春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「古代エジプト展女王と女神 in 東京都美術館」

2014-08-14 00:00:01 | エッセイ、コラム


20140814
ぽかぽか春庭アート散歩>オリエント逍遙(4)古代エジプト展女王と女神in東京都美術館

 8月8日金曜日に、息子といっしょに「古代エジプト展女王と女神」を見ました。(東京都美術館7月19日~9月23日)


(撮影禁止なので、この1枚のほかは、すべて借り物写真です。展示の絵は、壁画の模写でした。模写だったら、特別撮影禁止するほどでもないと思うのです。メトロポリタン美術館が、非商用の撮影なら許可しているように、撮影をきょかすべきです。人が映り込まないようにしたものは、個人ブログ掲載も許可すべきだと思います。著作権は3000年前にキレているでしょうに)。

 展示構成は
1章 ファラオになった女王ハトシェプスト
2章 愛と美の女神ハトホル
3章 信仰された女神たち
4章 王妃、女王たち
5章 王族の装身具
6章 王族の化粧道具
7章 来世への信仰 

 「エジプト展女王と女神」は、メトロポリタン美術館のエジプトコレクションの中から、ハトシェプスト女王の葬祭殿発掘出土品を中心にした展示です。
 200点の出品のうち、メトロポリタン美術館が作った、ハトジェプスト女王葬祭殿の模型も展示されていました。100分の1の模型です。

 ナイル川西岸の断崖を背にして建てられたハトシェプスト葬祭殿は、1997年、エジプト外国人観光客襲撃事件(ルクソール事件)がおき、日本人10人を含む61名の観光客がイスラム過激派によって殺された場所。このような無差別テロは許されるべきではありませんが、貧しい暮らしを強いられている現地の人の中には、外国人観光客が神聖なエジプトの遺跡を我が物顔で歩く、と思う人もいたのかもしれません。

エジプトナイル川西岸のハトシェプスト葬祭殿


 エジプトのピラミッド発掘もそうですが、遺跡の発掘はほとんどが外国の主導で行われ、発掘された出土品は、諸外国に持ち去られてしまうのですから、エジプト人がおもしろくないと考えるのも無理はないのでしょう。しかし、発掘が行われなかったらどうなったかというと、ほとんどのピラミッドでは、数千年にわたる盗掘が行われて、埋蔵品は散逸してしまっていた、という事実があるので、外国人による発掘すべてがエジプトにとって悪いことだったかというと、そうでもないような気がします。

 メトロポリタン美術館によるハトシェプスト葬祭殿の発掘は、1923年から35年にかけて行われました。エジプトがイギリス帝国支配下から独立して王国となった時代での発掘でした。この時代には、エジプト政府との共同での発掘品は半分譲ってもらうというパルタージュ(フランス語で「分かち合い」の意味partage)制度があったために、メトロポリタン美術館の発掘団は、合法的に発掘品をアメリカに持ち帰ることができました。

 メトロポリタン美術館には3万点を超えるエジプト発掘品が所蔵されていますが、その中のデンドゥール神殿出土品は、エジプト政府からメトロポリタン美術館へ寄贈されたものです。これは、アメリカへが寄付を集めて、アスワンハイダム工事による水没の危機からヌビア遺跡を救ったことへの感謝のしるしとしてエジプト政府がアメリカに寄贈したものです。

 ハトジェプストは、第18王朝のトトメス1世を父とし、父の正妃を母として生まれました。父の妃のうち下位の妃を母として生まれた異母兄弟のトトメス2世と結婚しました。夫のトトメス2世の遺言により、夫と側室イシスの間に生まれた息子をトトメス3世として即位させ、自身も男装して王として共同統治を行いました。

 ハトシェプストは女性ファラオとして絶大な権力をふるいましたが、在世中は、貿易を盛んにし、戦いよりも平和外交によって治世を行ったそうです。在位は、紀元前1479年頃 - 紀元前1458年頃。
 王家の谷から出土したミイラの鑑定により、50歳くらいで亡くなったことが判明したそうです。
 
 今回の展示では、ハトシェプスト女王を中心として、女神像、女王像、そして女性達の装飾品化粧品などが並んでいました。

エジプトのハープ


 ハトシェプスト女王の頭部像は、50cmくらいの美しい像です。ハトシェプスト葬祭殿から発掘されたときは、破壊されていたのを、メトロポリタン美術館が破片を集めて復元したそうです。破壊を命じたのはトトメス3世だったのではないか、と言われています。ハトシェプスト女王が生きている間は、共同統治者とは名ばかりで、継母に頭を押さえられていて、実権をもつことができなかったトトメス3世でしたが、女王の死後、好きなように戦争をして領土を拡大。葬祭殿に残る、ハトシェプストがファラオとしての姿を残した像のほとんどを破壊したということです。
 このハトシェプスト女王頭部も、元は赤い冠の上に白いファラオとしての冠が載っていたそうですが、赤い冠だけが復元されています。



 古代エジプトでは、男神と同じくらい女神が尊重されていました。牛の姿を持つハトホル女神や、雌ライオンの頭をもつ≪セクメト女神像、バステト女神の頭はネコ。タウェレト女神に至っては、カバ・ライオン・ワニ・女性が合体した姿。これは、動物の持つ力を備えた神であったことを表しているのだそうです。

 そのほか興味深かったのは、女性がゲームをしている壁画の模写とチェスの展示。化粧道具や装身具。数千年前の女性たちももおしゃれに余念がなかった、と言うべきか、ファラオの愛を得て世継ぎを生めば栄耀栄華思いのまま。そのためには美しく装うことこそ女性の武器であったいうのは、古今東西かわりなし。

女王の冠


 最後のコーナーは、エジプトの死生観を知れる、ミイラを納めた棺や、カノプス壺の展示。
 古代エジプトにおいてミイラを作る際、一番大事なのは心臓です。心臓に魂が宿ると考えられていたからです。心臓以外の重要な臓器を保存するために使われていたのが、カノプス壺です。カノプス壺の上部の形、隼は腸入れ、山犬は胃を、ヒヒは肺臓、人の形の壺は肝臓を入れます。私の感覚だと、そんなふうに内臓を別々に保存して、来世でうまく継ぎ足してもとの姿に戻れるのかしらと心配になりますが、エジプト人は死後の生活は、現世と同じように続くと信じていました。

ミイラの棺


 エジプト人は、脳の機能を知らなかったので、脳は「いらないその他臓器」として捨ててしまったんですって。来世で脳がなくても大丈夫だったんだろか。
 私の場合、脳を保存してもしなくても、大差はない思考力しか持ち合わせていないので。脳がすてられたとしても、来世でそれなりに暮らせるんじゃないかと思いますけれど。それでも、どうせ来世で暮らすなら、もうちょっとパーツを上等なものに取り替えて、もっと並びのよい目鼻に、もっと長い足で、心臓は、、、、今よりもっと毛が生えているのかもしれません。

<おわり>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする