20191024
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(5)日本で、はじめて○○をしました
春庭の日本語教室だよりを再録しています。
~~~~~~~~~
2005/11/25 金
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(1)日本で、はじめて○○をしました
さまざまな国から集まってきた留学生達。日本での勉学の意欲に燃え、がんばっている。
大学、大学院、専門学校で学ぶ学生を留学生と呼ぶ。日本語学校(専修学校、各種学校など)で学ぶ学生を就学生という。
日本で就業してよいアルバイトの許可時間も異なる。就学生の労働許可時間は、一日につき、4時間以内。一週間で28時間を超えて就業することはできない。留学生も1週間の就業時間は28時間以内だが、夏休みなどの長期休暇中は、一日につき、8時間就業することが許され、休暇中に集中してアルバイトすることもできる。
私立大学の私費留学生達の多くは、家族や親族の援助、自分のアルバイトで留学費用をまかなっている。
勉強とアルバイトの両方をこなすために努力し、家族のために日本で成功したいと語る。
苦労をかけた両親に車や大きな家を買ってやりたいという学生もいるし、「帰国したら、貧しい子どもたちのための学校を作りたい」という希望を話す学生もいる。
国立大学の中で、国費留学生(文部科学省給費奨学金授与者)は、アルバイトなどしなくても生活していける十分な額の奨学金を授与されている。
奨学金を受けている留学生のなかで、発展途上国や新興経済圏からくる学生は、その国の超エリート層であることが多い。
発展途上国では、大学生・大学院生は、ごくわずかなエリートであり、ものすごく頭がよいか、親が金持ちであるか、その両方であるか。
私の担当は、大学院研究生と大学院進学者のための日本語クラス。
例文の練習をしているなかでも、さまざまな国の事情や家庭のようすがわかることがある。
「はじめて」と「はじめに」「はじめは」の使い分けを練習していたときのこと。
「日本ではじめて経験したこと」を、学生ひとりひとりに発表してもらった。
「日本で、はじめて、サシミを食べました」納豆、スキヤキなど、食べ物の初体験を出す学生が多い。
「日本で、はじめて、海を見ました」これは、モンゴルから来た学生。ウランバートルのテレビで見た海、いつか本物の海を自分の目で見たいと念願していたのだという。
「日本で、はじめて、モノレールカーに乗りました」
市内を走るモノレールカーは、一本のレールにぶら下がっている。窓から眼下に広がる市街をながめると、電車が空中を走っている感じがする。
私がこの方式のモノレールカーにのったのは、東京では、上野動物園の東園から西園までの5分間だけ。市内を走る「ぶら下がりモノレールカー」にのったのは、このモノレールカーが初体験だった。市内中心部から港へ向かうモノレールカーに乗って、楽しかった。
だから、留学生がめずらしがるのもわかる。
<つづく>
2005/11/26 土
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(2)さまざまな背景
「日本で、はじめて、電車に乗りました」という学生。
あれ?あなたの国に電車はありませんでしたか?と、私から質問した。
地下鉄がない国は多いし、国内に鉄道網がない国もある。しかし、発言した学生の国には、電車も鉄道もあるはず。「電車が珍しい」という国ではないのだが。
彼が流暢な英語で説明しだして、私もようやく理解した。
鉄道も電車も国内にあるが、彼は日本に来るまで、公共の乗り物に乗ったことがなかったのだ。国内での移動はすべて運転手付きのリムジン、国外へは飛行機。
日本に来て、はじめて、電車や地下鉄に乗った。
こういう学生に、わざわざ、日本国の税金から奨学金を授与する必要があるのかなあ、と感じてしまう。
授業料の工面に悩んでいる私費留学生も多いのに、彼にとっては、奨学金など、こずかい程度にもならない。それでも、本国からどういう学生が選ばれてくるのかは、その国の方針による。
教師はどの学生にも、平等に熱意をそそぐべきなのだろう。
とはいうものの、私はどうしても、苦労している学生、生活が厳しい学生のほうを応援したくなってしまう。
それぞれの事情を抱えながら、学生はいっしょうけんめい日本での生活と勉学に奮闘している。
さまざまな背景を持つ留学生たち。
数年前のこと。学生資料の国籍欄にイスラエルとあった女性に「あなたの母語はヘブライ語ですか」と質問した。すると彼女はきっと顔を上げ、「母語はアラビア語です。私はパレスチナ人です。イスラエル人の中には、私の敵もいます。私の親戚は、何人も彼らに殺されまた」と言った。
イスラエルのパスポートを持っていればイスラエル人、という単純な思いこみをしていた私。パレスチナ人としての自覚を語る彼女の、厳しい決意の目が印象的だった。
彼女がイスラエル発行パスポートで来日したのは、なぜか。日本がパレスチナ自治政府発行のパスポートを正規旅券として認めていなかったためだ。
日本政府が、「パレスチナ自治政府発行旅券」を有効とする政令改正を決定したのは、2002年10月18日の閣議において。政府はそれまで国家として承認していないパレスチナの旅券を認めていなかった。
石油産出国からきたお嬢様もいた。
「大学の洗面所の水道は、水しか出ない。お湯がでないなんて、考えられない」と、「日本の大学の設備の悪さ」を嘆いていた。
いつも母親の話をしていたカンボジアの学生。母親の一族は、ポルポト派により虐殺された。当時、多くの知識人階層が被害を受けたという。
母は、一族のたった一人の生き残り。だから、一日も早く一人前になって、母を助けたい。国費留学生に選ばれたのは、超ラッキーだから、このチャンスを生かしたい、と話していた。
<つづく>
