20190627
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>本朝七十二侯小満(2)紅い花
季節のことば。
二十四節気、5月は立夏と小満のふたつの季節があり、本朝七十二侯でさらに分けられること、前回お話ししました。
小満は「蚕起食桑=蚕が桑をはむ」「紅花栄=べにばなさかう」「麦秋至=むぎのとき至る」の3季に分かれます。それぞれ5日ずつ。
蚕は、盛んに桑を食べる時期であるし、麦は実りのとき。しかし、紅花が咲き誇る、というのは、少々季節はずれと思います。
江戸時代にできた本朝七十二侯ですと「紅花」は、コウカと読まれており、「べにばな」という読みになったのは、明治以降なのだそうです。
ベニバナと解釈すると、季節が合わなくなります。
日本で染料として使われてきた紅花は、6月中旬以後、7月の暑い時期に花が盛りとなります。エジプト原産の花ですから、暑い季節が好きなのです。
江戸時代、ベニバナ最大の産地は山形県です。(現在も)
ベニバナの咲き初めは7月はじめ、半夏生のころに、一つ目の花がようやく咲き出すというところでした。
二番目の産地桶川宿の「桶川臙脂」の花は、山形より暖かいので半月早く6月中旬には咲き出します。花の盛りは
明治時代に一度すたれ、ここ10年で町おこしブランドとして復活した桶川のベニバナ。現在桶川市が実施している桶川ベニバナ祭りは6月下旬です。花が咲く時期が早いという桶川でも満開は6月下旬と言うことから考えても、5月中旬の「紅花栄」には当てはまりません。
桶川のベニバナ畑(画像借り物)

「紅花栄」を小満次候に設定したのは、「本朝七十二侯」編纂を主導した渋川春海です。岡田准一が春海を演じた「天地明察」でも、春海は几帳面にまじめに天文と向き合っていましたから、もし、紅花を染料につかう黄色い花をつける植物だと知っていたなら、5月の気候に当てはめないでしょう。それとも春海は紅花を知らなかったか。彼なら、それこそ紅花の産地まで出向いて真実を追おうとしたことでしょう。
江戸時代桶川宿はベニバナ産地として知られていました。桶川のベニバナ栽培は1795年から。渋川春海(1639-1715)の没後のことですから、春海が紅花を知るには山形まで足を延ばさなければなりませんが、暦の正確さを求めて歩いた春海の脚なら江戸から遠い山形まで出かけたのではないか。山形で実際に紅花を見たのなら、「紅花栄」を5月初旬にはしていないはず。
江戸は元禄時代、奥の細道を歩いた芭蕉(1644-1694)が「もがみにて紅粉(べに)の花の咲きわたるをみて」という前ことばで読んだ一句
眉はきをおもかげにして紅粉の花
曽良の克明な記録によれば、この句が読まれたのは元禄2年(1689)の旧暦5月27~28日。この年のこの日を現在の暦に換算すると、7月13~14日にあたります。
現在と同じく、江戸元禄のころも紅花は7月の暑い時期に咲いていたんです。もし渋川春海が紅花を実見していないとしても、「紅粉(べに)の花」について博物学的知識を持っていたと思われます。
渋川春海が、紅花の咲く時期を知らずに「紅花栄」という季節の言葉を太陽暦の5月(旧暦だと6月ごろ)に使ったとは考えにくいです。
春海が「コウカ」と音読みにしたところから考えて、漢方薬につかう「紅花=コウカ」とは考えられないか。いやいや、本朝七十二侯のほかの季節は、それぞれぴったりの時期の動植物が使われており、ここだけ漢方薬というのも不自然です。
春海は、立春(太陽暦2月旧暦1月)の次侯を「黄鶯睍睆うぐいすなく」としています。中国の七十二侯では「蟄虫始振こもっていた虫が動き出す」となっており、日本の自然とあわないからです。春海は3月啓蟄の初侯に「蟄虫啓戸すごもりむし戸をひらく」としています。春海は、日本の自然をよく観察し、実際の気候と暦が合うよう工夫して日本の七十二侯を編集しました。
残るは、「紅花」を染料や漢方薬に使うベニバナではなく「紅い花」という意味で使ったのではないか、という考え方。
ベニバナは、万葉集が編纂される少し前に遣隋使などによって日本にもたらされました。
万葉集に「紅い花」を詠んだ短歌長歌があります。
・(万葉仮名)外耳 見筒戀牟 紅乃 末採花之 色不出友 (巻十 詠人知らず)
外(よそ)のみに見つつ恋ひなむ紅の、末摘花(すえつむはな)の色に出(い)でずとも
この末摘花は紅花のことだと解されています。
しかし。
・(万葉仮名)桃花 紅色尓 々保比多流 面輪乃宇知尓 青柳乃 細眉根乎 咲麻我理、、、、 (巻十九 詠人知らず 長歌の冒頭部分)
