
キープ協会内に作られた「おばあちゃんの家」映画「西の魔女が死んだ」のロケに使われた
20140826
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記8月(8)2008年のポールラッシュ巡り&西の魔女ロケ
八ヶ岳の南麓。開墾が続けられてきましたが、冬の寒さがとりわけ厳しいため、作物は実らず、米作もできず。
戦後、アメリカ人牧師ポール・ラッシュの尽力により、寒冷地農業、高原野菜の栽培や酪農に重点をおくようになりました。
2008年に清里を訪れたときは、妹モモの車で、「ポール・ラッシュ巡り」をしました。キープ協会、聖アンデレ教会、ポールラッシュ記念館など。
ポール・ラッシュが設立したキープ協会は、Kiyosato Educational Experiment Project(清里教育実験計画)の頭文字をとり、キープ(KEEP)と名付けられ、高冷地実験農場、農村診療所、農民図書館、農業学校などを展開しました。
OCNカフェが閉鎖になったとき、過去ログは「ブログ人」に残しました。しかし、2008年の日記には写真を貼り付けませんでしたので、2008年の写真、そして2012年の写真を載せておきます。ブログ人も閉鎖になるというので、11月までに過去ログをまた移転しなければなりません。
その前に、2008年と2013年夏の清里写真だけ載せておきましょう。
ポールラッシュの胸像

ポール・ラッシュは、アメリカンフットボールを日本に紹介し、「日本フットボールの父」という名をフットボール協会から呈されています。記念館には、アメリカンフットボール関連の記念品がたくさん並んでいました。
ポール・ラッシュ記念館、ポールの書斎。


聖アンデレ教会

畳敷きの礼拝堂(清里の農民が気軽に入れるように畳敷きにしたのだそうです)

キープ協会清泉寮


家の前にいるのは、私だか妹だか2008年のことなので記憶があやふやですが、たぶん、妹のモモ。同じ体型なので、どっちがどっちやら。互いに「私より太いほうが姉」「私よりおデブなのが妹」と、思っているのですが、他人から見ると「双子ですか?」
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2008/09/25
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(5)西の魔女
8月7日、新宿武蔵野館で映画を見ました。『西の魔女が死んだ』
http://blogs.yahoo.co.jp/nishimajo_movie/7321577.html
7月末に、妹とでかけた清里高原のキープ協会敷地内のなか、映画『西の魔女が死んだ』の「おばあちゃんの家」ロケ地が、一般公開されていました。
ロケ用に建設されたのですが、ロケ終了後は、入場料300円で公開中。
映画を見る前でしたが、妹といっしょに、おばあちゃんの家を見てきました。
案内板があって、「おばあちゃんの散歩道」をたどることもできたのですが、お散歩は次のお楽しみにして、おばあちゃんの家をゆっくり見ました。ハーブティもいただいて(無料)ゆっくりすごしました。
http://www.keep.or.jp/nishimajo/
『西の魔女が死んだ』原作は、梨木香歩の短編小説。
「他人に無理して合わせるのは疲れた」と考える中学生の女の子マイ。女の子のグループ同士のつきあいから距離をおいたマイは、そのためクラスメートからは無視され孤立してしまいます。
不登校になったまいが、夏の一ヶ月をすごしたおばあちゃんの家。
とてもすてきな、心なごむおばあちゃんの家でした。
主人公マイのおばあちゃんは、イギリスから英語教師として来日し、高校の理科教師だったおじいちゃんと結婚しました。おじいちゃんが亡くなった後も、ひとりで自分のスタイルを守って静かに生活しています。
おばあちゃんを演じているサチ・パーカーは、1956年生まれ。オスカー女優シャーリー・マクレーンの娘。父親のプロデューサー、スティーブ・パーカーとともに、6~12歳を日本で過ごし、日本語も上手です。

マイのおばあちゃんの暮らし方、雰囲気がターシャ・テューダーに似ている気がします。
自然の中で、自給自足に近い暮らしを続け、縫い物もジャム作りも、自然を生かし周囲の人々ともよい距離を保って暮らしている。
私も、ターシャやマイのおばあちゃんのように晩年を過ごせたらいいのになあ。
映画のなかで主人公マイが一夏をすごすおばあちゃんの家の中、ひとつひとつのようすが、心に響きました。
おばあちゃんの台所


ロケ地の家のテーブルに、マイが使っていたマグカップがそのまま残されていたので、マイがマグカップでハーブティを飲む場面も、いっしょにお料理するおばあちゃんの台所用具なども、故郷の家をみるようになつかしい気がしました。

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2014年5月をもって、この「おばあちゃんの家」公開は終了したそうです。
2008年に見て、もう一度見たいと思っていたのに、かないませんでした。
<つづく>