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ぽかぽか春庭「西洋絵画ルネッサンスから20世紀まで in 富士美術館」

2019-02-24 00:00:01 | エッセイ、コラム


20190224
ぽかぽか春庭アート散歩>2019冬のアート散歩(2)西洋絵画ルネッサンスから20世紀まで in 富士美術館

 「藤田嗣治本のしごと展」を見たついでに、同時開催の常設展を見ました。今回の特集は「西洋絵画ルネッサンスから20世紀まで」という展示です。
 富士美術館が開館したのは1983年。都内にあるのに、開館してから20年以上も見に来なかった。ときどき「見にいきたいなあ」と思う展覧会もあったのだけれど。

 実をいうと、宗教団体が設立した美術館に対して、斜めに構える気持ちがあり、熱海のMOA美術館と富士美術館、これまで観覧の機会を持ちませんでした。
 むすめが「尾形光琳の紅白梅図屏風が見たい」と言い出して熱海に行くことになりました。MOA美術館所蔵の国宝です。世界救世教設立のMOA美術館に行くなら、創価学会設立の富士美術館にもいきましょう、という、なんだかよくわからない「宗教設立美術館OK」です。

 創価大学正門前の富士美術館


 宗教団体、税金はかからないし、信者からのお布施たっぷりで、MOAも富士もよい作品買い放題。充実した所蔵品です。
 「西洋絵画ルネッサンスから20世紀まで」も、なかなかの品ぞろえでした。

 富士美術館現代美術展示室


 テレビドラマ「メアリー・スチュアート」に出てくるメアリーの舅にあたるフランス王アンリ2世。テレビの中では女に目がないギラギラ絶倫系のアンリ2世ですが、肖像画ではきまじめそうな、ちょっと線の細い感じで描かれています。

 アンリ2世像 1553-59頃 フランソワ・クーリエ工房


 私のとぼしい古代ヨーロッパ史の知識。アレクサンドロス大王は、アジア遠征半ばで32歳の若さで亡くなった。
 しかし、↓の絵では、アレクサンドロスは、かなりの老人に見えます。ルネッサンス時代の画家にとって、慈悲にあふれる大王といえば、威厳のある堂々とした姿で描くものと思われていたのか、32歳にしちゃ老けすぎだろっと、突っ込み入れたくなりました。

 「アブドロミノに奪った王冠を返還するアレクサンドロス大王」1615-17年頃ベルナルド・ストロッツィ(1581-1644)


 そのほか、他の美術館では見たことのない肖像画がたくさんあり、興味深かったです。
 マリーアントワネットのお気に入り女性肖像画家だったエリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン(1755-1842)。
 アントワネット肖像画はよく目にしますし、自画像も西洋美術館に常設展示されています。
 マリーアントワネットとりまきのひとりで、貴族たちの肖像画を描き、マリーの力で王立アカデミー会員にもなりました。

 マリーのほうは女王と肖像画家という関係を超えた親友と思っていましたが、画家のほうは、ブルボン一家が落ち目になると、さっさと宮廷を逃げ出して、イタリアやオーストリアへ。さらにロシアのエカテリーナ2世の肖像も手掛けるなど、マリーアントワネットの不器用さに比べて、立ち回り方ははるかに上手。

ロシア滞在中にはエカテリーナ女帝のあとおしで、ロシア王立アカデミーの会員にもなっています。なんて立ち回り上手。画商の夫との仲はうまくいかなかったものの87歳の長寿全うしました。明日の運命はわからない激動の時代を生ききったことは見事と言うべきでしょう。

 フランス宮廷時代、彼女は、マリーアントワネットの小姑にあたるルイ16世の妹の肖像も描いていました。

 ルイ16世妹エリザベス王女1782エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン


 革命後、ロシアやイギリスでも貴族やブルジョア階級の肖像画を描きまくりました。美化術に長けていたので、誰でも、彼女に描いてもらえば2倍は美人になりました。マリーアントワネットがハプスブルク家遺伝の受け口であった事実も、彼女の腕で上手くごまかされていて、残された肖像画は、マリーアントワネットの魅力を十分に伝えています。

フランスが王政復古するとルイ18世に手厚く迎えられ、フランスを安住の地としました。生涯に660の肖像画と220の風景画を残し、画家としての名声を保った一生でしたが、画商の夫は賭博好き、ひとり娘は素行不良という家庭。そりゃ、苦労も背負わなきゃギロチンに散った「親友」に悪いよね。

