20191010
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>福コーチョーデビュー(1)福コーチョーデビュー
福コーチョーデビューのご報告を。
日本語学校のふく校長として働くことになりました。
開校までは「開校準備室副室長」として約2年間、準備をしてきました。
2017年夏から準備開始。行政書士指導のもと、9月に新設日本語学校の申請書類一式を提出しました。2017年11月に、校舎へ入管の職員が立ち入り調査を実施。2階3階の5教室の机プロジェクターその他の設備がOKとなりました。入管職員2名による設置者と校長教務主任予定者への面接が行われました。
その後、何度も書類の作り直しやら付け足しやら。カリキュラム表、時間割、教員シフト表授業進行表などを作成しました。2017年12月~2018年1月2月に何度か文科省ヒアリング練習。
文科省ヒアリングというのは、入管立ち入り調査に合格した新設校代表者への面接試験です。どれほど意地悪な質問がなされるか、事前の面接練習でなんどもだめだしをされました。文科省官僚と日本語学校校長経験者や日本語教育専門官による突っ込みは、書類を見た上で、この人は、この部分に弱いということを見極めて、弱い部分をつついてくる、と聞いていました。
カリキュラム表も、リスク管理系統図も完璧なはず。突っ込みの穴が見当らなかったらしい面接官は、校長予定者の経験不足をついてきました。
「あなたは、大学での日本語教育経験は長いようですが、日本語学校校長の経験はないですよね」「はい、はじめて日本語学校の管理職として働きます」「経験がないのに、どうやって校長の職をまっとうするんですか。大学の教育経験だけでは、学校運営の経験はないと思うんだけどな」
春庭は、国立大学で専任教員がサバティカル休暇の間、教務の仕事を命じられて、日本語コースのカリキュラム作成やコース運営、学生管理などの経験をしたこと、ミャンマーの大学でも日本語コース立ち上げの任を負い、1年弱でコース設立をなしとげて後任に引き継いだことなどを述べました。学校運営ではないけれど、日本語教育の授業だけでなく、コース運営の経験はあるのだと申し立てたのですが、面接官は、「ミャンマーの大学のこと、履歴書にかいてないよね」
あらま、中国の大学に赴任した時は文科省派遣の資格で赴任したので履歴書にも経歴として書いたのですが、ミャンマーへは、大学退職後の派遣仕事だったので、履歴書の記入は省いてしまったのです。失敗、失敗。
さらに面接官は「学校運営をどうやって知るつもりですか」とつついてくる。日本語教育振興協会のホームページで見たことを思い出して「日振協で新任校長教務主任の研修会に出席するつもりです」と答えたら「あ、研修会に出る気あんのね、それならまあ」と、面接官はあっさり納得しました。
研修会をチェックしたとき、「この研修は私には無駄」と思ったの内容でした。日本語学校の校長を引き受ける方々は、日本の公立学校校長を定年退職した先生、大学教授を退職した先生がいらっしゃり、日本語教育というのが国語教育とはまったく異なるものだ、ということすらご存じない。
研修のひとつのテーマに「非漢字圏学生への漢字教育の方法」なんてのが書いてあったので、あらら、こういうこと、私はもう20年も日本語教授法を受ける日本人学生に教えているのに、いまさら研修受けるのもかったるいなあ、と思ってしまったのでした。こういうのは驕りというもんですね。
だから、「研修を受けます」と申し上げました。
しかしながら、2018年4月、日本語学校として認可しない、という通知を受け、大ショック。私が実質的に大学などで教務の仕事をこなしてきたことはまったく評価されず「主任教員について:カリキュラムの作成能力は一定水準以上認められるが、教員としての経験は長いものの、学校管理の経験がない為、日本語教育機関がおこなう主任教員研修受講が求められる」という評価でした。
2018年、行政書士事務所を変更し、再度の書類作り直し、2018年9月提出。提出書類の厚みは10cm以上になりました。
前回の不首尾をふまえ、あらたに校長に元大学教授、現非常勤講師の先生をお迎えし、春庭は「教務主任兼副校長」という書類上の立場になりました。文科省にとっては、実際の仕事をだれがやるか、ではなく、書類上きちんと整っていることが大切。
