20140803
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索キーワード(1)アッパッパ
私が、よく検索をするのは、「ぽかぽか春庭 ○○」というアンド検索です。なぜなら、自分がその話題について過去ログに書いたことがあるのかどうか、知りたいとき、とても便利だからです。
今回、「アッパッパ」について書きたいと思って、まてよ、ずいぶん前にアッパッパの語源について書いたことがあった気がする、と検索をかけました。「ぽかぽか春庭 アッパッパ」という検索で出てきたのは、7月に書いた「人形愛」シリーズで、私が人形にアッパッパを作ってやった、という文章だけでした。そうか、まだ、アッパッパの語源について書いたことはなかったのだ、とわかりました。で、今回書きます。どうも年をとると同じことを繰り返して述べるようになってくるので、こうして検索をかけておけば、過去ログで書いたことがあるかどうか確認できます。
まあ、読んでいるほうだって、昔読んだことなんて忘れているのだから、何度同じことを読んでも、新鮮な気分でよめるんですけれどね。少なくとも私は、何度同じのを読んでも楽しめます。
私は年寄りが繰り返し同じ昔語りをすること、とてもいいことだと思っているのです。私も、姑の昔話を何度でも聞きます。このコラムでは、できるだけ異なる話題で日本語についてメモしておきたい、という方針だ、というだけです。
ことばのあれこれについて新しく知ることは、私にとって趣味でもあり商売道具のおまじないでもあります。日本語学や日本語教授法を講義する上で、ことばについて、どんなことでも知っておきたい。
学生時代には「日本語学研究者は、語源学と教え子に手を出したら、身の破滅」と戒めを受けてきたので、語源探索については研究対象としたことはありませんでしたが、単なる好奇心の対象としては語源を知ることはとてもおもしろいものです。
さて、アッパッパについて、一般に流布している語源でをチェック。
コトバンク世界大百科事典 第2版に掲載されている一説では。。
http://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%91
「語源は裾がパッとひろがるという大阪言葉に由来する。」
ウィキペディアには
「歩くと裾がパッパと広がることから付いたという説がある。元は近畿地方での俗語である」「マザーハバードドレス(ハバード母さんドレス)のハバード(Hubbard)が訛ったものとの説もある」と、両説並記。
しかし、別の説があります。ウィキペディアのアッパッパにも「up a parts」という語がかかれています。出典がはっきりしないので、確かなことがいえないのですが「図書(岩波)」とか「UP(東京大学出版会)」のどちらかの出版広報冊子で読んだエッセイの中に出てきたのだと思います。
「アッパッパは、Up a partsが語源」と書いてあったのを記憶しています。これを読んで、「裾がパッパと広がるからアッパッパ」という語源説に納得できなかったのが、一気に「長年の疑問氷解。なるほど」という気分になりました。
ただし、ひとつながりの洋服がワンピース、スカートと上着が分かれている洋服がツーピースというファッション用語に比べると、上から下までズドンとしたワンピースである衣服を、どうしてUp a parts、というのか、についての解説を見たことがありません。なぜ、この形をUp a partsと呼ぶのか、西欧のファッション用語でも、ある一定の時期Up a partsという用語が使われていたのか、調べるには膨大な資料精査が必要です。
明治時代にに真っ先に西洋服を日常着として採用したのは、明治天皇の皇后美子(昭憲皇太后)を中心とする皇族の女性でした。しかし、看護婦が西洋服を制服に取り入れたほかは、ほとんどの一般女性は、昭和になるまで和服以外の日常着を持ちませんでした。多くの女性がたしなみとして和服を自分で仕立てられたのに対して、洋服は複雑な裁断と縫製が必要な特殊技術で、ミシンという高価な道具も必要だったという理由もありました。
一般女性が洋装するようになったのは、昭和時代に入ってからのこと。
1923(大正12)年の関東大震災以後景気は後退し、昭和金融恐慌、さらに1929年は世界恐慌。おりしも1929年の夏は猛暑で、簡易ワンピースが「清涼服」と宣伝されて普及しました。この簡単服は、めんどうな裁断もない直線裁ちで、ミシンがなくても直線に縫うなら手縫いでも形が整います。こうして1920年代から1930年代にかけて、一般の女性が洋服=アッパッパを着るようになったのです。
語源探索は趣味としてはおもしろいけれど、厳密な学問としては成立しがたく、複数の語源を発見しても、その確かな出典を探すうちに一生がおわってしまう、ので、「語源学に手を出すな」という戒めです。
アッパッパについても、いくつかの語源を並べておもしろがるうちはいいですが、では、up a partsが服飾用語として掲載されている文献ファッション雑誌の初出はどれか、など探すのはたいそう手間暇かかることであり、結局は突き止められない、という結果もよくあること。
だから、アッパッパ探索も、これくらいでやめておきます。アッパッパを着ることによって、女性はひもや帯で身体を締め付ける衣生活から解放されたのだ、という論、さもありなんと思います。私も締め付ける衣服は何より嫌い。ブラジャーも嫌いです。冬はノーブラ。夏場はインナーに薄手のパットを貼り付けたタンクトップを愛用。
夏場は、もっぱらゆるゆるのチュニック、すなわちアッパッパ現代版を愛用しています。チュニックはほんとに私向きのスタイルで、チュニックの太っ腹なデザインに甘えて、私のおなかは、際限なく太っ腹になっています。アッパレなこの腹、アッパッパです。
