
20220614
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ風薫る(3)トーベ
『ムーミン』の作者トーベ・ヤンソン(1914-2001)の若い時代の物語である映画『トーベ』。飯田橋ギンレイで鑑賞。
本もテレビアニメも楽しんできたムーミンシリーズ、2020年7月11日は、雨の中飯能市のムーミンバレーに出かけました。
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/e859476fe90f8667f098de2e0359cd5b
昨年末2021年12月29日には、横浜そごうで開催されたムーミンコミックス展にもでかけました。
また、いつ見たのかは覚えていないのですが、トーべが毎年夏をすごしたクルーブ島での生活を記録したテレビドキュメンタリーを見て、はじめてトーベの生涯のパートナーが同性のトゥ―リッキ・ピエティラであったことを知りました。
(Haru, the lonely island)(1998年)とTove ja Tooti Euroopassa (Tove and Tooti in Europe)(2004年)
2014年、トーベの生誕百歳を記念して、このドキュメンタリーはDVD化されています。私が見たのは、このDVDの発売宣伝用の放映だったかもしれません。
2021年7月21日にUPした「ぽかぽか春庭>トーベとトゥーリッキ」
tps://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/b241b2c3d74ecdd635992211d24176f6
DVD「孤島ハル&トーベとトゥーリッキ」の口上
トーベ・ヤンソン生誕100年を記念し、「謎」と「神秘」に包まれた、ムーミンの作者、トーベ・ヤンソンのプライベートフィルムがついにベールを脱ぎます。
2014年には、美術展他、多数のイベントも決定!トーベ・ヤンソンと、デザイナーのトゥーリッキ・ピエティラは1967年から25年間、早春から晩夏までをフィンランド湾のクルーヴハル(Klovharu)という電気も水道もない小さな島で過ごす。
動くトーベがここに/8ミリカメラで撮りためた20年を超えるトーベとトゥーティの幸せな島暮らしの日々/ムーミンの原作者トーベ・ヤンソンと、グラフィックアーティストのトゥーリッキ・ピエティラは20回を超える夏を「クルーヴ・ハル」という電気も水道もない小さな島で過ごす。静寂、霧、嵐、ヘリコプターの飛来、日々の暮らし。2人きりの日々を自ら撮影した大量のフィルムが一本の作品になりました。
2014年には、美術展他、多数のイベントも決定!トーベ・ヤンソンと、デザイナーのトゥーリッキ・ピエティラは1967年から25年間、早春から晩夏までをフィンランド湾のクルーヴハル(Klovharu)という電気も水道もない小さな島で過ごす。
動くトーベがここに/8ミリカメラで撮りためた20年を超えるトーベとトゥーティの幸せな島暮らしの日々/ムーミンの原作者トーベ・ヤンソンと、グラフィックアーティストのトゥーリッキ・ピエティラは20回を超える夏を「クルーヴ・ハル」という電気も水道もない小さな島で過ごす。静寂、霧、嵐、ヘリコプターの飛来、日々の暮らし。2人きりの日々を自ら撮影した大量のフィルムが一本の作品になりました。
今回見た映画『Tove』は、トーベがおつきあいした3人の男性のうち、政治家&哲学者のアトス・ヴィルタネンとの交際と、同性の恋人ヴィヴィカとのいきさつが描かれています。
アトスとはいっしょに住んだこともありましたが、結局結婚はせず、晩年まで 生涯の友人として仲良しでした。
トーベの最初の同性の恋人はのヴィヴィカ・バンドレル。映画『トーベ』の中では、大きなお屋敷に住む市長令嬢の舞台演出家。ブルジョアらしい贅沢で奔放な暮らし。トーベはヴィヴィカが「だれとでも寝る」ことに傷つきながらも、いっしょにムーミンを主人公にした舞台を制作しました。結局、恋人としてではなく、友人としてすごすことを選びます。ヴィヴィカとも晩年まで友人として交流しました。
映画は、1955年にトーベがトゥーリッキ・ピエティラと出会ったところで、終わりになります。
トゥーリッキは、私が見ていたテレビシリーズでは「おしゃまさん」と訳されていましたが、現在は原作通り「トゥーティッチ」という名でムーミンシリーズに登場。
