20191029
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録日本語教師日誌(8)再会ボスニア・ヘルツェゴビナ
春庭の日本語教師日誌を再録しています。
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2005/07/05 火
ニッポニア教師日誌>再会ボスニア・ヘルツェゴビナ
午前中、「~へ、いっしょにいきませんか」「いいですね。ぜひ」、「すみませんが、予定があるので、その日はちょっと、、、、」などの文型で、「さそう、さそわれる」「さそいをことわる」などの練習をする。
4月から日本語学習をはじめて、2ヶ月が過ぎたクラス。4ヶ月間で日本語初級の研修を終えると大学院の修士課程や博士課程へ進学する留学生たちの集中コース。研究論文は英語で提出する学生がほとんどだが、日常会話をこなすまでを4ヶ月で修了するのは、なかなかハードなスケジュールだ。日本の英語教育に当てはめると、中学校3年間で習う初級英語と同じ分量を4か月で詰め込む勘定。
学生同士ペアで、音楽会や美術館へさそう練習をさせる。「えっと、○○さん、デートに行きませんか」「えっ、デート?デートはどこにありますか」など、さそうのにも四苦八苦のペアもあり、他の学生大笑い。
教科書には出てこないけれど、学生ことばのやりとりで覚えた「デート」を、ちょっと使ってみたかった学生の積極性はかうけれど、英語由来のカタカナことばは、英語の意味の通りにはいかないことも多く、日本語らしい使いこなしをするのは、難しいときもある。
「日本人学生の住んでいるところが、○○マンションというから、大邸宅に住んでいるのかと思ったら、ただのアパートメントハウスでびっくりした」と話す留学生もいる。そうね、英語だとマンションは、大邸宅だものね。
以前、「きのう、トルコを食べました」というので、トルコ料理店にでもいったのかと思ったら、Turkeyの訳語を辞書でひいて一番最初にでてきたのが、トルコだったという。
「Turekey は国の名前でトルコだけれど、turkeyを食べた、 は、日本語では、別の意味。七面鳥を食べた、になります」と、教えて誤解を解いたこともあった。
「まちがいもまた楽し」の、日本語クラス。
いっしょに出かける日時を相談して決め、待ち合わせの時間と場所を決めて、ペア練習は終わり。
最後に、留学生に「せんせい、12時です。お昼ご飯をいっしょに食べませんか」「いっしょに食堂へいきませんか」と、言わせる。
時計を見て「じゃ、これで午前中の授業は終わります。えっと、食堂って、学生食堂ですか。」「ええ、大学の食堂です」「おいしいですか」「ええ、おいしいですよ」「やすいですか」「はい、とても安いです」「じゃ、いっしょに行きましょう」
いっしょに学生食堂へ行くことにした。
留学生と歩いていると、見かけない留学生が話しかけてきた。「あのう、ちょっとおたずねしてもよろしいですか」と、とてもなめらかな日本語。来日してまだ2ヶ月の今のクラスの人達とは大違い。
「ええ、なんでしょうか」「あの、先生は、私の日本語の先生だった、○○先生じゃありませんか」と、私の名を言う。え?
「わたし、先生に教えていただいたボスニアのスーです」ボスニア?
「6年前、S大学留学生センターの学生でした」「あ、S大学の。そうそう、ボスニアからの留学生、教えたことがあります。ボスニアからの留学生を教えたのはひとりだけですから、印象的でした。今は、この大学の学生?それともS大学?」
名前もわすれてしまったし、ごめんね、写真でも照合しないと、当時の印象を思い出せない。でも、ボスニアという国名は強烈な印象だった。
「S大学で日本語を学び、母国に戻って修士課程を修了してヨーロッパで働きました。もう一度留学のチャンスを得て、今度はこの大学で研究しています」と、6年前からみるとはるかに進歩した日本語で語る。
「6年前、先生の元気なクラスが大好きでした。また、お目にかかれて、うれしいです」と、スーは笑顔をみせる。
「今も火曜日はS大学で教えてますよ。ここでは金曜日に教えています。2階の講師室にいるから、話をしにきてね。ボスニアの話を聞きたいです」
ボスニア・ヘルツェゴビナは、旧ユーゴスラビア連邦から別れた国のひとつ。イスラム教徒とキリスト教徒が国土を争奪して、第二次世界大戦後のヨーロッパでもっとも激しい戦闘が行われた。内戦は1992年から3年半続き、多くの犠牲者と難民が出た。
内戦が終結し、まだ国情が安定していない頃に留学してきたので、印象深い学生だった。ボスニアからの留学生は、スーのほか、会ったことがない。
スーはとてもすてきな笑顔の女性になって、研究に励んでいるようすだった。何よりも私の名を覚えていてくれたことに驚いた。
私がS大学に出講するのは週に一度だけ。私生活にまで関わりの深い専任教員を覚えていることはあっても、週に一度だけの授業で、たくさんいる講師のなかのひとりにすぎないのに、よくぞ6年間、名前を忘れないでいてくれました。
「先生からたくさんの元気をもらいました」と言うスーに再会して、こちらも嬉しかった。
2度目の留学で、前とは違う大学に来たのに、偶然同じ教師と出会うというのも、縁だろう。よい留学生活がおくれるよう、研究がうまくすすむよう、祈りたい。