ずっと非常勤講師だった春庭は、実際にコース運営の仕事をしたことがあっても「学校管理能力なし」とみなされました。元大学教授という肩書があれば、授業だけをやっていた先生でも学校管理能力があるとみなされる。
悔しがっても、世の中そういうもの。
首相のお友達が新設獣医学部を申請すれば速攻認可がおり、肩書のない春庭が申請すれば却下。そういう仕組みになっています。
2019年1月文科省の面接試験。今回はつっこみどころも少なくて、まあまあうまくいった、という感触でした。新任の校長予定者も面接官に気に入ってもらえた感じ。よかったよかった。しかし、日本語学校の設立は、年々審査が厳しくなっており、新設学校を認可しない方針が進んでいます。どうなるかは神のみぞ知る。もとい、文科省のみ知る。
学校設立者は、2009年に私が中国で担当した国費留学生のひとりです。東大大学院に留学し、博士号を取得。現在、東大の研究所の客員研究員を続けながら中国でITビジネスを始めています。国費留学生の後輩と結婚し、ふたりで男の子を育てながら日本での永住許可をとりました。
彼は、日本の社会や文化を愛し「奨学金を与えてくれた日本に恩返しをしたい」と思いました。そのため、日本語学校を設立し、日本の大学大学院で学ぶ留学生を育てたい」というのが「学校設立の目的」
実際には彼の妹夫婦が学校経営に当たり、私は教育・教務面を担当します。
1980年から一人っ子政策がとられてきた中国で、37歳と30歳、兄妹そろっているのは、珍しいことです。(80年代、一般の勤労者がふたり目を生むと罰金が科せられた時代でした)。
兄妹とも日本に留学し、兄は博士号、妹は日本の私立大学で教育学修士号を得ました。そろって優秀な人たちですが、日本語学校設立はみな初めての経験でした。試行錯誤、とまどいながらの準備でしたが、新しい行政書士事務所はとても細かいところまで指導が行き届き、その準備ぶりを見るにつけ、前回の不認可の理由もなんとなくわかりました。
入管法が変わったことで、日本語学校への規制もたいへん厳しくなっている昨今ですが、認可がおりさえすれば、勤務する日本語学校はすぐに活動を開始できます。
すでに中国政府の認可を得た中国現地校は授業を開始しており、現地校→日本留学というルートができています。私はスカイプテレビ会議利用で、中国に在住している現地校の学生に授業を始めています。
新しく始めることなので、当然わからないことも失敗もあるとは思います。
前回の文科省面接官の言うとおり「日本語教育経験30年以上と言っても、学校を経営した経験はないでしょ」というのはその通り。学校運営の経験なんてありません。でも、経験したことのないことを、これから仕上げていくのも必要なこと。
準備の2年間「70歳目前にして人生の新しい局面がひらけ、新しい仕事に挑戦できるのはありがたいこと」と思って張り切ってきました。
開校申請の認可通達は、遅れにおくれました。例年は4月末日に通知がくるのですが、令和改元で10日間休みが続いたあとようやく5月16日に認可通知が届きました。
留学のための学生ビザ申請は6月13日が締め切り。ですから、学生募集の期間が例年より短くなり、10月に入学できる学生数は、当初の予定より、大幅に少なくなってしまいました。
入学開始10月。教務主任兼副校長春庭、あと半年間の準備、がんばります。
中国では福の字と同じ旁が蝙蝠にもあり、こうもりの発音ビィァンフーBiānfúが、「福が偏在する」という「偏蝠ピィァンフーPiān fú」と発音がほぼ同じです。蝙蝠は「福を呼ぶ縁起のよい生き物」として珍重されてきました。
それなら副校長も福を呼ぶ縁起のいい生き物です。春庭福校長、古希の体に油を加え、加油!チャーヨッ!とがんばります。
5匹の蝙蝠が家を取り囲んでいる縁起のよい切り絵「五福臨門」

五福臨門の5匹の蝙蝠は、5つの福を持ってきます。
・長寿=寿命が長く、福と寿が伴っていること
・富貴=財産やお金が十分にあり、地位が高く尊敬されること
・康寧=健康で心が安定していること
・好徳=良い行いを習慣にし、広く陰徳を積むことができること
・善終=安心して現世を離れることができること
HAL福コーチョーも日本語学校にひとつくらいは福を運びたい。
ふく校長、福コーチョー。期待に胸ふくらませて来日する留学生と新設日本語学校に、福が来ますように。3年後には福があふれる学校にしたいです。
10月開学。2020年4月に学生数100名体制。3年後に優良校認定がうけられると学生数200名まで受け入れが可能になるので、とりあえず3年間頑張ります。
