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ミンガラ春庭「日本の若者達 in ヤンゴン」

2015-09-10 00:00:01 | エッセイ、コラム

 ショートステイ留学生修了式は、シュエタゴンパゴダが見える人民公園のほとりにあるレストランで。、
 
20150910
ミンガラ春庭ニッポニアニッポン教師日誌>2015ヤンゴン教師日誌(4)日本の若者たちinヤンゴン

 教師は私に向いている職業ではないと思って中学校国語教師をリタイアしたのに、結局のところ大学非常勤講師を20年以上続けてしまったのは、留学生に日本語を教え、日本人学生に日本語教育学や日本語学を教えるという以外に、食べていく手段がなかったからです。とはいうものの、本当にやりたくなくて嫌ないやな仕事だったら、やはり転職するしかなかったのでしょうから、いやいやでも泣きながらでも、続けてこられたメリットはありました。
 毎年、新しい若者に出会えるというのもメリットのひとつ。まあ、「なんでこのようなアンポンタンに日本語文法を教えて、日本語はおもしろいと思わせるために膨大な時ね間を割いて授業準備をしてきたのか」という徒労感で一日を終えることもなきにしもあらずの20年間ではありましたが。
 
 ヤンゴンでも、面白い若者達に出会いました。
 まじめなビルマ語学習者である派遣元大学からの1年間留学生。素直で誠実ではあるのですが、その分、はちゃめちゃな破天荒さには欠ける。
 ショートステイで夏休みの間だけヤンゴンに滞在している、1年間留学生の後輩である学生たちも、同じようにまじめで誠実です。日本語教室にも参加してくれて、その誠実さがとてもありがたかったのは事実。でも、一方で、はちゃめちゃもやってほしいなあと、思ってしまうのです。

 この夏ショートステイした学生は、独立法人国立大学の学生のほか、私立大学アジア学専攻の学生達もいました。こちらは、渋谷あたりにたむろっているフツーの若者達でした。
 最初からステイを終える最後まで、「ここの寮のメシ、劇マズッ!」「早く日本にカエリテェ」と、ボヤキ続けていました

 どうして、ヤンゴン滞在を選んだの?と、尋ねると、「マア、タイとかだったら、ツアーもふつうにあるしみんな行ってるから、ミャンマー行ったって友達に言うと、ちょっとは珍しがられるかと思って」「いい経験になるから、とか先生に勧められて、はめられた」など。
 はめられた、というのは、「だまされて来ちゃったけれど、ヒデェ所だった」と、思っているってこと。ただ、彼らも「フツウに水が断水しないで使えるとか、電気が停電しないとか、日本で当たり前だと思っていたことが当たり前じゃない国もあるんだってことがわかった」と、言っていたので、それなりに経験したことが今後の人生によい影響を与えるだろうとは思います。

 私立大の彼らは、2年生女性ひとり男子学生3人、1年生男子学生ひとり。この1年生は、日本語教育の授業を日本のキャンパスでも受講しているというし、2年生には少し遠慮があるのか、国立大の1年生たちと「タメ」つきあいをしていました。日本語教室にもよく顔を出して、TA補助をやってくれました。

 私立大の4人、「オレたち、寮のメシ食えないんで、毎日シンガポールのカフェで食ってます」と、言います。大学に一番近い繁華街、レーダンセンターに出店した「ヤークン」というシンガポール華僑資本の店です。学食なら一食1500チャット150円ですむところ、ヤークンだと、一食5000チャット500円です。でも、彼らは渋谷での金銭感覚で暮らしているので、私のように「ヤークン、高っ!」なんて思わない。

 ミャンマー飯が合わないという私立大2年4人1年ひとりを、「とんかつ」 の店につれて行きました。1年生は「高っ!」と、言いましたが、2年生は、「飲み物も一つ。料理一品だよ。それ以上頼む人は、自腹だからね」という私のことばに遠慮なく、「ヒレカツ定食とジュース」など、注文。とんかつは、日本の「カツヤ」とか、牛丼屋のとんかつ定食に比べて半分の大きさだったので、トリ唐揚げやポテトサラダもも追加して、6人の食事代80000チャット8
000円でした。日本ではぜったいに学生におごったりしないけれど、まあ、ヤンゴンだから、いくら安月給とはいえ、破産することもない。
 国立大ショートステイの学生たちには、ヤークンで10人におごりました。ヤークン、高っ。破産寸前。かろうじて、サイフの中の紙幣が足りました。

 当地では、学生と先生がいっしょに食事することがあったら、ぜったいに学生が教師をもてなすのです。先生に払わせたりしたら、尊敬する先生になんてことさせるんだ、と、親も怒る。先生は、絶対の崇敬の相手なのです。

