20190629
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>七十二侯小満(3)麦秋
二十四節気ですと、1年を24に区切って季節を表しています。5月には立夏と小満のふたつの季節があります。6月には芒種と夏至。
さらに、二十四節気をそれぞれ5日ずつ、1年を72に分けて季節を分類したものが七十二侯。中国から伝わったものですが、江戸中期の天文学者渋川春海らが改訂し、日本の季節と合わせた「本朝七十二侯」をまとめました。
本朝七十二侯ですと、小満は「蚕起食桑=蚕が桑をはむ」「紅花栄=べにばなさかう」「麦秋至むぎのとき至る」の3季に分かれます。 小満。蚕は、盛んに桑を食べる時期であるし、麦は実りのとき。
どちらも、特別に心掛けていないと、日常の風景としては縁遠い季節の言葉になっています。第一、二十四節気や本朝七十二侯の季節のことば、小満も芒種も、さて、これらの語を意識して季節を感じている人、現代ではどれほどいるのやら。
「麦秋」というと、小津映画のタイトルが思い浮かびます。(菅井一郎東山千栄子の老夫妻が、末娘紀子(原せつ子)の結婚話が一段落して、故郷の大和に帰ったラストシーン。老夫婦がしみじみ語り合うその前には、豊かに実った麦の穂が広がっています。
・原節子小津安二郎麦の秋>吉田汀史
固有名詞並べただけやん!の俳句ですが、ちゃんと季語が入って、ある世界をイメージさせるのですから、五七五の世界は強い。
テレビの旅番組を見ていたら、群馬県の麦畑が写されていました。火野正平が館林の多多良沼へ自転車で向かう途中にも、一面の黄金色の麦畑が映りました。火野正平さん、私より少し早く、この5月に古希に。
群馬県は典型的な二毛作地帯。田植えの前には麦が黄金色に広がるのが、私の原風景です。コメもとれないことはないけれど、日常の食事に小麦のうどんは欠かせませんでした。
私の中には「麦秋」は原景として残されていますが、娘息子にとっては、「麦秋」は、国語のテストで季語の季節を選ぶ問題、小春日と麦秋が「ひっかけ」季語だということ以外に実感のないことばになってしまっています。(小春日和、小春日は冬、麦秋は初夏)
・麦秋を俯向き通る故郷かな>永田耕衣
今年もふるさとの女子高クラス会に出席できませんでした。みなで古希を祝おうという案内状がひさえちゃんから来ていましたが。俯くこともないけれど、着ていく服もない。
赤城山のふもとの麦秋(画像借り物)
以下、江戸明治大正昭和の麦秋。ばくしゅうだと4音節なので、切字がつくことが多く、麦の秋だと5音節でおさまりがいい。
・深山路を出抜てあかし麦の秋>炭太祇(1709-1771)
・麦秋のくたびれ声や念仏講>高井几董(1741-1789)
・麦秋や子を負ながらいはし売>小林一茶
・麦の秋さびしき貌の狂女かな>与謝野蕪村
・麦秋や中国下る旅役者>正岡子規
・鞭鳴す馬車の埃や麦の秋>夏目漱石
・麦秋や麦にかくるる草苺>芥川龍之介
・古着屋のうらに乏しき麦の秋>三好達治
猫の額ほどの庭でも実れば足しになる
・麦秋の雨のやうなる夜風かな>田中冬あ二
夜更けに麦畑を渡る風を聞いていると、さわさわと、雨の音のように聞こえたことを思い出します。
・麦秋や若者の髪炎なす>西東三鬼
三鬼が生きていたころは、まだ町中に炎の色の髪をした若者はそうはいなかったと思うので、この「炎なす」は、若者の燃え立つ若さの髪でしょうか。
・はるかなる丘に狂院麦の秋>山口青邨
気ちがい病院、癲狂院,脳病院、呼び方は変われど、自分たちとは異なる世界と思われていた場所をはるかにのぞむ。
・麦秋の日陰流れて軒の旗>内田百間
・麦秋の狐独地獄を現じけり>安住敦
・麦秋の中なるが悲し聖廃墟>水原秋櫻子
浦上天主堂を見ての句。
・麦秋やここなる王は父殺し>有馬朗人
シェークスピア劇でもあろうか。
「麦秋」の一語でさまざまなイメージが去来します。
さて、毎年同じことを言いますが、あっと言う間に2019年も半分終わり、来週からは後半です。後半も、毎年同じ「暑いあつい」と言って後半初めの2ヶ月はすぎてしまいますが、涼しくなるまで、春庭コラムは漢字についての再録シリーズとなります。
暑いあいだも春庭、しっかり働いております。
