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ぽかぽか春庭「ラポールからはじまる」

2019-10-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191017
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録日本語教師日誌(1)ラポールからはじまる

 日本語教育において関わってきた留学生たち。個性的な留学生たちとのふれあいは、私にとって大きな財産です。政府の言う「老後に必要な2000万円」は貯めることができなかった貧乏人春庭ですが、さまざまな思い出は心の財産として残すことができました。
 以下、再録を続けます。
~~~~~~~~
2003-12-24
春庭のBC級ニッポン語教育研究17「サルでもできるHow to teach Nipponia Nippon語」
「授業の実際・ラポール①」

 初級漢字のクラス。12名が、とても仲良く助け合っているので、教師としては大助かり。クラスの雰囲気がいいか悪いかは、教育効果が上がるかどうかに一番大きな影響を与える。

 教師がどれほど言語学の大家であろうと、第二言語習得理論の専門家であろうと、クラスの「助け合って学んでいこうとする雰囲気」が形成されていなければ、ザルに水を汲むような授業になる。

 最新の教授法理論の中では「ピアラーニング」がもてはやされてきた。
 ピアカウンセリング=専門家と患者という関係のカウンセリングでなく、立場を同じくする仲間同士による助け合いカウンセリング。
 同じように、ピアラーニングというは、仲間同士の「教えあい育てあい」によって教育効果を高めようとする教授法である。
 最新の教授法と聞いて、春庭「ワッハッハ、ついに時代が私に追いついてきた」と思う。

 教師と学生の関係を築くことから授業をスタートさせる、学生同士が知り合い仲良くなることで教育効果が高まる。
 15年前に日本語教師になったときから、私が実践していることだ。

 日本語教育に携わるようになったとき、私はハンディ以外もっていなかった。英語は下手。第二言語教育理論の専門家でもない。日本語学をかじったとはいえ、博士号もない。
 英語やフランス語など、外国語に携わることから日本語教師になる方が多い業界の中で、中学校国語教師から転身した私の日本語教授法の基本は、「ラポール形成」「ピアラーニング」につきた。

 クラスの中を楽しいいい雰囲気にすること。間違えても大丈夫、自分の居場所はここにあるという安心感。どんな質問をしても共に考えようとする教師の姿勢。このようなことが教育の基本であると信じてやってきた。

 教師にとって教える教科の知識は基本事項。しかし、知識だけもっていても授業は成立しない。教師が学生に関わっていこうとする態度、学生同士の助け合い学び合おうとする心を呼びおこすこと。よい授業のために必須の条項はたくさんある。

 楽しい雰囲気にするため、私は何でもやる。ときどきやりすぎて顰蹙もかう。
 これまでに紹介した日本語教授法クラス(文学部の日本人学生)。どのように授業を行うかを実演してみせる私のデモンストレーション授業の中でも、おおいに受けたのは、すもうのジェスチャーだった。

 日本語教育研究受講の学生のひとりが、「日本語教師はジェスチャーの練習もしておかなきゃなりませんね」というので、「日本語教師は芸人を目指さなければ、やっていけません!」という、私の持論を披露。

 日本語の歌を歌って文法を導入するときもあるし、映画や小説の一部分を、シナリオにして、教師がひとり二役で演じてみせることもある。「朗読が上手」などは、芸のうちにも入らない。

 私がよく留学生に披露する芸は、バレエのポジション。一番得意なのは、足を前後開脚して、180度に完全に開くこと。また、「パ・ド・シャ」という、「猫の足」の形でくるくる回転するのも得意。

 そんなもの披露して、日本語と何の関係があるのかって。な~んもありゃしません。
 ただ、留学生の興味を授業に集中させるとき、「はい、はい、こっちを見て、集中して!」と叫ぶより、学生のひとりに「足を前後に開いてみせて」と、やらせて、開かないのを確認してから、私がぱっと開いて見せると、いっぺんに学生の注目があつまり、次の授業項目へ向かって、集中させることができる。足を開いてから口を大きく開かせる。アー。開音節の基本。

