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ぽかぽか春庭「2003年のホラー」

2015-03-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150324
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記3月(4)2003年のホラー

 2003年の三色七味日記再録を続けています。
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2003/03/12 水 晴れ
日常茶飯事典>ホラー苦手

午前中、Aダンス

 宗教も死後の世界も信じていないのに、いまだにテレビや映画のお化けがこわいのはなぜなんだろう。幼児期のすり込み?
 「シックスセンス」も本当にこわかった。世の中にはホラー大好きって人も多いけどなあ。豊島園のミステリー館に懲りた。後楽園のおばけ屋敷はなんとかしのいだけれど、ディズニーランドのホーンテッドマンションには入ったこともなく、ホラーとは無縁に生きているのだから、このまま、おばけには会わないで暮らしたい。

 学校の怪談、どの学校にもトイレの花子さんや、夜中にひとりで笑うベートーベンの肖像がかかっている音楽室がある。昨日の理科の時間から誰も入室していないのに、位置が変わっている人骨模型とか。
 ああ、私、やっぱり校長が首つり自殺した小学校に赴任できない。小学校教諭の資格は持っていないから、勤務できないんだけどね。

本日のうらみ:日本全国、ここの土地には自殺者もいない事故にあって死んだ人もいない、なんてとこはないんですよね、、、やすらかに、校長先生


2003/03/13 木 晴れ
日常茶飯事典>手紙返信

 手紙の返事を書く。井詩子さんへの返信、原稿用紙にすると40枚という長編となった。要するに読者がいると思うと、私は書きたくてたまらないのだ。
 本の話、映画の話。元数学科教諭の井詩子さんへ、息子が数学ができなくて困っているという愚痴話。
 一日中、本を読んでいたい。一日中ワープロに向かってキーボード打っていたい。読むことと書くことだけして生活できたら、私の天国。読み書き、雑学、散歩とうたた寝。これが私の理想の生活。

 息子は、地理の成績があまりにひどいので、教官室へ呼び出しをくらった。出したと言っていた夏休みレポートは結局だしてなかったんだって。「これからはちゃんと宿題出しなさいっていわれた」そりゃ言われるだろうな。

本日のひがみ:来信は、夫婦仲良く旅行のお知らせ。返信は、勉強嫌いの子を持つ愚痴


2003/03/14 金 晴れ 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『ハリーポッター』

 朝から、日本語教授法を書く。ステップ10まで進んだ。

 夜、『ハリーポッター』を見た。吹き替え版。息子は学校の英語の時間に英語版を見ている。40人のクラスメートの中で、英語の原作を読んだ者、静山社の翻訳を読んだ者、ロードショウ公開時に映画館でみたもの、ビデオでみたもの。社会現象にまでなったハリーポッターに、これまで全く関わってこないで、「学校で初めて見た」と、いうのは、息子くらいだったみたい。うちは、全5話そろってビデオになってから、一気に続けて見ようという方針だった。

 ほうきに乗ってやるホッケーみたいなゲームがおもしろかった。少年成長物語ファンとして、第1話だけじゃ「階段下のものおきで寝起きさせられている孤児が、突然魔法使いの出自を知らされ学校で修行をはじめる」だけだから、境遇の変化のほかに成長したのかどうかはわからなかった。何か重要な成長の契機を見落としたのかな。

 ファンタジーコアファンの人には、『指輪物語』は原作も映画も評価できるけれど、なぜ『ハリー』がこれほど売れるのかわからない、と言う人が多い。私も指輪のほうがだんぜん好きだが、ハリーはハリーでいいんじゃないかな、というのが原作読まずにビデオみた印象。

本日のそねみ:魔法使いになるにも、出自は大切なのね、家柄も人柄もない我が家は、、、、


2003/03/15 土 曇りときどき雨 
日常茶飯事典>舅一周忌の伝統芸能

 11時まえに家を出るはずだったが、身支度をはじめてみると、あれがない、これが見つからないと大騒ぎ。「だから、昨日のうちに準備しておきなさいといったでしょ」と言いつつ、ばたばたと着替え。
 娘は、去年の春買った黒のスーツ。中のブラウスのボタンがぱっつんぱっつんで「勝手に服が小さくなった」状態だったが、上に上着を着てしまえば、たいして目立たない、ということにした。
 息子のスーツはズボンのすそがつんつるてんになっている。あとでスソをおろすことにして、今日はつんつるてんのまま。「雨だから、スソがぬれなくていい」ということにした。「来年の卒業式にも着るんだから、背は伸びてもいいけれど、太ったら着る服がないよ。せっせとプールで泳ぎなさいよ。」と申し渡す。
 私の上着も、もちろんボタンがはまらないが、まあ、もともと太っていたんだから、仕方がない、ということにした。
 それで出かけようとすると、今度は娘の黒い靴が見つからないと玄関でおおさわぎ。まったく準備の悪い一家だこと。

