横浜美術館ミートザコレクション展
20190602
ぽかぽか春庭アート散歩>薫風アート(5)横浜美術館所蔵名品展
5月24日金曜日。横浜美術館の「Meet the Collectionアートと人と」を観覧。
たいていの美術館は金曜の夜か土曜の夜は8時までオープンしているのがありがたい。(横浜は、金土両日が8時まで)。
自館の所蔵品展だから、常設展料金500円で入れるのかと思ったら、しっかり1000円とられました。横浜市在住の65歳以上なら無料になるみたい。
「当館の1万2千点を超えるバラエティ豊かなコレクションのなかから、絵画、彫刻、版画、写真、映像、工芸など400点を超える作品を展示します」というので、1点は2.5円ナリ、、、つうか、そういうみみっちい計算をする人は、絵なんぞ見ていないで、うちに帰ってカップ麺でも食べて寝てなさい。(24日は、カップヌードル記念館を見たあとに横浜美術館に入館しました)
横浜美術館は、1989年に開館してからちょうど30周年。平成のはじめにオープンして、私も、キャパ展、国芳展、下村観山展など、たびたび足を運びました。
淺井祐介「いのちの木」は、もとの絵を淺井が描き、それを市民ボランティアが壁画に仕上げていくという共同作品です。ボランティアによる制作過程のメイキング映像もありました。
いのちの木の展示室内には、壁画と響き合うものとして淺井さんが選んだ作品が展示されていました。
そのひとつ、アルプの「成長」。単独で見るときと、こうして壁画の前に置かれているのを見るのでは、ずいぶん印象がかわるように感じました。
アルプ「成長」1938(1983鋳造)
「いのちの木」の前の「成長」
第2展示「まなざしの交差」の部屋にはピカソやセザンヌの肖像画、キャパの写真など、肖像画の目に注目した作品が並んでいました。
ピカソ「ひじかけ椅子で眠る女」1927
セザンヌ「縞模様の服を着たセザンヌ夫人」1883-1885
第2展示室で私にとって貴重だったのはルイス・ブニュエルとダリの共作『アンダルシアの犬』がデジタルビデオで放映されていたこと。
シュールレアリズム映画の嚆矢とされている有名な映画ですが、これまで見たことなかった。現在ではyoutubeでも公開されているのに、冒頭の「かみそりで目玉を切り裂く」というシーンの説明を聞いただけで見る気を失ってしまう「こわいもの見たくない」ビビりなので。これまでは静止画の何枚かとその画面説明を見て、映画を見た気にしていました。
今回は、絵を見ている部屋での壁のモニターに映るのですから、どうやっても目に入る。ならばと、椅子にかけて見ました。1928年の映画、公開90年目の鑑賞です。
目玉切り裂きも掌の蟻ぞわぞわも、みんなシュールです。ホラー映画に慣れた現代人にはどうということもないシーンなのかもしれないけれど、28年に詩人コクトーはじめ、シュルレアリズムの画家たちが大拍手でこの映画を迎え入れたというのもわかります。
また、シュルレアリスト宣言ともいえる「解剖台の上のミシンとこうもり傘の出会い」を視覚化したマン・レイの写真も「おお、ミシンとこうもり傘!」と思いました。
ロートレアモン伯爵の『マルドロールの歌』(1869)に登場する「そしてなによりも、ミシンとコウモリ傘との、解剖台のうえでの偶然の出会いのように、彼は美しい!」という詩の一節は、シュルレアリストたちにとって、もっとも大きな技法「ディペイズマン(depaysement)」を表したことばです。
depaysementは、動詞depayseに、mentをつけて名詞化。depaysは「de:分離・剥奪」と「pays:国、故郷」。よって、ディペイズマンは、「ある場所から引き離してよその土地へ追放すること」という意味を持ち、シュルレアリストたちは「本来の環境から別のところへ移すこと、置き換えること。本来あるべき場所にないものを出会わせて違和・驚きを生じさせること」という彼らの芸術技法の基本にしました。
おそらくは、開館当時の学芸員たちの中にシュルレアリズムの専門家がいたと思います。横浜美術館は、日本でも有数のシュルレアリズム絵画や写真、彫刻を収集し所蔵しています。マックス・エルンスト展を所蔵作品だけで仕立て上げた展覧会もありました。
今回の所蔵品展も、充実した作品が並んでいました。
マックス・エルンスト「青春のいずみ」1957-58
ルネ・マルグリット「王様の美術館」1966
2013年に埼玉県立近代美術館で見たデルヴォー(Paul Delvaux1897-1994)。でも、この「階段」が展示されていたかどうか記憶にない。
階段もマネキンも具象として描かれているのに、どうして見るものは、この世とはことなる世界に感じるのだろうと感じます。なにかしら不安定にも思える。しかし、素人は、それ以上に見方が及ばない。
専門家は「遠近法の消失点がふたつある」と、教えてくれました。なるほど。
消失点がひとつなら、私たちが現実に見ている世界と同じです。でも、わざわざミシンとこうもり傘を出会わせて、マネキンの横と階段上の女性の横のふたつの消失点を作る。このため画面の世界はこの世ならぬものになっていく。むろん、胸を出した女性も半身だけ布を巻いたマネキンも現実にはいないのでしょうけれど。
胸が見えているワンピースを着ている階段の上に立つ女性は、デルヴォーのビーナス、タムでしょう。デルヴォーが描く女性は全員同じ顔。全部妻のタム。結婚前も結婚後も。
マザコンだったデルヴォー。母に反対されて泣く泣く恋人タムと分かれます。(おいおい、母が反対したら、母を捨てろよ!と突っ込むのは現代人ゆえ)
母の死後、1937年に40歳でシュザンヌと結婚。しかし、別れてから18年後にタムと偶然再会すると、たちまち情熱よみがえり、シュザンヌと離婚して55歳でタムと再婚。以後91歳までともに暮らし、タムが亡くなると目が不自由になっていたこともあり、絵筆を捨て、タムの死から5年後、1994年に96歳で亡くなりました。
イブ・タンギー「風のアルファベット」1900-1955 完成までに55年もかかったのね。
サルバトール・ダリ「ヘレナ・ルビンシュタインのための小食壁画 幻想的風景」1942
シュルレアリストが影響を受けたモローもここに。「岩の上の女神」1890頃
モローも最愛の人は母であり、恋人とも結婚しなかった。ダリも生涯最愛の妻ガラと添い遂げましたし、シュールレアリストって、そういう人多いのか。一方、キュビズムのピカソ。絵のモデルとして描いた愛人が7人もいて、恋を続けた。
絵を見て、「これはいくらか」と「女性関係はどうだったか」ということのほかに思い及ばず、高度な芸術技法などには縁遠い春庭ですが、絵を見るのは楽しいから好き。無料だともっとうれしい。
<つづく>