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ぽかぽか春庭「ゴシップ好きの建築史ーエヂ、デ・ラランデ夫人から東郷茂徳夫人へ」

2022-06-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220625
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記(1)エヂ、デ・ラランデ夫人から東郷茂徳夫人へ

 私は建築を見て歩くのが好きですが、建築史の専門家でもなし、建物にまつわるゴシップを聞きかじると、より興味深く建物を見ていられる、という素人です。
 たとえば、江戸東京たてもの園の「高橋是清邸」の2階にあがれば、「まさに、2・26の舞台。ここで高橋は青年将校らに襲われ、命を落としたのだ」と思って見ると、なんだか血の匂いまで感じられる気がするのです。

 そんなこんなで仕入れたゴシップが、絵画や建物を見る話のタネになります。
 長谷川博己の父、建築史家長谷川堯は、大学時代の卒業論文でル・コルビュジエについて書いたといいます。また大学教授になってからも講義で、ル・コルビュジエを取り上げることがありました。

 検索すれば、建築史家長谷川堯についても、建築家デ・ラランデについても、デラランデ邸洋館を戦後購入して自邸にしたカルピス創業者三島海雲についても、くわしく載っています。

 夜の「寝付くまで読書」のひとつとして「建築探偵の冒険 (by藤森照信) 」を読み返しています。
 今は江戸東京たてもの園に移築され、レストランが入っている「デ・ラランデ邸」が、まだ信濃町に建っていたころ、最後の住人だった三島琴(カルピス創業者三島海雲夫人)に突撃インタビューを敢行した話が載っています。
 藤森はこの印象的な洋館が戦後カルピス創業者の自邸になっていたことを知らずにただ「古い洋館探検」として訪問したのです。三島夫人は、亡き夫が開発した乳酸飲料パンピーを、突然訪問してきた藤森にふるまったそうです。
 藤森がデ・ラランデの名をどうやって知ったかというと、長谷川堯(はせがわたかし)に聞いたのだ、と藤森は書いています。

 デ・ラランデ夫人エディータ(1887-1967 通称エディ。日本の表記はエヂ旧姓ピチュケ )は、建築家の夫に従って日本で暮らしましたが、夫の死後ドイツに子供とともに戻りました。ベルリンの在独日本大使館で働くうち、外交官(後の外務大臣)東郷茂徳と恋仲となり、1男4女をドイツに残して再び日本へ。再婚したのち、一人娘いせ(1923-1997) を出産。いせが外交官文彦を婿にとり、生まれた双子兄弟のひとりが、新聞記者の東郷茂彦。もうひとりの和彦は、父と祖父の後をついで外交官に。

 東郷重徳をはさんで、左側いせ、右側エヂ


 東郷家の祖先は、秀吉によって朝鮮半島から日本に連れてこられて薩摩で陶工として代を重ねた一族で、武家身分を与えられました。旧姓「朴」から日本名東郷に改正しましたが、東郷平八郎とは関係なし。

 と、まあ、建築史というより、やはりゴシップ記事が好きな春庭。エヂの生涯がドラマになったら見たいです。東郷茂徳の生涯は「命なりけり」というエヂの娘いせが書き残した本によってドラマにもなっていますが。
 エヂの生涯もなかなかドラマチックですから、2時間ドラマくらいになるかも。配役希望。デ・ラランデ=村雨辰則。

 江戸東京たてもの園のデラランデ邸には、娘と行ったり留学生と一緒に校外学習したり、一人で散歩したり、何度も訪れています。
 デラランデ邸についての春庭コラムの中で、邸宅の名前について書いたものがありましたのでリンク貼っておきます。自分以外の人が読んでも面白くともなんともないかもしれないけれど。


<つづく>
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