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ぽかぽか春庭「港区郷土歴史館(旧国立公衆衛生院)」

2022-03-13 00:00:01 | エッセイ、コラム

 旧国立衛生院(港区郷土歴史館)正面
 
20220313
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩建物巡り早春(2)港区郷土歴史館(旧公衆衛生院)

 私の建物好きを知っている娘が「白金台の駅の前に建っている港区郷土歴史館って見学したことある?」と聞きます。「庭園美術館に行く前に、白金台の駅近くにある東京大学医科学研究所の建物を見たことあるけど、その隣にずっと工事中の建物があったなあ、そこかなあ」
 そこでした。 
 
 医科学研究所と同じく、内田祥三(うちだ よしかず1885-1972)の設計。内田は安田講堂をはじめ、東京大学の諸施設を数多く設計した建築家。(私は2月2日にこの施設を訪れて設計者略歴を見るまで「しょうぞう」という名前だとばかり思っていました)。
 
 1938(昭和13)年に建設された旧公衆衛生院。構造は鉄骨・鉄筋コンクリート造、スクラッチタイルで覆われたゴシック調の外観で、「内田ゴシック」 と呼ばれる重厚なスタイルです。
 医科学研究所と公衆衛生院は一対の建物としてデザインされています。
 
 これまで、東大法学部3号館 (1927)東大教養学部1号館 (1933)東京農工大学農学部本館 (1934)東大駒場博物館 (1934)東大理学部本館(1939)
など、内田作品はけっこうな数みてきました。
 でも、内田の遺作である損保ジャパン本社ビル(1976)など、そんぽ美術館にいくたび、正面入り口から入っていたのに、内田作品とはおもわずにスルーでした。なにしろ、どでんと重厚な内田建物が多いので、そんぽビルが内田作品かどうかなどはと気にしたことがなかったのです。
 
 公衆衛生研究所は、2002年に和光市に移転。私が隣の東大医学部病院の建物を見たころには、お化け屋敷のような雰囲気でした。医学発展のためと解剖された死体なんぞが夜な夜なでてくるような。
 2009年に建物は港区の所有となり、長く工事中で外観を見ることも難しかったです。2018年まで改修工事が続けられ、明るく美しい「港区立郷土歴史館等複合施設ゆかしの杜」として生まれ変わりました。(改修担当は日本設計)
 
 港区立郷土歴史館は、郷土資料などは常設展として有料展示ですが、建物を見るだけなら無料。私と娘は建物を見に来たのであるから、当然無料見学。撮影自由。テレビドラマのロケ地にもよく使われているのですと。
 
 旧公衆衛生院は、日本の公衆衛生の改善と向上のため、公衆衛生に携わる技術者の養成、訓練を行うとともに、公衆衛生に関する調査研究機関として設立されました。建物は、1923年にロックフェラー財団の寄贈により建設されました。外観は、城のような要塞のような、内田ゴシックによるこけおどし的重厚さですが、内部には保健婦看護婦になるための寮なども含まれ、当時としては最先端の女子寮でしたから、ここで学ぶ人にとっては、誇らしく国への貢献を決意したくなるような設備でしたろう。

 正面入り口ファサード内
 
 正面入り口ロビー
 
 講堂 
   
  旧所長室
 
 今回は、港区郷土歴史館の常設展示などを見る時間がなかったので、また訪れたいと思います。
 

 
<つづく>
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