
春庭作成のオリジナル日本語教材の表紙。金閣寺の絵は、フリー素材です。
20150908
ミンガラ春庭ニッポニアニッポン教師日誌>2015ヤンゴン教師日誌(2)教材作り
私は1988年に第1回目の日本語教育能力検定試験に合格して日本語教育業界に参入しました。当時は英語がぺらぺらだから日本語教育を始めた、とか、パリ駐在員となった夫の赴任についていったら、フランス語が話せるなら日本語を教えてほしいと頼まれたので、日本語教師になった、という先生が多く、日本語言語学を学んで日本語教育に携わるようになった、という教師はあまり多くありませんでした。
私が日本語教師を始めた25年ほど前のこと。教材もごくわずかで、国際交流基金が編集発行した「日本語初歩」という教科書が直接法の教材として、多くの日本語教育機関で使われていました。25年の間に教材開発はどんどん開拓され、新しい編集の教科書が、初級用も中級上級用も、山のように書店に並んでいます。
当地ヤンゴンでも、日本企業の進出が盛んになるにつれて、民間の日本語学校が雨後の筍という勢いで数多く進出し、「絆日本語学校」とか「日本語学校東京花火」とか、市内各地に設立されています。
大学では、ヤンゴン外国語大学が日本語教育を続けており、現在ミャンマーで「日本語ができる」という理由で企業などに採用されている人は、この大学の日本語学科卒業生が多いです。
私が赴任しているヤンゴン大学は、ミャンマーで最古の歴史を持つ大学ですが、大学生が政治活動を行ったために、軍事政権は大学を封鎖してしまい、新規の入学生をストップさせました。大学院教育のみ行われていたのです。民主化後、2013年12月に大学学部教育が再開されました。従って、学部生は、1,2年生のみで、3,4年生はまだいません。
日本語教育は、まだ「単位がでないオプションの語学教育」という位置づけであり、趣味でならう「お稽古事」の扱いです。そのため、最初は「無料で日本語教育」を受けられるなら、登録して日本語教育を受けてみようという学生が殺到し、50人収容の教室に70人が押しかけ、立ち見も出るありさま。でも、授業がはじまって1ヶ月たつと、学生数は半減し、私が引き継いだときは、週4教室が開講されている各クラスは10~20名になっていました 。
日本語授業が設定されているのは、大学正規科目授業時間帯の外の3:30~5:00です。
しかし、私が引き継いだ翌週あたりから、さらに学生は減りました。これは、3月の前期学期末にも同様の事態があり、予想されたことでした。
9月半ばに後期の期末試験があります。8月末には、日本語授業と同じ時間に、期末試験対策のための補習講座が始まりました。学生にとっては、単位のない日本語授業に出ている余裕はなくなり、みな、正規科目でよい点数をとるために、試験対策講座のほうに行きます。そりゃそうです。よい点数をとらないと、卒業にも響くし、大学での成績席次が将来の選択肢に関わる国ですから。
学部学生は授業にこなくなり、受講生は「将来日本語教育に関わってみたい」と狙っている教師達のみの出席になりました。国文科(ビルマ文学科)の先生は、ほとんどが女性教師です。現在は、国文科と英文科が設立されていますが、学科長は「将来的には、日本学科も開設したい」という構想図も持っているようで、日本語教育を担える教員養成も考慮にあるのだろうとと思います。
当地の伝統的な教育方法。
英語教育でも、その他の科目の教育でも、教育方法は、江戸時代の論語を習う式と同じです。教師が範読する→あとについて唱和する→丸暗記する。
江戸時代寺子屋の師範が「四十而不惑、 五十而知天命、 六十而耳順、 七十而従心所欲、不踰矩」と範読したら、生徒は意味がわからなくてもわかっても「 子曰く、 吾れ十有五にして学に志ざす。 三十にして立つ。 四十にして惑わず。 五十にして天命を知る。 六十にして耳従う。 七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」と、リピート唱和する。先生が「しのたまわく、学びてときにこれを習う、また悦ばしからずや」と言えば、生徒は同じように唱和して暗記する。
当地の語学授業もこの方式であり、他の科目も、ほぼ同じような授業方法。
歴史の本なら、先生が本を範読し、学生は唱和する。補習の試験対策講座に出ると、先生が試験に出そうなところを範読してくれるから、学生はいっしょうけんめいその部分を丸暗記する。試験当日。たとえば、東洋史授業で、「中国元朝の滅亡について述べよ」という試験問題が出たら、元朝の滅亡について述べられているページを思いだし、教科書に書かれている通りに、一字一句たがえることなく、丸暗記したことを書き込んでいく。一字でも抜けたりしたら、減点。基本的に、試験はこの方式なのだそうです。
