20150927
ミンガラ春庭ミャンマーだより>2015ヤンゴン日記9月(9)ダラからトゥワンティ村へ
お寺をひとつ見たあと、バイクタクシーは、ひたすら穴ぼこ道を走りました。
当地では道もビルも「修理修繕」という考えはない。ビルは古びるにまかせ、ビルの壁が汚れようがベランダの手すりがさびようが、そのまま。古いビルはものすごくおんぼろです。道路は一応舗装されているところでも穴があけばそのまま、ひび割れができてもそのまま。メンテナンスということが勘定に入っていない。バスも車体を洗うということはせず、窓がこわれたらそのまま、エンジンがこわれるまで車内の修繕はせずに走り続ける。
バナナの葉で葺いた屋根、竹を編んだ壁、モンスーンで家が倒れればそのまま自然にかえるのにまかせて、また別の新しい家を建てる、そういうやり方で千年間きたものを、ビルを建てるようになって100年。イギリス人が自国に帰ったあと、ビルはそのまま修理修繕せずに使われています。中には歴史的価値が認められて修理修繕を施されつつある建物もあるけれど、たいていは古いまま使っているし、使えなくなれば放置する。
ヤンゴン大学も、英領時代に建てられたものをそのまま使っていますが、多くの校舎が、日本では考えられないぶっ壊れた状態で使われています。水道配管が壊れている部分が何カ所もあり、あちこちから水が噴き出している。水が豊富なヤンゴンなのでと、言いたいけれど、洗面所の断水はしょっちゅうです。配管からの水漏れを見て以来、大学内の断水は水不足というより配管の水漏れが原因とわかりました。これだけバケツをぶちまけたような雨が降り、低地の道路は川になってしまう地域で、水不足ということはありえないはずなのに、しょっちゅう断水。
廊下の隅やトイレの前には、壊れた机やいすが山積みだし。掃除をしてきれいにして使う、という発想がない。一応掃除人はいて、掃除しているのを見かけるのだけれど、目に付くごみをほうきでちゃっちゃと掃くくらいで、日本的感覚では、掃除とはいえない。
日本では、たとえば、新人駅員は、駅舎の清掃から仕事を言いつけられる。しかし当地では、駅員は掃除人ではないから、掃除なんぞ決してしない。清掃人は、自分の超安い人件費に見合う程度の掃除しかしない。
幕末に、清国の高官が英国大使館を訪れた。大使が来客に備えて椅子を運んでいるのをみて、身分の低い人だろうと思った。大使に紹介されたので顔を見ると、さきほどの椅子運搬係なので、そんな身分の低い人間をあてがわれるなんて、と憤慨して帰ってしまった、というのを読んだことがありますが、当地でもその伝統はあるらしい。
バイクタクシーは、穴ぼこを巧みによけて右に左に揺れながら進みます。1時間4000チャットの契約だから、できるだけゆっくり進んだ方が彼らの収入は高くなる、という計算なので、あまりスピードを出さずに走ります。
ここいら一帯がヤンゴン川のデルタ地帯。沼地の中に道があるというか、湿地帯のちょっと高いところを舗装して道にした、というか。
家は高床式に作ってありますが、どの家も掘っ立て小屋程度。同じ高床式でも、アジアの各地に芸術的な伝統建築があるのに、ダラからトゥワンティ村にかけて見た家は、「ここに一晩泊まるのはパス」と感じる家でした。
民族芸術を専攻したかった春庭。民家を見て回るのも大好きです。でも、ここらの家は、ケニアの最貧地帯トゥルカナ湖周辺で見た、鳥の巣のような小屋よりも住みたくない感じ。床下がごみだらけの泥沼だからか。
今まで建築写真集や民族文化写真集で見た川の上の高床式の民家は、もう少し工夫されて住みやすく整えてあったのだけれど。なんだ、このスラム地帯感は。
このデルタ地帯沼地の沼気がいかんのだな。どうして、自分の家のまわりの沼地にゴミがいっぱい浮いているのをそのままにしておくのか。ビニール袋やペットボトル、あきかんなどが浮いている。バスの乗客は平気で窓からごみを捨てる。どうして、清掃という観念が人々の間にないのだろうか。お寺の境内がごみだらけで汚れていて平気だし。
ダラから農村地域に入ると、景色も一変し、道の両側が水田で、とても気持ちよい。
早く焼き物工房に行きたいのに、バイクタクシーは、途中の「池の中のお寺」に案内しました。「蛇の寺」として、有名なんだそうです。
境内には鯉の餌売りと、蛇の餌売りがぞろぞろいます。池の鯉にパンをちぎって与えれば、生き物を大切にしたことになり、功徳が積まれる、、、、だから、私は来世は鯉でもなんでもいいって言っているのに。
私は鯉の餌やりなんぞしたくなかったけれど、オン先生がパンを一袋買ってきて、池の鯉に与えろというので、太った鯉どもにパンを撒く。水をはね散らかしながら、鯉はパンを飲み込む。くぅ、この鯉、鯉コクにして食べたいなあ。功徳が減ってもいいや。
池の中に礼拝堂があり、坊さんがひとりと、蛇飼育係がひとりお堂の中にいた。お堂のなげしに、2mくらいのニシキヘビが10匹くらい横たわっている。毒のない蛇と思うが、飼育係が、蛇を首に巻いて写真を撮らないかという。いらんいらん。日本の動物園でやったことあるし。