 舅の一周忌と納骨。読経の坊さんは、この前の戒名授与のときの人とはまた違う。いろんな僧がアルバイトで順番におつとめをしているらしい。何家の誰の法要かということも知らない。受付の人が、それくらいは坊さんに連絡していると思ったのだけれど、そういう連携もなく、受付は受付のアルバイト、読経坊主は読経のアルバイトらしい。

 ま、こちらも「ご用意されているお位牌やお写真を、どうぞ正面に」と言われても、夫も姑も「位牌も写真もありません」と言う。姑が「それでよし」としているんだから、私はなんでもよし。

 この前の、戒名授与のときのメンバーに、姑の甥、舅のいとこが加わっただけだから、お焼香もあっという間におわってしまった。法事に呼ぶべき舅の親戚たち、82歳の舅の死を「まだ若いのに先立ってしまって」と、嘆いたという舅の兄、姉たちだ。90歳を越えているので、田舎から東京へ出てくることもできない。「うちわだけで行います」という連絡だけして、東京にいる親戚だけの法事。

 今回は読経だけで、坊主の説教はなく、読経を「伝統芸能」として楽しんでいればよかったから、居眠りもしなかった。そのかわり、朝ご飯も食べずに出てきたので、おながかぐうぐう鳴った。

 実家の曹洞宗のお寺の読経とは、いろいろ違う。
 鎌倉時代、武士層や農民層に仏教がひろまったときに、武士や農民がもともとが持つ芸能の好みが、読経声明のメロディに影響しているのかどうか、知りたいと思った。浄土真宗、一向宗などが受容された地域に固有であった田楽とか、神楽歌とか、相互に影響しあっているんじゃないのかなあ。

 説教節や念仏踊りが、仏教から生まれた芸能であるということはよく知られているが、仏教の声明や念仏読経が芸能側から影響を受けて変化していく過程を、各宗派の読経メロディ、御詠歌の比較からできそうなものなのに。音楽学をやっている人で、そんな暇そうなテーマ、やっている人いるかな。
 と、仏教芸能史をネタに、あれこれ「下手の考え休むに似たり」をやっているうちに、本堂読経の部は終わり、納骨室にお骨を収めて焼香して全部終わり。
 姑と夫の「完全無宗教感覚」にあっている一周忌ができて、よろしかったんじゃないだろうか。形式は仏教だが、完全ビジネスライクなコンピュータ制御納骨堂と、アルバイト感覚の読経。

 仏教が「儲け主義、お布施稼ぎの堕落」などと批判を受けて久しいが、ここまで徹底して「お墓産業、葬式産業」としてビジネス化すれば、かえってスッキリする。経営母体は真宗のお寺。一応、宗教法人。

 一同、タクシーで移動。白山の五右衛門で、湯豆腐精進コース。炭火長火鉢がふたつなので、暑かった。突き出し、田楽、揚げ出し豆腐、ごま豆腐、あえもの。湯豆腐がメイン。茶飯とみそ汁。ヒメの感想、「豆腐精進コースのデザートは豆腐チーズケーキか、豆乳プリンかと期待したのに、みかんひとつだけでがっかり」

本日のつらみ:豆腐コースデザートには、豆乳プリンを!


2003/03/16 日 曇り
ジャパニーズアンドロメダシアター>『恋に落ちたシェークスピア』

 百円レンタルビデオ『恋におちたシェークスピア』を見た。
 アカデミー賞7部門獲得というコスプレ映画。私、基本的にコスチュームプレイ好きです。ストーリーがつまらなくても、衣服や装置を博物館感覚で見ていれば楽しめる。
 「ビバ演劇!いやぁ、芝居って、ほんとすばらしいですよね」みたいな。ストーリーはおまけ、って思うくらい、どうでもいいようなものだったが、この時代の町中や居酒屋の雰囲気は出ていて、よかった。
 でも、この衣裳や室内装飾とか、考証家からみたら、元禄時代に文化文政期の髪型だったりするって程度のものなんだろうか。それとも、これぞまじりけなしのチューダー朝ファッションだったのか。ま、私にはチューダー朝もスチュアート朝も、違いがわからないからよしとする。

