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ぽかぽか春庭「ル・コルビジェ油絵展 in 西洋美術館」

2022-06-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220625
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩雨にうたえば(3)ル・コルビジェ油絵展 in 西洋美術館

 西洋美術館が世界遺産に認定されたあと、長い期間、閉館改修となりクローズしていましたが、ようやく2022年4月にリオープン。
 前庭は、1959年の開館当初のころの構成に戻した、ということです。

 私が最初に西洋美術館に入館したのは中学生のころ(1964年だったかな、忘れた)オープンしてからあまりたっていないころのことでした。姉と二人だけで行った東京。初めて西洋絵画の本物を見たのです。美術教科書で見ていたクールベの「波」などが、どど~んと目の前にあったのですから。(特別展はモロー展だったので、調べると会期は1964(昭和39)年11月26日- 1965(昭和40)年1月31日の中のどこかででかけたはず)

 再オープンの西洋美術館


 春休みも5月連休中も「混むのでは」と密を心配していくことができず、ようやく5月25日に出かけました。
 西洋美術館の常設展は、65歳以上の人はいつでも無料です。私は、東京国立博物館や東京都美術館の帰り際に、閉館時間までの時間が少しでもあれば、上野駅に向かう途中、西洋美術館の常設展にたち寄り、好きな絵を1点だけでも見て帰ることにしてきました。なにせ無料ですから、1点を10分間でも見ることができれば幸せ気分で帰れます。

 5月25日は、東京都美術館を見たあとの立ち寄りでした。午後3時に入館して5時の閉館まで観覧。
 通常はほとんど観覧者おらず、モネの部屋など独り占めで睡蓮などを見ることができた常設展会場だったのですが、再オープン後の5月25日水曜日、改修前よりは観覧者数が多かったです。

 今回は再オープン記念の企画展、西洋美術館を設計したル・コルビジェの絵画が特別展示されています。 
[新館1階 第1展示室]
調和にむかって:ル・コルビュジエ芸術の第二次マシン・エイジ ― 大成建設コレクションより


 西洋美術館の口上
 本展はスイスに生まれフランスで活躍した建築家にして画家、ル・コルビュジエ(1887-1965)の晩年の絵画と素描をご紹介します。それらは、彼の初期とは全く異なる新たな環境から生まれた新しい芸術でした。第二次世界大戦による荒廃やその後も続いた冷戦による脅威から、機械万能主義を謳った戦前の彼の芸術傾向、いわゆる第一次マシン・エイジ(機械時代)は再検証を迫られ、ル・コルビュジエはモダニストとしての信条を貫きながらも、人間の感情や精神的必要性に寄り添いながら社会の要求に答えていかねばならないと考えるようになりました。以前は単に幾何学的な動物とみなされた人間の生活に、詩的感興を吹き込まんとしたのです。彼が国立西洋美術館の本館(1959年開館)を設計したのは、まさにそうした知的環境においてであり、彼はこの建物を通じて新たな時代にふさわしい新たな理想を表現しようとしました。
 そうした考え方に基づき、ル・コルビュジエの絵画も初期のピュリスム様式から大きく異なる方向へ展開します。1930年代半ばより、彼は骨や貝殻、そして人体など、自然界の形象と厳格な幾何学的構図の融合を目指し、開いた手や複数の顔を持つ牡牛などのモチーフがちりばめられ構成される独自の象徴世界を構築しました。それは第二次マシン・エイジ(機械時代)と呼びうるもので、人間と機械、感情と合理性、そして芸術と科学の調和を目指したのです。とりわけ開いた手は、与える/受け取るという相互関係を象徴するもので、この時代の彼の制作のエンブレムとなりました。
 本展示は、世界有数のル・コルビュジエのコレクションを所蔵する大成建設株式会社からの寄託作品を中心に、《牡牛XVIII》のような大作と、制作の過程を示す約10点の素描による合計約20点(展示替含め約30点)から構成されます。この芸術家の円熟期の絵画制作の展開を辿ることができる、貴重な機会となるでしょう。なお素描作品は会期半ば(6/27)で展示替えをします。本展はロバート・ヴォイチュツケ(国立西洋美術館リサーチ・フェロー)が企画しました。

 撮影禁止マークのある絵もありましたが、ほとんどは撮影OKの太っ腹。作品所蔵者の大成建設えらいぞ。(大成建設株式会社所蔵 国立西洋美術館寄託) 

[新館1階 第1展示室]


奇妙な鳥と牡牛 1957年 タピスリー


《イコン》1963年 彩色/木・スチール
 静物 1953年 油彩/カンヴァス
 

ふたりの浴女と漁網 1936

2人の浴女と平底漁船 1936

レア 1931
座るふたりの女 1933-1947

女性のアコーディオン弾きとオリンピック走者 1932
 長椅子 1934



 建築家として偉大であることは承知していたル・コルビジェでしたが、絵もなかなか見事なできでした。素人の印象としては、ピカソとミロとレジェを足して割ったような。

 油絵を描いていたのは晩年になってからだ、ということでしたが、モダニズム建築を集大成し、弟子たちもそれぞれ著名な建築家として育ったあと、悠々な日々を過ごしていたのだろうなあと思います。

 ル・コルビジェが日本の残した3人の弟子。前川國男、坂倉準三と吉阪隆正はパリのル・コルビュジエから送られてきた設計図面12枚をもとに建築を担当して西洋美術館が完成しました。

 私は前川と板倉の名だけ記憶にとどめていて吉阪隆正をあまり知りませんでした。そこで、現代美術館の吉阪へ行くことにしました。

 再オープンした西洋美術館の前庭で。

<つづく>
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