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ぽかぽか春庭「教員研修生の研究発表反比例の箱積分の箱」

2019-11-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20191124
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>再録・日本語教師日誌(32)反比例の箱

 春庭コラムから、日本語教師日誌を再録しています。
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2007/02/22 木
ニッポニアニッポン語教師日誌>研究発表会(5)反比例の箱

 休憩をはさんで、パキスタンのフミの数学教授法の研究発表。
 フミさんは、日本で開発されたさまざまな教具を調べ、分析していました。

 日本語で書かれたフミの数学教育研究報告書は、次のような書き出し。
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 「 数学は教育の重要な内容の一つで、すべての科学の基礎として万人賞賛されてきた。それによって数学は、重要な教科となった。生徒は数学を学ぶことに寄って世界を理科史成長して幾多のに方法を見につけることができるこれらの方法としては、推論、問題解決力、および思考力がある。数学は化学や技術に応用されている。私たちはそれによって自然科学について探求することができ、私たちの環境をコントロールし、そして社会の期待および生活水準の変化を促す技術を開発することができる。」
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 フミが紹介した教具の例。箱の中を二つの可動式板で区切ることのできる透明なプラスチック箱、二つに区切られた一方に粉を入れます。真ん中の区切り板を移動していくと、中に入っている粉の体積と高さが変化します。

 区切られた板を何センチ移動すると、粉の高さは何センチ変化するか?この教具をつかって、生徒に予想をたてさせたあと、実際に計量する。
 図表を作ってみると、区切り板と粉の高さは、連動して変化していることがわかってくる。結果、反比例の関係であることがわかる。

 ただ、数の羅列や、図表で納得させるより、自分で区切り板を移動させて計測することにより、反比例ということが、どういう現象なのかということを実体験として感じることができる。
 実際の生活のなかで、反比例関係がどのように現れるのかを、自分の目と身体で知ることができる。

 このプラスチック箱の実験をするには、計測の時間が必要になり、時間がかかる。先生が教科書の数値をみながら説明したほうが手っ取り早い。しかし、ただ数を並べて、反比例の式や計算方法を暗記し練習するよりも、はるかにものの考え方が身につくように思えました。

 フミが実施した実験授業案と生徒アンケートや研究授業参加者の反応を分析したところによると、「生徒たちに論理的な思考を的確に促すことができた」と、報告されていました。

 数学教具は、ひとつの教具を様々な内容の学習に活用できるものが望ましいのだとフミは説明しています。
 反比例の授業に使用した透明プラスチックの箱を立方体の体積概念、一次方程式などの授業でも使うことができるのだという。

<つづく>
2007/02/23 金
ニッポニアニッポン語教師日誌>研究発表会(6)積分の箱

 私が子供のころ、教室にあった数学用教具といえば、大きな先生用のコンパスや三角定規、大きなそろばん、くらいしか覚えていません。
 個人用には、おはじきなどがはいった「算数セット」を購入しました。算数セットは、今でも小学校では購入が続いているのだろうと思います。

 しかし、中学校や高校では、教具の工夫など記憶がない。ひたすら教科書と数字で計算練習をやらされたような気がします。
 なぜマイナスとマイナスをかけると+になるのかもわからないまま、計算だけしていました。
 中学国語教師になって、数学の先生から水道方式の教授法をきいてようやく「なぜプラスになるのか」がわかった。

 私は中学で数学が苦手になってきて、高校では微分積分あたりからわからなくなりました。
 完全文科系の頭なのに、数Ⅰ、数Ⅱはおろか数Ⅲまでやらなければならず、数Ⅲなんか、教師の説明を宇宙語のように聞いていました。

 私が何年か前にきいた微積分の面白い授業。
 生徒に長方形の折り紙を一枚わたす。
 生徒は税として米を納めなければならない国民です。先生は税を受け取る王様の役。

 この紙の四辺をおり畳んで、箱をつくる。縦横何センチの箱でもよいが、出来あがった箱にすりきりで入るだけ、砂金を与えると、王様が約束した。

 ただし、いちばんたくさん入る箱を作り上げたひとりだけに砂金をあげる。それよりも小さい箱になってしまったら、その箱に入るだけの米を王様に献上しなければならない。
 さて、容量がいちばん大きくなるように、長方形を折り畳んで箱にするには、いったいふちの高さを何センチにすればよいのか。

 金をもらえるのか、米を献上するのか、えらい違いになる。
 積分の考え方で縦横の長さ、ふちの高さを決められるのだそうだ。
 紙を折り曲げてそれぞれが苦心してから、先生から「この紙一枚を使って、最大の体積を得られる計算方法」を聞き出せれば、興味津々で聞けたかも。

 こんな授業なら、微積分の学習にも身が入ったのに、私はさっぱり興味をもてない教え方をされたから(と、自分の数学的頭脳のなさを、工夫のない先生のせいにする)未だに微積分ってなんのことやらわかっちゃいない。数学への適応度ゼロです。

 ジョーは、南島のゆったりした生活からめまぐるしい日本の生活になって、なかなか適応できなかった。ホームシックになり、日本語授業でつまづき、クラスメートの進度についていけませんでした。

 日本語が上達しないジョーを、「あんなにできない留学生、初めて受け持った」と、あからさまに言う先生もいました。
 ジョーは頭の悪い人ではありません。島では数少ない高学歴者であり、近隣をたばねる役目も兼ねてきた指導力のある人です。日本語でつまづいたからと言って、「できない」などとレッテルを貼るべきではないと思いました。

 私がしたことは、日本語の補講ではなく、数学をジョーに説明してもらうことでした。
 私は数学が苦手。数学教師の話すことばが宇宙語にきこえ、何も理解できない教室にいる苦しさを、私は知っています。

 ジョーは数学ができる。数学ができる人を私は「尊敬すべき人」と思う。ときどき数学の式などを黒板に書いて、ジョーに解いてもらいました。
 日本語の説明がたどたどしくても、数学を並べていけば、解が出る問題。ジョーの得意の分野です。

 自分の得意なことを人に教えることは、きっと心によい影響をもたらすと信じました。「他の人より日本語ができない」と、萎縮している気持ちをほどき、昼休みにいっしょに学ぶ一題の数学の式が、ジョーの気持ちにゆとりと自信を与えると思いました。
 そして、たどたどしくても「日本語で説明しよう」と思う気持ちが、日本語学習に向ってくれればバンバンザイです。

 文化発表の授業で、島の伝統楽器アウニマコを演奏し、日本語で説明したジョーの顔は、ふるさとの文化への誇りで輝いていました。
 同じ島から日本へきた人と知り合えたこともあって、ジョーはなんとか「もう島へ帰りたい」という状況を脱して、最後まで日本での「教員研修プログラム」をこなすことができました。


<つづく>
コメント (2)
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