桃の花、紅色ににほひたる、面輪(おもわ)のうちに青柳の、細き眉根(まよね)を咲みまがり
桃の花。現在では、桃色といえばピンク色のイメージが強いですが、真っ赤に近い花が咲くモモの花もあります。万葉集の時代、どんな色の桃が咲いていたのか調査行き届きませんが、少なくとも巻十九の「桃の花」に「紅色に匂いたる」と使われているのは上記のとおりで、紅色の花=紅花というわけではなかったことがわかります。
で、渋川春海は、どの花をさして5月に咲く花を「紅花=コウカ」と呼んだのか。一説にはツツジです。5月、江戸時代に町にも山にも赤く輝いて咲いていたのは、ツツジの花。
小石川植物園5月のつつじ

むろん、さまざまな説があってよい。春海が「ベニバナは5月に咲く」と思い込んでの七十二侯だったという説もありかもしれないし。
わからないけど、知りたい。
わからぬことを知りたいと思う気持ち、脳活です。
こんな脳活できたのも、息子が上野公園散歩したとき、衝動買いでサツキの花を買ってきたからです。
さつきフェスティバルが開催されていたのだそうです。これまで「植物を買うなどということを自分でしたことのない歴30年」の息子です。小学生の夏休みの宿題「朝顔」だって枯らしてしまった、植物縁のない息子でしたから、びっくり。
息子、ベランダに鉢を置きました。「買ったとき、日がよく当たる場所に置け、って言われた」と。
今年になって毎月2回ディズニーリゾートに泊まりに出かけている娘息子。6月も一泊二日と二泊三日のお泊まり。お泊りしている息子からのお願いメールが来ました。
めったにメールよこさない息子なので何事かと思えば、「花に水やってください」とのこと。はいはい、息子の大事なお花様、ちゃんと母の愛を注ぎます。
「ぽかぽか春庭 紅花」でぐぐってみたけど、出てこなかったので、ベニバナについて書いたのは初めてかと思っていたら、2016年に書いていました。書いても即効忘れるんです。「ぽかぽか春庭 ベニバナ」で出てきました。
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/404e566a6c09907de5106a9f19a06688
(おわり)
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>本朝七十二侯小満(2)紅い花
季節のことば。
二十四節気、5月は立夏と小満のふたつの季節があり、本朝七十二侯でさらに分けられること、前回お話ししました。
小満は「蚕起食桑=蚕が桑をはむ」「紅花栄=べにばなさかう」「麦秋至=むぎのとき至る」の3季に分かれます。それぞれ5日ずつ。
蚕は、盛んに桑を食べる時期であるし、麦は実りのとき。しかし、紅花が咲き誇る、というのは、少々季節はずれと思います。
江戸時代にできた本朝七十二侯ですと「紅花」は、コウカと読まれており、「べにばな」という読みになったのは、明治以降なのだそうです。
ベニバナと解釈すると、季節が合わなくなります。
日本で染料として使われてきた紅花は、6月中旬以後、7月の暑い時期に花が盛りとなります。エジプト原産の花ですから、暑い季節が好きなのです。
江戸時代、ベニバナ最大の産地は山形県です。(現在も)
ベニバナの咲き初めは7月はじめ、半夏生のころに、一つ目の花がようやく咲き出すというところでした。
二番目の産地桶川宿の「桶川臙脂」の花は、山形より暖かいので半月早く6月中旬には咲き出します。花の盛りは
明治時代に一度すたれ、ここ10年で町おこしブランドとして復活した桶川のベニバナ。現在桶川市が実施している桶川ベニバナ祭りは6月下旬です。花が咲く時期が早いという桶川でも満開は6月下旬と言うことから考えても、5月中旬の「紅花栄」には当てはまりません。
桶川のベニバナ畑(画像借り物)

「紅花栄」を小満次候に設定したのは、「本朝七十二侯」編纂を主導した渋川春海です。岡田准一が春海を演じた「天地明察」でも、春海は几帳面にまじめに天文と向き合っていましたから、もし、紅花を染料につかう黄色い花をつける植物だと知っていたなら、5月の気候に当てはめないでしょう。それとも春海は紅花を知らなかったか。彼なら、それこそ紅花の産地まで出向いて真実を追おうとしたことでしょう。