オン先生は、蛇の餌代のほか、なにがしを堂守の坊さんに寄進する。私もしろと言われて1000チャット出した。無信心だから、来世をよくするために1000チャット出すよりも飲み物でも買って今飲んだ方がずっと我が身にはよい気がする。
どうも上座仏教と波長が合わない。
仏様の前に牛乳がお供えになっているのは、牛乳が蛇の飲み物だから。牛乳風呂につかっている蛇の写真もかざってありました。
仏様の顔は、どこも白塗り。袈裟は金色。

ダラから20km南に位置するトゥワンティ村。昔は村中が焼き物作りに励んでいたのだけれど、今ではプラスチック製品も出回って、水入れの瓶や家庭用の物入れにこの村で作った焼き物を使う家庭が減りました。焼き物工房も、もう村に数カ所になった、ということです。
工房は、大きな建物で、バナナの葉で葺いた屋根。壁は下張りのみ。窓なし。電気はないので、暗くなったら終業。

ろくろを足で回す人と、土をこねて壺や瓶の形を整える人が組になっている。自分で手回しでろくろを回しているのは、燈明皿を作る小物係。
天日干しのあと、素焼きし、みがきをかける。そのあと、絵付け。絵付けの色づけはペンキに油を混ぜた物。たくみな筆づかいで、さっさっと花を描いていく。

絵付けの絵の具、昔はペンキなんてものじゃなくて、伝統的な絵の具があっただろうに。
伝統絵の具にして、民芸として付加価値をつけたほうがいいのになあと思います。大きな水瓶は、ひとつ1000チャット100円で卸しているそうだけれど、産業として考えるなら、ミャンマーの漆工芸が「伝統ラッカー芸術品」として成功したように、あるいは、タイの絹織物を世界的なテキスタイル「ジム・トンプソン」として売り出したアメリカ人ジェイムズ・H・W・トンプソンのように、だれかが製品の企画と品質管理を行えば、大きな瓶が一個100円ということじゃなく、働いている職人の収入もちゃんと確保できるようになるのになあ、と思いました。
焼きあげは、大きな釜に壺や瓶を並べ、最初は勢いよく火を焚くために木の薪で、全体に火がまわったら、やわらかな火力にするために竹を釜に入れる。
おじいさんが、釜から焼き上がったまだ熱い壺や瓶を取り出している。おじいさんは、上の歯が一本残っているだけの口で、よくしゃべりました。前に伝統工芸を取り仕切る役所の人がテレビクルーを連れてきて、おじいさんにインタビューをしていったそうです。おじいさんは、たくさん並んだ瓶のふくらみを指して、自分がろくろで作った瓶は、見ただけでわかる、と言っていました。見学者の目には、どれも同じような瓶ですが、瓶の膨らみには、微妙に作った人の個性が出て、見ればわかるものらしい。

