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ぽかぽか春庭「コートールド美術館展・ネバーモアを見た」

2019-11-03 00:00:01 | エッセイ、コラム

 ポスターは、マネ「フォリー=ベルジェールのバー」

20191103
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記古希白秋(2)コートールド美術館展・ネバーモアを見た

 無料は逃さぬコキ春庭。毎月第3水曜日の都立美術館博物館65歳以上無料の日のお楽しみを、ここしばらく逃しておりました。無料が損した感じ。
 10月16日水曜日、大学90分授業2コマの仕事を終えてから東京都立美術館へ行ってきました。この日は、通常5時半閉館の美術館が8時まで開館している、というお得情報をネットで見て、仕事が終わってから出かけても十分に見る時間があると思ったからです。

 東京都美術館、「コートールド美術館展」開催中。
 コート―ルド美術館は、ロンドンにある展示場付きの美術研究所です。レーヨン販売で富を築いた実業家サミュエル・コートールドが収集したコレクションを核に1932年に設立されました。館の補修工事のため、休館中の貸し出しです。

 サミュエル・コートールドは、印象派及び後期印象派の絵画を同時代作品として収集しました。まだ評価が今ほど高くなかった時代に、自分の審美眼を信じて買い、自宅に飾って楽しみました。没後はコレクションを美術研究のために寄贈し、広く一般の人が鑑賞できるようにしました。

 美術研究所の展示品、ということから、「美術研究をしながら絵をみていこう」というコンセプトの解説がなされているキュレーションでした。無料で入ったので、550円のガイドヘッドホンをかりて、聞きながら回りました。
 自分の感性で見るのでなく、ガイド解説でわかったような気になることもない、とは思うのです。
 いつも最初に、ガイドは聞かずに一回り絵を見る。二度目にガイドを聞きながらもう一回り。それから、気にいった絵をゆっくり人が少なくなったころに見て回る、という展覧会3回まわってワン。なのですが、今回は、第3水曜日に夜8時まで開館していることを知らない人も多かったのか、7時前には観覧者がぐんと少なくなり、ゆったり見て回れました。

 日曜美術館を視聴して、マネの「フォリー=ベルジェールのバー(1882)」が、マネ最晩年の傑作であり、画家がどのような描き方をしたのか、詳しい解説を先に聞いていました。それで、ガイドから新しく知れたことはそう多くはなかったですが、ま、いいか。三浦春馬の声なので。日曜日美術館司会が井浦新から小野正嗣にかわって、小野先生も悪くはないけれど、イケメン度はいくぶん下がったので、春馬様イケメン声のガイド、ありがたし。

 絵を自分なりに見たあと、解説パネルを読んだりガイドを聞いてふむふむと思うのも、それはそれで面白い絵の味方だと思います。

 ルノワールの「天井桟敷」もコートールド家の部屋に飾られていた一枚。コートールドの気分になれる、絵の前にいすが置かれた写真OKコーナー


 今回はじめて見た絵は、ポール・ゴーガンの「ネバーモア・横たわるタヒチの女(1897)」です。
 自分で最初にひとまわりしたときは、なぜ女の背景にカラスがいるのか、わからなかった。女のモデルは、ゴーガンの現地妻パウラ。

 「ネバーモア」1897


 ゴーガン自身は、窓に止まっている青い鳥がエドガー・アラン・ポーの詩「『大鴉 / The Raven)」を描いているという見方を否定したのだそうです。

 ポーの大鴉は、冬の寒夜に詩人を訪ねてきて、「Never moreネバーモアけっして~しない」と、繰り返し鳴く。
 不安を掻き立てられる窓の鳥。その横の大きな窓には、ふたりの女性が立っています。
 画面左上には、画家自身が「NEVER MORE」と、書き入れているので、ポーの詩と無関係ということはないのでしょうけれど、画家は、ひとつの味方に固定されるのがいやだったのかもしれません。ゴーガンが表現したかったのは「野蛮な豪華さ」らしい。ようわからぬが。

 「ネバーモア」についての、ゴーガンの言葉「単純な裸体によって、ある種の野蛮な豪華さを暗示したかった。全体はわざと暗く悲しい色彩の中に沈んでいる。この豪華さは、絹でもビロードでも麻でも金でも馬鹿な女でもない。純粋に画家の手で紡ぎだされた豊かな質感(マティエール)である。人の創造力のみがこの空想上の住居
を飾ることができるのだ

と、述べるいるのだそうです。(友人の画商Daniel de Monfreid への手紙による」

 何が言いたいのか、雑駁な私の頭では理解が難しいけれど、文明社会などに何か言いたいのはわかる。植民地支配などをしている文明社会への批判を繰り返し、西欧社会から批判を受け、最後は名誉棄損の裁判も起こしたゴーガン。

 1891年に最初にタヒチに渡った時、現地で身の回りの世話をさせるため、契約をかわしてTehamana(通称テフラ)を雇い入れました。このとき、テフラは13歳にすぎなかった。身の回りの世話には夜伽も含まれており、テフラは妊娠したけれど、流産したらしい。

 タヒチからフランスにもどっている間は、インドとマレーのハーフ少女(アン・マルタン通称アンナ)を愛人にしていて、どうやらゴーガンはロリ系?

