2014/02/26
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記2月光の春(8)学習院地学標本室見学
2月23日、学習院見学会に参加しました。
娘息子が化石掘りツアーに参加するため入会した「地学ハイキング(地ハイ)」の2014年最初の例会が、「学習院地学標本室見学」でした。私は、子供たちが「化石掘りツアー」から卒業してしまったあとも、「地ハイ」にひとり参加しています。
「学習院中高等科地学教諭にして地学研究会顧問」であった先生、教諭定年退職のあとも嘱託非常勤講師として生徒の指導にあたってこられたのですが、この3月に嘱託職からも引退されるというので、最後に地学標本室を見せてくださることになったのです。
地ハイを主催している地学研究会の先生たち、それぞれが自分の分野の研究をこつこつと続けている、という人たちで、私の好きな「もうかりもしないことをこつこつと」という人々が集まっています。
2009年のI先生の発表論文タイトルは、「ドイツジュラ系産ヒトデ・クモヒトデ類の生痕化石ー現生ヒトデ・クモヒトデ類の行動との比較」
そんな立派な研究をしている先生が、23日の地ハイ例会では、お弁当タイムにおしるこをふるまってくださり、「おはし、無い方いませんか」などとお世話してくださるのです。おしるこ、おいしゅうございました。
地学講義室実験室は校舎の5階ですが、標本室は地下1階。乃木希典院長以来の「質実剛健」を旨とする校風ゆえか、エレベーターは中高等科校舎にひとつしかありません。生徒は日頃は5階の地学教室まで階段を使って上り下りしているのでしょう。「お元気な方はどうぞ階段で」という説明があったけれど、やわな私はむろんエレベーター利用です。おしるこ食べた分しっかりと階段上り下りする気になればやせるのでしょうが、そういう気にならないので、おしるこ分はすべて体に蓄えました。
地階の標本室には、明治時代の学習院開校以来の収集標本が保存されています。ここが貴重なのは、よその新しい博物館と異なり、100年前に購入したり寄贈されたりした古い標本が残されていることだそうです。
「デーナ氏岩石標本」というタイトルの棚。

明治の帝室博物館が国立博物館に変わるとき、歴史や美術専門の博物館に組織替えされ、それまでに収集された科学関連の標本などは、ほとんどが東京科学博物館へ。一部が東京大学理学部と学習院に分納されました。
学習院にも収納されたのは、よその国から皇室への寄贈品などがあったからではないかと想像しています。
現在、東京大学の標本は、東大総合博物館などで見ることができますし、科博の標本もさまざまな方法で展示されていると思うのですが、学習院標本室に入ったものは、地下1階にひっそり収蔵されているままです。学習院の生徒しか見ないのでは、もったいない気がします。
古い標本箱

標本室の入口には、この標本類のなかで、キウイ剥製と肺魚剥製が貴重なものである、という説明書きがありました。
ニュージーランドの飛べない鳥、キウイの剥製標本がありました。キウイという鳥の餌になるのでキウイフルーツと名付けられた緑色の果物。私が子供の頃果物屋で見たことなかったですが、今では日常の食生活になじみになりました。フルーツほどなじみはないものの、キウイのほうはニュージーランドに行くか動物園に行けば生きた鳥を見ることはできます。私はNHKの番組「ダーウィンがきた」で、ちょうどキウイの生態記録を見たところだったので、キウイの姿をすぐ目の前に見ることができて、よかったです。
学習院標本室に保存されている剥製は100年も前のものですから、専門家が見れば、現在の鳥と比較して何らかの知見が得られることもあるのではないかと思います。
2月22日に東京科博で恐竜展のあと、出口へ回るついでに、ミニ企画展「ダーウィンフィンチ」展を見ました。
このミニ企画展では、アメリカの自然史博物館から借用している14種のフィンチの剥製が展示されていました。ダーウィンが進化論を思いついた各島ごとに別々の発達を遂げた小鳥フィンチが、今もなお少しずつ島ごとに変化していることがわかるのだそうです。14種のフィンチそれぞれの嘴や羽の違いがわかるように展示されていて、専門家が見ればきっといろいろな発見があるのでしょう。
ガラパゴス諸島から動植物を持ち出すことは禁じられているため、たいへん貴重な剥製であり、展示期間が終わったら、アメリカに返却されます。科博は、剥製をもとにバードカービング(木製の鳥彫刻)でフィンチの姿を残して展示するのだそうです。
100年前のキウイ剥製が日本に保存されているという事実、動物学者なら知っているのかもしれませんが、とにかく私ははじめて見ました。将来の研究に生かしていければいいのに、と思います。秋篠宮は家禽にわとりの研究で博士号を得ていますから、きっとこのキウイのこともご存知だったでしょうけれど。
帝室博物館から学習院に移譲された標本のひとつ。中生代クスの植物化石と大楢の化石。「明治37年購入75銭」と値段がかき入れらています。

東京大学の理学系の実験室などで埃をかぶってほったらかされていた古い実験道具や標本が「驚異の部屋」というタイトルで立派な博物館展示に蘇りました。
学習院も一般の人も見ることができるような設備を儲けて、標本類などを整理展示してくれたらいいのになあと思います。棚の中、古い天秤量に「ハイキ」とマジックで書かれ、ほこりにまみれていました。こんな道具も整理整頓して、明治時代の顕微鏡などとともに展示してあれば、立派な博物学の道具展示です。

