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ぽかぽか春庭「出版120周年ピーターラビット展 in 世田谷美術館」

2022-06-21 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220621
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩雨に唄えば(1)ピーターラビット出版120周年記念展 in 世田谷美術館

 6月4日、娘と世田谷美術館で「出版120周年ピーターラビット展」を観覧しました。
 割引チケットも手に入らず、一般1600円シルバー1300円の入場料、合計2900円がちと高いと感じてぐずぐずしているうちに会期が終わりそうになってしまい、あわてて出かけました。

 会期:2022.03.26 - 06.19

 土曜日午後だったため、入場した時は混んでいました。世田谷美術館の常設展を見て時間をつぶし、4時過ぎにもう一度会場に入ったときはかなりすいてきていて、6時の閉館近くまでゆっくり見て回ることができ、会場内のフォトスポットでも、すいすいと写真がとれました。
 展示品は撮影不可ですが、5か所のフォトスポットで、フィギュアやパネルといっしょに写真が撮れます。

 フォトスポット:大きな木の下の穴がピーターたちの家。ママに青い上着を着せてもらうピーター。


 美術館の口上
 今も世界中で愛され続けるいたずら好きなうさぎ、ピーターラビッ。英国の作家ビアトリクス・ポター、病気で寝込んだ幼い男の子のためペットのうさぎをモデルとして描いた絵手紙に始まる物語は、1902年の初出版以来多くの人々にゆかいな夢を与えてきました。本展では、『ピーターラビットのおはなし』誕生の背景や物語の世界を、英国外初公開を含むオリジナル原画などにより紹介し、愛らしいうさぎの120回めのお誕生日をお祝いします。

1)ピーターラビット誕生まで
 『ピーターラビットのおはなし』は、1893年、ビアトリクス・ポターが病床の元家庭教師の息子、ノエル・ムーアを元気づけるために送った絵手紙が原点となっています。貴重な絵手紙の直筆オリジナルを日本で初公開します。

 ビアトリクス・ポター(1866-1943 )は、当時のイギリス上層中流家庭の子女として、学校教育は受けず、家の中で家庭教師(ガバネス)に教育を受けました。弟以外の子供と遊ぶことを許されていなかったビアトリクスは、家のなかでペットを飼い、そのスケッチをすることが、なによりの楽しみ。のちの絵本作家ポターを形成したさいしょの出来事起こると言えます。特にうさぎは、最初のペットベンジャミンと次にピーターと名付けたうさぎをかわいがり、スケッチをしました。

 1899年(ビアトリクス)のスケッチ「横たわるウサギ習作」


 ビアトリクスは、うさぎの絵を描いたカードを出版し、自活をめざしました。当時のイギリス社会では、中流上位のビアトリクスの階級や、貴族階級の娘は、結婚以外に人生の選択肢はありませんでした。しかし、ビアトリクスは、祖父の代に繊維業で財産をきずいた一家のもとで抑圧される女性の人生から抜け出したいと考えていました。
 
 元家庭教師(旧姓カーター)のむすこノエル・ムーアが病気になったとき、お見舞いとして絵つきの物語を送りました。その原画が展示されていたのは貴重なことでした。


1902年の最初の出版
 映画『ミス・ポター』では、ビアトリクスがノエルに送った絵手紙をもとにして絵本を完成し、売り込みにでかけます。いけどもいけども男性社会の出版界に相手にされないところが描かれていました。
 ようやく出版を引き受けたのはフレデリック・ウォーン社 。兄弟が経営する出版を手伝いたいと熱望していた末弟ノーマンに「どうせ成功しっこない仕事」を与えるための出版でした。
 ノーマンとビアトリクスは意気投合し、出版も大成功。「出版社社員程度の男ではポター家の家格が合わない」と反対する両親をおしきってビアトリクス39歳でノーマンと婚約しました。が、その直後ノーマンは病に倒れビアトリクスとの結婚はかないませんでした。

 初版の「ピーターラビットのおはなし」


 ビアトリクスは湖水地方の自然と動物を保護するためにピーターラビット出版やグッズ販売で得た財産を寄贈。土地購入の手助けをした弁護士と47歳のとき結婚。

 『ピーターラビットのおはなし』の彩色原画一枚一枚をゆっくり見て回ることができました。なかには、原画が破棄されて残されていないものもあったとのことですが、フレデリックウォーン社が保存していたコピーにより復元された絵もあります。

 挿絵のひとつ。ピーターがマクレガーさんの垣根から逃げ出すところ


 撮影OKのフィギュア


 
 撮影スポットの人参をほおばるピーターのフィギュア


 出版120周年を祝うバースデーケーキ


 撮影スポットで娘と交代でシャッターを押し、ピーターといっしょの写真がたくさん撮れました。

 展示室入口のマクレガーさんから逃げるピーターと私

 人参ほおばるピーターと私

 バースデーケーキと私
出入り口ポスターと私


 エントランス展示のヒルトップの家と私

 
 ビアトリクスが住んでいた家のひとつについて。
 湖水地方ヒルトップのポターの家。


 湖水地方でビクトリアが住んでいた家が、東松山市のこども動物園の中に復元されています。「ビクトリアポター資料館」として、ポターの資料を展示しています。

 私はこども動物園近くの大学キャンパスで教えていたころに、このポター資料館を何度か拝観しました。大学職員証を見せると無料になったので。

ヒルトップハウス復元の資料館

 東松山こども動物園でコアラを見るついでに、ピーターラビットゆかりのヒルトップの家復元の資料館へも、ぜひどうぞ。

 世田谷美術館のグッズ売り場には、ピーターゆかりのさまざまな製品が並んでいました。キャラクターを製品化して売り出すことを考え出したのも、ビアドリス・ポターが世界で最初に思いついたこと。粗悪なうさぎのぬいぐるみが「ピーター」としてハロッズで売られていたのを怒り、自分でぬいぐるみを作ってライセンス登録したのです。皿やマグカップ、トートバッグなどグッズの利益は、湖沼地帯の自然保護や動物愛護に使われるそうです。

 私はいつものように絵ハガキ3枚の購入ですが、娘はこれまたいつものように図録やらさまざまなグッズやら買い込んでいました。

<つづく>
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