 近代絵画現代絵画もよい作品が並んでいました。
 クロード・モネはフランスノルマンディー地方の避暑地ブールビルの砂浜と断崖の風景を愛し、たくさんの同名の作品を残しています。

 ブールビルの断崖1882 クロードモネ(1840-1926)


 この絵より15年後1897年に描かれた「波立つブールビルの海」は西洋美術館常設展示なので、いつも見てきました。灰色の空と波頭が白く立つ画面。それに比べると1882年のブールビルの断崖は、空も青いし、海も穏やかです。

 現代絵画から。キース・へリングが収蔵されているのが目を引きました。
 2月8日に創価大学の学生によるボランティア解説がありました。学生が一生懸命自分が選んだ絵を説明するのををききながら各展示室を回りました。私が知らなかったことを教えてくれる解説もあり、興味深い時間になりましたが、だたひとつ、私の疑問に思ったことについて「それは調べていません」となったのが、収蔵されているキースへリングの絵がふたつに割れていること。

 キース・へリング(1958-1990 Keith Haring)は、ストリートアーティストとして知られるようになりました。地下鉄の掲示板や街角の塀に絵を描いていくスタイルで有名になり、作品が売れるようになると、自分自身が同性愛者でHIV感染者だったこともあり、恵まれない子供やエイズ患者救済のために力を注ぎました。エイズの発症により52歳で死去。

 もともと仏教系は在来宗教も新興宗教も、同性愛をとがめだてするようなことは少なかったと思います。親鸞が妻帯をはじめるまで、仏教のお坊さんたちはお寺のなかにいるお稚児さんの体を女性のかわりにしていたのですし。
キリスト教系新興宗教は、統一教会など絶対に同性愛を許さないところが多いみたいですが。

 それにしても創価学会美術館である富士がマン・レイやキースへリングを収蔵していることは、ちょっと意外でした。
 おりこうそうな創価大学女子大生は「同性愛とか、エイズ患者とか、自分とは違うと思っていましたが、自分とは違う人を受け入れていくことが大事だと思いました」という感想をキースの作品の前で語っていました。お利口なことば、メーヨ会長様が認めてくださった見解なのだと思います。

 で、私の質問「人物のあるコンポジションの下三分の一のところに亀裂があるのは、どこかの壁から剥がしたために生じたのでしょうか」
 担当の学芸員の先生も「ここに収蔵されたときにすでに亀裂はあったので、どのような経緯で亀裂が入ったのかはわかりません」という答えでした。 

 人物のあるコンポジション1982 キース・へリング 
 

 富士美術館でのひととき、充実していました。これからは「シューキョ―ケー」と回避せず、女子学生が解説したように「自分と違うことを受け入れて」いかなければなりませんね。

 45年も前のことですが、母が死んだとき、ヒトの不幸を見つけるとワラわらと寄ってくる宗教勧誘者のなかで、創価学会がもっともしつこくて、母が死んで弱り切っている一家に、「早死にしたのは先祖のたたり。大しょうにんさまにすがれば、よくなる」なんてかわるがわる言いにくる。あなたたちの押し付け、一生許さない、と、徹底的に嫌いになってしまったのです。大聖人様ごめんなさい。あなたが悪いわけじゃない。

 私の宗教は「宇宙幸福原っぱ教」といいます。私が教祖で、信者は私ひとり。宇宙のどこかに幸福な原っぱhappy fieldがあって、そこに私の父も母も姉も犬のコロもいます。私を見守って助けてくれる原っぱの人たち。死んだらそこに行くかもしれないし、行かないかもしれない。信ずる者こそ幸いなれ。

 きらいなのは、(1)「自分にとっていい宗教だから」と、ヒトに押し付けてくる人。あなたにとって、いい宗教なら、あなたがそれを心の糧にすればいい。私に押し付けるな。
(2)新しい信者を勧誘することで、教団内の地位が上がる仕組みになっている教団(こうなっているから(1)が生じる)
(3)寄付金をがっぽりもうけても、それを社会福祉に使わない教団。

 で、これからは富士美術館にも、ときどき行きたいと思います。65歳以上入館料千円でした。高い!できれば、上記(3)のために、70歳以上は無料にしてほしい。

<つづく>
コメント (2)
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