映画のトゥーリッキも、ドキュメンタリーに出てくるトゥーリッキやアニメの「おしゃまさん」と、「顔、かお、そっくり」という印象の女優さんで、役に合うちょうどいい人を見つけるものだなあと、感心しました。
トゥーリッキはヘルシンキの隣り合ったアトリエで、トーベとともにムーミンシリーズのフィギュアの共同制作をしたり、ヘルシンキの学校でグラフィックデザインを教えたりしながら、トーベが2001年に86歳で亡くなるまで、ともにすごしました。トーベの最愛のパートナーでした。
今なお、子供も大人も魅了する「ムーミン」
あっけらかんと明るい一方の子供向けの物語も、子供の心の栄養には必要ですが、「ムーミン」の物語が含む「生きていく悲しみや苦しさ」を味わうことも必要なことと思います。
フィンランドの中での少数言語派「スエーデン語を母語とするフィンランド人」であったトーベ。著名かつ保守的な芸術家であった父親との確執、「トーベがヴィヴィカやトゥーリッキと出会った当時は「同性愛は犯罪であった」などなどのトーベの心に影を落としたであろうできごとの中で、トーベは自分自身が求める芸術を追求していきました。
イギリスの新聞に連載されていた「ムーミンコミックス」は、弟のラルスがトーベのあとを継いで制作をつづけ、トーベは油絵や壁画、小説執筆など、さまざまな活動を続けました。
映画『トーベ』配役
・ザイダ・バリルート監督
・トーベ・ヤンソン:アルマ・ポウスティ
・ヴィヴィカ・バンドラー:クリスタ・コソネン
・アトス・ヴィルタネン:シャンティ・ローニー
・トーベの母シグネ・ハンマルステン=ヤンソン :カイサ・エルンスト
・トーベの父ヴィクトル・ヤンソン:ロベルト・エンケル
映画、冒頭のトーベがアトスの前で踊っているとき、ダンスに舞い上がった風船が割れる音が、空爆を受けるフィンランドの戦争中に重なるシーンから始まります。心ふさがる戦争の情景に重なりました。
ウクライナの戦争、まだまだ終わりそうもありません。どんな戦争も一方から見れば正義。ロシアから見れば、「ウクライナ内の少数民族として迫害を受けてきたロシア語を話す人々の救済」という正義の戦争です。ウクライナ側からみれば、「固有の領土を武力で侵略してきた悪魔の軍隊」です。
ウクライナ軍人の戦死者は公表数1万人、子供を含む非戦闘員の死者は5千人近くなるといいます。一方ロシア側の戦闘員死者は公表されていません。3万人近くになるという戦死者の大半は、貧困地区や少数民族の出身者が最前線に送られているとのことですが、真偽はわかりません。
トーベの作品、ムーミンシリーズも、油絵作品にも、なにがなしか「生きる喜びと表裏にある哀しみ」が感じられます。
トーベが体験した、戦争の悲惨さや親との確執、少数民族一家(スエーデン語を話すフィンランド国民)として育った悲哀、性的マイノリティとして社会と相いれない時期をすごした苦痛などを感じてしまうのは、トーベの一生を知らないとしても、感知できると思います。
日本のアニメは、最初に放映されたころ、「明るく楽しいムーミン一家」の愉快な物語でした。トゥーティッキとともに日本にやってきたトーベは、日本の最初のアニメ化がお気に召さなかった、と伝わります。スノークのお嬢さんにテレビ局が勝手に「ノンノ」という名を与えたり、作品の基調がトーベの意図したものと異なっていたりしたことが「私の作品ではない」と感じられたようです。
映画『トーベ』の監修に、トーベの姪ソフィア・ヤンソン(ラルス・ヤンソンの娘)が管理しているムーミン関連著作権管理会社もからんでいるでしょうから、トーベの実生活からかけ離れたものとはなっていないと思いますが、私には、トーベを知るためならトゥーリッキが撮影した「(Haru, the lonely island)(1998年)とTove ja Tooti Euroopassa (Tove and Tooti in Europe)(2004年)」のほうがずっと好きな作品でした。
トーベの人となりを描くなら、トゥーリッキと出会ったところでストーリーを終えてしまったところが残念です。トーベは「ト―リッキと出会ったところから私の人生が作られたのだ」と言うように思います。
「若いころのトーベを描く」という映画のコンセプトがあったことはわかりますが、ストーリーとしては中途半端だったように感じました。
<つづく>