20220324
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2022日本語学校春(4)卒業式2022
コロナ感染拡大によりオンライン授業が続いていましたが、卒業式だけは対面で行いたいと願ってきました。コロナ禍の中、各地からオンライン卒業式の話題も聞こえてきましたが、やはり、卒業証書は、直接渡したい。
ロシアによるウクライナ侵攻が収束を見せないという世界情勢の中、人生のひとつの区切りにあたり胸弾ませている卒業生に、できる限り明るく楽しい卒業式をおこなってやりたいと、準備のできない中、ぶっつけ本番の卒業式に向かいました。
すでに進路が決定している卒業生11名。
中国からの留学生の進路。国立大学大学院工学研究科修士課程1名研究生1名。国立大学の大学院農学研究科修士課程1名、私立大学大学院国際経営学研究科修士課程1名。私立大学経済学部1名。私立専門学校介護科1名。1名は就職希望。
ネパールからの留学生。非漢字圏の学生の「漢字の壁」を乗り越えることができず、4級試験にも合格できませんでした。しかし、会話力は上達しました。1年前は「おはようございます」も口にできなかった学生が、なんと卒業スピーチを飛び入りで行うまでになりました。
2021年3月の卒業式では、4人の卒業生の中のひとりが代表として卒業のことばを述べました。日本従来の卒業式の「代表一人が答辞、ひとりが送辞」という形式を踏襲した形でした。
しかし、2回目の卒業式である2022年3月の今回は、私は全員に卒業のことばを言ってほしかったのです。
オンライン授業の中で、「卒業生のことば」について教師からもいろいろ提案しました。
小中学校などでは、代表の「答辞」ではなく、呼びかけ方式で、ひとりひとりが在学中の思い出などを語り合う方式をとるところが増えてきました。「みんなで仲良くいっしょに方式」が必ずしも卒業生にとって良い場合だけでないこともありますが、「全員で述べる方式」にしたいと提案し、学生も賛成してくれました。、、、、っていうか、「自分で言葉を考えなければならないなら、たいへんだから、先生が原案書いてくれるならいいけど」
教師が「みんなで呼びかけ方式」の前後を考え、学生は「2020年の11月に来日し、2週間の缶詰待機を経て、12月から授業を始めて以来の思い出をひとことずつ述べる」ということになりました。
卒業式場となった一番大きい教室3.モニターには、2021年12月に入校して以来の思い出写真が映写されました。
ネパールAさん:浴衣を着て写真を撮ったこと、うれしかったです。
ネパールBさん:クリスマス会、楽しかったです。
中国組
Cさん:2021年の3月にみんなで桜を見に行ったことが、よい思い出になりました。
Dさん:江戸東京たてもの園で、いろいろなたてものを見て、クイズに挑戦して、おもしろかった。
みんなでクイズをときながらたてもの園を歩きました。
Eさん:夏祭りでゲームを作って、みんなで遊んだこと、忘れません。
Fさん:先生のやさしさが、一番の思い出です。先生の笑顔を忘れません。
先生に気をつかって、思い出のことばを作る学生こそ私の宝物。わたなべ君のやさしさを忘れないよ。お気遣い、ありがとう。
(渡辺は、教室内の通称。「教室では自分が呼ばれたい名前で呼びます」と、最初に言いました。すると、ひとりは「渡辺」という名で呼ばれたいと。みな、大好きなアニメの主人公の名を選ぶなどしました。紀川、藤原、大嵐など。どんなアニメか紹介してもらいましたが、ジブリのアニメくらいしか知らない私は、その名前がどんな登場人物かわからないまま、「はい、キカワさん、次読んで」などと呼んでいました。ワタナベさんキカワさんも卒業です)。
3月11日、久しぶりに学校に集まった学生たち。学生はネクタイにスーツや女性もリクルート風スーツに身を正し、参加。
HAL先生の祝辞
卒業式の日3月11日の11年前に東日本に大きな困難があったことを紹介し、11年の間に、困難の中からすこしずつ頑張ってきた人々がいたこと、卒業生も在校生もコロナ禍という困難な時代に留学生活をおくってきたけれど、きっとこれからも頑張っていけるよ、と励ましのことばを送りました。
残念ながら謝恩会はなし。教職員で、ネパール学生が差し入れてくれた先生への感謝ケーキを食べました。
それぞれの進路に向かう学生たち。思い思いに未来を開いていってほしいです。
<おわり>