20150919
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記9月(6)2003年の振り回す槍
2003年三色七味日記9月の再録を続けています。
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2003/09/18 木 晴れ
ことばの知恵の輪>振り回す槍
今日の「語源トリビア」。
ザ・ブームの宮沢和史によると、ボサノバとは、「新しい流れ」の意味。ノバが「新しい」は知っていたが、ボサの意味を知らないから、ドドンパとか、チャチャチャみたいに、特に意味を持たない音楽や踊りの型へのネーミングかと思っていた。サルサが英語で言うとソースにあたる意味というのも聞いたことあるが、ボサノバは、そうか、「新しい流れ」か。
カタカナのことばの方を先に覚えてしまうと、語源など考えずに使ってしまうから、元の意味を知ると「へぇ!」と、うれしい。ゴシックが「ゆがんだ真珠」の意味とか。
シェークスピアShakespeareが「振り回す、槍」Shake spearだというのも知らなかった。
おしりにeがついても同じ言葉というのは、赤毛のアンが「わたしのアンは、annじゃなくて、anneだからねっ」と主張していたので、へえ、英語の名前はeがついてもつかなくてもいいのか、と少女のころ思ったのだけれど、Shakespeareのspeareは、spearと同じだったんだ。
でも、カタカナで先に覚えると、絶対に「シェイク+スピア」だとは思わず「シェー+クス+ピア」だと思うもんね。禿げたオッサンが、シェーをしながらクスッと笑って雑誌「ぴあ」を眺めている図が思い浮かぶ。オッサンは禿げなでながら「よし、映画はやっぱり『恋に落ちたシェークスピア』を見よう」なんぞとぶつくさ言ってるんです。
学生時代にいっぱい頭に詰め込んだ人は、詰め込んだことを切り売りして、一生食べていくことができる。学校であまり詰め込まなかった人は、こうやって、ひとつひとつ「へぇ!」とボタンをたたきながら楽しむことができる。
私は合計26年間も学校教育を受けた人間なのに、7回出席した卒業式ごとに、「学校から受けたものは学校に返却!」と、律儀に返済していたから、未だに楽しみをたくさん拾うことができる。何を聞いても「へぇ!」を連発。
本日の負け惜しみ:学校で身につけたことで、実際に重宝しているのは、職業専修校で覚えたブラインドタッチ早打ちの技だけ。おしゃべりをするのと同じスピードで打てる。テレビニュースの速記録がとれる
2003/09/19 金 晴れ
日常茶飯事典>ファミリーオペラコンサート
夕方、姑と待ち合わせて、パーシモンホールで、コンサート。オペラや日本の歌曲。久しぶりに声楽を生で聞いて楽しかった。
出色は、ウクライナのバンドラという民族楽器を弾き語りしたオクサーナというソプラノ。次によかったのは小野和歌子というメゾソプラノ。
五十嵐麻利江は、司会もこなして軽妙な味を出していたが、歌に関してはオクサーナや小野の「天賦の才」と比べると、自ら「私はオクサーナさんの前座をつとめた」というのが、謙遜に聞こえず、「その通り」に聞こえた。フィナーレの乾杯の歌のときも、声を張り上げてソプラノを勤めるのが痛々しいくらいで、「無理せんで、ええから。ここは、ひとつ若いもんにまかせて、、、」と、声をかけたくなった。父も声楽家、恵まれた家庭環境ですくすくと育ったのだろうが。天賦の才がだれに与えられるかは神の采配。サリエリには与えられず、ヴォルフガング・アマデウスには与えられた采配。
これまで、姑は、舅といっしょにでかけるか、姑の姉、横浜の洋子伯母を誘って出かけていた。
たけ子伯母は、定年まで音楽教師を勤めた人だから、コンサートとなればなおさらだ。どうして嫁を誘う気になったのかな、と思い「たけ子伯母さんは、ご都合が悪かったんですか」と聞いてみた。
「姉さん、80歳をすぎたら、とたんに足腰が悪くなって、家の中を歩くだけなら大丈夫だけれど、外を歩くにはお嫁さんについてきてもらわなくちゃならないの。そしたら、コンサートの券、3枚いるでしょう?今回は2枚しかなかったから」ということだった。
嫁になって20年たつけど、姑とでかけるのは、子どもが小さいときは動物園遊園地、入学後は学校行事などにいっしょに行くだけだった。姑と二人だけで出かけることはめったにない。姑は話し好きな人で、私はあいづちだけですむ。こちらから話題を探したりしなくてもいいから、いっしょにいて楽な人。もっと、一人暮らしの姑のお相手をつとめるよう、心がけるべきなのだろうなあ。
本日のいきみ:麻利江が高音をだそうとするとき、いきんでいるように聞こえてこちらも息苦しかった
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20150919
高齢者には過酷であったヤンゴン勤務。ようやく最後の授業を終えました。最終クラスの受講生達には、最後は日本語でのスピーチを課しました。9月からはじまったサバイバルクラス、なんとか買い物くらいはできるようにはなったけれど、90分授業6回の授業ではまだまだ不足もあります。
でも、受講生たち、みなきちんと準備をしてきて、自己紹介とお礼の日本語スピーチをしました。これも、あれも、私が上手に教えたから。なんてね
。
最後は日本から持っていった浴衣を学生に着せて、日本文化紹介授業。私はミャンマーの民族衣装であるロンジーを着て最後の授業に出たので、最後は記念撮影になりました。受講生達、翡翠のネックレスと、シュエダゴンパゴダのレリーフを記念品にプレゼントしてくれました。
<つづく>