おじいさん、ものすごく年寄りに見えたけれど、私より若い63歳でした。平均寿命65歳の当地では63歳でも長老なのでしょう。20歳前から40年間作り続けているそうです。日本なら伝統工芸士とか、それらしきお墨付きがつくところでしょうが、おじいさんは信じられないくらい安い工賃で壺を焼き続けている。一個100円の壺、何個作っていかほどの収入になるのか。
オン先生は、見学の最後に5000チャットを渡して、みなで果物でも買ってください、というようなことを言っていました。しまった、私がそうすべきだったのに。
<つづく>
ミンガラ春庭ミャンマーだより>2015ヤンゴン日記9月(9)ダラからトゥワンティ村へ
お寺をひとつ見たあと、バイクタクシーは、ひたすら穴ぼこ道を走りました。
当地では道もビルも「修理修繕」という考えはない。ビルは古びるにまかせ、ビルの壁が汚れようがベランダの手すりがさびようが、そのまま。古いビルはものすごくおんぼろです。道路は一応舗装されているところでも穴があけばそのまま、ひび割れができてもそのまま。メンテナンスということが勘定に入っていない。バスも車体を洗うということはせず、窓がこわれたらそのまま、エンジンがこわれるまで車内の修繕はせずに走り続ける。
バナナの葉で葺いた屋根、竹を編んだ壁、モンスーンで家が倒れればそのまま自然にかえるのにまかせて、また別の新しい家を建てる、そういうやり方で千年間きたものを、ビルを建てるようになって100年。イギリス人が自国に帰ったあと、ビルはそのまま修理修繕せずに使われています。中には歴史的価値が認められて修理修繕を施されつつある建物もあるけれど、たいていは古いまま使っているし、使えなくなれば放置する。
ヤンゴン大学も、英領時代に建てられたものをそのまま使っていますが、多くの校舎が、日本では考えられないぶっ壊れた状態で使われています。水道配管が壊れている部分が何カ所もあり、あちこちから水が噴き出している。水が豊富なヤンゴンなのでと、言いたいけれど、洗面所の断水はしょっちゅうです。配管からの水漏れを見て以来、大学内の断水は水不足というより配管の水漏れが原因とわかりました。これだけバケツをぶちまけたような雨が降り、低地の道路は川になってしまう地域で、水不足ということはありえないはずなのに、しょっちゅう断水。
廊下の隅やトイレの前には、壊れた机やいすが山積みだし。掃除をしてきれいにして使う、という発想がない。一応掃除人はいて、掃除しているのを見かけるのだけれど、目に付くごみをほうきでちゃっちゃと掃くくらいで、日本的感覚では、掃除とはいえない。
日本では、たとえば、新人駅員は、駅舎の清掃から仕事を言いつけられる。しかし当地では、駅員は掃除人ではないから、掃除なんぞ決してしない。清掃人は、自分の超安い人件費に見合う程度の掃除しかしない。
幕末に、清国の高官が英国大使館を訪れた。大使が来客に備えて椅子を運んでいるのをみて、身分の低い人だろうと思った。大使に紹介されたので顔を見ると、さきほどの椅子運搬係なので、そんな身分の低い人間をあてがわれるなんて、と憤慨して帰ってしまった、というのを読んだことがありますが、当地でもその伝統はあるらしい。
バイクタクシーは、穴ぼこを巧みによけて右に左に揺れながら進みます。1時間4000チャットの契約だから、できるだけゆっくり進んだ方が彼らの収入は高くなる、という計算なので、あまりスピードを出さずに走ります。
ここいら一帯がヤンゴン川のデルタ地帯。沼地の中に道があるというか、湿地帯のちょっと高いところを舗装して道にした、というか。
家は高床式に作ってありますが、どの家も掘っ立て小屋程度。同じ高床式でも、アジアの各地に芸術的な伝統建築があるのに、ダラからトゥワンティ村にかけて見た家は、「ここに一晩泊まるのはパス」と感じる家でした。
民族芸術を専攻したかった春庭。民家を見て回るのも大好きです。でも、ここらの家は、ケニアの最貧地帯トゥルカナ湖周辺で見た、鳥の巣のような小屋よりも住みたくない感じ。床下がごみだらけの泥沼だからか。
今まで建築写真集や民族文化写真集で見た川の上の高床式の民家は、もう少し工夫されて住みやすく整えてあったのだけれど。なんだ、このスラム地帯感は。
このデルタ地帯沼地の沼気がいかんのだな。どうして、自分の家のまわりの沼地にゴミがいっぱい浮いているのをそのままにしておくのか。ビニール袋やペットボトル、あきかんなどが浮いている。バスの乗客は平気で窓からごみを捨てる。どうして、清掃という観念が人々の間にないのだろうか。お寺の境内がごみだらけで汚れていて平気だし。
ダラから農村地域に入ると、景色も一変し、道の両側が水田で、とても気持ちよい。
早く焼き物工房に行きたいのに、バイクタクシーは、途中の「池の中のお寺」に案内しました。「蛇の寺」として、有名なんだそうです。
境内には鯉の餌売りと、蛇の餌売りがぞろぞろいます。池の鯉にパンをちぎって与えれば、生き物を大切にしたことになり、功徳が積まれる、、、、だから、私は来世は鯉でもなんでもいいって言っているのに。
私は鯉の餌やりなんぞしたくなかったけれど、オン先生がパンを一袋買ってきて、池の鯉に与えろというので、太った鯉どもにパンを撒く。水をはね散らかしながら、鯉はパンを飲み込む。くぅ、この鯉、鯉コクにして食べたいなあ。功徳が減ってもいいや。
池の中に礼拝堂があり、坊さんがひとりと、蛇飼育係がひとりお堂の中にいた。お堂のなげしに、2mくらいのニシキヘビが10匹くらい横たわっている。毒のない蛇と思うが、飼育係が、蛇を首に巻いて写真を撮らないかという。いらんいらん。日本の動物園でやったことあるし。