<つづく>
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録日本語教師日誌(8)再会ボスニア・ヘルツェゴビナ
春庭の日本語教師日誌を再録しています。
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2005/07/05 火
ニッポニア教師日誌>再会ボスニア・ヘルツェゴビナ
午前中、「~へ、いっしょにいきませんか」「いいですね。ぜひ」、「すみませんが、予定があるので、その日はちょっと、、、、」などの文型で、「さそう、さそわれる」「さそいをことわる」などの練習をする。
4月から日本語学習をはじめて、2ヶ月が過ぎたクラス。4ヶ月間で日本語初級の研修を終えると大学院の修士課程や博士課程へ進学する留学生たちの集中コース。研究論文は英語で提出する学生がほとんどだが、日常会話をこなすまでを4ヶ月で修了するのは、なかなかハードなスケジュールだ。日本の英語教育に当てはめると、中学校3年間で習う初級英語と同じ分量を4か月で詰め込む勘定。
学生同士ペアで、音楽会や美術館へさそう練習をさせる。「えっと、○○さん、デートに行きませんか」「えっ、デート?デートはどこにありますか」など、さそうのにも四苦八苦のペアもあり、他の学生大笑い。
教科書には出てこないけれど、学生ことばのやりとりで覚えた「デート」を、ちょっと使ってみたかった学生の積極性はかうけれど、英語由来のカタカナことばは、英語の意味の通りにはいかないことも多く、日本語らしい使いこなしをするのは、難しいときもある。
「日本人学生の住んでいるところが、○○マンションというから、大邸宅に住んでいるのかと思ったら、ただのアパートメントハウスでびっくりした」と話す留学生もいる。そうね、英語だとマンションは、大邸宅だものね。
以前、「きのう、トルコを食べました」というので、トルコ料理店にでもいったのかと思ったら、Turkeyの訳語を辞書でひいて一番最初にでてきたのが、トルコだったという。
「Turekey は国の名前でトルコだけれど、turkeyを食べた、 は、日本語では、別の意味。七面鳥を食べた、になります」と、教えて誤解を解いたこともあった。
「まちがいもまた楽し」の、日本語クラス。
いっしょに出かける日時を相談して決め、待ち合わせの時間と場所を決めて、ペア練習は終わり。
最後に、留学生に「せんせい、12時です。お昼ご飯をいっしょに食べませんか」「いっしょに食堂へいきませんか」と、言わせる。
時計を見て「じゃ、これで午前中の授業は終わります。えっと、食堂って、学生食堂ですか。」「ええ、大学の食堂です」「おいしいですか」「ええ、おいしいですよ」「やすいですか」「はい、とても安いです」「じゃ、いっしょに行きましょう」
いっしょに学生食堂へ行くことにした。
留学生と歩いていると、見かけない留学生が話しかけてきた。「あのう、ちょっとおたずねしてもよろしいですか」と、とてもなめらかな日本語。来日してまだ2ヶ月の今のクラスの人達とは大違い。
「ええ、なんでしょうか」「あの、先生は、私の日本語の先生だった、○○先生じゃありませんか」と、私の名を言う。え?
「わたし、先生に教えていただいたボスニアのスーです」ボスニア?
「6年前、S大学留学生センターの学生でした」「あ、S大学の。そうそう、ボスニアからの留学生、教えたことがあります。ボスニアからの留学生を教えたのはひとりだけですから、印象的でした。今は、この大学の学生?それともS大学?」
名前もわすれてしまったし、ごめんね、写真でも照合しないと、当時の印象を思い出せない。でも、ボスニアという国名は強烈な印象だった。
「S大学で日本語を学び、母国に戻って修士課程を修了してヨーロッパで働きました。もう一度留学のチャンスを得て、今度はこの大学で研究しています」と、6年前からみるとはるかに進歩した日本語で語る。
「6年前、先生の元気なクラスが大好きでした。また、お目にかかれて、うれしいです」と、スーは笑顔をみせる。
「今も火曜日はS大学で教えてますよ。ここでは金曜日に教えています。2階の講師室にいるから、話をしにきてね。ボスニアの話を聞きたいです」
ボスニア・ヘルツェゴビナは、旧ユーゴスラビア連邦から別れた国のひとつ。イスラム教徒とキリスト教徒が国土を争奪して、第二次世界大戦後のヨーロッパでもっとも激しい戦闘が行われた。内戦は1992年から3年半続き、多くの犠牲者と難民が出た。
内戦が終結し、まだ国情が安定していない頃に留学してきたので、印象深い学生だった。ボスニアからの留学生は、スーのほか、会ったことがない。
スーはとてもすてきな笑顔の女性になって、研究に励んでいるようすだった。何よりも私の名を覚えていてくれたことに驚いた。
私がS大学に出講するのは週に一度だけ。私生活にまで関わりの深い専任教員を覚えていることはあっても、週に一度だけの授業で、たくさんいる講師のなかのひとりにすぎないのに、よくぞ6年間、名前を忘れないでいてくれました。
「先生からたくさんの元気をもらいました」と言うスーに再会して、こちらも嬉しかった。
2度目の留学で、前とは違う大学に来たのに、偶然同じ教師と出会うというのも、縁だろう。よい留学生活がおくれるよう、研究がうまくすすむよう、祈りたい。
<つづく>