 『ロミオとジュリエット』を執筆するときに、シェークスピアは、芝居好きの新興ブルジョアの娘ヴァイオラと恋をしていたという話。シェークスピアに恋している娘ヴァイオラは、ウェセックス卿夫人となるよう、親に結婚を決められ、シェークスピアとは「結ばれることのない恋」でした。(実在のシェークスピアは、年上金持ち未亡人だった恐妻に頭が上がらなかったらしいです)

 ヴァイオラはどうしても役者になりたくて、男装してロミオ役を演じる。当時の芝居のお約束で、少年が女装してジュリエットを演じる。歌舞伎の女形と宝塚の男役が共演するような倒錯ぐあい。
 フッフッフ甘いね。日本だったら幸四郎が女形で、松タカが宝塚男役で、アンドロギュヌスの染五郎がからまって3Pくらいやらないと倒錯にはならない。どうだ、シェークスピアよ。まいったか。

 話がずれた。シェークスピアである。
 この映画では肝心の本番前に、この少年女形は声変わりして女声が出なくなっちゃうのだけど、声変わりしても、っていうか、80歳すぎてもちゃんと女役ができる歌舞伎の勝ちだね。どうだ、シェークスピア、勝ったぞ。勝ってどうするってこともないが。
 でも、江戸時代女形の最高齢役者って何歳だったんだろう。私の印象では女形ってものは、化粧の鉛毒でみんな若死にするような気がしていたが。さらに話がずれた。戻るクリック。

 芝居小屋に、エリザベス1世が突然現れたりする。
 エリザベス一世の女優、晩年の大女王という感じが、よかった。幼い頃姉にいじめ抜かれて性格ひん曲がり、権力握ってからは周りに男を侍らせてあらゆるプレイを試みた結果、こんなすれっからしの出し殻ばばぁみたいな顔になったけど、実はまだまだベッド現役です、という雰囲気を出していて、いい味。
 女王が馬車に乗るとき、乗り口の前に水たまりがある。周りの男どもが一瞬の躊躇ののちマントを差し出すのを待たずに、「遅すぎる」といいながら乗り込む姿は、絶対君主とはかくあるべしという感じ。
 日本だって、テレビの中では黄門様は津々浦々旅するし、八代将軍は江戸の長屋や芝居小屋にも出入りしているから、エリザベス1世がシェークスピアの小屋に出入りしたいのなら、出入りを許す。

 でも、いくら美女が男装していたとしても、自分が恋こがれている娘が、髪を男のような短髪に変え、髭を蓄えたからといって、その顔を見て、自分の恋している娘だとまったく気づくことがないものなんだか。シェークスピアは「長い髪と髭のない鼻の下」に恋をしていたとでもいうのか。というのが、ツッコミどころでした。ヴァイオラの顔は適度に知的で、すてき。
 シェークスピア役の男優は、なんか品のない女たらしの顔をしている。居酒屋で殺されちゃうライバル劇作家の方が、傑作を書けそうな人だった。

 ヴァイオラと引き裂かれたシェークスピアのその後。ヴァイオラから創作のヒントを得て『十二夜』を書いた、ということになっている。
 ヴァイオラのその後。バージニア州の農園に投資して失敗したウェセックス卿を助けんとし、ヴァイオラの父親は、莫大な資金と共にヴァイオラをアメリカに送る。映画は、ヴァイオラが海岸を内地に向かって一人で進むというシーンで終わる。

 ヴァイオラは、新天地で彼女が望んでいたような生き方ができたのだろうか。ラストのイメージでは、「シェーン、カムバック」の声に送られて、アラン・ラッドが荒涼とした砂漠地帯に馬を進めていくのと同じような、死に向かって進んでいく絵柄だったのだ。

 ヴァイオラの男装している服の中に、ジョン・ウェブスターが鼠を突っ込むシーン。ヴァイオラは「きゃーキャー」と大騒ぎして鬘がとれ、男じゃないことがばれてしまう。あそこで鼠ごときでキャーキャーわめかずに、落ち着き払ってしっぽをつかんで、ジョンの口の中に鼠をねじ込んでやるくらいの気概があったなら、ラストシーンも変わってくるんだろうなあ。
 南部プランテーションで黒人奴隷を容赦なくこき使う女地主として、絶大な勢力をもち、エリザベス一世宮廷以上の豪華なサロンの主になって、芝居を上演させて晩年を過ごすというような。
 でも、鼠で逃げる女は、結局「新天地、天国みたいな海辺だが、そこは地獄の一丁目」に進んでいくような、せつないラストシーンにするしかないだろう。