後ろの木箱には明治時代の顕微鏡が収蔵されています。手前の天秤量には「ハイキ」と記されています。

こちらの道具には、寄贈者の名が記されているので、ハイキされることはないでしょう。今上天皇が中学卒業記念に学年記念品として寄贈したものです。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記2月光の春(8)学習院地学標本室見学
2月23日、学習院見学会に参加しました。
娘息子が化石掘りツアーに参加するため入会した「地学ハイキング(地ハイ)」の2014年最初の例会が、「学習院地学標本室見学」でした。私は、子供たちが「化石掘りツアー」から卒業してしまったあとも、「地ハイ」にひとり参加しています。
「学習院中高等科地学教諭にして地学研究会顧問」であった先生、教諭定年退職のあとも嘱託非常勤講師として生徒の指導にあたってこられたのですが、この3月に嘱託職からも引退されるというので、最後に地学標本室を見せてくださることになったのです。
地ハイを主催している地学研究会の先生たち、それぞれが自分の分野の研究をこつこつと続けている、という人たちで、私の好きな「もうかりもしないことをこつこつと」という人々が集まっています。
2009年のI先生の発表論文タイトルは、「ドイツジュラ系産ヒトデ・クモヒトデ類の生痕化石ー現生ヒトデ・クモヒトデ類の行動との比較」
そんな立派な研究をしている先生が、23日の地ハイ例会では、お弁当タイムにおしるこをふるまってくださり、「おはし、無い方いませんか」などとお世話してくださるのです。おしるこ、おいしゅうございました。
地学講義室実験室は校舎の5階ですが、標本室は地下1階。乃木希典院長以来の「質実剛健」を旨とする校風ゆえか、エレベーターは中高等科校舎にひとつしかありません。生徒は日頃は5階の地学教室まで階段を使って上り下りしているのでしょう。「お元気な方はどうぞ階段で」という説明があったけれど、やわな私はむろんエレベーター利用です。おしるこ食べた分しっかりと階段上り下りする気になればやせるのでしょうが、そういう気にならないので、おしるこ分はすべて体に蓄えました。
地階の標本室には、明治時代の学習院開校以来の収集標本が保存されています。ここが貴重なのは、よその新しい博物館と異なり、100年前に購入したり寄贈されたりした古い標本が残されていることだそうです。
「デーナ氏岩石標本」というタイトルの棚。

明治の帝室博物館が国立博物館に変わるとき、歴史や美術専門の博物館に組織替えされ、それまでに収集された科学関連の標本などは、ほとんどが東京科学博物館へ。一部が東京大学理学部と学習院に分納されました。
学習院にも収納されたのは、よその国から皇室への寄贈品などがあったからではないかと想像しています。
現在、東京大学の標本は、東大総合博物館などで見ることができますし、科博の標本もさまざまな方法で展示されていると思うのですが、学習院標本室に入ったものは、地下1階にひっそり収蔵されているままです。学習院の生徒しか見ないのでは、もったいない気がします。
古い標本箱

標本室の入口には、この標本類のなかで、キウイ剥製と肺魚剥製が貴重なものである、という説明書きがありました。
ニュージーランドの飛べない鳥、キウイの剥製標本がありました。キウイという鳥の餌になるのでキウイフルーツと名付けられた緑色の果物。私が子供の頃果物屋で見たことなかったですが、今では日常の食生活になじみになりました。フルーツほどなじみはないものの、キウイのほうはニュージーランドに行くか動物園に行けば生きた鳥を見ることはできます。私はNHKの番組「ダーウィンがきた」で、ちょうどキウイの生態記録を見たところだったので、キウイの姿をすぐ目の前に見ることができて、よかったです。
学習院標本室に保存されている剥製は100年も前のものですから、専門家が見れば、現在の鳥と比較して何らかの知見が得られることもあるのではないかと思います。
2月22日に東京科博で恐竜展のあと、出口へ回るついでに、ミニ企画展「ダーウィンフィンチ」展を見ました。
このミニ企画展では、アメリカの自然史博物館から借用している14種のフィンチの剥製が展示されていました。ダーウィンが進化論を思いついた各島ごとに別々の発達を遂げた小鳥フィンチが、今もなお少しずつ島ごとに変化していることがわかるのだそうです。14種のフィンチそれぞれの嘴や羽の違いがわかるように展示されていて、専門家が見ればきっといろいろな発見があるのでしょう。
ガラパゴス諸島から動植物を持ち出すことは禁じられているため、たいへん貴重な剥製であり、展示期間が終わったら、アメリカに返却されます。科博は、剥製をもとにバードカービング(木製の鳥彫刻)でフィンチの姿を残して展示するのだそうです。
100年前のキウイ剥製が日本に保存されているという事実、動物学者なら知っているのかもしれませんが、とにかく私ははじめて見ました。将来の研究に生かしていければいいのに、と思います。秋篠宮は家禽にわとりの研究で博士号を得ていますから、きっとこのキウイのこともご存知だったでしょうけれど。
帝室博物館から学習院に移譲された標本のひとつ。中生代クスの植物化石と大楢の化石。「明治37年購入75銭」と値段がかき入れらています。

東京大学の理学系の実験室などで埃をかぶってほったらかされていた古い実験道具や標本が「驚異の部屋」というタイトルで立派な博物館展示に蘇りました。
学習院も一般の人も見ることができるような設備を儲けて、標本類などを整理展示してくれたらいいのになあと思います。棚の中、古い天秤量に「ハイキ」とマジックで書かれ、ほこりにまみれていました。こんな道具も整理整頓して、明治時代の顕微鏡などとともに展示してあれば、立派な博物学の道具展示です。

後ろの木箱には明治時代の顕微鏡が収蔵されています。手前の天秤量には「ハイキ」と記されています。

こちらの道具には、寄贈者の名が記されているので、ハイキされることはないでしょう。今上天皇が中学卒業記念に学年記念品として寄贈したものです。
<つづく>