
20200912
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2020コロナにめげずの映画(2)ふたりの男の願望の成就と非成就ーワンスアポンアタイム イン ハリウッドその2
「ワンスアポンァタイムインハリウッド」その2 承前
リックは、かってのテレビドラマ主演俳優のプライドを捨てて、新人の引き立て役の悪役を引き受けます。髪型を彼が嫌うヒッピー風の長髪にせよ、付け髭をつけよという監督の要望に屈辱を感じながらも引き受けざるを得ない。
落ち目を実感させられ、くさっているリック。しかし、見事な女優魂を発揮している子役トルーディ・フレイザーと出会い、刺激を受けます。リックは、子役トル―ディとのからみシーンで抜群の演技力をみせました。トル―ディは、「今までの人生で最高の演技」とほめてくれます。トル―ディの人生、たった8年だけど。
監督もリックの演技を認めてくれたことから自信を取り戻したリックは、「都落ち」と感じていたマカロニウエスタンへの出演を承諾します。半年間イタリアに滞在し、4本の映画をとって成功を得たうえ、イタリア人女優と結婚するおまけもついてロスに戻る。
ブラピは、街でヒッチハイクしてきたヒッピーの女性に案内され、かって自分も出演していた西部劇の舞台となった牧場を訪ねる。牧場主の安否を気にしての訪問でしたが、牧場主は寝たきりで盲目になっており、ヒッピーが牧場を勝手に使いまわしていることを黙認していました。このヒッピーコミューンの副リーダー女性スティッキーを演じているのは、ダコタ・ファニング。リーダーのチャーリーは表だって描かれていません。
実在のチャールズ・マンソンは不幸な生い立ちで、施設や刑務所を出たり入ったりして生きてきました。大人になったチャールズ・マンソンは刑務所の中でギターを覚え、シンガーソングライターをめざします。ビーチボーイズの歌手と知り合い、そのツテで音楽プロデューサーのテート・メルチャーに取り入るチャンスを得ます。しかし、メルチャーは、結局チャールズ・マンソンのデビューに助力することはありませんでした。おそらくはチャールズの過去の犯罪歴を知り、そういう人物のデビューに手を貸すことのリスクを考えるようになったからでしょう。
歌手への夢を絶たれたチャールズは、ヒッピー文化台頭のなかで、しだいに家出娘らに影響力を振るいはじめ、LSDほかの薬物を利用してコミューンを形成。コミューンのヒッピーらはチャーリーに心酔し、「テートメルチャーの家を探し出し、家にいる金持ちらを皆殺しにする」という計画に乗り出します。
テート・メルチャーが1ヶ月前に引っ越し、あとに住んでいるのはシャロン・テート。現実社会では、ヒッピーたちはシャロンらを虐殺し、逮捕後の裁判になると、チャールズマンソンは「私は手をかけていない。ヒッピーらが勝手にやったことだ」と開き直りました。自分だけは刑を逃れようとしたのは、オームの麻原ショーコーも同じ事を言っていますね。「弟子が勝手にやったことだ」と。
証拠不十分で結審しそうだったところ、マインドコントロールが解けた女性ひとりが、殺人に関わった罪を悔いて、チャールズが首謀者であることを証言しました。チャールズに死刑判決が下ります。しかし、カルフォルニア州が一時死刑停止した恩恵を受けて、終身刑に減刑。2017年に82歳で死ぬまで生きながらえました。
獄中で病死するまで、82年の生涯を終身刑受刑者として送ったチャールズ・マンソン。1969年から50年間の月日、何を思って過ごしたのでしょう。
現実社会では、チャールズはシンガーソングライターになるという願いをテート・メルチャーに阻まれた恨みを晴らしています。「テートの家=金持ちの家」に住むシャロンを殺すことによって復讐を遂げたのです。
脚本は、チャールズの復讐劇を失敗させます。ヒッピーたちは、シャロンの隣に住む隣人がリックであることに気づき、襲撃目標を変えます。もともとテート・メルチャーに恨みを持っているのはチャールズであってヒッピー達ではない。ヒッピーたちは「金持ちを殺すことが正義」というチャーリーの言いつけを守ればいいのです。