<つづく>
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>福コーチョーデビュー(1)福コーチョーデビュー
福コーチョーデビューのご報告を。
日本語学校のふく校長として働くことになりました。
開校までは「開校準備室副室長」として約2年間、準備をしてきました。
2017年夏から準備開始。行政書士指導のもと、9月に新設日本語学校の申請書類一式を提出しました。2017年11月に、校舎へ入管の職員が立ち入り調査を実施。2階3階の5教室の机プロジェクターその他の設備がOKとなりました。入管職員2名による設置者と校長教務主任予定者への面接が行われました。
その後、何度も書類の作り直しやら付け足しやら。カリキュラム表、時間割、教員シフト表授業進行表などを作成しました。2017年12月~2018年1月2月に何度か文科省ヒアリング練習。
文科省ヒアリングというのは、入管立ち入り調査に合格した新設校代表者への面接試験です。どれほど意地悪な質問がなされるか、事前の面接練習でなんどもだめだしをされました。文科省官僚と日本語学校校長経験者や日本語教育専門官による突っ込みは、書類を見た上で、この人は、この部分に弱いということを見極めて、弱い部分をつついてくる、と聞いていました。
カリキュラム表も、リスク管理系統図も完璧なはず。突っ込みの穴が見当らなかったらしい面接官は、校長予定者の経験不足をついてきました。
「あなたは、大学での日本語教育経験は長いようですが、日本語学校校長の経験はないですよね」「はい、はじめて日本語学校の管理職として働きます」「経験がないのに、どうやって校長の職をまっとうするんですか。大学の教育経験だけでは、学校運営の経験はないと思うんだけどな」
春庭は、国立大学で専任教員がサバティカル休暇の間、教務の仕事を命じられて、日本語コースのカリキュラム作成やコース運営、学生管理などの経験をしたこと、ミャンマーの大学でも日本語コース立ち上げの任を負い、1年弱でコース設立をなしとげて後任に引き継いだことなどを述べました。学校運営ではないけれど、日本語教育の授業だけでなく、コース運営の経験はあるのだと申し立てたのですが、面接官は、「ミャンマーの大学のこと、履歴書にかいてないよね」
あらま、中国の大学に赴任した時は文科省派遣の資格で赴任したので履歴書にも経歴として書いたのですが、ミャンマーへは、大学退職後の派遣仕事だったので、履歴書の記入は省いてしまったのです。失敗、失敗。
さらに面接官は「学校運営をどうやって知るつもりですか」とつついてくる。日本語教育振興協会のホームページで見たことを思い出して「日振協で新任校長教務主任の研修会に出席するつもりです」と答えたら「あ、研修会に出る気あんのね、それならまあ」と、面接官はあっさり納得しました。
研修会をチェックしたとき、「この研修は私には無駄」と思ったの内容でした。日本語学校の校長を引き受ける方々は、日本の公立学校校長を定年退職した先生、大学教授を退職した先生がいらっしゃり、日本語教育というのが国語教育とはまったく異なるものだ、ということすらご存じない。
研修のひとつのテーマに「非漢字圏学生への漢字教育の方法」なんてのが書いてあったので、あらら、こういうこと、私はもう20年も日本語教授法を受ける日本人学生に教えているのに、いまさら研修受けるのもかったるいなあ、と思ってしまったのでした。こういうのは驕りというもんですね。
だから、「研修を受けます」と申し上げました。
しかしながら、2018年4月、日本語学校として認可しない、という通知を受け、大ショック。私が実質的に大学などで教務の仕事をこなしてきたことはまったく評価されず「主任教員について:カリキュラムの作成能力は一定水準以上認められるが、教員としての経験は長いものの、学校管理の経験がない為、日本語教育機関がおこなう主任教員研修受講が求められる」という評価でした。
2018年、行政書士事務所を変更し、再度の書類作り直し、2018年9月提出。提出書類の厚みは10cm以上になりました。
前回の不首尾をふまえ、あらたに校長に元大学教授、現非常勤講師の先生をお迎えし、春庭は「教務主任兼副校長」という書類上の立場になりました。文科省にとっては、実際の仕事をだれがやるか、ではなく、書類上きちんと整っていることが大切。