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(5)日本で、はじめて○○をしました
春庭の日本語教室だよりを再録しています。
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2005/11/25 金
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(1)日本で、はじめて○○をしました
さまざまな国から集まってきた留学生達。日本での勉学の意欲に燃え、がんばっている。
大学、大学院、専門学校で学ぶ学生を留学生と呼ぶ。日本語学校(専修学校、各種学校など)で学ぶ学生を就学生という。
日本で就業してよいアルバイトの許可時間も異なる。就学生の労働許可時間は、一日につき、4時間以内。一週間で28時間を超えて就業することはできない。留学生も1週間の就業時間は28時間以内だが、夏休みなどの長期休暇中は、一日につき、8時間就業することが許され、休暇中に集中してアルバイトすることもできる。
私立大学の私費留学生達の多くは、家族や親族の援助、自分のアルバイトで留学費用をまかなっている。
勉強とアルバイトの両方をこなすために努力し、家族のために日本で成功したいと語る。
苦労をかけた両親に車や大きな家を買ってやりたいという学生もいるし、「帰国したら、貧しい子どもたちのための学校を作りたい」という希望を話す学生もいる。
国立大学の中で、国費留学生(文部科学省給費奨学金授与者)は、アルバイトなどしなくても生活していける十分な額の奨学金を授与されている。
奨学金を受けている留学生のなかで、発展途上国や新興経済圏からくる学生は、その国の超エリート層であることが多い。
発展途上国では、大学生・大学院生は、ごくわずかなエリートであり、ものすごく頭がよいか、親が金持ちであるか、その両方であるか。
私の担当は、大学院研究生と大学院進学者のための日本語クラス。
例文の練習をしているなかでも、さまざまな国の事情や家庭のようすがわかることがある。
「はじめて」と「はじめに」「はじめは」の使い分けを練習していたときのこと。
「日本ではじめて経験したこと」を、学生ひとりひとりに発表してもらった。
「日本で、はじめて、サシミを食べました」納豆、スキヤキなど、食べ物の初体験を出す学生が多い。
「日本で、はじめて、海を見ました」これは、モンゴルから来た学生。ウランバートルのテレビで見た海、いつか本物の海を自分の目で見たいと念願していたのだという。
「日本で、はじめて、モノレールカーに乗りました」
市内を走るモノレールカーは、一本のレールにぶら下がっている。窓から眼下に広がる市街をながめると、電車が空中を走っている感じがする。
私がこの方式のモノレールカーにのったのは、東京では、上野動物園の東園から西園までの5分間だけ。市内を走る「ぶら下がりモノレールカー」にのったのは、このモノレールカーが初体験だった。市内中心部から港へ向かうモノレールカーに乗って、楽しかった。
だから、留学生がめずらしがるのもわかる。
<つづく>
2005/11/26 土
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(2)さまざまな背景
「日本で、はじめて、電車に乗りました」という学生。
あれ?あなたの国に電車はありませんでしたか?と、私から質問した。
地下鉄がない国は多いし、国内に鉄道網がない国もある。しかし、発言した学生の国には、電車も鉄道もあるはず。「電車が珍しい」という国ではないのだが。
彼が流暢な英語で説明しだして、私もようやく理解した。
鉄道も電車も国内にあるが、彼は日本に来るまで、公共の乗り物に乗ったことがなかったのだ。国内での移動はすべて運転手付きのリムジン、国外へは飛行機。
日本に来て、はじめて、電車や地下鉄に乗った。
こういう学生に、わざわざ、日本国の税金から奨学金を授与する必要があるのかなあ、と感じてしまう。
授業料の工面に悩んでいる私費留学生も多いのに、彼にとっては、奨学金など、こずかい程度にもならない。それでも、本国からどういう学生が選ばれてくるのかは、その国の方針による。
教師はどの学生にも、平等に熱意をそそぐべきなのだろう。
とはいうものの、私はどうしても、苦労している学生、生活が厳しい学生のほうを応援したくなってしまう。
それぞれの事情を抱えながら、学生はいっしょうけんめい日本での生活と勉学に奮闘している。
さまざまな背景を持つ留学生たち。
数年前のこと。学生資料の国籍欄にイスラエルとあった女性に「あなたの母語はヘブライ語ですか」と質問した。すると彼女はきっと顔を上げ、「母語はアラビア語です。私はパレスチナ人です。イスラエル人の中には、私の敵もいます。私の親戚は、何人も彼らに殺されまた」と言った。
イスラエルのパスポートを持っていればイスラエル人、という単純な思いこみをしていた私。パレスチナ人としての自覚を語る彼女の、厳しい決意の目が印象的だった。
彼女がイスラエル発行パスポートで来日したのは、なぜか。日本がパレスチナ自治政府発行のパスポートを正規旅券として認めていなかったためだ。
日本政府が、「パレスチナ自治政府発行旅券」を有効とする政令改正を決定したのは、2002年10月18日の閣議において。政府はそれまで国家として承認していないパレスチナの旅券を認めていなかった。
石油産出国からきたお嬢様もいた。
「大学の洗面所の水道は、水しか出ない。お湯がでないなんて、考えられない」と、「日本の大学の設備の悪さ」を嘆いていた。
いつも母親の話をしていたカンボジアの学生。母親の一族は、ポルポト派により虐殺された。当時、多くの知識人階層が被害を受けたという。
母は、一族のたった一人の生き残り。だから、一日も早く一人前になって、母を助けたい。国費留学生に選ばれたのは、超ラッキーだから、このチャンスを生かしたい、と話していた。
<つづく>