 留学生に対する日本語授業に限らず、教育の基本は「教室内のコミュニケーション」をいかになごやかに、いい雰囲気にするかが、重要。

 逆に、この雰囲気が壊れたときは修復がむずかしい。
 ある日本語クラスで、留学生全員が先週とうってかわってギスギスした雰囲気になっており、授業の進行がうまくいかないことがあった。

 連絡ノートに先週のクラスの報告があった。
 ディベート授業で、「それぞれの国の印象を話し合う」というトピックが出された。国の第一印象、私たちもよく話題にすることだ。
 エジプト=歴史の古いピラミッドの国。サウジアラビア=石油がとれる砂漠の国。フィンランド=森と湖とサンタさんの国。タイ=仏教寺院とほほえみの国。などなど。

 ある学生が、ペアになった学生の国の印象を「麻薬の輸出国」と言ったことから、ふたりが反目し合い、クラス内が対立してしまったのだという。
 結局このクラスは、仲直りできないままコースを終了する結果となった。

 私もディベートのトピックには気をつかい、国際問題になりそうな話題は避けているが、まさか、「国の印象」から対立が始まるとは、このトピックを提出した先生も予想がつかないことだったろう。

 クラスの雰囲気を作るための方法は、教師それぞれの個性。
 書道師範の資格をもつ先生が、最初のひらがなの練習のとき、筆と墨を用意し、「日本文化体験授業」として、ひらがなを半紙にかかせてクラスを盛り上げることもある。

 学生がひらがなの書き練習をしている間に、折り紙でひとりひとりに様々な形を折ってプレゼントする先生も。(私が本を見ないでできる折り紙は、つると兜だけ)
 春庭は、挫折したとはいえ、元ミュージカル役者なのだから、唄や踊りが主要ツール。

 日本語教師とは、かくも芸に精進するものなのだ。
 といっても、授業中にすもうのジェスチャーやったり、足を180度に開脚してみせたりする日本語教師は、日本で私だけである!

 春庭、「50代の日本語教師の部、餃子早食い暫定日本一(10/20『をんなとおんな』参照のこと)」の座のほか、「授業中に180度開脚できる唯一の日本語教師」の座、も保持している。

 前後開脚180度。開き直るのが春庭の人生。

<つづく>

2003-12-25
春庭のBC級ニッポン語教育研究19「サルでもできるHow to teach Nipponia Nippon語」
「授業の実際・ラポール②」

 はじめて習う言語。緊張している学生を前にして
「あなたは、この教室に受け入れられている」
「ここでは、言語の練習過程で、どんな間違いをしても許されるし、まちがえるのは当然のことだ」
「まちがってもいいから、できるだけたくさん日本語を口にしてほしい」
「教師は、あなたがまちがえながらも成長していくのを応援するし、必ずあなたの味方になる」
ということを、最初に教室内に浸透させることが、教師の仕事のいちばん基本。

 これを教育学では「ラポール作り」と言う。小学校教育論では「教室づくり」などともいう。

 日本語文法を日本語を使ってわからせながら、日本語の基礎を教えていく日本語教育。「文型つみあげ方式」である。
 直接法(日本語だけを用いて、日本語を教える教授法)で日本語を教えるには、教授者が日本語の文型、文法を熟知している必要がある。

 しかし、私は、日本語教授法を学ぶ日本人学生にいう。
 どんなに言語学を修得しようと、日本語文法を完全マスターしていようと、ラポール作りができない教師は、教師ではない。
 これは、日本語教師だけじゃなく、あらゆる教育者に共通することだと、春庭まじめに信じております。

 教育の基本は、教師と学習者の間に生まれる、心とこころのつながり「ラポール」です。超まじめに、叫ぶ春庭。
 12月は、日本語教育のさわりをお話してきた。まじめに。
 日本語教育とは、何か。「日本語を母語として成長しなかった人に、第二言語としての日本語を教えること」

 日本語文法とは何か、についても、もうおわかりいただけたと思います。
 「文法」は、言葉を効率よく学ぶのに必要な、ことばの規則。
 ひとつひとつの単語を覚えることが、クラッチやブレーキの働きを知ることに相当するなら、車の構造や交通ルールを覚えることに相当するのが「文法」です。

 そして、「ことばの学習」「語学の勉強」とは。
 基本は「人と人がコミュニケーションをとろうとする、つながりあいたい、という欲求」からはじまる。


<つづく>
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