江戸時代桶川宿はベニバナ産地として知られていました。桶川のベニバナ栽培は1795年から。渋川春海(1639-1715)の没後のことですから、春海が紅花を知るには山形まで足を延ばさなければなりませんが、暦の正確さを求めて歩いた春海の脚なら江戸から遠い山形まで出かけたのではないか。山形で実際に紅花を見たのなら、「紅花栄」を5月初旬にはしていないはず。
江戸は元禄時代、奥の細道を歩いた芭蕉(1644-1694)が「もがみにて紅粉(べに)の花の咲きわたるをみて」という前ことばで読んだ一句
眉はきをおもかげにして紅粉の花
曽良の克明な記録によれば、この句が読まれたのは元禄2年(1689)の旧暦5月27~28日。この年のこの日を現在の暦に換算すると、7月13~14日にあたります。
現在と同じく、江戸元禄のころも紅花は7月の暑い時期に咲いていたんです。もし渋川春海が紅花を実見していないとしても、「紅粉(べに)の花」について博物学的知識を持っていたと思われます。
渋川春海が、紅花の咲く時期を知らずに「紅花栄」という季節の言葉を太陽暦の5月(旧暦だと6月ごろ)に使ったとは考えにくいです。
春海が「コウカ」と音読みにしたところから考えて、漢方薬につかう「紅花=コウカ」とは考えられないか。いやいや、本朝七十二侯のほかの季節は、それぞれぴったりの時期の動植物が使われており、ここだけ漢方薬というのも不自然です。
春海は、立春(太陽暦2月旧暦1月)の次侯を「黄鶯睍睆うぐいすなく」としています。中国の七十二侯では「蟄虫始振こもっていた虫が動き出す」となっており、日本の自然とあわないからです。春海は3月啓蟄の初侯に「蟄虫啓戸すごもりむし戸をひらく」としています。春海は、日本の自然をよく観察し、実際の気候と暦が合うよう工夫して日本の七十二侯を編集しました。
残るは、「紅花」を染料や漢方薬に使うベニバナではなく「紅い花」という意味で使ったのではないか、という考え方。
ベニバナは、万葉集が編纂される少し前に遣隋使などによって日本にもたらされました。
万葉集に「紅い花」を詠んだ短歌長歌があります。
・(万葉仮名)外耳 見筒戀牟 紅乃 末採花之 色不出友 (巻十 詠人知らず)
外(よそ)のみに見つつ恋ひなむ紅の、末摘花(すえつむはな)の色に出(い)でずとも
この末摘花は紅花のことだと解されています。
しかし。
・(万葉仮名)桃花 紅色尓 々保比多流 面輪乃宇知尓 青柳乃 細眉根乎 咲麻我理、、、、 (巻十九 詠人知らず 長歌の冒頭部分)
桃の花、紅色ににほひたる、面輪(おもわ)のうちに青柳の、細き眉根(まよね)を咲みまがり
桃の花。現在では、桃色といえばピンク色のイメージが強いですが、真っ赤に近い花が咲くモモの花もあります。万葉集の時代、どんな色の桃が咲いていたのか調査行き届きませんが、少なくとも巻十九の「桃の花」に「紅色に匂いたる」と使われているのは上記のとおりで、紅色の花=紅花というわけではなかったことがわかります。
で、渋川春海は、どの花をさして5月に咲く花を「紅花=コウカ」と呼んだのか。一説にはツツジです。5月、江戸時代に町にも山にも赤く輝いて咲いていたのは、ツツジの花。
小石川植物園5月のつつじ

むろん、さまざまな説があってよい。春海が「ベニバナは5月に咲く」と思い込んでの七十二侯だったという説もありかもしれないし。
わからないけど、知りたい。
わからぬことを知りたいと思う気持ち、脳活です。
こんな脳活できたのも、息子が上野公園散歩したとき、衝動買いでサツキの花を買ってきたからです。
さつきフェスティバルが開催されていたのだそうです。これまで「植物を買うなどということを自分でしたことのない歴30年」の息子です。小学生の夏休みの宿題「朝顔」だって枯らしてしまった、植物縁のない息子でしたから、びっくり。
息子、ベランダに鉢を置きました。「買ったとき、日がよく当たる場所に置け、って言われた」と。
今年になって毎月2回ディズニーリゾートに泊まりに出かけている娘息子。6月も一泊二日と二泊三日のお泊まり。お泊りしている息子からのお願いメールが来ました。
めったにメールよこさない息子なので何事かと思えば、「花に水やってください」とのこと。はいはい、息子の大事なお花様、ちゃんと母の愛を注ぎます。
「ぽかぽか春庭 紅花」でぐぐってみたけど、出てこなかったので、ベニバナについて書いたのは初めてかと思っていたら、2016年に書いていました。書いても即効忘れるんです。「ぽかぽか春庭 ベニバナ」で出てきました。
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/404e566a6c09907de5106a9f19a06688
(おわり)