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索キーワード(1)アッパッパ
私が、よく検索をするのは、「ぽかぽか春庭 ○○」というアンド検索です。なぜなら、自分がその話題について過去ログに書いたことがあるのかどうか、知りたいとき、とても便利だからです。
今回、「アッパッパ」について書きたいと思って、まてよ、ずいぶん前にアッパッパの語源について書いたことがあった気がする、と検索をかけました。「ぽかぽか春庭 アッパッパ」という検索で出てきたのは、7月に書いた「人形愛」シリーズで、私が人形にアッパッパを作ってやった、という文章だけでした。そうか、まだ、アッパッパの語源について書いたことはなかったのだ、とわかりました。で、今回書きます。どうも年をとると同じことを繰り返して述べるようになってくるので、こうして検索をかけておけば、過去ログで書いたことがあるかどうか確認できます。
まあ、読んでいるほうだって、昔読んだことなんて忘れているのだから、何度同じことを読んでも、新鮮な気分でよめるんですけれどね。少なくとも私は、何度同じのを読んでも楽しめます。
私は年寄りが繰り返し同じ昔語りをすること、とてもいいことだと思っているのです。私も、姑の昔話を何度でも聞きます。このコラムでは、できるだけ異なる話題で日本語についてメモしておきたい、という方針だ、というだけです。
ことばのあれこれについて新しく知ることは、私にとって趣味でもあり商売道具のおまじないでもあります。日本語学や日本語教授法を講義する上で、ことばについて、どんなことでも知っておきたい。
学生時代には「日本語学研究者は、語源学と教え子に手を出したら、身の破滅」と戒めを受けてきたので、語源探索については研究対象としたことはありませんでしたが、単なる好奇心の対象としては語源を知ることはとてもおもしろいものです。
さて、アッパッパについて、一般に流布している語源でをチェック。
コトバンク世界大百科事典 第2版に掲載されている一説では。。
http://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%91
「語源は裾がパッとひろがるという大阪言葉に由来する。」
ウィキペディアには
「歩くと裾がパッパと広がることから付いたという説がある。元は近畿地方での俗語である」「マザーハバードドレス(ハバード母さんドレス)のハバード(Hubbard)が訛ったものとの説もある」と、両説並記。
しかし、別の説があります。ウィキペディアのアッパッパにも「up a parts」という語がかかれています。出典がはっきりしないので、確かなことがいえないのですが「図書(岩波)」とか「UP(東京大学出版会)」のどちらかの出版広報冊子で読んだエッセイの中に出てきたのだと思います。
「アッパッパは、Up a partsが語源」と書いてあったのを記憶しています。これを読んで、「裾がパッパと広がるからアッパッパ」という語源説に納得できなかったのが、一気に「長年の疑問氷解。なるほど」という気分になりました。
ただし、ひとつながりの洋服がワンピース、スカートと上着が分かれている洋服がツーピースというファッション用語に比べると、上から下までズドンとしたワンピースである衣服を、どうしてUp a parts、というのか、についての解説を見たことがありません。なぜ、この形をUp a partsと呼ぶのか、西欧のファッション用語でも、ある一定の時期Up a partsという用語が使われていたのか、調べるには膨大な資料精査が必要です。
明治時代にに真っ先に西洋服を日常着として採用したのは、明治天皇の皇后美子(昭憲皇太后)を中心とする皇族の女性でした。しかし、看護婦が西洋服を制服に取り入れたほかは、ほとんどの一般女性は、昭和になるまで和服以外の日常着を持ちませんでした。多くの女性がたしなみとして和服を自分で仕立てられたのに対して、洋服は複雑な裁断と縫製が必要な特殊技術で、ミシンという高価な道具も必要だったという理由もありました。
一般女性が洋装するようになったのは、昭和時代に入ってからのこと。
1923(大正12)年の関東大震災以後景気は後退し、昭和金融恐慌、さらに1929年は世界恐慌。おりしも1929年の夏は猛暑で、簡易ワンピースが「清涼服」と宣伝されて普及しました。この簡単服は、めんどうな裁断もない直線裁ちで、ミシンがなくても直線に縫うなら手縫いでも形が整います。こうして1920年代から1930年代にかけて、一般の女性が洋服=アッパッパを着るようになったのです。
語源探索は趣味としてはおもしろいけれど、厳密な学問としては成立しがたく、複数の語源を発見しても、その確かな出典を探すうちに一生がおわってしまう、ので、「語源学に手を出すな」という戒めです。
アッパッパについても、いくつかの語源を並べておもしろがるうちはいいですが、では、up a partsが服飾用語として掲載されている文献ファッション雑誌の初出はどれか、など探すのはたいそう手間暇かかることであり、結局は突き止められない、という結果もよくあること。
だから、アッパッパ探索も、これくらいでやめておきます。アッパッパを着ることによって、女性はひもや帯で身体を締め付ける衣生活から解放されたのだ、という論、さもありなんと思います。私も締め付ける衣服は何より嫌い。ブラジャーも嫌いです。冬はノーブラ。夏場はインナーに薄手のパットを貼り付けたタンクトップを愛用。
夏場は、もっぱらゆるゆるのチュニック、すなわちアッパッパ現代版を愛用しています。チュニックはほんとに私向きのスタイルで、チュニックの太っ腹なデザインに甘えて、私のおなかは、際限なく太っ腹になっています。アッパレなこの腹、アッパッパです。
<つづく>