 1895年6月28日、ポール・ゴーギャンはパリのリヨン駅からで列車に乗りました。デンマーク人の妻メットと4人の子どもはコペンハーゲンに放置したまま。ゴーガンは長男を引き取ったのですが、たちまち病気にしてしまい、親戚からの援助で寄宿学校に入れます。メットはひとりで稼ぎ、子を育て、離婚に至っています。

49歳で2度めのタヒチ行きを果たしたゴーガンは、アルコール依存症と梅毒に侵されていました。タヒチで何度かの自殺未遂、うつ病に苦しみ、健康を回復せぬまま8年をタヒチですごし、マルキーズ島で亡くなりました。

 しかし、この8年の間にもゴーガンの傑作が生まれています。「ネバーモア」もそのひとつ。野生的なモデルは、ゴーガンのタヒチ妻のうち、パウラです。最後の数年をすごしたタヒチでゴーガンが「妻」としていたのは、14歳半のパウラでした。パウラはゴーガンの子をふたり生み、女の子は生後まもなくなくなり、男の子はパフラがひとりで育てました。
 
 「Never more」のモデルとして裸体を横たえたとき、パウラの表情から何をうかがえるでしょうか。
 
 それで、この絵を見るとき、私が感じたのは、ゴーガンがいう「野生の豪華さ」というより「決して成就しない愛」。パフラのポーズは挑発的でありながら、タヒチでは当然の「奔放自由な性」を謳歌するという雰囲気には見えない。

 画面全体を支配している不安な要素は、大鴉の「Never more」の鳴き声が生み出すよりも、ゴーガン自身の生の不安が表れているのだと思います。

 ゴーガンのタヒチでの作品が、「明るい太陽・青い海、陽気な人々」というタヒチのイメージとはうらはらな、不安を含んでいるのは、「決して健康な体には戻れない、決して~ない」という気持ちが込められていて、しかし、見る人にその不安を嗅ぎ取ってほしくはない、という矛盾した意識の表現があるのでしょう。

 ゴーガンの表現技法は「中世の七宝焼き(クロワゾネ)の装飾技法」を用いているのだとか。平面的に装飾的に塗られた色彩。「ネバーモア」の背景に塗られているのも、装飾的な壁。

 1901年に、タヒチからマルキーズ(マルケサス)島に移住。パウラは移住を拒否し、息子とタヒチに残ります。マルキーズで妻にしたのは、またも14歳のヴァエホ。ヴァエホもゴーガンの子を産みますが、ゴーガンのもとを去ってしまいます。
 ゴーガンは、1903年5月8日ヒヴァ・オア島でこ孤独のうちに亡くなりました。

 享年54歳。終生貧しさに苦しんだゴーガンでした。叔父や祖父の遺産が入ったときだけ、画材なども豊富に買えた生活。しかも、コペンハーゲンに残したデンマーク人の妻と5人の子にはお金を分与せず、離婚裁判に。妻はひとりでゴーガンの子を育てました。

 2015年2月に、ゴーガンが1892年にタヒチで描いた「Nafea Faa Ipoipo(いつ結婚するの)」が、絵画の取引額としては史上最高の3億ドル(日本円で約360億円)で落札されました。
 生前に売れたのは2枚だけ、というゴッホほどではなかったけれど、ゴーガンの作品も貧困から逃れられるほどには売れませんでした。360億円の1%でいいから、ゴーガンが手にしていたら、もう少し治療にお金をかけて、寿命を延ばすことができたでしょうし、デンマークの子どもたち、タヒチやマルキーズ島で産ませた子たちも苦労せずに成長でしたでしょう。画家の障害って、そういうもの。残念。

 2018年制作のゴーガン生誕170年記念映画でゴーガンを演じたのはヴァンサン・カッセル。少女テフラはツイー・アダムス。
 未見。相当美化された伝記になっているでしょうけれど、見たいです。

 パウラがひとりで育てたゴーガンの息子エミールが父を否定したのは当然のことでしょうが、エミールの子どもたちは祖父をどのように感じて育ったのでしょうか。
 マルキーズ島のヴァエホが生んだ子供にも子孫がいるらしく、ゴーガンの墓を守っているほか、観光収入用に博物館を建てて、ゴーガン作品の模写を展示しているのだとか。本物は高くて買えない。

 コートールド美術館展、ゴーガンのほかにも、モネ、セザンヌ、ゴッホ、ルノアールなど、印象派後期印象派の主だった画家の傑作がそろっていて、見ごたえのある展覧会でした。

 入り口ポスターパネル前


<つづく>
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