 エリザベス朝イギリスが舞台でも、アメリカ映画なんだから、女が毅然として男に勝ってはいけないのだ。ジャンヌ・ダークも、最後ははかなく殺されなくてはならないのだし。
 やっぱり、江戸歌舞伎戦闘美少女より強いキャラはそうそう登場しない。またもや歌舞伎はシェークスピアに勝ち点3。

 ジョン・ウェブスターが「上昇志向持ち貧民層代表」のような役柄で狂言回しに使われている。横文字名前に弱い私は、このどぶ鼠をいたぶっておもちゃにしている小汚い坊主が、後に「ウェブスター辞典」を編纂したのかあ、と思って見ていた。

 ところが調べてみれば、辞典の方はノア・ウェブスターで、ジョン・ウェブスターとは、国も時代も違う人だった。思いこみが強いので「ウェブスター辞典はシェークスピア時代に編纂された」などと、学生に知ったかぶりで吹聴するところだった。
 ジョン・ウェブスター作『マルフィ男爵夫人』という戯曲を、円が上演したことがあるというのだが、私はまったく知らなかった。
 
 なんでもネットで確認できる時代になって、自分の無知蒙昧を日ごとに痛感することができ、ケンキョになれてよい傾向だ。

本日のそねみ:映画には出てこなかった、シェークスピア夫人。私も「資産持ち未亡人」になりたかったが、「金なし自由業の見捨てられ妻」である


2003/03/17 月 小雨ときどき曇り 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『真夜中のカーボーイ』

 午後、真夜中のカーボーイをまた見てしまった。暇がないと言いつつ、テキスト書きはほうっておいて、テレビをつける。日本公開時にみたのは、70年か71年か忘れてしまったけれど、その後もテレビで何回か見ているのに。

 やっと、あこがれのマイアミに着いたのに、バスの中で死んでしまうダスティン・ホフマンの姿に、今回もしみじみしながら、わたしもマイアミにたどり着けないんだろうなあ、と思う。たぶん、「マイアミにはたどり着けない仲間」を確認するために、この映画をテレビでやるたびに見てしまうのだろう。

 私のばあい、めざしてせいぜいハワイのワイキキ、ハワイめざしてたどり着けるのは、せいぜい常磐ハワイアン。そんなところが関の山の人間であるのに、未だにマイアミへ行くんだ!と思いたいところが私の思いきりの悪いところ。

本日のひがみ:喫茶店マイアミでアメリカンでも飲んでいるのが関の山


2003/03/18 火 曇り
ジャパニーズアンドロメダシアター>『四月物語』

 土曜日に借りた『四月物語』を見た。娘が岩井俊二&松たかファンなので。

 松たか?木村拓哉を省略してキムタクと言えば2文字のショウエネだが、松たか子をマツタカと省略しても1文字減っただけなのに、それでも省略するのは、「私はこの子をよく知っているんですぅ」と主張したいためという。私にはそこらのファン心理はわからん。

 冒頭、幸四郎一家勢揃いで、東京に出る娘を見送る。しかるに、あの一家だったら、ほんとうは一家全員そろって引っ越しに参加するんじゃないかな、というイメージが先行するので、ワンシーン、エキストラでもいいから他人で一家をそろえた方がよかったと思う。

 幸四郎夫人、映画初出演おめでとう、これであなたも女優の仲間入りしていたのね。「高麗屋の女房」で作家になったのと、どちらが先だったのか。

本日のねたみ:はい、私は「染五郎とともに」を毎週欠かさず見ていた先代染五郎かくれファンでした。高麗屋女房うらやましいぞ

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20150321
 四月物語に出てくるような理想的な仲の良い家族。私もそういう家庭が営めるのかと思っていたのだけれど、夫は家によりつかない、娘と息子は母親に反抗三昧という一家をしゅくしゅくとやっておりました。姑もこのころは未亡人生活を楽しんでいました。
 干支がひとまわりして、娘も息子も反抗期がすぎ、おだやかな毎日になったら、姑の介護が一家にのしかかる。人生とは、こんなものなんでしょう。

<つづく>
コメント (2)
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