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>七十二侯小満(3)麦秋
二十四節気ですと、1年を24に区切って季節を表しています。5月には立夏と小満のふたつの季節があります。6月には芒種と夏至。
さらに、二十四節気をそれぞれ5日ずつ、1年を72に分けて季節を分類したものが七十二侯。中国から伝わったものですが、江戸中期の天文学者渋川春海らが改訂し、日本の季節と合わせた「本朝七十二侯」をまとめました。
本朝七十二侯ですと、小満は「蚕起食桑=蚕が桑をはむ」「紅花栄=べにばなさかう」「麦秋至むぎのとき至る」の3季に分かれます。 小満。蚕は、盛んに桑を食べる時期であるし、麦は実りのとき。
どちらも、特別に心掛けていないと、日常の風景としては縁遠い季節の言葉になっています。第一、二十四節気や本朝七十二侯の季節のことば、小満も芒種も、さて、これらの語を意識して季節を感じている人、現代ではどれほどいるのやら。
「麦秋」というと、小津映画のタイトルが思い浮かびます。(菅井一郎東山千栄子の老夫妻が、末娘紀子(原せつ子)の結婚話が一段落して、故郷の大和に帰ったラストシーン。老夫婦がしみじみ語り合うその前には、豊かに実った麦の穂が広がっています。
・原節子小津安二郎麦の秋>吉田汀史
固有名詞並べただけやん!の俳句ですが、ちゃんと季語が入って、ある世界をイメージさせるのですから、五七五の世界は強い。
テレビの旅番組を見ていたら、群馬県の麦畑が写されていました。火野正平が館林の多多良沼へ自転車で向かう途中にも、一面の黄金色の麦畑が映りました。火野正平さん、私より少し早く、この5月に古希に。
群馬県は典型的な二毛作地帯。田植えの前には麦が黄金色に広がるのが、私の原風景です。コメもとれないことはないけれど、日常の食事に小麦のうどんは欠かせませんでした。
私の中には「麦秋」は原景として残されていますが、娘息子にとっては、「麦秋」は、国語のテストで季語の季節を選ぶ問題、小春日と麦秋が「ひっかけ」季語だということ以外に実感のないことばになってしまっています。(小春日和、小春日は冬、麦秋は初夏)
・麦秋を俯向き通る故郷かな>永田耕衣
今年もふるさとの女子高クラス会に出席できませんでした。みなで古希を祝おうという案内状がひさえちゃんから来ていましたが。俯くこともないけれど、着ていく服もない。
赤城山のふもとの麦秋(画像借り物)
以下、江戸明治大正昭和の麦秋。ばくしゅうだと4音節なので、切字がつくことが多く、麦の秋だと5音節でおさまりがいい。
・深山路を出抜てあかし麦の秋>炭太祇(1709-1771)
・麦秋のくたびれ声や念仏講>高井几董(1741-1789)
・麦秋や子を負ながらいはし売>小林一茶
・麦の秋さびしき貌の狂女かな>与謝野蕪村
・麦秋や中国下る旅役者>正岡子規
・鞭鳴す馬車の埃や麦の秋>夏目漱石
・麦秋や麦にかくるる草苺>芥川龍之介
・古着屋のうらに乏しき麦の秋>三好達治
猫の額ほどの庭でも実れば足しになる
・麦秋の雨のやうなる夜風かな>田中冬あ二
夜更けに麦畑を渡る風を聞いていると、さわさわと、雨の音のように聞こえたことを思い出します。
・麦秋や若者の髪炎なす>西東三鬼
三鬼が生きていたころは、まだ町中に炎の色の髪をした若者はそうはいなかったと思うので、この「炎なす」は、若者の燃え立つ若さの髪でしょうか。
・はるかなる丘に狂院麦の秋>山口青邨
気ちがい病院、癲狂院,脳病院、呼び方は変われど、自分たちとは異なる世界と思われていた場所をはるかにのぞむ。
・麦秋の日陰流れて軒の旗>内田百間
・麦秋の狐独地獄を現じけり>安住敦
・麦秋の中なるが悲し聖廃墟>水原秋櫻子
浦上天主堂を見ての句。
・麦秋やここなる王は父殺し>有馬朗人
シェークスピア劇でもあろうか。
「麦秋」の一語でさまざまなイメージが去来します。
さて、毎年同じことを言いますが、あっと言う間に2019年も半分終わり、来週からは後半です。後半も、毎年同じ「暑いあつい」と言って後半初めの2ヶ月はすぎてしまいますが、涼しくなるまで、春庭コラムは漢字についての再録シリーズとなります。
暑いあいだも春庭、しっかり働いております。
<つづく>