元の最後の皇帝や最後の皇后である奇氏について、私見を述べたい、なんてことは一切やっちゃだめ。先生が言った通り、教科書に書かれている通りを暗記するのが当地の学習方法。大学院の修士課程博士課程でも、基本的にこの教授スタイルであって、「自分自身のオリジナルの論文」などは100万年早い!世界です。
そういう授業スタイルの中、私は「丸暗記方式も、初級学習の方法として、よい面もある」ということは、認めるものの、できるだけ自分の頭で自分の表現したいことを考えて自分で文を創出する、ということを重視してきました。
しかし、それを当地の学生にやってもらうのは、とても難しかったです。リピート方式に慣れている学生たち。
「質問に答えてください」と言ってから、「お名前は?」と、教師が言ったら、自分の名前を答えてほしいのだ、ということをわかってもらうにも、苦労しました。「お名前は?」と教師がいうと、「オナマエワ?」と、リピートしてしまう学生だったのです。
TA(ティーチングアシスタント)がついてくれる曜日は「今、先生はリピートではなくて、質問対して、答えを要求しているのだ」という説明をしてもらい、だんだんに、教師がリピートを求めているのか、質問への答えを求めているのか、単語の代入を求めているのか、わかるようになってきましたが、さいしょのころは、すべてリピートしてしまう学生に困ったこともありました。
サバイバルジャパニーズクラスの要請にもさらに困りました。ひらがなカタカナを覚えなくてよい、ということにすると、講師室にある既存の教科書はつかえません。
英語教育では、「耳から入り、聞く練習を先にやって英語になれてから文字を導入する」という方式が主流ですが、現在の日本語教育では「さいしょに文字と発音を同時履修して日本語の発音、音節構造になれて、単語発音をしながらひらがなを覚える、そののち、文型教育に入る」という方式が主流です。
文字を覚えてから、教科書を使う、という編集がほとんどなので、現在では、アメリカの大学で編集された教科書でも、ローマ字書きは少なくて、ほとんどが平仮名カタカナを最初に覚えさせる教科書になっています。
文字を覚えなくてよい、という場合、口答練習のみでは、復習ができません。耳からきいたことをリピートするだけでは、家に帰ったとき、丸暗記しきれなかったことは抜けてしまうからです。
語学教育では教室でやった発音練習や文型練習を繰り返してもらわねば、先に進むことが難しい。
そこで、オリジナルの教材を作ることにしました。ローマ字書きで、簡単な文型を、ミャンマー語の訳語つきのテキストを作り、教室で練習したあと、宿題として家でリピートしてもらう。教室でリピートを100回くり返す余裕がないからです。なにせ90分×5回くらいの授業をやるだけで、日本でそこそこ暮らせるようにしろ、という要求、ハードルが高すぎます。
パワーポンイントスライドを作り、それを印刷したものを学生に配布しました。A4用紙にPPTスライド4枚分を印刷し、一回はA4の裏表に8枚のスライド。A4用紙3枚にスライド24ページ分。
第1回目は、あいさつと自己紹介を学ぶ。これは、どこに行っても、最初に自己紹介をするからです。
挨拶のpptスライドは、ミャンマー訳語つき。
これ、作るのに苦労しました。私には、ミャンマー語がわからないので、単語帳をPDF化して、そこから切り貼りするのです。TAに、私の訳語ピックアップが間違えていないか、チェックしてもらいました。「こんにちは」の訳語に、ミャンマー語の「こんばんは」がくっつけられていないかどうかのチェックです。
幸い、1回目2回目の授業は、テキストもわかりやすく出来たので、好評のうちに授業を終えることができました。
当地では、「セヤマー(女性先生)」も男の先生も、「絶対的な尊敬の対象」です。教師が手抜き授業をしても、セヤマーを敬うこと限りなし。ですが、教師が熱意をこめて授業をしているのかどうかは、学生にも伝わるはずです。
春庭の熱血ライブ授業、学生にわかってもらえたと信じて、次回のクラスにのぞみましょう。
挨拶を学習したときの、パワーポイント教材です。
朝、昼、夜の時間帯紹介。絵は、「直接法で教える日本語絵教材」を利用。。

あいさつ語の導入

この2枚を作るのに、どれだけ時間がかかったことか。それを毎回24枚作るのです。
でも、この苦労というのは、「簡単な日本語を教えるのは簡単なことだ」と思って授業を命じてくる方にはわかってもらえないだろうなあ。
<つづく>