭)
と、詠んでも、春めいた日なのか、小春日和なのかわかりにくい。

・花柄のワンピース着てショパン弾く(春庭)
春庭の即興句も、いまいち「ずばり春」ではないですね。
 
 今は何をどんな季節に着てもいい時代なので、春袷とか花衣というような従来の季語のほかに衣服で春を表す語が見つけにくいです。

 芭蕉忌は冬、利休忌は春の季語として歳時記に載っていますが、現代社会で芭蕉忌が冬の季語(旧暦の十月。太陽暦では11月28日)とすぐにわかる人も少ないのでは。利休は旧暦二月(太陽暦では4月21日)に亡くなったという知識がないと、言葉から季節を感じるのもむずかしい。
 新しい忌日としては、桜桃忌(太宰治忌日)や菜の花忌(司馬遼太郎命日)が、ぴったり季節を表したネーミングなので季語としてもいいんじゃないかと思います。

 季節のことばが入っていないと、たとえば、映画人にとって黒澤忌が大事な日であっても、一般人にはそれが9月の出来事だとすぐにはわからず、秋の季語にしにくいです。
 私的季語では、4月10日の姉の命日を「花吹雪忌」と名づけています。今年は13回忌です。

 従来の歳時記に載っていない語のうち、冬の季語に入れた,らいいのか春に入れたら,いいのか迷うのが「光の春」です。「春隣」は冬の季語ですが、「光の春」は、私には2月の早春です。

 どんなに寒さが残っていても、空はいちはやく春の到来を感じ取り、真冬の空の光とは異なっている、温度より先に「光」に季節の変化を感じ取る。
 ロシア語の「весна светаベスナー・スベータ」を知った倉嶋厚さんが、気象用語として「光の春」と翻訳なさった、という話を何度か書きました。私の大好きな「新しい季節のことば」です。
 従来の季語「風光る」よりも、もっと春らしい感じがします。

 ほかに、春を感じさせることば、それぞれあることでしょう。
 俳人、坪内稔典(つぼうちとしのり)さんは、新しい季語として「レタス」を春に入れています。1年中ハウス栽培のものを食べ続けたせいで、露地物のしゃきっとみずみずしいレタスに縁遠くなってしまい、レタスの旬が春という感覚がなくなていました。

 夏の季語として「リラ冷え」、これはいいなあ。賛成。梅雨のない北海道で、リラ(ライラック)が咲く時期に、冷え込む日もあります。それをリラ冷えとしゃれて言ったのが、内地にも広まりました。

万緑(ばんりょく)の中や吾子の歯生え初むる(中村草田男)
と、草田男が詠んで以来、「万緑」は夏の季語として定着しました。
 松尾芭蕉は「季節の一つも探り出したらんは、後世によき賜(たまもの)となり」(『去来抄』)と述べました。自分なりに季節を感じて、ことばを取り出せたら、俳聖も喜んでくれるでしょう。

 春は黄砂の季節でもあります。「霾風ばいふう」「霾天」は黄砂のことを言い、訓読みでは「霾ふる(つちふる)」ということを「はじめて知った」と書いたことを思い出します。(検索してみると2008/05/19に書いたとわかりました)
 
 新しい語も知らなかった古い語も、大切な言語文化のひとつ。
 新聞に若い世代には「縁側」が通じなくなった、と出ていました。私も昨年の「日本語学」の授業で「キセル」を見たことのある人がいるか挙手させたところ、皆無でした。それでも「キセルというのは、お金をごまかすときに使うんじゃないか」と発言した学生がいたので、煙管は廃れて死語になっても、「キセル乗車」はかろうじて「瀕死語」くらいなのだとわかりました。

 話し言葉は世につれ人につれ。季語も社会の変化に従いますが、縁側もキセルもそれを知って育った世代にとっては、消えて欲しくないことばです。郷愁にすぎないのでしょうか。

・昔語りの春の縁側夕暮る(春庭)
・煙草王の建てし洋館霾ふる日(春庭)
・レタス食み行楽プランはまだ成らず(春庭)

<おわり>

コメント (2)
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