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ぽかぽか春庭「梅切らぬバカ」

2022-06-11 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220604
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ風薫る(2)梅切らぬ馬鹿

 ゴールデンウイークも終わった5月11日に、飯田橋ギンレイで『梅切らぬバカ』を見ました。
 「自閉症の息子と母との絆、近隣の人との心温まる交流」というのが惹句でしたが、私には「障害のある子供を懐に囲い込み、息子のために一番必要なことを怠った、梅を切らなかった母の物語」でした。
 以下、ネタバレ含む感想です。

キャスト
山田珠子:加賀まりこ
山田忠男:塚地武雅
里村茂:渡辺いっけい
里村英子:森口瑤子
里村草太:斎藤汰鷹
大津進(福祉担当者):林家正蔵
今井奈津子(乗馬クラブのオーナー):高島礼子
グループホーム職員:北山雅康
自治会長:広岡由里子

 54年ぶりの主演映画という加賀まりこも、障害のある50歳の息子を演じた塚地も熱演ですばらしかった。
 しかし、障碍者を育てる苦労をしてきた友人を見てきて、この映画は、障碍のある人たちについて、リサーチ不足と感じました。
 山田珠子という母に決定的に足りなかった「障碍者の母としてやるべきことを怠ってきた失敗例」を見てい、てつらい思いでした。

 むろん、映画のストーリー「母と障碍のある息子のきずな、近隣の人々との交流をあたたかく描いた映画」という制作意図に沿って鑑賞する人のほうが多いことは当然でしょう。

 自閉症の中でも、知能指数の高い自閉症と知的発達遅滞のある自閉症があります。映画の50歳の息子山田忠男通称忠(ちゅう)さんは、発達遅滞者で自閉傾向を持ち、他者との交流が苦手です。母はこの息子を溺愛し、散髪も爪切りもこまやかに世話を焼いています。息子の世話が母の生き甲斐なのです。
 
 親なら、2,3歳になっても言葉が出てこない時点で我が子の症状に気づきます。4,5歳になれば、はっきりと息子が「自閉傾向がある発達遅滞児」という診断を受けたんじゃないでしょうか。50年前だとまだ「知恵遅れ」という言い方が残っていたころでしょう。

 そのような場合、親が何をやらなければならないか。まずは、発達を促す訓練です。忠さんが生まれた1970年ころには障碍児への偏見がまだまだ色濃く残っていた時代でしたし、発達をうながす訓練も限られていました。
 でも、親が何よりやらなければいけないことは、第一に他者とコミュニケーションをとれるように心をくだくべきでした。忠さんは、言葉が出ないことで他者とのコミュニケーションをとるのは難しいけれど、隣のうちに越してきた小学生里村草太と交流できるようになったことからも、決して他者を拒絶しているわけではないことがわかります。周囲の理解があれば、交流できるのです。
 忠さんの母は、息子が適切に交流できる方向へ向かわせることができたはずなのです。しかし、母珠子は、息子を囲い込みます。息子を自分の胸に抱きかかえることを生きがいにしてしまい、忠さんを他者から遮断していたように思います。

 障碍がわかった時点から、母の珠子は、近隣や友人関係のネットワークを広げ、「忠さんを囲むコミュニティの輪」を構築すべきでした。まわりの人たちを巻き込んで「忠さんを助ける仲間たち」を作り上げることこそが、最大の「親として子に与えられること」だったと思うのです。

 しかるに。
 加賀まりこ演じる山田珠子は、「ことばが出ないのだから、母親以外の人と心通わすことが難しい」として、忠さんをひたすらわが胸に囲い込みました。自治会長(広岡由里子)をはじめ、近隣の人は忠さんを「得体のしれない怖い障碍者」とみなしていることからわかるように、近所の人との交流はしてこなかった。
 母親は、子供が小学校入学以前から自治会長に頭を下げ、近隣の人を巻き込み、「忠さんを見守る会」を作るべきでした。人は本来自分より弱い存在を守ることが好きなのです。

 自閉症の人には、「ルーティン」が大切。自分の日常の中に決まりがあり、それをはずされるとパニックになる。たとえば、歩き出すときは右足からと決めている自閉症者には、左足から歩きだすことはできません。
 忠さんは、ルーティン通りに生活し、福祉作業所で紙箱作りを休むことなく続けている。同じ行動を繰り返すことは得意なのです。