 ショートステイの間のビルマ語学習でも、私立大生たちは「先生の言っていること、最初から最後まで、ひとっこともわからないっす」と、言いながらの受講であったよし。国立大のほうは、ビルマ語が主専攻であるけれど、私立大のショートステイ留学生達にとって「夏やすみにヤンゴンですごせば、2単位もらえるって先生が言うからきただけ」と、言います。
語学授業はつまらなそうでしたが、木琴の一種パッタラーというミャンマーの伝統楽器の授業は楽しそうに受けていました。

 国立大のショートステイ留学生は、サウンという「ビルマの竪琴」を習いました。弦が、ドレミファの西洋音階とは違う並びで、だんだん高い音になっていったと思ったら、突然低い音の弦になったりして、調律が難しいのだそう。

 最後に合奏でもするのかと思って両方のクラスを見ていたのですが、それぞれが一曲ずつくらい習得して、それで終わりだったようです。
 私もパッタラーを習いたかったのですが、正規授業が終わったあとの3:30-5:00が、音楽特別授業で、私は日本語教室があるので、習うことはできませんでした。

 ビルマの竪琴を習う日本人留学生たち。


 8月28日金曜日に、20日間のショートステイ修了式がありました。ビルマ語をちゃんと学んだ留学生にも、飯マズッと言い続けた留学生にも、学科長から修了証手渡されました。
 その後、ビルマ語での修了スピーチ発表の段。私立大生たちは、とぼしい語彙をならべ、知っている限りのビルマ語をしゃべりました。「私の名前は○○です。大学2年生です。寮のミャンマーごはん、まずいです。シンガポールレストランのごはん、おいしいです。おわり」なんて具合。おいおい、ミャンマー料理の大盤振る舞いを学科長がしてくれたのに、「ミャンマーの飯、まずっ」は、それこそまずいんじゃないの?と思ったけれど、正直といえば正直。

学科長のおもてなしミャンマー料理


 国立大の学生たち、あらかじめスピーチ原稿を作ってきていました。それを読み上げるので、文は整っていたのだろうと思うのですが、おもしろみに欠けました。ビルマ語まったくわからないせいだろうけれど。
 人のこころにその内容が伝わったという点では、ビルマ語わからない私にも「ミャンマーの飯、まずっ」というスピーチのほうが実感がこもっていました。よっぽど香辛料と、油たっぷりの料理が合わない子だったのだろうと思います。

学科長から修了証を受ける
 

 私立大の2年生4人組みは「とんかつ」の店で一回おごっただけなのに、29日土曜日の帰国直前、午前中に、「オレら、これヤンゴンで買ったんすけど、もういらないので捨てていきます。先生、使いますか」と、カバーなしの羽だけ扇風機、ドライヤー、シャンプーの残り、洗剤の残りなどを講師室に運んできました。おお、ありがたや、使いますとも。
 ドライヤー、買おうかどうしようか迷っていたのだけれど、買わないでいてよかった。「これ、250ボルトで、日本じゃ使えないし、どうせ捨てる気でしたから」と、日本の私立大生、ぜいたくなことを言う。

 国立大のまじめな留学生もいい子たちでしたけれど、この私立大の「シブヤあたりにいそうなワカゾーたち」が、私は好きでした。

 「おなか壊したり、たいへんな思いもしたと思うけれど、あと、40年たったら、この夏のこと思いだしてね。きっとよい時間をすごした、って思えるだろうから。そしたら、あのヤンゴンで出会ったバーサン先生が、この夏の時間は人生での大切な時間になるんだよって言っていたなあって思い出してね。私はあと40年たったら、生きてないけれど」と、はなむけのことばを述べて、お礼の代わりにしました。お昼ご飯をおごりたくはあったのだけれど、コピーリース会社の人が、トナーを土曜日に届けるというので、土曜日出勤をして届くのを待っていたところだったので、事務室を閉めてしまうわけにいきません。11時というアポが何時になるのか、その日の都合しだいになるミャンマーアポなので。

 帰国して、電気も水もちゃんと使えて、トイレにはペーパーがある暮らしに戻ったあと、彼らがこの夏をなつかしく思い出す日がくるだろうか。いっしょに街を歩いて、歩道は穴ぼこだらけ、街はゴミだらけ。どぶ川の臭いに「この街、キッタネー、くせぇ」と文句を言っていたことも、きっと人生の糧になる。

<おわり>

次のヤンゴンだよりは月末に。
次回から2003年9月日記再録です。
コメント (6)
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