ずっと非常勤講師だった春庭は、実際にコース運営の仕事をしたことがあっても「学校管理能力なし」とみなされました。元大学教授という肩書があれば、授業だけをやっていた先生でも学校管理能力があるとみなされる。
悔しがっても、世の中そういうもの。
首相のお友達が新設獣医学部を申請すれば速攻認可がおり、肩書のない春庭が申請すれば却下。そういう仕組みになっています。
2019年1月文科省の面接試験。今回はつっこみどころも少なくて、まあまあうまくいった、という感触でした。新任の校長予定者も面接官に気に入ってもらえた感じ。よかったよかった。しかし、日本語学校の設立は、年々審査が厳しくなっており、新設学校を認可しない方針が進んでいます。どうなるかは神のみぞ知る。もとい、文科省のみ知る。
学校設立者は、2009年に私が中国で担当した国費留学生のひとりです。東大大学院に留学し、博士号を取得。現在、東大の研究所の客員研究員を続けながら中国でITビジネスを始めています。国費留学生の後輩と結婚し、ふたりで男の子を育てながら日本での永住許可をとりました。
彼は、日本の社会や文化を愛し「奨学金を与えてくれた日本に恩返しをしたい」と思いました。そのため、日本語学校を設立し、日本の大学大学院で学ぶ留学生を育てたい」というのが「学校設立の目的」
実際には彼の妹夫婦が学校経営に当たり、私は教育・教務面を担当します。
1980年から一人っ子政策がとられてきた中国で、37歳と30歳、兄妹そろっているのは、珍しいことです。(80年代、一般の勤労者がふたり目を生むと罰金が科せられた時代でした)。
兄妹とも日本に留学し、兄は博士号、妹は日本の私立大学で教育学修士号を得ました。そろって優秀な人たちですが、日本語学校設立はみな初めての経験でした。試行錯誤、とまどいながらの準備でしたが、新しい行政書士事務所はとても細かいところまで指導が行き届き、その準備ぶりを見るにつけ、前回の不認可の理由もなんとなくわかりました。
入管法が変わったことで、日本語学校への規制もたいへん厳しくなっている昨今ですが、認可がおりさえすれば、勤務する日本語学校はすぐに活動を開始できます。
すでに中国政府の認可を得た中国現地校は授業を開始しており、現地校→日本留学というルートができています。私はスカイプテレビ会議利用で、中国に在住している現地校の学生に授業を始めています。
新しく始めることなので、当然わからないことも失敗もあるとは思います。
前回の文科省面接官の言うとおり「日本語教育経験30年以上と言っても、学校を経営した経験はないでしょ」というのはその通り。学校運営の経験なんてありません。でも、経験したことのないことを、これから仕上げていくのも必要なこと。
準備の2年間「70歳目前にして人生の新しい局面がひらけ、新しい仕事に挑戦できるのはありがたいこと」と思って張り切ってきました。
開校申請の認可通達は、遅れにおくれました。例年は4月末日に通知がくるのですが、令和改元で10日間休みが続いたあとようやく5月16日に認可通知が届きました。
留学のための学生ビザ申請は6月13日が締め切り。ですから、学生募集の期間が例年より短くなり、10月に入学できる学生数は、当初の予定より、大幅に少なくなってしまいました。
入学開始10月。教務主任兼副校長春庭、あと半年間の準備、がんばります。
中国では福の字と同じ旁が蝙蝠にもあり、こうもりの発音ビィァンフーBiānfúが、「福が偏在する」という「偏蝠ピィァンフーPiān fú」と発音がほぼ同じです。蝙蝠は「福を呼ぶ縁起のよい生き物」として珍重されてきました。
それなら副校長も福を呼ぶ縁起のいい生き物です。春庭福校長、古希の体に油を加え、加油!チャーヨッ!とがんばります。
5匹の蝙蝠が家を取り囲んでいる縁起のよい切り絵「五福臨門」

五福臨門の5匹の蝙蝠は、5つの福を持ってきます。
・長寿=寿命が長く、福と寿が伴っていること
・富貴=財産やお金が十分にあり、地位が高く尊敬されること
・康寧=健康で心が安定していること
・好徳=良い行いを習慣にし、広く陰徳を積むことができること
・善終=安心して現世を離れることができること
HAL福コーチョーも日本語学校にひとつくらいは福を運びたい。
ふく校長、福コーチョー。期待に胸ふくらませて来日する留学生と新設日本語学校に、福が来ますように。3年後には福があふれる学校にしたいです。
10月開学。2020年4月に学生数100名体制。3年後に優良校認定がうけられると学生数200名まで受け入れが可能になるので、とりあえず3年間頑張ります。
<つづく>