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ぽかぽか春庭「しだれ桜 ミサイルママと六義園」

2022-03-27 00:00:01 | エッセイ、コラム

20220327
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記桜さくら(2)しだれ桜  ミサイルママと六義園

 ミサイルママと「大人の遠足」をしていたころ。
 お花見もふたりいっしょ。私がおにぎりを持っていき、ミサイルママがお湯ポットとドリップコーヒーを持ってきておいしいコーヒーを入れてくれる。六義園のしだれ桜をコーヒーを飲みながらながめてよいお花見でした。

 2017年の花見、4月5日昼に、ミサイルママと旧古川庭園と六義園のはしごで花見、5日夜六義園で息子娘と夜桜見物、7日に飛鳥山でひとり花見散歩と、花見の大盤振る舞いって感じで出歩きました。
 この年が、ミサイルママとの「大人の遠足」も一番いい時期でした。ミサイルママはよい方と出会って再婚し、「女手一つで子供二人の食い扶持を稼がにゃならぬしんどさ」を語り合う時間がなくなってしまった。

 再婚以来ジンさんとミサイルママふたりして年金生活になり、穏やかな落ち着いた生活でしあわせ。コロナの外出自粛からは、自宅団地となりの公園を毎朝ふたりで散歩して、運動不足解消しているのだとか。仲睦まじいミサイルママを誘うことも遠慮してきました。

 3月25日、久しぶりにミサイルママをお誘いしました。
 金曜日午前中は区の施設の体操教室に参加して、水曜日のジャズダンスレッスンのために体力維持を図っているというので、午後1時に待ち合わせ。六義園入園予約をとりました。
 六義園は3月20日まで休園していたのですが、東京も蔓延防止の解除で21日からお花見オープン。

 楽しみに出かけたのですが、しだれ桜はまだ五分咲きくらいで、満開の桜の見事さに比べるとちょっと残念。



 でもきょうは桜よりミサイルママとのおしゃべりがメインです。
久しぶりに会ったので、ジャズダンスの仲間たちや先生の近況も聞き、私の仕事の愚痴、オンライン授業してきたことがアナログ老師には負担が大きく、ストレスいっぱいだったなんてことを話しました。

 ジャズダンスの仲間の一人Aさんは、78歳になった今も、30年以上続けてきたホームヘルパーの仕事を元気にこなしていて、ダンスレッスンも続けているそうで、偉いなあと感心。介護を受ける側の年齢になっても、人を助けて感謝されつつ、料理上手を生かしていて、頭が下がる先輩です。
 Bさんは家を新築し、もうすぐ引っ越し。ご主人を見送ったあと一人暮らしだから、小さなマンションにでもと思っていたけど、お孫さんが東京都内の大学にこられるように、孫のために新築するのだそう。
 私の姑も70過ぎて家の改築を一人でやってのけ、90過ぎて一人暮らしがしんどくなったら一緒に住んでね、と言っていたけれど私がミャンマー赴任中に亡くなって、一緒に住むことかなわなかったことなど話す。Bさんの「孫を東京の大学に新築の家から通わせたい」っていう願い、かないますように。

 ミサイルママの近況報告。お連れ合いのジンさんの体調がこのところ良くなくて、たいへんだというので、私もタカ氏が週3回腎臓透析を受ける患者になって身障者手帳を交付されたと嘆く。ただ、これまで大の病院嫌いで、コロナワクチンも今までだったら受けなかったかもしれなかったけれど、事務所の隣にある病院でワクチンも3回やってもらい、食事飲み物の制限も守っていて、今までの不摂生が改善されたことが、かえってよかったかも。

 我が家、年金では暮らせず、私が働かなければ一家立ち行かない。皆が年金生活になっているのに、働き続けていると愚痴こぼす。
 ミサイルママは、二人の年金合わせてもカツカツだけど、都営住宅だから何とか暮らしていけるし、たまには格安の旅行も楽しみたい、とコロナ収束とジンさんの体調回復を待っているそう。

 ウクライナのことを思えば、戦火の中にいないだけでも幸せと思わなきゃということになりました。
 ウクライナも気の毒とおもうけど、アメリカがイラクやアフガンを攻撃した戦争のときは、学校病院が爆撃されて市民や子供が何万人も亡くなったのに、支援物資とか寄付する日本の人いなかったよね、と私の思いを伝えておく。
 イラクの核開発疑惑など事実無根であったことを後にアメリカが認めたけれど、死んだ子供は生き返らない。

 確かに、いまのロシアの攻撃は侵略行為であり、すぐに戦争をやめるべきだと思うけれど、イラク攻撃のときだって、政府は戦争に反対すべきだったと、私は思った、と話しました。すべての戦争に反対、と。
 非戦論を述べると、また非国民と言われるのだろうが。
 鬼畜英米と教えていた教師が、手のひら返して、アメリカの民主主義を見習おうと教えた時代もあったことも忘れ去られていくのだろうが、私は頑固者の平和主義者を続けます。

 「平和なクラスにしよう」という学級目標を教室に張り出したら、校長がすっ飛んできて、平和というのは政治的な主張だから、そんな言葉をつかうな、と担任教師を叱ったというニュースが前にありました。で、学級目標は「みんなで仲良く」になりましたとさ。いったいいつから「平和」というのは、政治的な主義主張になったっていうのでしょう。でも、学級目標の「平和」を叱った校長は、今は手のひら返して「ウクライナの平和のために、支援しましょう」とか言っているんだろうと思います。そんなもの

 ミサイル一発とんでくれば「みんなで仲良く核兵器保有」と言い出す人達もいますが、私は頑固高齢者だから、核兵器も戦争もお断り。
 平和な国の平和な公園の閉園の30分前に門を出て、駒込駅前でさよならしました。


<つづく>
コメント (2)
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