オン先生は、蛇の餌代のほか、なにがしを堂守の坊さんに寄進する。私もしろと言われて1000チャット出した。無信心だから、来世をよくするために1000チャット出すよりも飲み物でも買って今飲んだ方がずっと我が身にはよい気がする。
どうも上座仏教と波長が合わない。
仏様の前に牛乳がお供えになっているのは、牛乳が蛇の飲み物だから。牛乳風呂につかっている蛇の写真もかざってありました。
仏様の顔は、どこも白塗り。袈裟は金色。

ダラから20km南に位置するトゥワンティ村。昔は村中が焼き物作りに励んでいたのだけれど、今ではプラスチック製品も出回って、水入れの瓶や家庭用の物入れにこの村で作った焼き物を使う家庭が減りました。焼き物工房も、もう村に数カ所になった、ということです。
工房は、大きな建物で、バナナの葉で葺いた屋根。壁は下張りのみ。窓なし。電気はないので、暗くなったら終業。

ろくろを足で回す人と、土をこねて壺や瓶の形を整える人が組になっている。自分で手回しでろくろを回しているのは、燈明皿を作る小物係。
天日干しのあと、素焼きし、みがきをかける。そのあと、絵付け。絵付けの色づけはペンキに油を混ぜた物。たくみな筆づかいで、さっさっと花を描いていく。

絵付けの絵の具、昔はペンキなんてものじゃなくて、伝統的な絵の具があっただろうに。
伝統絵の具にして、民芸として付加価値をつけたほうがいいのになあと思います。大きな水瓶は、ひとつ1000チャット100円で卸しているそうだけれど、産業として考えるなら、ミャンマーの漆工芸が「伝統ラッカー芸術品」として成功したように、あるいは、タイの絹織物を世界的なテキスタイル「ジム・トンプソン」として売り出したアメリカ人ジェイムズ・H・W・トンプソンのように、だれかが製品の企画と品質管理を行えば、大きな瓶が一個100円ということじゃなく、働いている職人の収入もちゃんと確保できるようになるのになあ、と思いました。
焼きあげは、大きな釜に壺や瓶を並べ、最初は勢いよく火を焚くために木の薪で、全体に火がまわったら、やわらかな火力にするために竹を釜に入れる。
おじいさんが、釜から焼き上がったまだ熱い壺や瓶を取り出している。おじいさんは、上の歯が一本残っているだけの口で、よくしゃべりました。前に伝統工芸を取り仕切る役所の人がテレビクルーを連れてきて、おじいさんにインタビューをしていったそうです。おじいさんは、たくさん並んだ瓶のふくらみを指して、自分がろくろで作った瓶は、見ただけでわかる、と言っていました。見学者の目には、どれも同じような瓶ですが、瓶の膨らみには、微妙に作った人の個性が出て、見ればわかるものらしい。

おじいさん、ものすごく年寄りに見えたけれど、私より若い63歳でした。平均寿命65歳の当地では63歳でも長老なのでしょう。20歳前から40年間作り続けているそうです。日本なら伝統工芸士とか、それらしきお墨付きがつくところでしょうが、おじいさんは信じられないくらい安い工賃で壺を焼き続けている。一個100円の壺、何個作っていかほどの収入になるのか。
オン先生は、見学の最後に5000チャットを渡して、みなで果物でも買ってください、というようなことを言っていました。しまった、私がそうすべきだったのに。
<つづく>