「リック・ダルトンは、西部劇でならず者たちを殺しまくり、戦争映画で敵を殺す。正義のために殺すことを教えたのはリックだから、こんどは俺達が正義のためにリックを殺そう」
クリフ・ブラピが愛犬と散歩に出ている間に、ヒッピーたちはリックの家に入り込む。リックはプールで酒を飲んでいて、侵入者には気づきません。
クリフが犬を連れて家に帰ると、ヒッピー達がリックのイタリア人妻を殺そうとしている。クリフは犬とともにヒッピーたちを撃退するも、瀕死の負傷を負う。
プールに来たヒッピー女は半狂乱となって銃を乱射。リックはプール脇の物置屋から火炎放射器を取り出して、女に噴射。
昔話は、しばしば書き換えられる。カチカチ山のお話でおばあさんは狸に殺され、兔は敵討ちとして狸を泥船に乗せて溺れさせ復讐する、というストーリーが、幼児向けじゃないというので、狸はおばあさんを殺しはせず、兔も狸を懲らしめるだけで、殺しはしない。
タランティーノ監督もチャールズの復讐劇を書き換えました。
クリフとリックの返り討ちにあって、チャールズの恨みは晴らされることなく昔話はThe end。
タランティーノの中のハリウッドでは、チャールズはおのれの復讐願望を成就しないのだ。
愚痴ったり涙目になったりしながら落ち目の自分を嘆いていたリックレオ様は、映画スターとして返り咲くことができました。落ち目テレビ俳優から映画スターへと再生を果たしたのです。
一方、タランティーノ監督は、クリフ・プラピの安否について、明確にしないままです。クリフは、最初から最後まで飄々と「落ち目スターのスタント」という自分の生き方を変えず、ときに暴力を爆発させました。変わらない、変わりたくもない彼には再生の時間は与えられない。
1969年にハリウッドに生きた3人の男。モデルはいたようですが、実在者とはいえないリックとクリフ。画面にチラ出するけれど、実在のチャールズと同じように、事件の表には出なかったヒッピーコミューンのリーダー、チャーリー。
3人の男の生を1969年という時空に描いて見せたタランティーノの手腕を、私は面白く見ました。
シャロン・テートもチャールズ・マンソンも知らなかった娘、最後の襲撃シーンはあまりに恐ろしくて目を開けていられなかったそうです。「やっぱり、私はディズニーやジブリのハッピーエンドの映画だけ見ていようっと」と、娘。ワンスアポンアタイムインハリウッドは、ハッピーエンド映画とは言えないけれど、最後の戦闘シーンである種カタルシスを得て、「ああ、スッキリした」と感じる人もいたようです。
1969年。「古き良きアメリカ」の幻想がベトナム戦争とヒッピー文化ムーブメントの中で変容し、しかしまだ新しいアメリカは現れていない。ハリウッドもテレビ時代の到来以後変容せざるを得ない時期でした。ハリウッドの華やかなライトの影に横たわっていたが、70年代80年代を経てどう変わったのか。少なくとも、タランティーノのような才能を受け入れるハリウッドに変わったとは思います。監督賞を与えなかったけれど。
私は、ブルースリーがなぜカトーであったのか、見ているときにはわからなかったので、見終わってのモヤモヤ。でもグリーンホーネットに出てくる、日本人だかフィリピン人だか中国人だかわからない「正義の助手」というアイデンティティの表現らしい、とわかっただけで、スッキリ、日本でもグリーンホーネットが放映されたことがあるとのことですが、私は見たこともなく、売れる前のブルース・リーが「カトー」を演じていたこともまったく知りませんでしたから、なぜブルー・スリーを「カトー」という名で呼ぶのかわかって、この映画が描いたことのひとつは自己確立の物語かと。
チャーリーは憎いテート・メルチャーを殺すことでシンガーソングライターとして自分を確立できなかったことへの復讐を企て、失敗。リックはテレビ主演俳優のプライドを捨てマカロニウエスタンに出演することで再生。確立している自己を失うことなかったクリフは、、、、
<つづく>