
2014/02/25
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記2月光の春(7)恐竜展2014in科博
東京では、毎年何らかの恐竜展が開催されます。幕張メッセが会場だったり、科学博物館だったりしますが、週末にはちびっこよい子の恐竜ファンが押し寄せて、どの恐竜博も大賑わいになります。こんなに恐竜大好きな子供がいる国ってほかにもあるのかしら、って思います。
今回の東京科博の「大恐竜展」。行こうかやめておこうかギリギリまで迷っていましたが、ついに会期終了前日になって「うん、やっぱり見ておこう」ということになりました。迷っていた原因は、招待券が手に入らず、大人1500円の入場料金は高いなあと感じていたからです。
娘と息子は、小学生のころから毎年「化石掘りツアー」に参加して、貝化石などを掘り出す体験をしてきました。それも「いつか恐竜の化石を掘りに行きたい」というのが娘の夢だったからです。娘は地学や古生物学を専攻したいところなのに、物理や化学が苦手で入試突破は無理とわかって、自然地理学専攻に変え「神津島の黒曜石分布」調査を卒論にしました。地理学にも地学にも縁遠くなった今も、恐竜大好きは変わりありません。
今年の科博恐竜博は、「大恐竜展-ゴビ砂漠の驚異」というタイトルです。世界の恐竜発掘史の中でも、保存状態のいい、価値ある化石がつぎつぎに見つかったモンゴルのゴビ砂漠での発掘成果を中心に展示されていました。

ゴビ砂漠の発掘成果を最初に世界にアピールしたのは、アメリカのアンドリュース調査隊です。アンドリュースたちは、1922年から1930年にかけてゴビ漠を探索し、砂漠の岩と砂の中から、数々の恐竜化石や恐竜の卵化石を発掘しました。
ロイ・チャップマン・アンドリュース(Roy Chapman Andrews、1884 - 1960)は、インディ・ジョーンズのモデルの一人として知られた、アメリカ自然史博物館の館長だった古生物学者です。
今回の恐竜博の一番最初の展示は、アンドリュースの使用した「探検用品」でした。
アンドリュースのあと、モンゴルの地質学者、日本の古生物学者、さまざまな調査隊が砂漠に入り、貴重な発見を続けました。
他種の巣穴に入って卵を盗んでいた、として「卵どろぼう=オビラプトル」と名付けられてしまった恐竜、実は自分の巣穴で自分の卵を温めていたのだ、などの新発見も相次ぎ、恐竜ファンにとっては、目が離せないゴビ砂漠。
大型植物食恐竜「サウロロフス」の全身骨格、アジア最大の肉食恐竜「タルボサウルス」全身骨格と、タルボサウルスの子どもの頭骨など、「本物!」がずらりと展示されています。
レプリカが少なくて、90%が実物化石、というのが、今回の展示のウリになっているのですが、ガラスケースの中の実物を眺める感激もいいけれど、レプリカによってもっと身近に「わあ、でかい!」というのを実感させるのも、子供にとってはいいんじゃないかしら。
私、子供が見学する展示を別仕立てにして、レプリカ展示でいいから、子供がさわれるようにしてほしい、という意見です。「恐竜の化石にさわろう」というコーナーもあったのですが、子供コーナーに全身骨格のレプリカを展示し、触らせてやったらいいと思うのです。

大人の恐竜ファンにとって、学術的に有意義なのは、ホロタイプの展示です。発見された新しい化石がどの種に属するのか、ということを決定する基となる「ホロタイプ標本」が約10点展示されていました。
どこかで新しい化石の骨が見つかったとき、このホロタイプと比較することで、これまでに見つかった種に属するのか、それともそれらとは別の新しい種類の恐竜であるのかがわかるのだそうです。
以前読んでおもしろかった巽孝之『恐竜のアメリカ』。
なぜ恐竜に惹かれるのか。『ジュラシックパーク』など、恐竜が登場する作品がつぎつぎに生み出されてくるのはなぜか、ということを考察していました。
巽の考察では「かつて地球を席巻した巨大生物を圧倒したのは人類である。人類は、自分の生存圏を拡大して現在の繁栄に至った、というアメリカの「We are the champions」的な開拓者精神、征服者的冒険精神の延長上に、アメリカにおける恐竜人気がある、としています。
私は、日本の恐竜人気は巽の考えとは異なる面もあるのではないか、と思うことがあります。
圧倒的な自然の力を確認する喜び、みたいな。草木虫魚に魂が宿り山川草木が神である日本の自然であるならば、恐竜は人間にとって圧倒的な自然力の象徴とも受け取れるのではないか。6000万年まで大繁栄を謳歌していた恐竜がいっせいに滅んだ原因が、たった1個の「地球に激突した巨大隕石」であるのなら、人類の力なんてほんとうにちっぽけなもの。そもそも人間が地球の王者のような顔をするのさえおこがましい。
もっともっと謙虚に、地球の自然を畏敬し、地球の片隅で生かしてもらうために、恐竜の巨大な姿をながめて、「わあ、大きい」と感嘆することが、我々に必要なのです。
今、思いついたのですが。
正月に獅子舞を見たあと、獅子の口で噛んでもらう風習があります。人の邪気を払い、ご利益を得るという意味があるという。わあわあ泣き叫ぶ幼い子供を獅子の前に押し出して、獅子の大きなくちで噛んでもらい「獅子の強さを注入してもらったこの子は、今年1年丈夫に育つ」と考える、あの信仰。あれって、私が「巨大な恐竜の前で人間の小ささを確認する」というのと通じているなあと思うのです。
恐竜が滅んでから6000万年の間に、王者の足元でちょろちょろと逃げ回っていた哺乳類の中からホモサピエンスが誕生し、600万年の間に、地球を痛めつける力を持つまでに脳が巨大化しました。人類にとって「たった1個の巨大隕石」はなんでしょうか。願わくは、この隕石を自ら呼び寄せることのないように。

人間の力の限界まで生身のからだで挑戦するスポーツ選手にも、過去の地球の姿を明らかにすべく、砂漠でこつこつと発掘を続ける学者にも、私はただただ敬服いたします。
恐竜をみれば、ただただ「わあ、大きい」と見上げているだけの恐竜ファンにすぎないですけれど、人類は地球を守っていける大きさを獲得しているのだと、信じています。
放射能垂れ流しのまま、利益優先させている人たちへ。地球を壊さないでほしい。
<つづく>