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記9月(6)2003年の振り回す槍
2003年三色七味日記9月の再録を続けています。
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2003/09/18 木 晴れ
ことばの知恵の輪>振り回す槍
今日の「語源トリビア」。
ザ・ブームの宮沢和史によると、ボサノバとは、「新しい流れ」の意味。ノバが「新しい」は知っていたが、ボサの意味を知らないから、ドドンパとか、チャチャチャみたいに、特に意味を持たない音楽や踊りの型へのネーミングかと思っていた。サルサが英語で言うとソースにあたる意味というのも聞いたことあるが、ボサノバは、そうか、「新しい流れ」か。
カタカナのことばの方を先に覚えてしまうと、語源など考えずに使ってしまうから、元の意味を知ると「へぇ!」と、うれしい。ゴシックが「ゆがんだ真珠」の意味とか。
シェークスピアShakespeareが「振り回す、槍」Shake spearだというのも知らなかった。
おしりにeがついても同じ言葉というのは、赤毛のアンが「わたしのアンは、annじゃなくて、anneだからねっ」と主張していたので、へえ、英語の名前はeがついてもつかなくてもいいのか、と少女のころ思ったのだけれど、Shakespeareのspeareは、spearと同じだったんだ。
でも、カタカナで先に覚えると、絶対に「シェイク+スピア」だとは思わず「シェー+クス+ピア」だと思うもんね。禿げたオッサンが、シェーをしながらクスッと笑って雑誌「ぴあ」を眺めている図が思い浮かぶ。オッサンは禿げなでながら「よし、映画はやっぱり『恋に落ちたシェークスピア』を見よう」なんぞとぶつくさ言ってるんです。
学生時代にいっぱい頭に詰め込んだ人は、詰め込んだことを切り売りして、一生食べていくことができる。学校であまり詰め込まなかった人は、こうやって、ひとつひとつ「へぇ!」とボタンをたたきながら楽しむことができる。
私は合計26年間も学校教育を受けた人間なのに、7回出席した卒業式ごとに、「学校から受けたものは学校に返却!」と、律儀に返済していたから、未だに楽しみをたくさん拾うことができる。何を聞いても「へぇ!」を連発。
本日の負け惜しみ:学校で身につけたことで、実際に重宝しているのは、職業専修校で覚えたブラインドタッチ早打ちの技だけ。おしゃべりをするのと同じスピードで打てる。テレビニュースの速記録がとれる
2003/09/19 金 晴れ
日常茶飯事典>ファミリーオペラコンサート
夕方、姑と待ち合わせて、パーシモンホールで、コンサート。オペラや日本の歌曲。久しぶりに声楽を生で聞いて楽しかった。
出色は、ウクライナのバンドラという民族楽器を弾き語りしたオクサーナというソプラノ。次によかったのは小野和歌子というメゾソプラノ。
五十嵐麻利江は、司会もこなして軽妙な味を出していたが、歌に関してはオクサーナや小野の「天賦の才」と比べると、自ら「私はオクサーナさんの前座をつとめた」というのが、謙遜に聞こえず、「その通り」に聞こえた。フィナーレの乾杯の歌のときも、声を張り上げてソプラノを勤めるのが痛々しいくらいで、「無理せんで、ええから。ここは、ひとつ若いもんにまかせて、、、」と、声をかけたくなった。父も声楽家、恵まれた家庭環境ですくすくと育ったのだろうが。天賦の才がだれに与えられるかは神の采配。サリエリには与えられず、ヴォルフガング・アマデウスには与えられた采配。
これまで、姑は、舅といっしょにでかけるか、姑の姉、横浜の洋子伯母を誘って出かけていた。
たけ子伯母は、定年まで音楽教師を勤めた人だから、コンサートとなればなおさらだ。どうして嫁を誘う気になったのかな、と思い「たけ子伯母さんは、ご都合が悪かったんですか」と聞いてみた。
「姉さん、80歳をすぎたら、とたんに足腰が悪くなって、家の中を歩くだけなら大丈夫だけれど、外を歩くにはお嫁さんについてきてもらわなくちゃならないの。そしたら、コンサートの券、3枚いるでしょう?今回は2枚しかなかったから」ということだった。
嫁になって20年たつけど、姑とでかけるのは、子どもが小さいときは動物園遊園地、入学後は学校行事などにいっしょに行くだけだった。姑と二人だけで出かけることはめったにない。姑は話し好きな人で、私はあいづちだけですむ。こちらから話題を探したりしなくてもいいから、いっしょにいて楽な人。もっと、一人暮らしの姑のお相手をつとめるよう、心がけるべきなのだろうなあ。
本日のいきみ:麻利江が高音をだそうとするとき、いきんでいるように聞こえてこちらも息苦しかった
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20150919
高齢者には過酷であったヤンゴン勤務。ようやく最後の授業を終えました。最終クラスの受講生達には、最後は日本語でのスピーチを課しました。9月からはじまったサバイバルクラス、なんとか買い物くらいはできるようにはなったけれど、90分授業6回の授業ではまだまだ不足もあります。
でも、受講生たち、みなきちんと準備をしてきて、自己紹介とお礼の日本語スピーチをしました。これも、あれも、私が上手に教えたから。なんてね
。
最後は日本から持っていった浴衣を学生に着せて、日本文化紹介授業。私はミャンマーの民族衣装であるロンジーを着て最後の授業に出たので、最後は記念撮影になりました。受講生達、翡翠のネックレスと、シュエダゴンパゴダのレリーフを記念品にプレゼントしてくれました。
<つづく>
<つづく>