 珠子は、忠さんが馬が大好きなことに注意を払っていません。子を知ることを怠っています。
 近所に「乗馬クラブ」ができた時、経営者(高島礼子)と交流して、忠さんが「ホースセラピー」を受けられる体制をつくったら乗馬クラブとのトラブルも回避できたはず。ホースセラピーは今では多くの牧場や乗馬クラブがとりいれていて、障碍者にとって有効なリハビリになっていますが、忠さんが子供のころ、1970年代にはまだあまりなかったかもしれません。だからこそ、母親は立ちあがるべきでした。

 しかし、珠子は、忠さんを養護学校に通わせ、成人してからは近所の福祉作業所に通勤させ、ルーティン生活のほかは息子の世話を焼くことで生き甲斐を得ています。
 おそらく築50年以上と思われる家で、珠子は「占い」を仕事として行っています。悩みを抱えて人々に占いによって指針を与えることばをかけ、謝礼を受け取っています。占いと相談者というのは、ことばを交わしているようで、一方的なコミュニケーションです。相互の交流は成立しがたい。珠子自身の生活も閉じているのです。

 珠子に金融財産などの相続財産があったのかどうかは描かれていませんでした。「父親は死んだことになっていて、この梅の木が忠さんにとっては、自分を見守る父親がわり」と語っていましたが、離婚した(と思われる)夫から経済的な援助を受けているようにはみえませんでした。

 持ち家という資産があるとしても、占いの謝礼だけで生活できたのかと思います。忠さんは、障碍者年金を受けられる立場ですが、障碍者年金のことは、地域の福祉担当者である林家正蔵も何も語っておらず「グループホームに空き室がでたから入居させたらどうか」と珠子に勧めたのみ。入居者が不足すると自治体からの補助金なども減らされるから、早急に入居者を決める必要があったのかもしれませんが、ルーティンが変わることでパニックになりがちな自閉者には、環境の変化になれていくよう、半年くらいは入居してだいじょうぶなように訓練をすべきでした。

 グループホームの職員(北山雅康)は、忠さんが5時56分にはトイレに入り、7時には朝ごはんを食べ始めることさえ理解していなかった。福祉職員として失格です。入居する障碍者の特性を理解することは、福祉に携わる人の第一の仕事です。

 しかも、このグループホームは定員8名くらいだと思うのに、福祉の基準を満たす職員の姿が見えない。職員一人が食事の世話までしている。職員数が足りていないことは違反です。セリフなくてもいいから、グループホームの基準通りの職員を配置すべきでした。

 この映画の唯一の救いは、隣の家に引っ越してきた小学生草太が忠さんと心を通わせるようになり、草太の両親も忠さんを受け入れられるようになったこと。忠さんは、母が囲い込まなければ、ちゃんと人々と交流できる。

 グループホーム入居後、忠さんが乗馬クラブに侵入してポニーがクラブから逃げだすという騒動をおこしたことから、近隣の人々は「グループホームはこの土地から出ていけ」という運動をおこします。最悪の事態。
 グループホームの隣の家の人は「こういうものがあると、我が家の売値が下がる」と文句をいいます。現実社会でも、統合失調症のグループホームや知的発達障碍者施設も、この理由で設置に反対する人が多いのだそうです。

 グループホームにいられなくなり、自宅に戻った忠さんを、母珠子は抱きしめ涙を流します。「あんたがいて、私は幸せだ」と泣くラストシーンで、多くの人がもらい泣き。
 私は泣けなかった。老いていく珠子には、50歳過ぎて老いていく息子を抱え込むには荷が重すぎるのです。

 珠子が忠さんをグループホームに入れることにしたのも、老いていく自分が、やがて息子の世話ができなくなった時のことを心配しての決意でした。
 障碍(とくにダウン症)の親は、子供の肥満に注意を払って育てます。体重が多くなると、親が子を支えるのがたいへんだからです。忠さんが太っているのは、珠子が我が子の体重管理に気をつけていない、ということ。
 「このままでは共倒れになる」と感じてグループホーム入居を決めたのですが、我が子の自閉特性に気を配っていないようすも気になりました。

 表題の「梅切らぬバカ」は「桜切るバカ梅切らぬバカ」ということわざによります。木にはそれぞれの木の特性に合わせた育て方があり、実がなる梅は剪定をする必要がある。人も同じ」ということ。
 ある袋小路の奥から2番目にある山田家の塀を超えて、梅の枝が道にはみ出ています。この道が山田家の私道であったとしても、山だけの隣家(一番奥の隣)に家が建っている以上、この木を切らないことは迷惑行為です。隣の里村家が裁判を起こせば行政指導により木の所有者に剪定をさせることができる。

 自分の敷地からはみ出た樹木は、きちんと管理しなければなりません。しかし、珠子は「この梅の木は、忠さんにとっては自分を見守ってくれる父親がわり」と言い、枝を切るようすを見た忠さんがパニックを起こすようすを隣の里村一家にみせて、剪定を中止します。
 梅の木が父親代わりに忠さんを見守っている、というように教えるのはよい。しかし、敷地の外にはみ出た枝は、幹が細いうちから毎年切っておくべきでした。

 以上、この「梅切らぬバカ」は、現実の梅の枝を切らなかったバカ、さらに自閉のある息子を囲い込んでしまったバカ、という二重の「障碍者を育てる場合の誤謬」を続けてきたの母親の物語として鑑賞。
 『37セカンズ』もそうでしたが、どうしても私は障碍者をテーマにした映画に厳しくなってしまう。現実は、映画に描かれているよりもっともっと厳しいものであるからです。

 加賀まりこについて。
 「花より男子」世代にとっては「道明寺ママ」ですが、加賀まりこより5歳年下の私の世代には「六本木の小悪魔」であり、「恋愛スキャンダルの女王」。
 私が一番美しいと思う加賀まりこは『泥の河』の「船で身を売る母」です。

 加賀まりこが5月4日(だったっけ)に、飯田橋ギンレイで監督の舞台挨拶に飛び入り参加した、というニュースをまっき~さんから知り、「うわあ、11日じゃなく1週間前の4日に見にいけばよかった」と残念至極。
 4日はどこにも出かけなかったのに、連休中は混むだろうと避けたのです。生まりこ、見たかった。加賀まりこの自宅がギンレイの近所にあり、ときどき散歩しているのを近所の人は見かけているのだとか。(5月11日にギンレイの入場待ち列に並んだ隣の高齢女性情報)
 挨拶飛び入り参加も、ご近所だからできたこと。

 加賀まりこは、この映画の宣伝もあるので、あちこちで「身内に自閉症の人がいる」という話をしています。
 18年前から同居している事実婚のパートナー6歳年下のTBS演出家、清弘誠 さん。「渡る世間は鬼ばかり」 などの演出をつとめてきた方です。

 清弘さんの息子(46歳)が自閉症で、現在は施設で暮らしています。コロナで自宅に帰れない日々が続きますが、以前は1か月に1度は自宅に帰っていっしょにすごしてきたのだそうです。
 息子さんの幼いころ、育てる苦労をしてきたのは清弘さんの前の奥さんでしょうが、まり子さんも息子さんを「可愛いです」と語っています。しかし、月に一度「お客様」としてまり子さんの家にやってくる息子さんは、幼いときに育ててきたころとはまったく違うと思いますので、まり子さんが製作者にアドバイスできたことはすくなかったろうと思います。

 まり子さんは、清弘さんとは麻雀仲間で、まり子さんから「私を恋人にしてください」と猛アタックを開始。清弘さんは、息子を生涯安心して預けられる施設を探し、施設に入居したのを見届けてのちに加賀まりこからの5年に渡るアタックを受け入れることに。同居事実婚は18年になるそうです。

 まり子さん、78歳になった今も「小悪魔」のころと同じように魅力的な女性です。「梅切らぬバカ」の主演女優として梅の美しさのように凛としたたたずまいでよかった。
 残念なことは、上につらつらと述べたように、グループホームの障碍者の見守り方と親の育て方に、私としては納得できないストーリーであったこと。脚本をチェックできる福祉関係者が監修に入らなかったのでしょうか。
 障碍者福祉にまったく素人の私でも、娘の保育園クラスメートのおねえちゃんがダウン症だった、というだけでかなり障碍者について知ることができました。清弘さんの息子さんが自閉症だったのなら、手づるはあったでしょうから、脚本担当者&監督は、もうちょっとリサーチしてほしかったです。

 加賀まりこさん、78歳の現在、71歳のパートナーと穏やかな日常にいます。ギンレイの近くを散歩していることもあるというので、いつか出会うかも。すっぴんでの散歩なので「あまり気づく人いない」ということですが。

<つづく>
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